終末の説教
(5つの説教に5番目 マタイ24,25章)
○
終わりの日
(マタイ24:3-14)
イエスオリーブ山ですわっておられると,
弟子たちが,
ひそかにみもとに来て言った。
「お話しください。
いつ,そのようなことが起こるのでしょう。
あなたの来られる時や世の終わりには,
どんな前兆があるのでしょう。」
そこで,
イエスは彼らに答えて言われた。
「人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名のる者が大ぜい現れ,
『私こそキリストだ』と言って,
多くの人を惑わすでしょう。
また,戦争のことや,
戦争のうわさを聞くでしょうが,
気をつけて,
あわてないようにしなさい。
これらは必ず起こることです。
しかし,
終わりが来たのではありません。
民族は民族に,
国は国に敵対して立ち上がり,
方々にききんと地震が起こります。
しかし,そのようなことはみな,
産みの苦しみの初めなのです。
そのとき,人々は,
あなたがたを苦しいめに会わせ,
殺します。
また,わたしの名のために,
あなたがたは
すべての国の人々に憎まれます。
また,そのときは,
人々が大ぜいつまずき,
互いに裏切り,憎み合います。
また,にせ預言者が多く起こって,
多くの人々を惑わします。
不法がはびこるので,
多くの人たちの愛は冷たくなります。
しかし,
最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて,
すべての国民にあかしされ,
それから,終わりの日が来ます。
エルサレムの東にあるオリーブ山からは,
神殿を含めて街を一望することが出来ます。
弟子たちはその崩壊がいつ起るのか,
またその前兆を尋ねました。
イエスは第1に,
偽キリストに惑わされないよう
注意を促します。
第2に,
戦争や紛争,飢饉や地震が起っても,
あわてないことである。
第3に,
迫害と背教があるが,
最後まで忍耐することが必要です。
地上のすべての人が福音を聞くとか,
受け入れるということではないが,
すべての国民に福音があかしされて後に
終末の到来があります。
○
人の子が来る
(マタイ24:29-31)
「だが,
これらの日の苦難に続いてすぐに,
太陽は暗くなり,月は光を放たず,
星は天から落ち,
天の万象は揺り動かされます。
そのとき,
人の子のしるしが天に現れます。
すると,地上のあらゆる種族は,
悲しみながら,
人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて
天の雲に乗って来るのを見るのです。
人の子は大きなラッパの響きとともに,
御使いたちを遣わします。
すると御使いたちは,
天の果てから果てまで,
四方からその選びの民を集めます。」
イエス・キリストは,
もう一度来られると言われました。
まず,イエス・キリストが
天から地に下ってきます。
イエス・キリストが,
信じるわたしたちのところに
来てくださいます。
○
人の子の到来
(マタイ24:29-35)
だが,これらの日の苦難に続いてすぐに,
太陽は暗くなり,月は光を放たず,
星は天から落ち,
天の万象は揺り動かされます。
そのとき,人の子のしるしが天に現れます。
すると,
地上のあらゆる種族は,悲しみながら,
人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて
天の雲に乗って来るのを見るのです。
人の子は大きなラッパの響きとともに,
御使いたちを遣わします。
すると御使いたちは,
天の果てから果てまで,
四方からその選びの民を集めます。
いちじくの木から,たとえを学びなさい。
枝が柔らかになって,葉が出て来ると,
夏の近いことがわかります。
そのように,
これらのことのすべてを見たら,
あなたがたは,
人の子が戸口まで近づいていると
知りなさい。
まことに,
あなたがたに告げます。
これらのことが全部起こってしまうまでは,
この時代は過ぎ去りません。
この天地は滅び去ります。
しかし,わたしのことばは
決して滅びることがありません。
人の子のしるしが
具体的に何であるかはわからないが,
それが現れたら誰にでもわかります。
その時,イエスに逆らっていた
「地上のあらゆる種族」は,
栄光を帯びて現れるイエスを見,
来るべきさばきを思って嘆き悲しむ
(あるいは悔い改める),
その時イエスは
「大きなラッパの響きとともに」
(31,参照Ⅰコリ15:52,Ⅰテサ4:16)御使いを派遣し,
神の民を1人残らず集めます。
○
目を覚ましなさい
(マタイ24:37-39)
「人の子が来るのは,
ちょうど,ノアの日のようだからです。
洪水前の日々は,ノアが箱舟にはいるその日まで,
人々は,飲んだり,食べたり,めとったり,
とついだりしていました。
そして,洪水が来てすべての物をさらってしまうまで,
彼らはわからなかったのです。
人の子が来るのも,そのとおりです。」
洪水,戦争,ききん,地震,にせ預言者,
にせキリストが最後の審判の警告でした。
目を覚ませているとは,
キリストの存在をいつも感じて,
喜んでいることです。
(マタイ24:32-42)
いちじくの木から,たとえを学びなさい。
枝が柔らかになって,葉が出て来ると,
夏の近いことがわかります。
そのように,
これらのことのすべてを見たら,
あなたがたは,
人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
まことに,
あなたがたに告げます。
これらのことが全部起こってしまうまでは,
この時代は過ぎ去りません。
この天地は滅び去ります。
しかし,
わたしのことばは決して滅びることがありません。
ただし,その日,その時がいつであるかは,
だれも知りません。
天の御使いたちも子も知りません。
ただ父だけが知っておられます。
人の子が来るのは,
ちょうど,ノアの日のようだからです。
洪水前の日々は,
ノアが箱舟にはいるその日まで,
人々は,飲んだり,食べたり,
めとったり,とついだりしていました。
そして,
洪水が来てすべての物をさらってしまうまで,
彼らはわからなかったのです。
人の子が来るのも,そのとおりです。
そのとき,畑にふたりいると,
ひとりは取られ,ひとりは残されます。
ふたりの女が臼をひいていると,
ひとりは取られ,ひとりは残されます。
だから,目をさましていなさい。
あなたがたは,
自分の主がいつ来られるか,
知らないからです。
2020-08-14