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朝の光(聖書の言葉)

伝道の書 2022.11.19 

伝道の書 2022.11.19 


ソロモンが

伝道者の書の著者であるという説が

一般的に有力視されています。


本書の著者は1:1において

「エルサレムでの王,ダビデの子」

と名乗っているところから,

伝統的にはソロモンとされてきた.





「空の空」


(伝道1:2)


「空の空。

伝道者は言う。

空の空。

すべては空。」



 箴言は
「もし神がいなかったら」から,
出発して「神を恐れよ」と
答えを出しています。


 どのような知識を持っていても,
この世の知識だけなら,
神の愛も贖いも,永遠のいのちも,

 希望も見出すことが出来ないで,
ただむなしさだけが
あるというのです。

 この伝道の書の著者の
ソロモンの結論は,
次の通りです。

 

 (伝道12:13)

「結局のところ,

もうすべてが

聞かされていることだ。

神を恐れよ。

神の命令を守れ。

これが

人間にとってすべてである。」


 ○


「知恵と知識と喜びを与える神」 


(伝道2:24-26)


「人には,

食べたり飲んだりし,

自分の労苦に

満足を見いだすよりほかに,

何も良いことがない。

これもまた,

神の御手によることがわかった。

実に,神から離れて,

だれが食べ,

だれが楽しむことができようか。

なぜなら,

神は,みこころにかなう人には,

知恵と知識と喜びを与え,

罪人には,

神のみこころにかなう者に

渡すために,

集め,

たくわえる仕事を与えられる。

これもまた,むなしく,

風を追うようなものだ。」



人は神から

人生を与えられています。

ですから,

人生を楽しみながら

過ごすべきです。


人生は神から

離れて楽しむことは,

空(むな)しいものです。


(1テモテ6:17)

 「この世で富んでいる人たちに

命じなさい。

高ぶらないように。

また,たよりにならない

富に望みを置かないように。

むしろ,私たちにすべての物を

豊かに与えて楽しませてくださる

 神に望みを置くように。」


 ○


万事に時あり  


(伝道3:1)


「天の下では,

何事にも定まった時期があり,

すべての営みには時がある。」



人は,時の意味を求めます。

しかしそれは隠されています。

 そして,時のなぞは,

伝道3:9-15に

続いていきます。

 伝道3:11には

次のようにあります。



(伝道3:11 新改訳)

「神のなさることは,

すべて時にかなって美しい。

神はまた,

人の心に

永遠への思いを与えられた。

しかし,人は,

神が行なわれるみわざを,

初めから終わりまで

見きわめることができない。」




(伝道3:11 新共同訳)


「神はすべてを

時宜にかなうように造り,

また,

永遠を思う心を人に与えられる。

それでもなお,

神のなさる業を始めから終りまで

 見極めることは許されていない。」



☆彡



(伝道3:1-8)


 「天の下では,

何事にも定まった時期があり,

すべての営みには時がある。

 生まれるのに時があり,

死ぬのに時がある。

 植えるのに時があり,

植えた物を引き抜くのに時がある。

 殺すのに時があり,

いやすのに時がある。

 くずすのに時があり,

建てるのに時がある。

 泣くのに時があり,

ほほえむのに時がある。

 嘆くのに時があり,

踊るのに時がある。

石を投げ捨てるのに時があり,

石を集めるのに時がある。

 抱擁するのに時があり,

抱擁をやめるのに時がある。

 捜すのに時があり,

失うのに時がある。

保つのに時があり,

投げ捨てるのに時がある。

引き裂くのに時があり,

縫い合わせるのに時がある。

黙っているのに時があり,

話をするのに時がある。

愛するのに時があり,

憎むのに時がある。

戦うのに時があり,

和睦するのに時がある。」


○ 


(伝道3:9-15)

「働く者はその労することにより,

なんの益を得るか。

わたしは神が人の子らに与えて,

ほねおらせられる仕事を見た。

神のなされることは

皆その時にかなって美しい。

神はまた人の心に

永遠を思う思いを授けられた。

それでもなお,

人は神のなされるわざを

初めから終りまで

見きわめることはできない。

わたしは知っている。

人にはその生きながらえている間,

楽しく愉快に過ごすより

ほかに良い事はない。

またすべての人が食い飲みし,

そのすべての労苦によって

楽しみを得ることは
]
神の賜物である。

わたしは知っている。

すべて神がなさる事は

永遠に変ることがなく,

これに加えることも,

これから取ることもできない。

神がこのようにされるのは,

人々が神の前に

恐れをもつようになるためである。

今あるものは,

すでにあったものである。

後にあるものも,

すでにあったものである。

神は追いやられたものを

尋ね求められる。」




ふたりの労苦


(伝道4:9)

「ふたりは

ひとりよりもまさっている。

ふたりが労苦すれば,

良い報いがあるからだ。」



 イエス・キリストは

次のように言います。


 (ヨハネ13:34)

 「あなたがたに

新しい戒めを与えましょう。

あなたがたは

互いに愛し合いなさい。

わたしが

あなたがたを愛したように,

そのように,

あなたがたも

互いに愛し合いなさい。」


イエス・キリストが

十字架にかかって,

神と人との交わりの

回復をしました。

 人と人との間の垣を取り除く

ためでもありました。





「金銭を愛する者」


(伝道5:10)

「金銭を愛する者は

金銭に満足しない。

富を愛する者は収益に満足しない。

これもまた,むなしい。」



パウロは次のように言いました。


(1テモテ6:17)

「この世で富んでいる人たちに
命じなさい。
高ぶらないように。
また,たよりにならない富に
望みを置かないように。
むしろ,私たちにすべての物を豊かに
与えて楽しませてくださる神に
望みを置くように。」




人生の空しさ


(伝道6:10-12)

「今あるものは,
何であるか,
すでにその名がつけられ,
また彼がどんな人であるかも
知られている。
彼は彼よりも力のある者と
争うことはできない。
多く語れば,
それだけむなしさを増す。
それは,
人にとって何の益になるだろう。
だれが知ろうか。
影のように過ごす
むなしいつかのまの人生で,
何が人のために善であるかを。
だれが人に告げることが
できようか。
彼の後に,
日の下で何が起こるかを。」


人生はむなしいといいます。

それは,わたしたちが

神から離れているときです。


(ローマ7:24)

「私は,

ほんとうにみじめな人間です。

だれがこの死の,からだから,

私を救い出して

くれるのでしょうか。」


救いは永遠の神を

内に受け入れることです。




世の悲しみ


(伝道7:1-6)

「良い名声は良い香油にまさり,
死の日は生まれる日にまさる。
祝宴の家に行くよりは,
喪中の家に行くほうがよい。
そこには,
すべての人の終わりがあり,
生きている者が
それを心に
留めるようになるからだ。
悲しみは笑いにまさる。
顔の曇りによって心は良くなる。
知恵ある者の心は
喪中の家に向き,
愚かな者の心は
楽しみの家に向く。
知恵ある者の叱責を聞くのは,
愚かな者の歌を聞くのにまさる。
愚かな者の笑いは,
なべの下のいばらが
はじける音に似ている。
これもまた,むなしい。」


伝道者であるソロモンは,

神のない人のむなしさを言います。

パウロは次のように言います。


(2コリント7:10)

「神のみこころに添った
悲しみは,
悔いのない,救いに至る
悔い改めを生じさせますが,
世の悲しみは
死をもたらします。」




神のみわざは見極められない


(伝道8:16,17)

「私は一心に知恵を知り,

昼も夜も眠らずに,

地上で行なわれる人の

仕事を見ようとしたとき,

すべては神のみわざ

であることがわかった。

人は日の下で行なわれるみわざを

見きわめることはできない。

人は労苦して捜し求めても,

見いだすことはない。

知恵ある者が

知っていると思っても,

見きわめることはできない。」


神は無限であり,人は有限です。

ですから,

人は神を見出すことができますが,

把握すること,

すべてを知ることはできません。


この考えが,聖書の内容です。




(ローマ11:33)


「ああ,神の知恵と知識との富は,

何と底知れず深いことでしょう。

そのさばきは,

何と知り尽くしがたく,

その道は,

何と測り知りがたい

ことでしょう。」




知恵について


(伝道9:17,18)


「知恵ある者の静かなことばは,

愚かな者の間の

支配者の叫びよりは,

よく聞かれる。

知恵は武器にまさり,

 ひとりの罪人は

多くの良いことを打ちこわす。」


 ここで2つの箴言を用いて

知恵について語っています。


一つ目は,

 「知恵はのある者」は,

「静かなことば」

をもって語られても,

 愚かな支配者の大きな叫びよりも

価値があるといいます。

二つ目は,

 「ひとりの」愚かな

「罪人」の存在によって,

「良いこと」が

むなしくなると言います。





「王をのろおう」


(伝道10:20)


「王をのろおうと,

ひそかに思ってはならない。

寝室でも

富む者をのろってはならない。

なぜなら,

空の鳥がその声を持ち運び,

翼のあるものが

そのことを告げるからだ。」


イエスは次のように言います。

(ルカ12:3)

「あなたがたが

暗やみで言ったことが,

明るみで聞かれ,

家の中でささやいたことが,

屋上で言い広められます。」




パンを水の上に投げよ


(伝道11:1)


「あなたのパンを

水の上に投げよ。

ずっと後の日になって,

あなたはそれを見いだそう。」


主への働きは,

無駄になると思えるものもあるが,

労苦を惜しんではいけない。

神は,

必ず報いてくださる

というものです。


パウロは次のように言います。


(ガラテヤ6:7-9)

「思い違いをしてはいけません。
神は侮られるような
方ではありません。
人は種を蒔けば,
その刈り取りも
することになります。
自分の肉のために蒔く者は,
肉から滅びを刈り取り,
御霊のために蒔く者は,
御霊から永遠のいのちを
刈り取るのです。
善を行うのに
飽いてはいけません。
失望せずにいれば,
時期が来て,
刈り取ることになります。」


☆彡


(伝道11:1-4)


「あなたのパンを水の上に投げよ。

ずっと後の日になって,

あなたはそれを見いだそう。

あなたの受ける分を

七人か八人に分けておけ。

地上でどんなわざわいが起こるか

あなたは知らないのだから。

雲が雨で満ちると,

それは地上に降り注ぐ。

木が南風や北風で倒されると,

その木は倒れた場所に

そのままにある。

風を警戒している人は

種を蒔かない。

雲を見ている者は

刈り入れをしない。」




創造者を覚えよ


(伝道12:1)


「あなたの若い日に,

あなたの創造者を覚えよ。

わざわいの日が来ないうちに,

 又『何の喜びもない。』

と言う年月が近づく前に。」


 「伝道者の書」の著者は,

「ダビデの子」のソロモンです。


 「伝道者の書」に

次ぎの言葉があります。


(伝道1:1)

 「エルサレムでの王,

ダビデの子,伝道者のことば。」



 (伝道1:12)


「伝道者である私は,

エルサレムで

イスラエルの王であった。」


ソロモンの見た人生は虚無でした。

 「空の空」でした。



(伝道1:1-3)

「エルサレムでの王,

ダビデの子,伝道者のことば。

空の空。伝道者は言う。

空の空。すべては空。

日の下で,どんなに労苦しても,

それが人に何の益になろう。」


 しかし,

ソロモンは自分の人生経験によって,

次のように言いました。


(伝道12:1)

「あなたの若い日に,

あなたの創造者を覚えよ。

わざわいの日が来ないうちに,

又『何の喜びもない。』

と言う年月が近づく前に。」

 



(伝道12:13,14)


「結局のところ,

もうすべてが聞かされていることだ。

神を恐れよ。

神の命令を守れ。

これが人間にとってすべてである。

神は,善であれ悪であれ,

すべての隠れたことについて,

すべてのわざを

さばかれるからだ。」


 「伝道の書」は,

ソロモンが神から,離れて,

 幸福を得ようとしたときの

経験を述べています。


 この書を通して,

わたしたちは

たとえ全世界を所有しても,

 神(キリスト)なしには,

満足できないことを

学ぶことが出来ます。




神を恐れよ。神の命令を守れ。


(伝道12:13,14)

「結局のところ,
もうすべてが
聞かされていることだ。
神を恐れよ。
神の命令を守れ。
これが人間にとってすべてである。
神は,善であれ悪であれ,
すべての隠れたことについて,
すべてのわざを
さばかれるからだ。」



伝道の書の結論は

「神を恐れよ。神の命令を守れ。」

です。






さばきとは,

この世の終わりにおいて,

神がキリストを信じる者と

信じない者とを区別し,

信じる者には永遠の祝福を,

信じない者には

永遠の滅びを与えます。






(マタイ25:31-34)口語訳

「人の子が栄光の中に
すべての御使たちを
従えて来るとき,
彼はその栄光の座に
つくであろう。
そして,
すべての国民をその前に集めて,
羊飼が羊とやぎとを
分けるように,
彼らをより分け,
羊を右に,
やぎを左におくであろう。
そのとき,
王は右にいる人々に言うであろう,
『わたしの父に
祝福された人たちよ,
さあ,
世の初めからあなたがたのために
用意されている御国を
受けつぎなさい。』」






ヨハネは,イエスが来たのは,

世を救うためだと言います


(ヨハネ3:17,18口語訳)

「神が御子を
世につかわされたのは,
世をさばくためではなく,
御子によって,
この世が救われるためである。
彼を信じる者は,
さばかれない。
信じない者は,
すでにさばかれている。
神のひとり子の名を
信じることをしないからである。」


☆彡


若い日に創造主を覚えよ


(伝道12:1-14)

「あなたの若い日に,
あなたの創造者を覚えよ。
わざわいの日が来ないうちに,
また『何の喜びもない。』
と言う年月が近づく前に。
太陽と光,月と星が暗くなり,
雨の後にまた雨雲がおおう前に。
その日には,家を守る者は震え,
力のある男たちは身をかがめ,
粉ひき女たちは
少なくなって仕事をやめ,
窓からながめている
女の目は暗くなる。
通りのとびらは閉ざされ,
臼をひく音も低くなり,
人は鳥の声に起き上がり,
歌を歌う娘たちはみなうなだれる。
彼らはまた高い所を恐れ,
道でおびえる。
アーモンドの花は咲き,
いなごはのろのろ歩き,
ふうちょうぼくは花を開く。
だが,
人は永遠の家へと歩いて行き,
嘆く者たちが通りを歩き回る。
こうしてついに,
銀のひもは切れ,
金の器は打ち砕かれ,
水がめは泉のかたわらで砕かれ,
滑車が井戸のそばでこわされる。
ちりはもとあった地に帰り,
霊はこれを下さった神に帰る。
空の空。
伝道者は言う。
すべては空。
伝道者は知恵ある者であったが,
そのうえ,知識を民に教えた。
彼は思索し,探求し,
多くの箴言をまとめた。
伝道者は適切なことばを
見いだそうとし,
真理のことばを正しく書き残した。
知恵ある者のことばは
突き棒のようなもの,
編集されたものは
よく打ちつけられた
釘のようなものである。
これらはひとりの羊飼いによって
与えられた。
わが子よ。
これ以外のことにも注意せよ。
多くの本を作ることには,
限りがない。
多くのものに熱中すると,
からだが疲れる。
結局のところ,
もうすべてが
聞かされていることだ。
神を恐れよ。
神の命令を守れ。
これが人間にとってすべてである。
神は,善であれ悪であれ,
すべての隠れたことについて,
すべてのわざを
さばかれるからだ。」



2022-11-19

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