エクストリーム四十代のかもめ日記

野球を中心に、体力気力に任せて無茶をしがちな日常を綴る暑苦しい活動記。

ロッテ球団と「射手座学」

2020-08-02 23:32:42 | プロ野球
ここで満を持して、私の「星座による人物傾向分析」の最大のテーマ
ともいえる(?)射手座について語ってみよう。

まずはこのラインナップを見てほしい。

 榎本喜八
 八木沢荘六
 有藤通世
 落合満博
 村田兆治
 黒木知宏
 清水直行
 福浦和也
 井口資仁(外様だけど入れていいでしょう。今監督だし)
 
これは、ロッテを代表する、またはロッテで球界に名を残した選手たち
ばかりである。落合の全盛期は三度の三冠王を獲ったロッテ時代だし、
村田兆治はオリオンズの、ジョニー黒木はマリーンズの伝説のエース。
「ファンが選んだ歴代ベストナイン」でも、先発投手では1位が村田
兆治、2位が黒木知宏。一塁手の1位が福浦和也、2位が榎本喜八。
二塁手の1位が落合博満、2位が井口資仁。三塁手の3位は有藤通世。

何、ロッテの選手などよく知らない?
では、このラインナップはどうだろう。

 坂本勇人(巨人の不動のキャプテン)
 大山悠輔(阪神の若き四番)
 筒香嘉智(昨年までのDeNA不動の四番)
 佐野恵太(DeNAの四番、昨年秋季キャンプからの若きキャプテン)
 山川穂高(山賊打線の核、不動じゃないけど堂々の四番)
 則本昂大(田中将大が去った後の楽天を支える大黒柱エース)
 嶋基宏 (かつてプロ野球史上最年少選手会長を務めた選手リーダー)
 
まあ「今はそこまでは…」という人も含まれるけど、とにかく各球団で
キャプテンやエース、四番といった中央に据わる選手が並ぶ。
ここに挙げたのは、全員が「射手座」の星座を持つ人たちである。
さらに現在の12球団の監督を見ても、阪神・矢野燿大、中日・与田剛、
ヤクルト・高津臣吾、ロッテ・井口資仁が射手座。これも多い。
射手座は、中央で輝く「太陽」の役回りを担う人が多い星なのだろう。

なお、原辰徳(かに座)、ラミレス(天秤座)、佐々岡(乙女座)、
工藤(牡牛座)、栗山(牡牛座)、辻(さそり座)、三木(牡牛座)と
他を見ると牡牛座も多いのだが、これにはまた牡牛座論があって、実は
意外ではない。
ロッテの近年の捕手は里崎智也、橋本将、的場直樹(外様だけど)、
金澤岳、江村直也、田村龍弘、柿沼友哉と徹底的に「牡牛座固め」で、
ロッテは私に先駆けて「星座による人物傾向分析」をやってるんじゃ
ないかと思う偏りぶり。
捕手はいわばグラウンド上の監督。我が敬愛するボビー・バレンタイン
も牡牛座であり、私は牡牛座がキャッチャーおよび監督向きの素養を
持っていると思っている。
なので、監督に射手座と牡牛座が多いのは私に言わせれば当然のこと。

ちょっと牡牛座に話がそれたが、とにかく射手座は「戦隊もの」で
言うと「赤」、中央に据わるリーダーの役割が似合う人が多い。
その特性は「天真爛漫な正義の味方、完璧主義の理屈屋さん」。
巨人坂本が若手選手に「もっと積極的に質問するなど、貪欲に向上心を
持ってほしい」と苦言を呈したり、DeNA筒香が少年野球改革や
野球人気回復への提言を発信したりするのを耳にした人もいるだろう。
射手座は多くが正義の味方の理屈屋さんで、自分に不利益になっても
いいから正しいことは貫きたい人たちだ。
正しくないことは嫌い、自分の正義にもとることは耐え難い、なのに
案外自分に甘いところがあって、自分のことを棚に上げて正論を語って
「は? なに言ってんのこいつ」ってなったりする。
だけど心が基本的にピュアなので、笑顔が天真爛漫でとても魅力的。
坂本、筒香、則本の3人が、まったく同じ笑顔をみせるのが特徴的。
天真爛漫な「射手座笑顔」と私はよんでいる。

私はかつて、ロッテ清水直行が2回に7失点だかの大炎上をみせた時に
「投手は勝つときもあれば負けるときもある」とブログで言い訳をして
いたのを知って、「はあ? それは炎上した投手が言うセリフじゃねえ
だろ」と激怒したのだが、なぜか彼の(全然イケメンじゃない、地味な)
笑顔にきゅーんとなったり「憎めないわぁ…」と腑を抜かれたりして、
「変だな~」と思っていた。
その翌年、清水直行は、6登板めにして、はや5KOめという状態でも
「がんばっているが結果が出ない」というコメントを出していた。
「結果が出ない」というのは、ソコソコ抑えてるのに白星がつかない
ときに言う言葉。満塁ホームラン打たれて大量失点でKOされた人が
「がんばってる」なんて自分で言うな。
ナオさん性根ダメダメじゃん。でもなぜか、天真爛漫な笑顔が魅力的…。

さてその当時はまだSMAPが輝いていられた頃で、私はSMAPでは
キムタクから入って稲垣吾郎推しになっていた。
うむ? 吾郎ちゃんとナオさんの笑顔がなんか同じ感じがする…
なんか根本的な性根がいい人そうというか、いい意味でバカっぽいと
いうか…。
w-inds.の橘慶太にもハマっていて、特に私が好きだった初期の
頃の慶太君は非常に無邪気で天真爛漫な笑顔を見せていた。慶太君は
バカっぽくはないんだけど、でもなんか吾郎ちゃんと通じるような…

稲垣吾郎と橘慶太が同じ射手座だということに気づいたときはあまり
何とも思わなかったんだけど、清水直行も射手座とわかった時に、
これは何かある、と私は思った。
だって私の弟と夫が射手座だし。これは私が「射手座好き」なのでは
ないだろうか???

2008年に坂本勇人が出てきたとき、調べる前に「この人、絶対に
射手座だ!」と思った。ものすごい射手座ビームを発していた。
2010年に羽生結弦が出てきて、フィギュアスケート選手として
圧倒的に格が違うのが一目でわかったんだけど、その笑顔で「あれ?」
と思い、またインタビューの超前向きで真面目な受け答えで「まさか、
こいつも!?」と思って調べたらやっぱり射手座だった。
田中将大がいなくなった楽天イーグルスで「田中の後釜なんてそうそう
出てこないよなあ」と思ったら、すぐに則本がその座に据わった。
笑顔を見た瞬間「エースでこの笑顔!? もしや!?」と調べたら、
やっぱり射手座だった。
筒香の笑顔が則本とそっくり、そして坂本にもそっくりだ…と思って、
もはや確信をこめて調べたら、やっぱり射手座だった。
射手座の雰囲気と言動がアリアリなタイプの人はだいぶわかるように
なり、また、性格的な傾向として出やすい特徴も把握できてきた。
分析するに当たって、弟と夫も当然分析の対象とした。二人は一見
違うタイプだが、根本的な性根がめちゃめちゃ似ていることに気が
ついた。私、弟とこんなにそっくりな人と結婚したのかよ! 怖!!

射手座の本質は、無邪気で純粋で真面目な優等生。
発する言葉は正義の味方。理想論を口にし、そうあろうと努めている
ものの、ダメだった時にわりと自分勝手な理屈をつけて自分の所業を
棚に上げることがある。棚に上げている自覚はない。
裏目に出ると「他人に厳しく、自分に甘い」ダメなやつ。
上手くいけば太陽のように周囲を照らす清く正しく明るいリーダー。
「豚もおだてりゃ木に登る」は射手座のためにある言葉。典型的な
「ほめて伸びる」タイプ。否定的な指導は聞き入れないので、
前向きな言葉を選んで、かつ理詰めで諭さなければならない。
完璧主義な熱血タイプで、結果を求めて無理をしがち。理屈屋さん
なのに、実際は理屈や理論よりも「やればできる」と思って暴走して
しまう。暴走するのを周囲が止めてあげなければならない。
単純かつ、いい人すぎて意外とバカ。愛情深い優しい人。
心の中は隙だらけ、ナイーブだけど強がりでええかっこしい。

自分の中で「射手座学」が確定したなと思ったのは、フィギュアの
宇野昌磨が射手座だと気づいたとき。
当時超絶スーパー絶対王者だった羽生結弦に対し、日本ではもう誰も
勝ち目のない状態だった。選手をはじめ、日本中が「2位には誰が
なるか?」という考えだった。だが宇野昌磨はマジな目で言った。
「僕の唯一の目標は、羽生選手に勝つことです」
競技者としてもスペシャルなうえに、見栄えでも芸術点がついている
スーパーアスリートの羽生結弦に、こいつ本気で勝つ気なのか!?!?
その瞬間、「!!これは!!」と思った。
「やればできるはずだ!」という無茶な前向きさ、無謀な理想論を
本気で言えるこの純粋さ、馬鹿さ加減(ほめてる)…
「羽生が射手座なのに宇野まで射手座とか、そんなに揃うかい」とは
一瞬思った。でも「今の羽生を超えるとか言えるのは射手座しかない」
と揺るぎない思いがあってさっそく調べると、やっぱり射手座だった。

DA PUMPをネット動画で再評価して、改めてISSAを知るに
つれ「トーク番組等では、意外と真面目な人だった」と認識を改め、
「慶太君の声変わりでw-inds.を見限って幾年月、ここに私の
青い鳥がいてくれた…」と思ったら、まさかのISSAが射手座。
どんだけ自分は射手座が好きなのかと愕然とした。

ジョニー、福浦が射手座なことは知ってたけど、落合も村田兆治も
射手座なことに気がついて、調べてみたら、ロッテオリオンズと
千葉ロッテマリーンズの名選手や人気選手が射手座だらけだった…。
ロッテ、「射手座チーム」かよ。私はどこまで射手座好きなのか…。

まったく興味のなかった市川海老蔵が、奥さんの闘病に献身する
様子をネットのニュースなどで見ていて、なぜかイメージが慶太君と
重なった。w-inds.橘慶太は、デビュー当時から10年以上
交際していた松浦亜弥と2013年に結婚している。松浦亜弥は
病気で仕事を減らしたりしていたが、慶太君が変わることはなかった。
そのブレない深い愛情が海老蔵とすごく重なって見えた。
やっぱり調べてみたら海老蔵は射手座だった。
若い頃は多少アレでも、ただの不真面目バカだったら、市川家の
跡取りはやれないよな…それだけの重責を背負ってるんだよな。
海老蔵を「射手座」と思って見ると、なるほどと思えることばかり
だった。よく「海老蔵が麻央さんであんなに変わって」と言われるが、
小林麻央が海老蔵の「真の姿」をわかっていたということだ。

ISSAも若い頃は浮名を流しまくり、婚約者を裏切って婚約破棄に
なるというひどい男で、ろくな奴じゃないと思っていた。
しかし詳しく知ってみると、本人は週刊誌に書かれた恋愛について、
「真剣な交際なのに隠す理由がない」と言っていた。あっちこっちに
手を出していたのではなく、必ず一人と正当につきあっていたらしい。
婚約破棄の原因ともなった「つまみ食い」については「女性に恥を
かかせてはいけない」という信念を若い頃から持っていたようで…。
自分の中で辻褄が合ってしまえば、その「正義」を自分で貫いて
しまうのが射手座のダメなところ。それ、正しくないからね…。
それでも、ISSAが結婚すると聞いた時、きっと良き家庭を築ける
だろうと素直に思えた。海老蔵や慶太君のような夫になるだろうと。

野球に戻って、中日の与田監督が応援歌の「おまえ」を気にしたり
放送席の声が聞こえることを気にしたり、しかもそれを正義だからと
正論のつもりで声高にもの申して物議を醸したりするのも、射手座の
特性を前提に考えると単純にわかりやすい。そして中日ベンチの中で
何が起こっているかというのも(西武監督時代から伊東の本質を
見抜いていたから)だいたい想像がつく。
笑えるのが、与田監督を批判する際に「人がいいのはわかってるの
だが」と前置きする中日ファンが多いこと。お察しします。笑

ロッテ・井口監督は珍しく「政治力のある射手座」。野心と人脈で
願望をかなえようとしていくタイプ。でも射手座が心の中から「愛」
を失ったら、後は「騙されやすいバカないい人」が残るだけ。
「このメンバーで優勝できる」とチームを引き受けてくれた井口には
愛があった。今は「頼ってくれる人を助けているつもり」で周囲の
知人に利用されているだけ。ロッテ球団も利用されてるけど…
この「政治力のある射手座」のプチ成功例は、「ロンドンブーツ1号
2号」の田村淳(射手座)。淳は愛を以て政治力を駆使して相方を
救った。あれは心に愛がなければ決して成功しなかった。
井口には「愛をとりもどせ!」と言いたい。

いずれにしても、実際は、井口はロッテの監督に向いていると思う
わけよ。この射手座ずらりのレジェンドたちに名を連ね、あげく、
「ロッテを日本一にして、その後メジャーの監督としても世界一に」
となったらロッテの「射手座球団」としての名も上がるじゃない。
ほんとはこの年齢でそれを成し遂げてほしかったけど、いい人ぶりを
発揮して「おともだち」に利用されてる現状では難しいよね。
一旦外に出て、正しい理屈で言い負かしてくれる、愛ある正しい人に
導いてもらって、多くを学んでやり直してほしい。

それでも、射手座の成功には参謀が欠かせないんだよな。
愛の懐は広いが視野は狭い、根本がいい人なので悪意に弱い射手座は、
お神輿にのせて担ぎつつ皆が崇めるにはいいけれど…
射手座の参謀には獅子座がベスト、あと意外にも補佐役にいいのは
同じ射手座。精神的支えと周囲とのつなぎ役には魚座がおすすめ。
鈴木大地(獅子座)がキャプテンだったのは井口にはよかったはず。
福浦(射手座)、初芝(魚座)が補佐して大地がキャプテンだったら
今の井口ロッテは楽しくて強かったんじゃないのかな?? 

などなど、基本的には周囲の人やテレビなどで見る人の特徴を
イメージで分析しただけの「星座による人物傾向分析」なんだけど、
それに基づいて見てみると人の言動が腑に落ちたり納得できたりする。
「なんでこいつはこうなのか(激怒)」となる事態で、「この人は
〇〇座、であればこういう思考傾向なのだから、動機はこれか」など
推測できたりする。それで「ならこう解釈しよう」とか「あきらめる
以外にない」など精神的に対処できて助かることが多々ある。
この星座分析は、私の精神衛生の健全化に寄与していることだけは
間違いない。だって実際、当たってることが多いし。

以前、カリスマだらけの「魚座学」を書いたけど、射手座については
さらに細分化された詳細な研究が進んでいる。しかしそこまで書くと
いつまでもエッセイが終わらなくなるのでこのへんにしておく。
皆さんも、「天真爛漫な笑顔を見せるリーダー格の人」を見つけたら、
「これは、わかりやすいタイプの射手座?」と思って調べてみると
いいかもしれない。
最近は、私の薫陶を受けて、ダンナが人の星座をよく当てるように
なってきた。だからこの「星座による人物傾向分析」、そんなに
間違ってはないと思うよ!

ロッテファンがいかに増えたか・追伸

2020-07-24 19:38:35 | プロ野球
前回「ロッテファンがいかに増えたか」というエッセイで、日常で
ロッテファンに遭遇するようになったエピソードを書いたけど、他に
こんなこともありました。

2011年のある日。
会社に毎日、ヤクルト売りのお姉さんが来ていて、同じ階の人から
「あのヤクルトお姉さん、ロッテファンらしいよ」と聞いては
いましたが…
ヤクルトがサヨナラ勝ちした翌日、「ご祝儀に、ヤクルトを買いに
行ってあげよう」と、ミルミルを買いに廊下に出ました。そしたら、
ヤクルトお姉さんのほうから「あの、千葉ロッテファンなんですか?
いつも椅子に(千葉ロッテ肩掛けが)かかってるのが見えてたから…」
とチョッカイをかけてきました。彼女、千葉出身だそうで…。
東京は新宿界隈で、ヤクルトお姉さんをやってる女子もロッテファン。

同じ頃、印刷屋さんの、一番頼りになる営業の女性がヤメてしまう
ことになり、その後任の人が一人で来たとき、こっそり私に声を
かけてきました。
「あの、つかぬことをうかがいますが…、千葉ロッテファンで
いらっしゃるんでしょうか?」
私は「世間話で親しくなるのも営業の一つ」と思っている営業マンは
信用しないので、微妙に身構えつつスマイルを返しました。
「…ああ、はい。お恥ずかしい」
「すみません、お仕事と関係ないことで。実は私もパ・リーグでは
ロッテファンなもので、どうしても訊きたくなってしまって…」
話題にしたこと自体を恐縮してくれてホッとしたが、それにしても
やっぱりロッテという球団の好感度が全面的に高くなったよなあ…と
思わされる出来事でした。

2015年。地元の某新聞集配所連合が、なぜか元ロッテ・里崎の
トークショーを企画しました。でも、そのチラシが新聞に入ってきて
から申込期限まで数日。7月18日開催なのに、チケット持ってきて
くれたの17日。日程がタイトすぎるだろ!
それより、なんで東京都板橋区の一部エリアでの告知&開催なのに、
ロッテOBのトークショー? 里崎は、今でこそ各所で人気ではある
けど、当時は引退後1年で、今みたいにテレビでよく見る存在では
ありませんでした。客は来るのか!?とめちゃめちゃ心配でした。
18日土曜日、開場待ちで会場付近をうろうろしていたら、新聞社の
係員が出てきてセッティングが始まりました。
ロッテユニフォーム着用の私、ダンナ(まだ普通の服)と合流して、
とりあえずドトールに入ろうと歩いていったら、新聞社の人に笑顔で
「こんにちはー」とあいさつされました。客なのモロバレ!(当然か) 
時間になり、夫婦でユニフォーム姿で入場すると、客はたった50人
ほどでした。広々と空いている客席。でも、告知遅すぎるし締切も
ギリギリだし、すいてるのは里崎のせいじゃないよね? 汗汗汗…
しかも、ユニフォーム姿の人は私とダンナだけ。他に、ロッテTシャツ
の人が一人いたけど…背中はG.G.佐藤。「ほぼ埼玉」というこの
地域、この人はGGファンなだけで、ロッテは好きじゃないのでは?
里崎は、登場するとともに、まずはロッテファンの人数を確認。
我々を指して「そちらはもちろんロッテファンですよね、ユニフォーム
着てるから」と振ってくれました。この客席の様子…ロッテファンと
明白にわかる服装の人がいて、ホッとしただろうなあ。
実際は、挙手を求めたら30人ほどがロッテファンだった模様。
中には気を遣っただけの人もいたかもしれないけど、板橋区の中の、
特定のエリアで、特定の商品を定期購入している母集団から抽出しても
30人近いロッテファンが集うとは…。

…ほんとに、時代は変わったよねえ…。
かつて、「ロッテファン」なんて言ったら、珍獣か宇宙人かという扱い
だったものよ。マジに「ロッテファンってほんとにいたんだ!」って
言われたことがありますよ。それが今では…。
「ロッテファンですか~、人気ありますもんね!」とか言われることも
あるんだけど、喜ぶというより違和感が…(笑)
「なんでよりによって、ロッテ?」と言われるほうがしっくりくる!
ダンナは千葉県民で、私の影響からだいぶ後になってファンになった
人だから、球団に対して持っているイメージがだいぶ違う模様。
その差も、ロッテ球団の歴史として、また楽しからずや。

ロッテファンがいかに増えたか

2020-07-19 00:56:16 | プロ野球
時代は変わったなあ、と心から思う。
前回のエッセイで、ロッテオリオンズと千葉ロッテマリーンズが
暗黒だった旨を書いたが、ファンが少なかった時代というのは
その当時を知る人が非常に少なくて、「不人気体験記」を書く人も
なかなかいないわけだ。
途中まで巨人ファンを兼ねていたうえに球場にもあまり行かなかった
私の体験記では不人気ぶりが伝わりづらいが、なんとか不遇な当時の
雰囲気を書いてみたいと思う。

私がロッテファンになったのは福岡在住時。周囲は巨人ファンと
西武ファンばかり。男の子たちは巨人と西武の野球帽か、町内会の
野球帽をかぶっていた。女の子で野球帽をかぶる子はいないので、
私は放課後に弟とその友達と一緒に「男の子遊び」をする時と、
弟とキャッチボールをする時と、家族旅行の時だけ、愛用のロッテ
オリオンズの帽子をかぶった。
だが、弟の友人に、私がロッテファンだと知っていた人はいない。
また、旅先で、弟の帽子を見て「巨人ファンだねー」と言う人は
いても、私に「ロッテファンなんだー」と言う人はいなかった。
まれに何か言われる時は、「それ、どこの帽子?」。
この状況は多分、ロッテオリオンズの野球帽をかぶっていても、
プロ野球チームの帽子だと気づいてもらえていなかった可能性が高い。

東京に戻ってきた中学時代、さすがに中学生女子で野球帽をかぶって
いるのは変な子すぎるので帽子はお蔵入り。
高校では周囲の巨人ファンを探し出して野球の話に盛り上がった。
クラスに2人(男1女1)、部活(漫研)に2人(男1女1)、
巨人ファンがいた。…ってロッテの話じゃないの!?
いつも「好きなプロ野球チームは巨人とロッテ」って自己紹介して
るんだけど、ロッテに関する思い出は皆無。漫研のコピー誌に、
ロッテオリオンズのにせ広告を勝手に描いた、ってことくらい。

なお、当時好きな選手は愛甲猛。そして、キャッチャーをやって、
立膝で一塁ランナーを牽制で刺したのでディアズも気に入った!
でも彼らの活躍は新聞の片隅の「打数・安打・打点…」というあの
一覧表と試合の得点経過表でしか見られなかった。(今以上にパ・
リーグは冷遇されていて、試合展開の説明文すらなかった)

毎日テレビのスポーツニュースを見るけれど、パ・リーグはほぼ
スルーなうえにロッテは「その他の結果」で得点表示のみ。
「プロ野球珍プレー好プレー」ではガラガラの川崎球場がネタになる
ものの、ロッテの選手のプレーはなかなか取り上げられない。あ、
上記のディアズの立膝で一塁ランナーを刺した場面は、「珍プレー
好プレー」で見られてよかった。
高校時代、あの「10.19」があったのに、「ロッテの優勝が
かかっているわけじゃないし」と興味を持たなかったのは失敗した。
(実は結果としてテレビで中継されてたことはずっと後で知った)
めったにない、ロッテの大きく関わった国民的行事だったのに…!
なお、「10.19」を話題にしていた野球ファンは周囲にいない。
家庭内にも野球ファンが自分以外に3人いたのに、家でも学校でも
「10.19」に限らずパ・リーグの話なんてまるっきり出なかった。
とにかく、ロッテファンであろうとしても、周囲にまるっきり
ロッテという球団が存在しないような状態だった。

つまり、真の不人気球団とは、不人気を実感することすらできず、
ファンでさえ「その球団が存在しない世界」を生きることを余儀なく
されるのだ――。

大学に入ると、衝撃の出来事が!
大学の漫研の先輩に、ロッテオリオンズのファンがいたのである!
彼は川崎在住。地元ガチやないですか!
そうとは知らずに入部して自己紹介に「巨人とロッテのファン」と
書いた私に、その先輩がかけてきた言葉は…
「実は俺、ロッテファン。…でも、なんでキミ、ロッテファンなの?」
顔には「意味がわからない」と書いてある。あんたもファンやんか!
もちろん「川崎市民でもないのになぜロッテファンなのか」という
ことなんだろうけど!
私、巨人ファン時代に「なぜ巨人ファンなのか」って聞かれたことは
1回もないのに、「なんでロッテファン?」って訊かれた回数は
数知れず。それも「なぜ、よりによってロッテ?」というニュアンス
をこめて、怪訝な顔で訊かれるのが常。
もちろん先輩には「野球帽をかぶっていて洗脳された」と答えて、
「まさか自分以外にロッテファンがいるとは!」と互いに驚き合った。
とはいえ、野球ファンはTPOをわきまえている人が多いもので、
私もこの先輩も、漫画の愛好団体であるサークルに野球話を持ち込む
ようなことはなく、ロッテの話はほとんどしなかった。

この大学入学年は、私のロッテオリオンズファン最高潮の年だった。
自分以外のロッテファンに初めて出会えたのみならず、なんとあの
川崎球場に乗り込んだのである!
でも、一緒に行った人が巨人ファンというのが…。
高校時代のクラスメイトに2人いた巨人ファンの、男のほうが
偶然同じ大学に進学していてびっくり。高校時代から彼の見た目が
すっごい好みだったので、頑張って割と親しいところまでいけた。
彼との定番の冗談が「川崎球場のロッテ×ダイエー」。当時、
もちろんロッテは低迷球団、ダイエーもBクラス常連の低迷球団。
この前年にはロッテを押しのけてダイエーがパの最下位だった。
私がロッテファンも兼ねているので、純粋な巨人ファンの彼に
「じゃあ川崎球場のロッテ対ダイエー行こうよ!」と振って、
彼が「やだよ! そんな試合!」と返すのがお約束。
セの王者である人気球団のファンが、なんでパの最下位争いを見に
行くのか!? という「バカネタ」だった。
でもある時「いいよ、行こうよ」ということになって、私は人生で
初めて自分でチケットを買って野球場を訪れた。子供のころの
後楽園球場以来かな。
球場慣れしていないので、川崎球場を特にぼろっちいとは思わず、
チケットを買ってライトスタンドへ上がった。
いやあ、あの風景は独特だったなあ。見渡す限り空席というか。
もうとにかくガラガラで、逆にどこに座ろうか迷う。前方上方に
応援団がいて、そこ以外はどこでも座り放題だった。
全方位に誰もいないエリアに座って見渡すと、内野席は応援団も
いないためほんとにガラッガラ。試合開始直前に球場入りしたのに
「試合開始の3時間前」って感じ。
試合は、愛甲が9回裏に起死回生の同点ホームランを放つ!
愛甲好きなので超嬉しい! そして誰かがサヨナラホームランを
打って試合は勝った。(後日これが堀だったことを知る。ロッテの
新人はなかなか覚える機会がないので堀幸一を認識してなかった)
実際に行った印象として川崎球場は古いだけでそうひどくなかった。
多分私がトイレとか行かず、外野席と最短の通路しか見なかった
からだと思うけど。食べ物も、男へのアピールとしてお弁当作って
行ったから売店にも行かなかったし。今思えば川崎球場を隅々まで
見ればよかった。野球より男目当てだったのが悔やまれる!
ライトスタンド全景が目に入った瞬間の光景は忘れられない。
応援団をあまりジロジロ見たら気の毒な感じがするくらいすいて
いて、広大な前方の灰色と右上方の青緑色が印象的だった。

ロッテが千葉に移転するとき、正直、ついていくかどうか迷った。
オリオンズという呼称に愛着もあったし、周囲に存在感がまるで
なかったからロッテファンをやめても生活に何の変化も起こらない
ことはわかってたし。
でも、やっぱり新聞のスポーツ欄のロッテが気になるので、ロッテ
ファンはやめなかった。なお、大学のロッテファンの先輩はもう
卒業していたので、仲間は一人もいなくなっていた。

マリンスタジアムにロッテ×巨人(オープン戦)を見に行ったりも
したが、毎年、ロッテの順位は気にならなかった。5位か6位と
思っていれば間違いなかった。(4位になれば大満足)
ファンが順位にまったく興味を持たないというのもすごい。
ただ、当時同じく弱小球団だった福岡ダイエーホークスとは、
劇的(悲劇的?)なドタバタ試合が多くて、対ダイエー戦の新聞の
スコアは毎回熱心に見ていた。
しかし、巨人がFA乱獲に走っていくと共にプロ野球から目を
そらすようになり、ロッテの情報に接することもなくなっていった。
1995年に2位になった時だけ一瞬フィーバーしたけど、監督が
ソッコー解任されたことでガッカリして、ロッテももういいや、と
いう気分になってプロ野球全体から離れていった。
1998年の18連敗も、周囲の野球ファンはパ・リーグなんか
眼中にないから話題にならず、私も数字だけ確認して「いかにも
ロッテらしいな」と思っただけだった。
だって周りで多少プロ野球の話題が出ても、ロッテなんて、球団が
存在しないくらい誰も意識してないんだもん。
私が意識しなくなったら完全に存在が消えてしまう、それが当時の
ロッテという球団だった。
千葉ではそんなことはなかったのかもしれないけど。いや、でも、
千葉移転初年度だけは沸いたけど、千葉での人気もすぐ低迷したん
だよね。パ・リーグから経営努力をしろと注意されるくらい。

プロ野球から遠ざかっていた私に、「ボビー・バレンタイン復帰」
のニュースがわずかに届いた。
「あの、ロッテを2位にした外国人監督を呼び戻すの!?」
2004年にバレンタイン監督が戻ってきて、ロッテのニュースの
チェックが欠かせなくなった。球界再編の騒動に熱くなったりして、
2005年からは交流戦が始まって、パ・リーグの地位も向上して、
ロッテ旋風が巻き起こって…

時代は変わった。

2005年は、日本シリーズのチケットが取れたり、その第一戦で
大学時代の川崎ガチの先輩に偶然再会したりするなど、まだ若干の
「狭い世界」感があった。
しかしその後もロッテファンは増加を続け、時代は変わり続けた。
2010年の日本シリーズは、夫婦でめちゃめちゃ頑張ってもついに
チケットがまるっきり取れなかった。

私の住まいは東京都板橋区の、千葉から遠く離れた地域。
ある日、普段着の普通のオッサンが、千葉ロッテマリーンズの紙袋を
下げて駅付近を通り過ぎていった。
また別のある日、ロッテの、衣料ブランドとのコラボTシャツを着た
女子も駅前で見かけた。若いお嬢ちゃんまでがロッテアイテムを!?
時々、駅前をロッテのユニフォームで歩いている若い男性を目にする。
試合に行く様子ではない。ユニフォームを普段使いしているのか?

千葉でもないのに、街角でロッテファンを見かけるなんて…

爬虫類など珍しい生物の販売イベント「東京レプタイルズワールド」
のために池袋サンシャインシティに行ってみたら、ロッテの背番号
17・成瀬のユニフォームを着た子供が親に連れられて来ている。
なんで爬虫類のイベントにロッテのユニフォーム着てきてんの。

ある年のある日、突如、西武ドームに西武×日ハムを見に行った。
前夜に「大谷翔平が先発か…」と西武ドームのチケットを見てみたら、
母の日特別価格で指定Bが880円だったので。
試合は、大谷が159キロ、159キロ、158キロで3球三振を
取ったりするも、やがて割と打たれだした。なんてこった~
私の服装はロッテロゴ付きポロシャツ。さりげなく「西武ファンでも
日ハムファンでもないぞアピール」。
売り子の姉ちゃんから氷結を買ったら、「今日はホーム、行かないん
ですか?」と話しかけられた。確かに、ロッテはマリンで試合中。
それをわかって、「ホーム」とか言っているあんたは、まさか?
次に彼女の口をついたのは、「私もロッテファンなんで~」。
まさかの、売り子がロッテファン。千葉在住だそうだ。
西武ドームの西武×日ハムで、なぜ、ロッテファン同士が出会う!

入院した病院でも、リハビリ担当の先生が私の持ち物を見て「夫が
ロッテファン」とカミングアウト。

今は、こんな時代。本当に、隔世の感がある。
もちろん、勤め先が付き合いでロッテのチケットを束で買ったものの、
ロッテファンが社内に私しかいなかったりもするんだけど。
でも、かつては怪訝な顔で「なんでロッテファン?」だったのに、
今は笑顔で「へーロッテファンなんだ!」と言われる。「千葉の人?」
と続くことが多いのが気に食わないけど、逆に周囲が皆「ロッテは
千葉の球団」と知っているわけだ。オリオンズ時代は「ロッテ…、
本拠地どこだっけ?」というのが多くの野球ファンの認識だった。
「川崎球場…」と言うとすぐ「珍プレー好プレー」って言われるし!
古参の野球ファンでも、ロッテオリオンズというと、ガラガラとか
いちゃつくカップルとかそうめん流しとかのイメージしかないし!
それは、ロッテを知ってるんじゃなくて「『珍プレー好プレー』で
しかロッテを知らない」って言うんだよ!

ロッテファンなのに周囲にロッテオリオンズが存在せず、プロ野球
チームを応援しているのに順位を意識するだけ無駄だったあの頃。
もちろんこれは東京の一ファンの経験でしかないけれど、現在の
ロッテファンはどこにいようとこんな環境にはならないと思う。

私は、マリンで開催されるファン感謝デーで、ただなんとなく席に
座ってフィールドを漫然と見ているのが大好きだ。
ゆっくり一人でお酒を口に運びながら、何万人ものロッテファンが
ひしめき合って戯れる様子を眺めて、「ああ、ファンが増えたなあ…」
「こんなに人気球団になったんだなあ…」としみじみ感じ入る時、
なんともいえない喜びを感じられる。
18連敗に付き合ってともに泣いたファンであっても、千葉移転
からのファンは、オリオンズ時代からのこのものすごい隔世の感を
味わうことはできないだろうなあ。
古いファンが偉いというわけではないけれど、長くファンを続けると、
なんかそれなりの「ごほうび」みたいなものはあるよね。
ロッテという球団が、いるのにいなかったあの時代。正しくは、
暗黒というより、完全に透明で気づいてもらえない、って感じかな。
まあ、東京の変わりモンの個人的な感想…ってことでご容赦を!

私の野球観戦史を変えた選手・監督

2020-07-12 15:56:03 | プロ野球
長年野球ファンをやっていると、何人もの「思い出の選手」「思い入れの
ある選手」がいるものだと思います。
今回は、私の野球観戦の感覚や価値観を変えた選手・監督を挙げて語って
みたいと思います。
ラインナップは以下の通り。

ボビー・バレンタイン:ロッテの歴史を劇的に変えてくれた。
サブロー:外野守備の究極は「すでに、そこにいる」だと教えられた。
里崎智也:「投手が楽に投げられるリード」を教えられた。
荻野貴司:プロ1年目の数々の走塁の凄まじさを超える奇跡は存在しない。
大谷翔平:四十年以上野球を見てきてまだ「夢」が見られるとは…。

〇ボビー・バレンタイン(ロッテ監督)※肩書きは当時。
かつて、ロッテオリオンズは暗黒だった。
不人気な「パ・リーグ」においても群を抜く不人気さ。いつもガラガラの
本拠地・川崎球場は、プロ野球界の盛大な「ネタ」でしかなかった。
千葉に移転して少しはマシになったが、ピンクのユニフォームの時代、
やはりロッテは不人気球団だった。不人気なだけでなく、負け犬根性が
しみついて「優勝なんか無理」という感覚で野球をやっている、暗くて
情けない球団だった。(ファンが言うのもなんだけど。笑)
そのチームにボビー・バレンタインが魔法をかけた。
おかげで千葉ロッテは「いっぱしの球団」になれた。ボビーの力と遺産で
日本一も二度経験できた。
「ボビー前」と「ボビー後」で、ロッテという球団はまるで違う。
「ファンはいるものの、客観的には愛される価値が感じられない球団」が、
「熱いファンに後押しされた楽しくて魅力的な球団」に変わった。
ボビー・バレンタインは真実、「魔法使い」だったと思う。
今の「千葉ロッテマリーンズ」は、ロッテ球団を土台にボビーが創生した…
川崎時代からのファンの私は、ボビーをそのくらい「神」だと思っている。
今もロッテを思ってくれる素敵な歴史的偉人。
先日はロッテグッズまみれのコロナ見舞いの動画をありがとう!

〇サブロー(ロッテ外野手)
それまでは、普通に「ファインプレーを連発する選手」が名手なのだと
思っていた。「守備範囲が広くてなんでもキャッチ」+「送球で的確に刺す」
が守備の名手だという認識。かつてのロッテの小坂と、今なら広島の菊池が
典型的な「守備の名手」のイメージ。外野手も跳んだり跳ねたりしてナイス
キャッチする人が名手なんだと思っていた。
だが、サブローの守備を見ていて新しい価値観に開眼した。
「上手い外野手は、『すでに、そこにいる』」

テレビでなく球場で野球を見るようになってから、不思議なことに気づき
はじめた。バッターが打つ方向がどこであっても、サブローがイージーに
キャッチする。「なんで都合よく、今回ここにいたんだ?」というところに
いつもいて、普通に捕球する。結果、何も起こらない。
そこにファインプレーはないが、毎度「都合よく」そこにいる。やがて、
「これは偶然じゃないんだ」ということを察知した。
そして、あわやホームランという打球の時、サブローがゆるーく追って、
フェンス直撃のボールを内野に返す様子を見ていて、はっとした。
「これ、フェンスまで追ったら1つ余計に進塁させてるよな!」
全力でフェンスまで追って、跳ね返ったボールを追いかけ回して、さらに
長い距離を投げて内野にぽーんとボールを返すより、「直接は捕れない」
という判断が早めにできたらクッションボールをベストの位置で処理して
進塁を阻むほうがいい。サブローの動作はユルく見えるが、実は最善を
最短で実現しているじゃないか。

つまり、追いつける打球の時には「すでにそこにいる」し、追いつけない
時にはクッションボールに最短で的確にアプローチしている…
「そうか、上手い外野手は、跳んだり跳ねたりするんじゃなくて、打球が
来るところに的確にいるから、結果として何も起こらないんだな…」
ほんとはこの「何も起こらない守備」は、サブローの前の、大塚明から
そうだったんだと思うのだけど、私が球場でそれを見て気づいたのは
サブローの時代からなのであった。
サブローが選手間投票でオールスターに選出されたのは、この守備あって
のことだろう。「どこに打っても、苦もなく捕られるぞ!?」と思った
他球団の選手がたくさんいたんだと思う。
このサブローのさらに上をいって「どこに打っても何も起こらないうえに、
届くはずのない位置に飛んだ打球まで全部捕る」だったのが岡田幸文。
でもとにかく、サブローのゆるく見える守備が実はすごい、と気づいた時、
野球の見え方がまた大きく変わった。野球って面白いと改めて思った。

〇里崎智也(ロッテ捕手)
これについては詳述を避けるが、里崎のリードは「決め球は1球投げれば
いい」という組み立てになっている。よく2ストライク目に一番いい球を
使ってしまって決め球に四苦八苦したり、外角低めの球ばかり要求して
苦しいピッチングにしたりするリードを見るが、里崎にはそれがない。
本人の著書にもあるが「2ストライクから1球外すのは無意味」。実際、
サトのリードは3球勝負も多い。これは球数が無駄に増えなくていいし、
「3球勝負で来るか、3球勝負はしないのか?」という点でも打者を
迷わせたほうがいい。
ただしサトのリードは、ある程度点は取られるリスク込み。「3点くらいは
取られるものなんだから、それで負けたらバッテリーの責任ではない」と
割り切っている。投手に完璧を求めて自爆するようなこともない。
とにかくいろいろな面で「投手が楽に投げられる」方法が追求されている。
こんなに「投手主義」なキャッチャー見たことない。
里崎は「リードは結果論」と言っているが、実際はピッチャーの精神面、
体力面の消耗までケアする渾身のリードをしている。
球場で野球を見て、また、野球について真剣にいろいろ考えて見るように
なって、さまざまな点で、サトの言うことがよくわかるようになった。
理論派に見えるけどボビー信者でロッテ球団大好きだったりする感情的な
面も垣間見えて、里崎には共感できて親しみが持てる。
里崎に教わったもの・ことは、とにかく多い。

〇荻野貴司(ロッテ外野手)
イケメンで鳴らす荻野だが、私は彼の見た目にはまったく興味がないし、
とくだんファンというわけではない。だが、荻野貴司の1年目はほんとに
ほんとにすごかった。私の野球の常識を打ち破ったドすげえ選手だった。
荻野のデビュー当時、私はすでに三十年以上野球を見てきていたベテラン
ファンだったのに、それまでに見て知っていた野球の物理法則では決して
ありえないスピードがそこにあった。
ライト前二塁打とか、普通のショートゴロが内野安打とか、送りバントで
普通に自分もセーフとか…。塁に出ればいつでも盗塁、フォアボールが
3塁打に化ける。いつどこで荻野が物理法則を超えてみせるかが、常に
楽しみだった。
荻野のすごさはスピードだけではなくて、野球勘、野球感覚がとにかく
すさまじかった。自分の打球がどこまで飛ぶから自分の脚ならどこまで
進めるか、それを脳内で感覚として認識する正しさがハンパなかった。
自分が前に進めるギリギリ・スレスレに可能な限界まで前進した。
足の速さもすごすぎるのに、進める限界を見定める能力もすごいとは…。
「今日も、荻野がすごいことをやるかもしれない」という夢にあふれた
あの短い春…
でも、人間は奇跡を起こし続けて生きることはできなかった。
荻野の能力は人間の生身を超えていたんだと思う。

ケガから回復したものの、「奇跡」は起こせなくなった荻野。
だた、ある年のロッテのファン感謝デーのリレーで、荻野の秘密の一端を
見ることができた。
リレーのアンカーは、ともに超俊足の荻野と岡田。二人はほぼ同時に
スタートしたのに、荻野が一瞬にしてドバーと圧倒的加速を見せた。
「そのへんの超俊足」じゃまるっきり追いつかない、異質の加速力だった。
塁から塁への短い距離を走ることの多い野球では、あの加速力こそが
奇跡を産むのだなとよくわかった。
今も、「今日も奇跡が見られるか?」と連日興奮のるつぼだった日々を
思い出すだけで「あれはほんとに幸せだった、すごかったな」と思う。
もしかして、荻野1年目のあの春が一番、野球を見ていて楽しかったの
かもしれない。そのくらい、荻野貴司はすごかった。

〇大谷翔平(日本ハムの投手であり野手)
もうこの肩書の書き方じたいが↑変になっちゃうレベルで野球の常識を
凌駕している大谷翔平。
私は編集の仕事をしているわけだけど、もしも私の手元に「主人公は、
プロ野球で投手として160キロの球を投げて、ホームランもバンバン
打つんです」という設定の物語が持ち込まれたら、「そんな嘘くさい
物語、読者が共感できないですよ。ありえなすぎて読者ドン引きです」
って答えるだろうな。
ましてや「投手なのに先頭打者ホームランを打ったり、自分で完封して
1対0で勝利して優勝を決めたりするんです」「最後にはプロ野球の
公式戦で『エースで四番』をやって、大リーグに移籍するんです」とか
言われた日にゃあ「私も野球ファンを四十年以上やってますが、そんな
現実感のない、ありえないヒーロー、バカバカしすぎてまるっきり
読む気になれません。書くならもっと現実的な設定にしないと…」って
全否定しちゃうね。
「あっ、しかも、足も速いし、外野を守らせると肩も素晴らしくて
ライトから三塁へ酔いしれるようなぐんぐん伸びる球を投げるんです」
投手が外野をやると肩がいい、というのはアリだが…そこまで何もかも
できるドすげえ選手なんて、ありえなすぎてもはや寒いわ。
…でも、ありえてしまったね。その、ありえない奇跡が。
でも荻野と同じで、やっぱり人間の能力を超えてしまっていたようで、
ケガ、手術を経ることになった。メスを入れた影響を受けることなく、
これからもっと「ありえないだろそれー」と言わせてほしい。
2016年が大谷の最高の輝き、なんてことにならないでくれよ!


以上、プロ野球は何十年見ていても新しい驚きをもたらしてくれて、
知れば知るほど面白くてやめられない。
一対一の対戦でありチームプレイであり、アクションゲームであり
シミュレーションゲームであり、理論であり「理屈ではない何か」で
あり、有限であり無限でもある。
荻野貴司デビュー年、私は38歳。大谷の日本キャリアハイの年、
私は44歳。こんな年齢になって「こんなすごいことをこの目で見る
なんて! 奇跡だ!」と思えるって、なんて素敵なことだろう。
私のつまんない凡人頭をたたき割り、価値観をひっくり返してくれる
素晴らしき野球の世界。一時、野球を見るのをやめていたのだけれど、
私をまたプロ野球観戦に引き戻してくれたボビー・バレンタインに
あらためて感謝したい。ロッテファンやっててよかった!

2016年、石川雅規150勝狂騒曲~200勝への応援歌~

2020-06-30 22:25:14 | プロ野球
2020年の開幕投手に見事選ばれ、年齢にも雨にも負けず、立派な
ピッチングを見せたヤクルト・石川雅規投手。しかし高津監督の
アホ采配により勝利投手の権利が消滅。ヤクルトファンのみならず、
12球団ファンの中にたくさんいる石川ファン皆が憤懣やるかたない
思いに苛まれました。
2登板目にはさらに素晴らしいピッチングを見せた石川投手…
だが、高津監督は、自身が率いているのがまだ2軍だと勘違いして
いるのでしょう、「勝利よりも若手の経験が大事☆」という馬鹿野郎
すぎる継投で、またもや石川投手の勝ち投手の権利を消しました。
高津、それ完全に石川(カツオくん)をイジメにきてるよな。
カツオくんが人格者でヤクルトを心から愛する優等生選手だからって、
高津をはじめ、ヤクルトの監督たちは彼に甘ったれすぎなんだよ。

と、いうことで怒りMAXな私ですが、ここは気持ちを切り替えて、
カツオくんが150勝するまでの思い出をひもとくことで、彼への
応燕(おうえん)の気持ちを新たにしたいと思います。
2016年当時の私の日記的なものをざっくり引用してご紹介します。

<愛の150勝狂想曲~序章~>
7月18日月曜(祝日)、鎌ヶ谷スタジアムの二軍戦から暑さで
ほうほうの体で帰ってきて、ちょっとだけ「夕方、神宮に…」という
気が起こったが、疲れすぎていて無理だった。
そうこの日、神宮球場で17時から我が愛しのカツオくんこと
ヤクルトのエース・石川雅規が登板だったのです☆☆
結局、この日、見事149勝目を挙げたカツオくん。
来週火曜、甲子園の阪神戦でカツオくんの150勝が達成される予定♪
と、言いたいけど最近ビジターで勝てていないので不安になる。
カツオくんが来週、26日火曜日に甲子園で150勝を達成することを
祈ってこの週は終わったのだった。
この後の果てしない旅路も知らずに…(つづく)

<愛の150勝狂想曲~第一章~>
7月26日火曜、通算149勝投手・ヤクルトスワローズ石川雅規は、
甲子園のマウンドに立った。よしっ150勝決めてくれ! 見に行ける
場所じゃないのは残念だけど、一日も早く達成してほしい! 
だが…ヤクルトが3点を先制するも、カツオくんが4回に3点取られて
追いつかれ、7回まで投げるも8回を投げたルーキが決勝点を取られて
負けた。悔しい! でも次は神宮だ! 神宮で無敵のカツオくんだから、
きっと次は150勝できる。
見に行こう、その場に立ち会うんだ! ――次週へ続く…

<愛の150勝狂想曲~第二章~>
7月26日火曜に150勝めに挑むも残念ながら成しえなかった
ヤクルトのエース石川雅規、またの名をカツオくん。
甲子園で勝てなかったのはしょうがない。ホームの神宮球場で達成する
ための、神様の采配だよ!
先週25日の「26日先発・石川雅規」の発表と同時に、「甲子園で
勝てたら凱旋登板を見るために、もし勝てなければ150勝をこの目で
見るために」って、この8月2日のチケットをしっかり取ったのさ!
 
8月2日、神宮で無敵のカツオくん×神宮勝利の女神(昨年レギュラー
シーズン勝率9割、今シーズンいまだ負けなし)の私というゴールデンな
組み合わせなのに、広島に16点とられ、ぼろっかすでした…。
カツオくんと私、ともに今シーズン神宮初敗戦…。
しかもカツオくん、打たれただけでなくバント2回も失敗して、明らかに
力んでたと思う。途中で大雨中断にもなり、私の晴れ女能力も惨敗…。
外野指定席だったから真っ先に屋内へ避難したけど、大勢が避難してきて
通路の蒸れ蒸れ感たるや…。試合再開後も蒸し蒸し…。最悪だった!

この日、私、「ISHIKAWA19」のTシャツは持ったけど、
いつものカツオくんタオルを忘れてきたのね。
もしかして、女神だったのは、私じゃなくてあのタオルだったのか…
 
来週の火曜はまた、ビジターでナゴヤドーム。
次の神宮は150勝投手となって、凱旋でお願い!! ~つづく~

<愛の150勝狂想曲~第三章~>
7月26日・8月2日(共に火曜)、150勝に挑むも成らなかった
カツオくんことヤクルトのエース・石川雅規投手。8月9日火曜日、
ナゴヤドームで三度目の挑戦となりました!!
…が、7回1失点という素晴らしい投球をしたのに決着がつかず、
この日の150勝も持ち越しになりました…。
しかも延長戦の末にヤクルトは負けてしまい、好投もフイに…。
 
なんの、16日火曜日の神宮に行くぞ! 今度こそ生観戦で達成だ!!
だって8月2日の深夜にまた「150勝投手として凱旋、または
目の前で達成だ!」としてチケット買っておいたもん! どりゃー!
…と、意気込む私はまだ、その後の悲劇を知らない… ~つづく~

<愛の150勝狂想曲~第四、五、六章~>
7月26日、8月2日、8月9日…と、150勝に三度挑むも
成らなかったカツオくん。最初と三回目がビジターで観戦できず、
二度目の挑戦はホームで観戦するも負け。
さて、またもチケットを取って臨んだ8月16日火曜は?
なんと、雨、てゆうか台風…。15時ちょい前、中止が発表された。
仕方ない。台風だからあきらめて普通に会社から帰宅した。

カツオくんは順当なら翌週火曜の登板となる。その日はヤクルトの
ホームゲームだけど、試合は「静岡・神宮・神宮」の三連戦で、
火曜は静岡で開催…。意地悪だな…。見に行きたかった…。
「でも明日(17日)、スライド登板するかも!」と思い直し、
予告先発が翌日もカツオくんだったらチケットをダッシュで取る
ことをダンナに指示。だが翌17日へのスライドはなかった。

8月17日、帰宅すると、カツオくんの18日木曜の試合への
スライド登板が決まっていた!!よっしゃ18日、行くぜ神宮!
待ってろカツオ!!とダッシュでチケットを購入して、深夜に
コンビニに行って発券する。
…だが、18日も神宮は雨天中止となった…。
さすがにもうスライドしないで来週登板するかな、と思ったら
18日の一週間後の25日は会社の飲み会!! どうしよう…。

悩んでいたら、カツオくん、20日のマツダスタジアム(広島)で
先発しました。またビジター…。広島じゃ行けないじゃん…。
なんでカツオを広島で150勝させようとする! 神宮にせえ!
 
しかもマツダでは、7回1失点と好投したカツオくんを打線が
見殺しにして、負け投手になってしまった…。 
石川の150勝は一体、いつ達成されるのか―― ~つづく~

<愛の150勝狂想曲~最終章~>
7月26日に始まった、ヤクルト石川雅規投手の150勝をめぐる
戦い。甲子園で150勝を逃したところに始まり、延々と勝てずに
ひと月以上がすぎた…。
だがこの8月27日土曜、とうとう甲子園で150勝は成った。
150勝決めるところ、見に行きたかったなあ。
でもとにかく、石川雅規、150勝おめでとう!

<愛の150勝狂想曲~後日談~>
広島が優勝マジック「1」となっていた9月9日金曜日、私は
神宮球場にヤクルト×巨人の試合を見に行くことになっていた。
その日試合がない広島は、ヤクルトが巨人に勝つと「移動日なのに
巨人の負けで優勝決定」というショボいことになる。

私は会社の広島ファンのところに行って「勝って来ますよ!」と
笑顔で言った。広島ファンは、机にひれ伏して悶えるように
「負けてくださいお願いします」と繰り返した。やっぱり移動日に
漫然と優勝が決まるのは嫌だよね。
さらに彼は、日曜日の東京ドーム巨人×広島のチケットを持って
いるらしい。日曜に目の前で優勝が見られるかもしれないのに、
今日「ヤクルトが勝って広島優勝決定」になるのは最悪だよね~。
そんなに平べったくなって懇願するなら、負けてあげてもいいよ?
と、いうのは冗談で、この日ヤクルトは余裕で負けました。
デイビース炎上でぼろっかす。チクショ~。

なんでこの日、血相を変えて神宮球場に行ったかというと…
先週150勝を達成した石川雅規投手の記念下敷きを配布するって
いうから、会社を早退して、早い時間から行ったというわけ。
なんで早い時間って、下敷きなくなっちゃったらやだもん!!
(でも結局全然なくならなかったっぽい)
この日、カツオくん150勝の表彰セレモニーもありました!!
セレモニーがあるって全然知らなかった。
いつもの「定時ダッシュで球場に行く」という来場パターンだと、
このセレモニーには間に合わなかったところ、下敷き目当てで
早退したおかげで間に合った…。神様ありがとう…。
カツオくんのセレモニー見られたうえに下敷きももらえたから、
まあ、試合は負けたけど、よかったんじゃない?
 
なお、広島は翌土曜日に優勝してしまったので、日曜のチケットを
持っていた会社の広島ファンは、ビールかけで二日酔いした広島が
ぼろっかすに負ける試合を見るはめになった模様。
ま、優勝おめでとう!


以上が、後日談として広島の優勝を含めた(笑)カツオ150勝
前後の私の大騒動でした。
選手の大きな記録には、各地でファンそれぞれのこんな大騒動が
伴っているんだよね。
次は200勝直前直後で右往左往したり飛んだり跳ねたりしたい!
何かを愛することは、愚かでもあり、幸せなことでもありますな。