中越地震の仮設に紙芝居を

集会所に実演者が行って演じたりはしているのでしょう。それに付け加えて、自分たちでやったり作ったりすればいい。仲間内で演じあえばいい。中越地域の特色として「紙芝居は上手に、立派なものをやるものだ」という概念があるのでそれを取り払わなくてはならないので、無理を承知で言ってます。

 紙芝居を特別な声色でやるのは、ある特定の団体のやりかたです。『紙芝居の歴史』を読んでください。そこではたくさんの街頭紙芝居のおじさんが得手勝手流で人々を楽しませたということが書いてあります。『紙芝居のはじまりはじまり』をよーく読んでください。その実演者は声優を志したので、声色使いの演じ方を自分であみ出しました。声を遠くまで届かせるための腹式発声法を使い、とても威厳のある雰囲気で心臓を締め付けるような技術も持ち、逆に人の心をなごませるやわらかい声も自在に繰り出せるようになりました。それはその人個人の努力の成果です。それはとても尊敬に値するものです。
 ところが、「紙芝居はあれが本物」といつか新潟県の人は思うようになりました。楽しいトークや権力にくっつく様子、相手をヨイショしたりする様子が昔の見世物興行の名残でしょうか。
  しかし、今はヨイショされることを不快に思う人も多いのです。多様な価値観を認めようという流れも定着してきました。語り方も、本物は一つでなく、人それぞれがそれぞれの体の中に持っているということも3年前の紙芝居まつりで知ったかたも多いでしょう。絵も、中越在住のプロのようにすぐれた絵でなくてもいいのだと、充分に知った方も多いでしょう。
 困ったことに「あなたは特別。次回はあなただけに特別にお誘いしましょう」みたいな感覚がありますね。私もその類のことを言われました。ところが、それをすると仲間内で疑心暗鬼になり、団体は崩れていくのです。たしかにその地域の近くに住んでいる人に優先して声をかけることは私にもありますが、必ず複数に声をかけ会で報告し、ガラス張りにしておきたいものです。遠方でも、個人でなく会でひきうけてみんなで出張したいものですね。

想像してください。言われた方は、気になって気になって自分の予定を他にあてて自由に活動できないじゃないですか。そして結局、その一番上手い人めあてのお客さんが増えて、普通の人は出番が少なくなるのです。「自分さえよければ」の世界になっていきますね。紙芝居はみんなが演じたり聞いたりして楽しめるものでなくてはならないと思います。

 中越地震でたくさんの援助の手が差し伸べられ、当事者は「ありがたい、お返しできなくて心苦しい」と思っていらっしゃる。ならばお返しする方法を提案したいのです。
 このブログの「紙芝居のおみやげ」で、いないいないばあ紙芝居の作り方を書きました。これなら誰でもできるので作ってもらい、お返しに全国の子どもたちに届ければいい。交流というくらいだから、双方向で行き来があったほうがいいのです。それに慣れてきたら、今度は自分たちのことを書けばいい。中越は民話の宝庫ですね、地域独自の民話「風の神と子ども」もあるし、地震の話でも、雪で苦しむ話、山の自然の様子。話には事欠かない。
 それこそが、中越に住む実演者や製作プロの出番だと思うのです。もちろん時間があったら新潟市にも会の皆さんと実演に来て、会の皆さんそれぞれの演じ方を見せてください。みんなで協力して誰でもができるようにして、紙芝居を次の世代に手渡していきましょう。

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