朝の光(聖書の言葉)

聖書の言葉 3 驚き  (ユーモアと重複)

わたしの好きな聖書の言葉 3 驚き 

 

聖書の中の出来事,言葉は,

まず驚きです。

 

 

創造

 

ヨブは神を信じていた,よい人でした。

 

試練のなかで,迷いが出てきます。

 

創造の神に出会ったとき,


ヨブは驚きます。

 

そこで,解決が与えられます。

 

 

(ヨブ38:1-5)

「主はあらしの中から

ヨブに答えて仰せられた。

知識もなく言い分を述べて,

摂理を暗くするこの者はだれか。

さあ,

あなたは勇士のように

腰に帯を締めよ。

わたしはあなたに尋ねる。

わたしに示せ。

わたしが地の基を定めたとき,

あなたはどこにいたのか。

あなたに悟ることができるなら,

告げてみよ。

あなたは知っているか。

だれがその大きさを定め,

だれが測りなわを

その上に張ったかを。」

 

創造は,

創造主である神に会わないと

わからないことかもしれません。

 

ヨブが創造の神に会ったときから,

ヨブは祝されます。

 

 

 

 

(ルカ5:8,9)

「これを見たシモン・ペテロは,

イエスの足もとにひれ伏して,

『主よ。私のような者から離れてください。

私は,罪深い人間ですから。』と言った。

それは,大漁のため,

彼もいっしょにいたみなの者も,

ひどく驚いたからである。」

 

ペテロは漁師でした。

 

このとき,イエスはペテロより

はるかに優れた漁師となりました。

 

ペテロは驚きました。

 

そして,ペテロはイエスと出会い,

イエスが神の子であることと,

自分の罪を知りました。

 

 

イエスの降誕

 

「御使いは,はいって来ると,

マリヤに言った。

『おめでとう,恵まれた方。

主があなたとともにおられます。』

しかし,マリヤはこのことばに,

ひどくとまどって,

これはいったい

何のあいさつかと考え込んだ。」

(ルカ1:28-29)

 

 

御使いはマリヤに次のように言います。

 

「ご覧なさい。

あなたはみごもって,

男の子を産みます。

名をイエスとつけなさい。」

(ルカ1:31)


 

御使から,

受胎を聞いたマリヤの驚きは,

大変なものでした。

 

「ひどくとまどった」とあります。

 

 

これは,

起こりえない笑うべき

話かもしれません。

 

しかし,マリヤは,

この驚きは喜びとなります。

 

そして,マリヤこの後,

次のように讃美します。

 

 

(ルカ1:46-48)

「マリヤは言った。

『わがたましいは主をあがめ,

わが霊は,

わが救い主なる神を喜びたたえます。

主はこの卑しいはしために

目を留めてくださったからです。

ほんとうに,

これから後,どの時代の人々も,

私をしあわせ者と思うでしょう。』」

 

 

 

 

湖の上を歩くペテロ

 

正直に言って,

ペテロはオッチョコチョイでした。


(弟子のリーダーであったので,

先頭に立っての言動であった

という人もいます。?)

 

神はペテロを用いました。

 

イエスを宣べ伝え,

イエスの業を引きつぐ者とされました。

 

 

(マタイ14:29-33)

「イエスは『来なさい。』と言われた。

そこで,ペテロは舟から出て,

水の上を歩いてイエスのほうに行った。

ところが,風を見て,こわくなり,

沈みかけたので叫び出し,

『主よ。助けてください。』と言った。

そこで,

イエスはすぐに手を伸ばして,

彼をつかんで言われた。

『信仰の薄い人だな。

なぜ疑うのか。』

そして,

ふたりが舟に乗り移ると,風がやんだ。

そこで,舟の中にいた者たちは,

イエスを拝んで,

『確かにあなたは神の子です。』

と言った。」

 

 

「わが魂を」 (新聖歌276)

 

1. 

わが魂を 愛するイエスよ

 波は逆巻き 風吹き荒れて

 沈むばかりの この身を守り

 天の港に 導き給え

      

2.

われには他の 隠れ家あらず

 頼る方なき この魂を

 委ねまつれば 御慈(みいつく)しみ

 翼の陰に 守らせたまえ

 

 

 

 

たとえ

 

「すると,弟子たちが近寄って来て,

イエスに言った。

『なぜ,彼らにたとえで

お話しになったのですか。』

わたしが彼らにたとえで話すのは,

彼らは見てはいるが見ず,

聞いてはいるが聞かず,

また,悟ることもしないからです。」

(マタイ13:10,13)

 

イエス・キリストは

たとえで話されるのは,

話してもわからない者には

わからないからだと言います。

 

イエスの言葉と業は,

人々にとって驚きでした。

 

聖書にある出来事と言葉は驚きでした。

 

 

 

 

イエスの愛

 

「そして,

イエスはそう言われると,

大声で叫ばれた。

『ラザロよ。出て来なさい。』

すると,死んでいた人が,

手と足を長い布で巻かれたままで

出て来た。

彼の顔は布切れで包まれていた。

イエスは彼らに言われた。

『ほどいてやって,帰らせなさい。』」

(ヨハネ11:43,44)

 

 

イエス・キリストは

ラザロの死を聴いて,

涙を流されました。

 

「イエスは涙を流された。」

(ヨハネ11:35)

 

奇蹟が起きるまでは,

人々はイエスを心の中で

笑っていたでしょう。

 

しかし,ラザロはよみがえりました。

 

人々にとって,

たいへんな驚きだったでしょう。

 

 

 

 

十字架上の二人の犯罪人

 

(ルカ23:39-43)

「十字架にかけられていた

犯罪人のひとりは

イエスに悪口を言い,

『あなたはキリストではないか。

自分と私たちを救え。』と言った。

ところが,もうひとりのほうが答えて,

彼をたしなめて言った。

『おまえは神をも恐れないのか。

おまえも同じ刑罰を

受けているではないか。

われわれは,

自分のしたことの報いを

受けているのだからあたりまえだ。

だがこの方は,

悪いことは何もしなかったのだ。』

そして言った。

『イエスさま。

あなたの御国の位に

お着きになるときには,

私を思い出してください。』

イエスは,彼に言われた。

『まことに,あなたに告げます。

あなたはきょう,

わたしとともにパラダイスにいます。』」

 

 

「犯罪人のひとり」は,

イエスが愚かな人に見えたでしょう。

 

「もうひとりのほう」の犯罪人にとって,

イエスは驚きであったのでしょう。

 

そして,次のように言います。

 

「イエスさま。

あなたの御国の位に

お着きになるときには,

私を思い出してください。」

(ルカ23:42)

 

そして,安堵に代わったでしょう。

 

この犯罪人は

「きょう,イエス・キリストとともに,

パラダイスにいる」

というイエスのことばを

聞いたからです。

 

イエス・キリストの十字架の

業の意味を知った,

初めの者であったかもしれません。

 

イエスのことばに,

わたしたちの救いもあります。

 

ここには,

わたしたちの喜びがあるのです。

 

 

 

 

埋葬

 

「そのあとで,

イエスの弟子ではあったが

ユダヤ人を恐れて

そのことを隠していた

アリマタヤのヨセフが,

イエスのからだを取りかたづけたいと

ピラトに願った。

それで,

ピラトは許可を与えた。

そこで彼は来て,

イエスのからだを取り降ろした。

前に,

夜イエスのところに来たニコデモも,

没薬とアロエを混ぜ合わせたものを

およそ三十キログラムばかり持って,

やって来た。

そこで,

彼らはイエスのからだを取り,

ユダヤ人の埋葬の習慣に従って,

それを香料といっしょに

亜麻布で巻いた。」

(ヨハネ19:38-40)

 

 

ヨセフ,ニコデモ,マグダラのマリヤが,

イエス・キリストの埋葬に立ち会いました。

 

この3人がいたということは驚きです。

 

この人たち一人一人は,

いわゆる12使徒では

ありませんでした。

 

ヨセフ,ニコデモは信仰をこのときまで,

現していなかったのかもしれません。

 

マグダラのマリヤはイエスによって,

7つの悪霊から救っていただいていました。

(ルカ8:2)

 

 

 

 

イエスの復活 トマスの驚き

 

 

イエス・キリストの復活に

一番驚いたのは,

弟子のトマスだったかもしれません。

 

「トマスは彼らに

『私は,その手に釘の跡を見,

私の指を釘のところに差し入れ,

また私の手をそのわきに

差し入れてみなければ,

決して信じません。』と言った。」

(ヨハネ20:25)

 

 

復活の主に出会い,

トマスは次のように言います。

 

「トマスは答えてイエスに言った。

『私の主。私の神。』」

(ヨハネ20:28)

 

このセリフは,歌舞伎のようです。

 

 

(ヨハネ20:24-29)

「十二弟子のひとりで,

デドモと呼ばれるトマスは,

イエスが来られたときに,

彼らといっしょにいなかった。

それで,ほかの弟子たちが彼に

『私たちは主を見た。』と言った。

しかし,トマスは彼らに

『私は,その手に釘の跡を見,

私の指を釘のところに差し入れ,

また私の手をそのわきに

差し入れてみなければ,

決して信じません。』と言った。

八日後に,弟子たちはまた室内におり,

トマスも彼らといっしょにいた。

戸が閉じられていたが,

イエスが来て,彼らの中に立って

『平安があなたがたにあるように。』

と言われた。

それからトマスに言われた。

『あなたの指をここにつけて,

わたしの手を見なさい。

手を伸ばして,

わたしのわきに差し入れなさい。

信じない者にならないで,

信じる者になりなさい。』

トマスは答えてイエスに言った。

『私の主。私の神。』

イエスは彼に言われた。

『あなたはわたしを見たから

信じたのですか。

見ずに信じる者は幸いです。』

この書には書かれていないが,

まだほかの多くのしるしをも,

イエスは

弟子たちの前で行なわれた。

 

 

 

 

イエスの復活 ペテロの驚き

 

復活のイエスに出会ったとき,

ペテロは海に飛び込みました。

 

なんで,このとき,海に飛び込むのでしょう。

 

ペテロが驚いたからでしょうか。

 

 

(ヨハネ21:4-7)

「夜が明けそめたとき,

イエスは岸べに立たれた。

けれども弟子たちには,

それがイエスであることが

わからなかった。

イエスは彼らに言われた。

『子どもたちよ。

食べる物がありませんね。』

彼らは答えた。

『はい。ありません。』

イエスは彼らに言われた。

『舟の右側に網をおろしなさい。

そうすれば,とれます。』

そこで,彼らは網をおろした。

すると,おびただしい魚のために,

網を引き上げることができなかった。

そこで,

イエスの愛されたあの弟子が

ペテロに言った。

『主です。』

すると,シモン・ペテロは,

主であると聞いて,

裸だったので,上着をまとって,

湖に飛び込んだ。」

 

 

 

 

昇天

 

(ルカ24:50-53)

「それから,イエスは,

彼らをベタニヤまで連れて行き,

手を上げて祝福された。

そして祝福しながら,

彼らから離れて行かれた。

彼らは,

非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り,

いつも宮にいて神をほめたたえていた。」

 

 

 

 

(使徒行伝1:9-11)

「こう言ってから,

イエスは彼らが見ている間に上げられ,

雲に包まれて,見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき,

弟子たちは天を見つめていた。

すると,見よ,

白い衣を着た人がふたり,

彼らのそばに立っていた。

そして,こう言った。

『ガリラヤの人たち。

なぜ天を見上げて立っているのですか。

あなたがたを離れて

天に上げられたこのイエスは,

天に上って行かれるのを

あなたがたが見たときと同じ有様で,

またおいでになります。』」

 

 

弟子たちは,天を見上げていました。

 

 

 

 

聖霊

 

「あなたがたは

新しく生まれなければならない,

とわたしが言ったことを

不思議に思ってはなりません。

風はその思いのままに吹き,

あなたはその音を聞くが,

それがどこから来て

どこへ行くかを知らない。

御霊によって生まれる者もみな,

そのとおりです。」

(ヨハネ3:7-8)

 

 

イエス・キリストは,

聖霊を風にたとえます。

 

聖霊は,目に見えず,

動き,存在するものです。

 

聖霊は命があり,生きて働いています。

 

聖霊は私たちを取り囲み,

私たちの内にもいます。

 

 

「風がやってきた。」 (児玉 嘉彦)

青い海を なでて 風が

そこに希望を まいてゆく

だから光に 波は 輝く

涙が頬を ぬらすときさえ

 

 

 

 

聖霊降る

 

(使徒行伝2:12,13)

「人々はみな,驚き惑って,互いに

『いったいこれはどうしたことか。』

と言った。

しかし,ほかに

『彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。』

と言ってあざける者たちもいた。

 

 

聖霊が降ったとき,

人々は,大変驚き

「いったいこれはどうしたことか」

と言います。

 

 

 

 

罪の赦し

 

「もし私たちが

キリストとともに死んだのであれば,

キリストとともに

生きることにもなる,と信じます。

キリストは死者の中からよみがえって,

もはや死ぬことはなく,

死はもはやキリストを支配しないことを,

私たちは知っています。」

(ローマ6:8.9)

 

 

自分に死にキリストに生きるとは,

イエスを信じるということと同じです。

 

しかし,イエスを信じないときには,

全く理解できない言葉です。

 

イエス・キリストを信じたとき,

この言葉は驚きとなり,

喜びとなります。

 

 

 

 

身体のよみがえり

 

(1コリント15:42-44)

「死者の復活もこれと同じです。

朽ちるもので蒔かれ,

朽ちないものによみがえらされ,

卑しいもので蒔かれ,

栄光あるものによみがえらされ,

弱いもので蒔かれ,

強いものによみがえらされ,

血肉のからだで蒔かれ,

御霊に属するからだに

よみがえらされるのです。

血肉のからだがあるのですから,

御霊のからだもあるのです。」

 

 

コリントの教会で,

復活の体はどんなものだろうと,

問う者がいました。

 

パウロは見事に答えました。

 

パウロは

この言葉をどこから得たのでしょう。

 

驚きです。

 

 

次の歌は,

復活を信じない者にとっては,

幼稚園で歌う歌のようです。

 

信じる者にとっては,

他にない素晴らしい歌です。

 

 

 

「球根の中には」 (讃美歌21 575)

 

1 球根の中には 花が秘められ,

  さなぎの中から いのちはばたく。

  寒い冬の中 春はめざめる。

  その日,その時を ただ神が知る。

 

2 沈黙はやがて 歌に変えられ,

  深い闇の中 夜明け近づく。

  過ぎ去った時が 未来を拓(ひら)く。

  その日,その時を ただ神が知る。

 

3 いのちの終わりは いのちの始め。

  おそれは信仰に,死は復活に,

  ついに変えられる 永遠の朝。

  その日,その時を ただ神が知る。

 

 

 

 

永遠のいのち サマリヤの女

 

 

イエスはサマリヤの女に話しかけます。

 

この最も大切な教えをイエスは,

サマリヤの女に話します。

 

初めサマリヤの女は,

イエスの話は分かりませんでした。

 

 

(ヨハネ4:13-15)

「イエスは答えて言われた。

『この水を飲む者はだれでも,また渇きます。

しかし,わたしが与える水を飲む者はだれでも,

決して渇くことがありません。

わたしが与える水は,その人のうちで泉となり,

永遠のいのちへの水がわき出ます。』

女はイエスに言った。

『先生。私が渇くことがなく,

もうここまでくみに来なくてもよいように,

その水を私に下さい。』」

 

 

 

 

再臨

 

(ルカ17:34,35)

「あなたがたに言いますが,

その夜,同じ寝台で男がふたり寝ていると,

ひとりは取られ,他のひとりは残されます。

女がふたりいっしょに臼をひいていると,

ひとりは取られ,他のひとりは残されます。」

 

 

パリサイ派の人々が神の国はいつ来るのかの質問に,イエスが答えたものです。

 

イエスは次のようにも言っています。

 

 

(ルカ21:25-27)

「そして,日と月と星には,前兆が現われ,

地上では,諸国の民が,海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み,

人々は,その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して,

恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。

そのとき,人々は,人の子が力と輝かしい栄光を帯びて

雲に乗って来るのを見るのです。」

 

 

 

 

天国

 

 

「狼と子羊は共に草をはみ,獅子は牛のように,わらを食べ,

蛇は,ちりをその食べ物とし,

わたしの聖なる山のどこにおいても,

そこなわれることなく,滅ぼされることもない。」

と主は仰せられる。

(イザヤ65:25)

 

 

はじめに造った天と地は,アダムとイヴの罪によって,壊れます。

 

(創世記3:18)

「土地は,あなたのために,いばらとあざみを生えさせ,

あなたは,野の草を食べなければならない。」

 

 

イエス・キリストによる十字架の死は,この罪を贖うものでした。

 

そして,イエスの再臨によって,はじめの天と地は回復し,完成するといいます。

 

 

(ローマ8:20)

「それは,被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく,

服従させた方によるのであって,望みがあるからです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.1.18


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