エクストリーム四十代のかもめ日記

野球を中心に、体力気力に任せて無茶をしがちな日常を綴る暑苦しい活動記。

私の野球的宝物自慢

2020-06-27 20:42:38 | プロ野球
プロ野球ファンを長年やっていると、何かしらの「宝物」が手に入り
ますよね。正直、大したものはないのですが、私の宝物を自慢します。

◎労せずして手に入れた、ロッテ田村&大地、ロッテ田村&福浦の
 サイン色紙

会社が、なぜかマリンのロッテ戦のチケットを一定数量まとめて購入
したので、2016年と2017年に「特典としてサイン色紙を
さしあげます。好きな選手を2人お知らせください」ということに
なりました。
社内に私しかロッテファンがいないので、2016年は「田村選手と
鈴木大地選手」、2017年は「田村選手と福浦選手」と申請して
直筆サイン色紙をいただきました。
「田村がかぶってる。他の選手にすればいいのに」と思うでしょう。
私としては「まとまった金額を払ってくれる上級顧客に、田村が高く
評価されているぞ」という球団へのアピールをしたいのですよ。
もらえるものより与えるもの。「田村愛」ってやつです。

◎「元ロッテ里崎&元中日立浪」「元ロッテ里崎&ロッテ田村」
 連名の直筆サイン色紙

当ブログ別記事「里崎(と田村)のトークショー」で書きましたが、
里崎の飲み会トークショー(ゲスト立浪)の時にクイズに全問正解
して手に入れた「元ロッテ里崎&元中日立浪」連名のサイン色紙と、
里崎・田村の「夢のトークショー」で手に入れた「元ロッテ里崎&
ロッテ田村」連名のサイン色紙も宝物です。

◎元ロッテ里崎智也の直筆サインボール

朝日新聞主催で我らが東武東上線沿線の駅前ホールにて開催された
里崎智也トークショーがありましてね。隣の隣の駅に里崎が来ると
なったら行くしかないでしょう!
そこでくじ引きが当たって、里崎からじかに手渡してもらった直筆の
サインボールも私の宝物の一つです。
里崎と田村のサインどんだけ持っとんねん、って感じだけど(笑)

◎東京ヤクルトスワローズ・石川雅規投手(カツオくん)の
 直筆サイン2つ

2016年7月、東京ドームシティの本屋の野球コーナーで、かつて
悩みに悩んで買うのをあきらめたカツオくんの本、『石川雅規の
ピッチングバイブル』が平積み、しかも「サイン本です」のポップが
立っているのを発見!!!「ああ、私、ここでサイン本に出会う
ためにこれまで買わずにいたんだな…」と思ったよ。
恭しくレジに行くと、店主らしき人が、まず「こちらがサインです」
と確認にサインの部分を見せたうえ、黙ってカバーをかけてくれた。
私、普段はカバー断るんだけど、これは必要!
多分、店主、私がカツオ本を見つけるなり「はうっ」となっていた
背中とか、その後大事に大事に胸に抱えてレジに持ってくる様子を
見ていたに違いない…。私が「宝物として」購入したのをよくよく
わかっているそぶりで取り扱ってくれました。有難いことです。

もう1つは、「オフィシャルグッズショップで税込5000円以上
お買い上げの方、選手にメッセージを届けて、写真をつけた直筆
サインをお返しします」というイベントで手に入れたカード。
これを知った時は、「たった5000円で、カツオくんが私のために
サインを書いてくれるのか。直筆サインやっすい! 愛ってお金で
買えるんだ!!」と驚愕したものです。
2016年2月6日土曜が受付初日で「人数限定だし、きっと瞬時に
上限に達するだろうから、開店と同時に並ばないと無理だよな…」と
消極的になっていました。
それでもやっぱり気になって当日に行ってみましたが「つば九郎店」
にたどり着いたのは15時半過ぎ。まだイベントの机が出ていて、
係員に聞いてみたら「まだやってますよ」とのこと。ええ~!?
「山田選手と川端選手とつば九郎へのメッセージは受付終了となって
います。あと、石川投手へのメッセージはあと10人で終了です」
ヤクルトファン、気合いが足りない! こんな企画、殺到しようよ!
そしてカツオくんも人気じゃん! ということで参加を決定。
レジで「大丈夫ですか! 金額、超えてますか?」と念を押して、
5000円をクリア。手続きをして、カツオくんに贈られるカードを
受け取りました。何て書こう! 動揺しまくり。
結局、「ロッテファンだけど、石川投手が好きで、ヤクルトの
ファンクラブまで入って応援してます」的なことを書きました。
サイン入りカード受け取り開始後最初の土曜、3月26日の午前中に
「つば九郎店」に行ってソッコー受け取りました。
「〇〇〇様」と私のファーストネーム入りで生サインが!
私のために書いてくれたサインだ! カツオくんが、人生のほんの
数秒だけど、私のために時間を割いてくれた! 名前のところは
ほんとにていねいに書いてある。間違えるまいと神経を配って
書いてくれたのだろう。人柄がしのばれるっ。
小学生みたいに「このカードカツオくんが触ったんだぁ」とか「私の
名前が彼の筆跡で書いてあるぅ」とか、何もかもが嬉しかった!
なぜか、ついていた写真はバットを持っている練習中の姿だった。
ピッチャーなのになぜバットの写真? でもうれしい!
これはもう、名前入りで、うれしすぎて卒倒しそうな宝物です。

◎次に、東京ヤクルトスワローズ・小川泰弘投手(ライアン)と
 同・小川淳司前監督の直筆サイン

2017年2月9日、またこの年も、東京ヤクルトスワローズの
公式ショップで5千円買うと好きな選手の生サインがもらえるという
イベントがあるとわかり、イベント開始の11日、今度はライアンの
サインを目当てにヤクルトのグッズショップへ。
またも午後ゆるく行き、14時に買い物を終えて手続き完了。
その時点で、山田哲人、川端慎吾、元オリックスの坂口智隆が満員。
ライアンのサインは、ほんとにサインだけで、誰々さんへ、みたいな
私宛の記載は特になかった。でも、私宛のカードにサインを書いて
くれたわけで、ほんとに5000円じゃ申し訳ないこのイベント!
そうそう、ライアンのカードは、キャンプ地のスタンプつきでした。

2018年には、これまた大好きなヤクルト小川淳司監督(当時)の
サインがほしくて同じイベントに行きました。
これまでは大して並ぶことなく参加できたのに、行ったのが昼前後
くらいだったからか、1時間くらい並ぶハメになりました。
小川監督だったら、締め切られるほどの申し込みが来ることはない
だろうから、もっとゆるい時間に行けばよかった。
小川監督は「〇〇さんへ」と名字入りで書いてくれました。
やさしそうな人柄の出たやわらかい文字がすっごいうれしい!

たった5000円(のグッズ代)で、私のためにサインを…。
私のためだけに書いてくれたサインを3つも手に入れちゃって、
もうほんとにヤクルトスワローズには感謝感謝です。
ファンが殺到して争奪戦にならない理由がわからない!!

◎投稿が載った「月刊ジャイアンツ」と、掲載のお礼の品(生写真)

実はある年のある号の「月刊ジャイアンツ」に載っちゃったんですよ。
懸賞に応募した際に、応援メッセージも書くようになっていて、
懸賞の添え書きのつもりだったから、文法が途中で変になったけど
「修正液がないからいっか」とそのまま投函したら、応援メッセージ
がまさか、その変な文のまま載っちゃいました。大汗。
懸賞には外れたんだけど、この掲載に伴う報知新聞社からの掲載返礼
的な贈り物には驚愕しました。
当然、私のことだから斎藤雅樹への応援メッセージを書いていたわけ
ですが、私への返礼がちゃんと斎藤のかっこいい生写真!!
個々の応援メッセージの内容に合わせて、最も適切な監督・コーチ・
選手・マスコットなどを選んで、カメラマンの撮った立派な写真を
送っていたのでしょう。「坂本選手大好きですぅ~」という女子には
坂本の生写真を送るわけやね。なんという手厚いフィードバック。
そこはさすが読売様、報知新聞様だと思いました。

◎懸賞で当たった小宮山悟サインボール

スポーツ雑誌「〇ポルティーバ」でWBC特集(多分第2回大会だと
思う)があった時、その記事の読者プレゼントが元ロッテ・小宮山の
サインボールだったんですよ。
「WBCの記事目当てで雑誌買った人は、小宮山のサインボールに
あんまり応募しないよな、応募が少なかったら小宮山の立場が…」
と心配になった私は、ロッテファンとして小宮山の援護のつもりで
懸賞に応募しました。
結果、見事当選。確か当選が1人とかだったので、超驚くとともに、
超~~~喜びました。
読者プレゼントアンケートの答えがガチだったから、「この人は
絶対に転売とかしないだろう」と思って、しかも女子だったのが
珍しくて選んでもらえたんじゃないかと思いました。
なお、応募ハガキに書いたアンケートの回答はこんなんでした。
「好きなスラッガーは?」→ディアズ。
「特集してほしいアスリートは?」→元巨人・斎藤雅樹。素晴らしい
実績を残しているのに各種メディアがあまり取り上げないのはなぜか、
もっと記事になってしかるべき投手。ぜひお願いします。

◎「ロッテ愛」のサブローサイン色紙

当ブログ別記事「引退試合という幸福~マリンで流した涙を数えて~
(後編)」でちょっと書きましたが、某野球雑誌の懸賞で、サブロー
引退特集のサイン色紙が当たったのですよ。
2017年4月20日、日ハムの東京ドームシーズンシートオーナー
として初めて観戦に行った日、東京ドームから家に連絡したら、
ダンナが「×ースボール×ガジン社から何か届いてるよ?」と言うん
だけど、まったく心当たりがありませんでした。
何だろう? と、思って帰宅したら、なんと前年の秋、某雑誌の
サブロー直筆サインプレゼントに応募したのが当選していて、「大変
遅くなってしまったことをお詫びします」だって。
「ロッテ愛」と書かれたサブローのサイン色紙…泣けました。
ロッテファンとして、手に入れたことが一番うれしいアイテムに
なりました。サブローーーーーーー……

なお、この直後の4月23日、サブローがマリンでトークショーを
するというので、慌てて買ったチケットでダッシュでマリンに行って、
このサイン色紙の拡大コピーを掲げて応援しちゃいました。
観戦後、このサインのコピーを手にして写真を撮ろうと、カメラの
シャッターを頼んだご夫婦の奥様のほうが、この紙をたいそう羨んで
いたので、1枚あげました。コピーだからね。
本体はもちろん今も、大事に大事に仕舞ってあります。

◎斎藤雅樹の球を受けて手に入れた直筆サイン色紙

当ブログ別記事「競艇場(戸田)に降臨した斎藤雅樹を詣でる」で
書きましたが、競艇場のイベントのゲストに斎藤雅樹が来るという
ことで血道をあげて見に行ったんですよ。そしたら、「ボールを
キャッチした方にサイン色紙をプレゼント」というイベントで、
斎藤雅樹ご本人が、全身を斎藤グッズで固めた全力斎藤ファンの
私に向かってボールを投げてくれたのです。
イベント開始前に書いてあった色紙を、受けたボールと引き換えに
係員から受け取っただけだけど、「斎藤雅樹の投げた球を受けた」
という感動と共に、思い出のこもった狂喜乱舞の一品となりました。

◎斎藤雅樹野球殿堂入り記念グッズ一式

2016年1月18日、斎藤雅樹の野球殿堂入りが発表されました。
28日夜、漠然とネットを見ていたら、27日に斎藤雅樹殿堂入り
記念グッズが発売されたというじゃない! 全買い、全買い!!
さっそく巨人の公式サイトのグッズ販売ページにアクセスしました。
迷いなく全品を買うつもりだったし、愛の大きさから、迷いも何も
なく余裕で「全買い」できると思ってました。
が…シリアルナンバー入り直筆サイン入りの記念額が54000円
だった…。5まんえん以上…、うう……。
記念写真フレームも6480円するけど、そんなのは即買い。
でも54000円。…さすがに高い、そんな金はない……けど出す。
私を1分近く悩ませる金額のものまで用意するとは……試された
もんだぜ。
Tシャツとかリストバンドとかも買って、結局7万円近い出費と
なりました。ななまん……。低所得者なのに7万とか無理。
でも、斎藤雅樹のために命削れなくて何が私か!
こうして、クレジットカードの引き落としが怖い…という、人生初の
経験をすることになりました。

さらに、NPBが「斎藤雅樹野球殿堂入り記念サインボール」を
売り出し、これもシリアルナンバー入り28000円。
結局、10万円近い金額が斎藤殿堂入りの記念品に飛びました。
ただ、額も記念ボールも、50個限定のシリアルナンバー入りで、
これを以て私は「日本で斎藤雅樹のことを最高に好きな50人」に
名を連ねることができたのです。やったやった!

とりあえず、私の宝物はこんなところなのですが、ホントは
あと一つ、元ロッテ監督ボビー・バレンタインのイベントで、
ボビー、小宮山、堀、定詰のサインをその場で寄せ書きしてもらった
小宮山の本『成功をつかむ24時間の使い方』があるはずなんだけど…
だいぶ前なのでどこに仕舞ったか…出てこない。汗
こうした私の宝物の大半が2010年以降に手に入れたもので、
熱心に追いかけていれば、選手や球団って案外近くにいるものなんだ
な…と思います。
それまでは、テレビで見るか、球場に見に行っても「見せてもらう
だけ」というのがプロ野球でした。
100%のロッテファンになって球場に行くのが楽しくなり、
他球団や好きな選手も積極的に応援するようになって、いろいろ
プロ野球ファンとして幸せなことが起こるようになりました。
本当に、ガチロッテファンになって人生変わったな…と思います!

引退試合という幸福~マリンで流した涙を数えて~(後編)

2020-05-20 21:29:24 | プロ野球
私が立ち会い、涙した(ロッテの)引退試合を語るエッセイ、
今回は後編です。
サブローのところが長いのですが、彼の引退については、本当に
言いたいことが多すぎて、こみ上げるものが多すぎて…。

2016年8月31日にサブローの引退が発表されて、私は
奈落の底に叩き落とされました。

悲しい物語は多分、2013年に始まっていたのでしょう。
2015年には「一軍で飼い殺して出場させず、感覚がなまった
ころに突然代打で出す」という起用をされ、2016年には
「二軍で結果を出しても決して一軍に呼ばれない」という扱いを
され、非常にしんどい2年間を過ごしたサブロー。
2016年には二軍の打撃コーチが「サブローは一軍で使える
戦力だった、呼ばれなくて残念でならない」というコメントを
出しています。夏のある時期からサブローが二軍で急激に結果を
出せなくなったのは「そもそも、一軍に呼ぶ気はないんだな」と
察したためだと思います。
サブローにこの仕打ちをした監督は、2015年が3年契約の
最終年でした。この監督の任期が延びてしまう「Aクラスを
確定させる決定打」を打ったのは、皮肉なことに、そして実力の
通りに、勝負強いサブローでした。
その試合のヒーローインタビューで、サブローは複雑な思いに
満ちた作り笑顔をしています。あれは、チームも、サブローも、
負けた方が“結果として”幸せになれた試合でした。
でも、サブローは、自チームの負けを期待することも、ましてや
自らチームを負けさせることも、できる人ではなかった…。
自分自身の素晴らしい勝負強さを、あんなにも呪った日は
ないんじゃないだろうか…。
それでも、あんな場面でちゃんと決勝打が打てる、それでこそ
千葉ロッテマリーンズのサブローです。
ファンのために勝利を届けてくれてありがとう。
そして、そこで決勝打を打ってくれた選手を、翌年にコーチの
お墨付きがあってなお一軍に絶対に呼ばない監督の人間性は…。

サブローの引退発表の日は、自分がこんなにサブローのことを
好きだったと気づいた日でもありました。
私たちファンが愛した、その何倍も私たちを愛してくれた人。
なのに私はファンとしてサブローを守りきれなかった…。

実は引退試合の直前にはいろいろありました。
9月18日日曜、超~元気だった母が突然心停止で倒れました。
その日は斎藤雅樹が二軍監督として優勝直前なので戸田球場に
行くはずが、救急車に同乗して病院に行く騒ぎになりました。
幸い母は蘇生したものの、しばらく入院。巨人二軍の優勝は翌日
見られたけれど、胴上げは延びに延びて、サブローの引退試合の
日と重なってしまいました。斎藤監督の胴上げが見たくても、
その日の行先はジャイアンツ球場でなく千葉マリン一択でした。
まあとにかく、「サブローの見送りじゃなく母の見送り」に
ならなくてよかった~。

こうして迎えた9月25日(日)、サブローの引退試合…
一塁側のベンチ上の席から見つめていて、ただひたすら悔しさと
悲しさばかりがこみ上げて…
外野守備を転々と移してもらえたのはよかったけど、そういう
外面の良いことだけはやってみせるくせに、内側では…。
監督への怨嗟の発露はこのくらいにしておくが、選手からも
漏れてしまっていた本音の声をちらほら聞いた人も多いはず。

とにかくうれしかったのは、巨人の選手たちが来てくれたこと。
坂本、内海、山口、長野、そしてクルーズ。あと、阿部もか。
シーズン中なのに本当にありがとう!
坂本の屈託なく無邪気な輝く笑顔に、殺伐とした心がものすごく
癒されました。ダンナと2人でめっちゃ笑っちゃった。
サブローが巨人にトレードで出された時には憤激したけど、
よりによって巨人に行けたことで、今後の野球人生においては、
とても良い人脈が得られたのかな…と感じました。

ただただ心を痛めて、サブローを見つめて過ごした長い時間。
9回裏、右中間への美しいツーベースを見ることができたのが、
せめてもの救いとなりました。
9回裏をやってるってことは、試合は負けたんだけど。でも、
もし勝ってて9回裏がなかったら、あの打球は見られなかった
わけで、これはこれでよかったのでしょう!
セレモニーで、真っ白なテープの滝を背景に手を振るサブローを
泣きながら見ることしかできない。自分の無力さにじっと唇を
かみしめていました。今書いていても泣けてきます。

サブローが四番にいるロッテが「本当に強いロッテ」だった。
まだやれるのに移籍に道を求めることなく、最後まで「ロッテの
サブロー」として、ロッテファンと一緒にいてくれた。
私たちは、サブローに愛されていることを知るべきだと思います。
 
試合後は気持ちを切り替えて、泣き明かした顔のまま、場外の
「からあげ祭り」に参戦しました。
からあげの名店屋台がいくつも出ていて、試合開始前にはどれも
長蛇の列であきらめたのですが、試合終了後にまだ売れ残りを
売っていました。
宿がとってあると試合後もこうして悠々できるのがいい。
お陰でサブローの掲示物の前でたくさん写真を撮れて、
私のアルバムには泣きぬれて情けない顔の写真が多数
貼られています。

実は後日談として、ちょっと自慢話があって…
日本一の野球雑誌による「サブロー引退特集」の直筆サイン色紙
プレゼント、当選者の一人は私です。
「2015年、あの決勝打がどういう結果を招くかをわかって
いてなお打ってくれたことは決して間違いじゃない。ファンの
ためにありがとう。それでこそサブローだと誇りに思う」という
コメントを書いて懸賞に応募したんだよね。
きっと、この想いが「届いた」んだと思っています。
「ロッテ愛」と書き添えられたサブローのサイン色紙、本体は
大事に大事に保管して、縮小コピーを会社の机に飾っています。

          *

2017年9月24日(日)は井口資仁の引退試合でした。
この前の9月10日(日)には大きく「6」の文字をあしらった
井口引退記念Tシャツが配布されました。私とダンナはそこにも
ちゃっかり参戦してTシャツをもらいました。

ボビー&小宮山の時はチケットが普通に取れたし、里崎の時は
偶然チケットが取れていたわけですが…
サブローといい、井口といい、そしてこの後の岡田、福浦と、
私ったらTシャツ配布まで含めてなんでこうも確実に引退試合の
チケットが取れているわけ?
それは…私の勤め先がチケットをまとめて買っていて、社内に
ロッテファンが私一人しかいないせいです。
おかげで2016~2019年の大事な試合は大半見られました。
一番いい時期にチケットを購入してくれた会社が有難すぎる…。

9月24日(日)ももちろん現地泊。日曜日は宿が安くてイイ!
会社の購入上の都合で、この日の座席は三塁側のベンチ上。
同じ理由でのちの引退試合も三塁側から見ることになります。
さて、球場に向かう私とダンナは明るい笑顔に満ちていました。
井口が引退すると言っても、監督就任が決定していたからです。
井口とはサヨナラじゃない。しかも選手たちに積み重なった
精神的な苦痛や疲弊を、監督交代でとうとう解消できる…。
井口の引退・監督就任には感謝しかありませんでした。
井口なら少なくとも正義はたがえないだろう。きっと選手たちも
安心して野球に集中できるはず。
この年に井口が現役をあきらめて、監督という重責を背負う道を
選んでくれたのは、ロッテにとって本当に幸福なことでした。

引退試合で最初の打席からヒットを打つ井口に「まだまだ現役
いけるやん!」とついつい笑ってしまいます。
この日は全員が背番号6。誰が誰だかわかりづらい!
3回に加藤翔平が先制ホームラン。だが7回に逆転されました…。
2点ビハインドで9回裏へ。サブローの時と同じく「負けてる
お陰でもう一打席、井口に余計に回るよ!」と喜びました。
そしたら…(引退リスペクトで直球を投げてくれたとはいえ)
まさかまさか、井口の同点ツーランホームランが!!!
もう、球場中が、狂喜乱舞を超越した意味不明の大騒動。
「いぐち! いぐちぃぃぃぃ!」とわめきちらす私。
感動と充実感にひたりつつ、延長戦を迎えました。
延長11回、もう一回井口に打席が回ってきたときは「まさか、
そのうえ井口がサヨナラホームランを打って…なんて?」と
期待しちゃったりもしましたが、そこまでの展開はさすがに
なくて、井口の最終打席はライトフライでした。
ライトフライってことは、やっぱ狙ってたと思うけど!
試合は12回裏までかかって、鈴木大地が決めてくれました。
井口、この日、決めてくれたの大地だったの覚えてるか…

セレモニーも終始笑顔で見つめていました。
井口には、光降り注ぐ喜びの舞台が用意されているんだな…。
サブローを、井口政権下で、納得いく形で見送りたかった…と
よぎったりもしました。思っても詮無いことだけど。
笑顔のセレモニーが終わったころには、すっかり夜になって
いました。この日の私の写真は弾けるような笑顔ばかりです。

井口が6月で早々に引退を表明してくれたのも、井口ファンに
対しては本当に良い選択だったと思います。
「ダイエーの井口忠仁」のファンをはじめ、多くの人たちが
井口を見送れて本当に良かった。井口、いい引退したな!

この日に配られた井口の「6」の紙プレートは、大事に
持ち帰って何度か使いました。まだ捨ててないよ!
なお、サブロー引退時の紙プレートも、いつか使う日のために
大事に取ってあります。サブロー、ずっと待ってます!

          *

2018年10月7日(日)は根元俊一の引退試合。
この日もちゃっかり見送りに行きました。
不遇な部分もあって大活躍はできなかったけど、チーム貢献度も
高く、いい選手でした。
でも選手の格としては一段落ちちゃうのでさらっと触れるのみで。
(愛情とは別に、選手の実績については超ドライなので…)

          *

2018年10月8日(月・祝)は岡田幸文の引退試合。
岡田は本当にロッテらしい、いい選手でした。
岡田を全国区の選手にした「東京ドーム美技3連発」は一人で
現地で見ていました。でも、外野席だったので見えづらかった…。
岡田のファインプレーに救われて、球場で何度「おかだぁぁ~」
と叫んだだろう。
そして2010年の日本シリーズ決勝打も懐かしい。テレビで
見ていて胃が壊れそうな緊張感の果てに訪れた歓喜。あの打席、
岡田がへぼへぼな打球を打って「ああ~、やっちゃった~」と
くずおれそうになったら幸いファウルで、その何球か後にあの
決勝打が生まれたっけ。
いろんな思い出がよみがえる一日でした。

この日は、試合前に福浦和也の2000本安打記念セレモニーが
ありました。名球会のブレザーも授与されて、笑顔で拍手!
でも、斎藤雅樹がもらえないブレザーを、打者は容易にもらえる
もんだな、というのもちょびっとありました。

さて、岡田は「一番、センター」で試合開始!
野手の連続打席無安打記録が近づく岡田。ここで打てばなんとか
記録2位で済む。記録保持者にならないために、打ってくれ!
1回裏、岡田の打球は内野フライ。これで58打席連続無安打。
野手の連続打席無安打タイ記録となってしまいました。
岡田…やっぱダメか~。ダメなのか~。
こんなドラマが仕込まれた引退試合もなかなかないぜ!
次こそ、次こそヒットを打ってくれ! 記録を更新するなよ!

試合は3回表でハイ終了~。ノーゲームになったとかじゃなく、
だってデスパイネに1回表にツーラン、3回表にスリーランを
打たれて0-5になっちゃったんだもん。デスパぁ~~~!!
球場全体が「でもまあ、岡田のヒットさえ見られればいいや」
みたいな空気になっていくのを感じました。

3回裏、またもや岡田に打席が回ります。
ここで打てばタイ記録で止まる。記録を更新するな、岡田!
と思いつつ「せっかくだから連続打席無安打記録を打ち立てて
引退するのもアリかも…」とも思いました。
そしたら、岡田のバットが見事にボールを捕えた!!
勢いよく外野を目指して伸びていく打球。やったああああ!!
球場が歓喜に沸き、全員が打球の行方を目で追う――
「バシッ」 へっ?
……白球は、宙に跳んだショート高田のミットに納まりました。
超~ファインプレー。一瞬静まり返る中、高田が着地して、
「ギャア~!」という濁った悲鳴が球場に響き渡りました。
高田のファインプレーにより、岡田は59連続打席無安打となり、
見事、野手のプロ野球記録を更新しました。
「空気読め~~!」と私も叫びましたが、そこはご愛嬌。
選手が全力でプレーしなければ記録に意味なんてない。
高田が空気を読んでヒットにしてくれて新記録を免れたんじゃ
ダメなんだ。そんなの、記録にも記憶にも残らない。
だから、結果には納得したうえで、あえて我々は叫ぶのです。
「空気読め~!」「なにすんだ~!」「高田のアホ―!」
結果が出る前に「空気読め」と叫ぶ人はともかく、結果が出て
からのブーイングや叫びは、ただの「ツッコミ」なのです。

こうして歴史に名を刻んだことで、岡田のドラマは終わり…
と、思うでしょう?
しかし、岡田の引退試合はここからがドラマでした。

5回裏、岡田幸文第3打席、…レフト前ヒット!
7回裏、岡田幸文第4打席、…センター前ヒット!
9回裏、岡田幸文第5打席、…ライト前ヒット!

歴史に名を残したうえに、その直後から全方向に打って猛打賞!
なんだ、この胸アツのドラマ。さらに9回裏には盗塁も記録!
(ただ、この盗塁はホークスのサービスでしたが)
でも「高田、ホッとしただろうな~」と思って、ふふっと笑って
しまいました。「やっちゃった…」って顔してたからな。
いいんだよ、全力でプレーしてくれてありがとう。お陰で岡田が
歴史に名を刻めたし、かえって稀有で感動的な結果になったよ。

2011年、シーズン359連続守備機会無失策で特別表彰。
2011年、2012年に2年連続ゴールデングラブ賞受賞。
連続打席生涯無本塁打記録(初打席からの記録)は、この日、
2501打席まで伸ばして野球人生を終えました。
そして59連続打席無安打は野手の日本記録なのに、それを
樹立しちゃった引退試合その日に猛打賞も記録。
岡田幸文…ロッテらしくもあり、本当に素敵な一流選手です。

岡田の引退セレモニーには紙ふぶきや紙テープはなし。
一応球団的にも選手の格付けはあるんだよね。
なお、セレモニーの後(だっけか)に、バック宙もやってくれ
ました。その身体能力、まだまだプレーできるのでは…とも
思いましたが、また50打席以上凡退されたら困るから(笑)、
涙を流しつつも、笑顔で岡田を見送りました。

          *

そして、2019年9月23日(月・祝)福浦和也の引退試合に
ついては当ブログ別記事「福浦引退試合への挑戦」参照です。

サブローの引退試合の際は母が救急搬送されましたが、福浦の
時は私自身が大病で入院しました。
病院で、リハビリ担当の先生が私の持ち物にすぐ反応したので
変だと思ったら、「夫がロッテファン」とのこと…
「退院後にやりたいことはありますか? 何か目標意識を持って
やったほうが、意欲もわくし継続できると思うので…」
「こんなこと言ったら叱られそうですが、9月23日がロッテの
福浦っていう大事な選手の引退試合で…」
「あっ、福浦選手わかります、夫がよく話してるので」
「チケット確保してあるので、なんとかその試合に行けたらって
思ってます。野球観戦どころじゃない状態ですけどね」
「いいじゃないですか、目指しましょうよ、試合観戦!」

…まあ、そのために必死で頑張ったというより、もともとの
体力と筋力が強かったからリハビリ的にはすぐ結果を出せて、
内科的にはともかく外科的には問題なく観戦に行けたんだけど。
リハビリの先生は野球観戦に行ったことがないそうで、頑張れば
行けるイメージで語っていたと思うけど、実際には片道2時間
かけて行ったうえに、引退試合だとセレモニーがあるから、
ふきっさらしに5時間とか座ってる騒ぎになるのよね。
今思い返すと、あの状態の患者が行くのは無謀すぎたよ!
ほんとに無茶して倒れなくてよかった。

今、ロッテの選手で「絶対に引退試合に行かなければ!」と
思える人はいないかな…(田村はもっと実績を積むべし)
ヤクルト石川雅規投手が引退する時が来たら、命と引き換えても
行きたいけど、最近の神宮のチケットの取りづらさを考えると
難しいかもしれません。見送れない覚悟はしておきます。
とにかく、長いロッテファン人生において、ボビー、小宮山、
里崎、サブロー、井口、岡田、福浦というそうそうたる面々を
見送ることができたのは幸せでした。
川崎球場最終年も観戦に行けたし、私は本当に幸福で幸運な
ロッテファンだと思います。ロッテ球団フォーエバー!

引退試合という幸福~マリンで流した涙を数えて~(前編)

2020-05-17 21:57:57 | プロ野球
プロ野球選手の引退試合を見に行くというのはいいものです。
その選手が引退試合をやってもらえるほど活躍し、愛されたと
いうことも大事。そして、その試合にファンがちゃんと見送りに
行けるということも大事。
生涯最愛の選手の引退試合がまともに開催されなかったうえに、
その試合に行くチャンスも与えられなかった私にとって、引退と
いう淋しい場面ではあっても、引退試合というのは幸せの最高の
形の一つだと思うのです。

私が人生で初めて引退試合・勇退試合に行ったのは、2009年、
ボビー・バレンタイン勇退と小宮山悟引退の試合でした。

2009年10月6日、千葉ロッテマリーンズ本拠地最終戦。
その日は退任するボビー・バレンタイン監督への感謝イベントと、
共にユニフォームを脱ぐ小宮山悟投手の引退セレモニーが
ありました。
本当は仕事がてんこもりでそれどころではなかったけれど、
無理して有給休暇にして仕事を必要最小限で切り上げ、SS席の
チケットを握り締めて、夫婦そろって海浜幕張に向かいました。
天気は涙雨…。まずは現地ホテルにチェックイン。セレモニーが
夜の何時までかかってもいいように、現地泊です。
それからスタジアムへ行き、水浸しになったバックネット裏の
1塁側寄りの座席に座り、ビニールポンチョを着込みました。
なお、小宮山引退記念グッズは試合開始前に売り切れていました。
試合はロッテが追いついて2-2のまま進み、8回2アウトから
ロッテが連打で3点を勝ち越して9回を迎えました。
9回、いつ小宮山が出てくるかという期待と緊張感にざわめく中、
2アウトまでをシコースキーが投げ、とうとう小宮山が最後の
アウトを取りに登場。
ボビーが自らマウンドで小宮山を待ち、ボールを手渡しました。
けれど、シコースキーが残したランナーが2塁に…。
タイムリーは許容として、ホームランが出ると一気に1点差…。
2発打たれたら同点…。だがそれはつまり、ここを抑えたら
小宮山にセーブがつくという場面でもあるのでした。
ここで小宮山がセーブを記録すると最年長セーブ記録達成です!!
最高のエンディングへの期待と、最悪のシナリオへの不安が
交錯する…。結末やいかに!?

初球をいきなりズガーンと飛ばすセギノール。
ノー! ソッコー被弾かああ!? 球場にほとばしる悲鳴!!
だが、深く守っていたライト・サブローがフェンス際でガッチリ
捕球。ゲームセット! 小宮山に最年長セーブ記録がついた!
小宮山、ベンチを出てきたボビーと抱き合う…。超泣き!!
そして始まる小宮山引退セレモニー。すばらしきかなSS席、
ほとんど真正面でセレモニーを見ることができた。SS席を選択
してチケットを手配してくれたダンナに感謝。
雨でビショビショ、ポンチョも貫通してあちこち服が湿っていて、
ポンチョの中には上着、ネックウォーマーと厚着して、厳しい
寒さに耐え続けました!

涙声で「コミー!」と連呼した後は、ボビーの退団セレモニー。
ありがとうボビー、あなたはロッテを暗黒から光り輝く世界へと
引き上げてくれた恩人です。
たどたどしい日本語で(スポーツ新聞各社は「流暢な」と書いて
いたが…苦笑)千葉ロッテを愛する詩を読むボビー。
「ライネンからハ、ボクハ、MARINESの、FAN、デス」
どうしてだ、いくら金になるからとはいえ、あんたはどうして
そんなに千葉を愛してくれるんだあ!と、千葉県民でもないのに
思っていました。もう、自分の顔を伝うしずくの、どれが涙で
どれが雨粒かわからないぜ…。

ボビーも小宮山も姿を消し、我々もホテルへと戻りました。
が……さっむ~~!! 体温下がりすぎ。慌てて湯船に湯を張り、
あったまって出たはずが、芯まで冷えすぎていてすぐまた体温が
下がる。それでまた湯船に浸かり、結局3度も入浴しました。
スポーツニュースをハシゴしたけど、日ハムが優勝を決めたので
(というか、ウチが楽天に勝った瞬間に優勝が決まった)、
ボビーと小宮山のセレモニーのことはテレビであまり取り上げて
もらえなかったのでした…。

1995年、ボビーがロッテを2位にした時の突然の熱狂。
ボビーが去った時の失望。
2004年にボビーが帰ってくると聞いて、「知っていたら、
私も成田に横断幕持って駆けつけたのに!」と叫んだあの日。
そして、2005年の歓喜の思い出と、明るく楽しそうな球団に
生まれ変わった今のチームの姿。
語り尽くせない、ボビーへの感謝の思いをこめて…、私のロッテ
ファンとしての一つの時代が終わった10月6日でした。

          *

そして、2014年はロッテ黄金期の正捕手・里崎智也の引退。

野球シーズン終了の頃にはいつも、「貯まったファンクラブの
ポイント使わなきゃ~」と騒ぐハメになるので、かなり早めに
「海浜幕張の定宿がバカ安で、日焼けしないナイター開催の土日」
を狙って9月28日(日)のナイターのチケットをポイントで
手に入れ、ホテルも取っておきました。
 
そうしたら、里崎智也の現役引退発表…。
引退試合は、なんと9月28日! チケットは狂乱の争奪戦に
なりましたが、その日のチケット、取ってあるよ…!!
しかも座席はライトスタンド。最後の応援、任せてくれ…!
外野席の客は事前に紙吹雪を作っていくよう告知がなされ、私も
指定された寸法に新聞紙や裏紙などを切って万全に支度しました。
 
そして当日、試合開始18時なのに昼前に千葉マリンに着いたら、
チケットの引き換えは14時からで、ホテルのチェックインも
14時…。それで、里崎引退記念グッズ販売の行列の後ろにつき、
2時間並びました。店に入れた時点で、里崎引退グッズは半分
くらいの品が完売。残っていたのでTシャツを2種買いました。
いったん駅前に戻ってホテルにチェックイン。
ダンナと合流して17時にホテルからまたマリンへと出発。
ライトスタンドの指定席につき、カバンから紙ふぶきを出して、
撒きやすいよう袋の中で揉んでスタンバイしました。

スタメン発表――「1番、DH、里崎」に大歓声。
もう泣きそうになる私。いや泣いたかも。
2005年も、2010年も、ロッテの栄光の場には貴方がいた。
第1回WBC、まだ日本中が「なんなの、その大会」でしか
なかった頃、日本を栄光に導いてくれたのも貴方だった。
里崎智也、私史上最高の捕手…
でも、里崎の2打席を見て、あきらめはつきました。里崎らしく
プロの打席に立つことはもうできないんだなと思いました。
試合途中で、応援団が箱にギッシリ入った大量の紙ふぶきを
各列に置いていきます。作りすぎだよ、逆に大丈夫か…と、
思った予想は当たります。

試合は勝ち、セレモニーはめちゃ泣き。タオルを口に当てて
おうおう嗚咽していました。
でも、この現場で、サトのいる空間で泣ける幸福よ。
そして「応援歌が流れたら、そのタイミングで紙ふぶきを」と
応援団から指示があり、とうとうその時がやってきました。
ひやーーーこりゃすごい。
前が全く見えない大量の紙ふぶき。後ろからも新聞紙の塊が
投げつけられて背中にじゃんじゃん打撃。
でも自分の袋からも撒く! 撒く!
里崎が全然見えない、紙ふぶきが多すぎる!
でも、この日にライトスタンドに席を占めることを許された
我々の、これがロッテファンとしての光栄なる務め。
手持ちがなくなっても、足下は膝まで紙ふぶきで埋まって
いるから、足下から拾っていくらでも撒き散らす。
「あ、サト、もうあっち行ってるよ!」
紙ふぶきに視界が奪われ、我々が姿を見られないなんて
皮肉だけど、でも最後に里崎にもらう側でなく与える側に
なれる幸福。
ロッテファンのドすげえ紙ふぶきが、歴史に残りますように!
後でネット動画で見たら、画面がぼやけるほど超絶大量の
紙ふぶきで笑っちゃいました。

終わった、それ清掃だ~! …と、取り掛かったらさあ大変。
掃除にも使おうと思っていた紙ふぶきを入れてきた袋がない!
周囲からも「○○柄の袋を見つけたら知らせてくださーい」
「タオル、これどなたのですか~」「あっ、私のバッグも
ないよ~!」と次々に悲鳴。…みんな、足下の紙ふぶきを
掬っては投げ続けて、いっしょくたにさまざまな持ち物を
投げてしまったのでした。
大量の紙ふぶきを片付けながら、物が発掘されては持ち主に
返されていきます。その騒動の中、「これから里崎選手の
ライブが開催されますので、皆さん球場の外のステージに
お集まりください」のアナウンス。ずる~い、我々外野席組、
まだこれ当分掃除だよ~。
でも「だったらライブ行く」と出て行く人はいませんでした。
全員が全力で紙ふぶき掃除を続けていました。
 
ライトスタンドが片付いても、次はグラウンド!
グラウンドも紙ふぶきが散りに散っていて、掃除は終わら
ない。里崎のライブはビジョンに映してくれるということで、
それを見るしかない。任務が優先だ!
なだれを打ってグラウンドへ移っていくライトスタンドの
面々。完全に「スタッフ」で、素晴らしいなと思いました。
グラウンドもほぼ掃除が済んだ頃、やっと里崎のライブが
始まりました。最初に「今、球場内を掃除してくれている
外野席の方々、ありがとう」って言ってくれたから、多分、
清掃終了を待って始めてくれたんだと思います。

そしてグラウンドに体操座りしてサトのライブ(笑)を
堪能。我々や皆の片隅に置かれたゴミ袋を応援団らしき人が
見つけて「回収します」と集めていきます。ライブ中も、
ライトスタンドやグラウンドのゴミ袋をひたすら球場外へ
運び続ける応援団に頭が下がりました。
里崎がライブを「終電までには終わります」って言ってた
けど(実際はそこまで遅くなかったけど)、やっぱり現地泊
最高だ~。でも、月曜はホテルから出勤するんだけど。
 
ライブも終わり、本当に里崎の姿が球場から消えて…
私とダンナはホテルへ撤収。
もう、やりきったから、笑顔でね!
ボビーの再来日した2004年から里崎の引退の2014年
まで11年、本当に楽しかった。
里崎とともにボビーの時代は本当に終わってしまったんだな
と感じつつ、次の魔法使いの降臨を待って眠りにつこうと
思いました。

また死ぬほど長くなっちゃうから、いったんこれで前編として
おきます。このあとサブロー、井口、岡田、福浦と続くので…。
よく毎回、引退試合のチケットとれたな!
いや、そこにはからくりがあるのですが…そのへんは次回に。

里崎(と田村)のトークショー

2020-05-05 16:34:43 | プロ野球
元ロッテの正捕手・里崎智也はトークが上手くて、スポーツ
関連の番組をはじめ、各所に引っ張りだこです。
現役選手のときにはディナーショーまでやったという…。
キャッチャーとしても好きだし、野球理論などもいろいろ
共感できる部分が多いので、これまで何度か里崎のトーク
ショー的なものに参加しています。

私は野球選手についてグラウンドの上の結果以外は興味が
ありません。でも、引退した選手が現役時代や野球全般の
ことを語るならそこそこ興味があります。
里崎が「ほろ酔い里崎智也のプロ野球語り呑み」という
トークイベントをやっていて、2017年7月20日(木)
のゲストが元中日・立浪和義だというので、行ってみることに
しました。

中日全然興味ないのになぜ立浪?
実は立浪氏には仕事でまとまった期間、取材する機会が
あったのです。(私はアシスタントみたいなものでしたが)
ネット上でいろいろ言われている立浪氏ですが、実際に
関わってみると、礼儀正しく真面目で紳士で、誤解のしようも
ないくらい立派な人です。
取材させていただく側の配慮として「何か買ってくるものが
ありますか」と問えば、立浪氏は「じゃあレッドブルを…」と
遠慮なく頼んできましたが(そしていつもレッドブル、笑)、
そのくらいしかツッコミようがないくらい、礼儀正しさの
極みのような人でした。
周囲に気を配り、私のような下っ端にも丁寧に対応してくれる、
本当に野球が好きで「良きPL学園の教え」を実践する人…
ですが、唯一、女性がカンチガイしそうな天然ボケをやる人
だな、というのは思いました。本人は全然そんな気ないのに、
女性が「あら?(ドキドキ)」になっちゃうような、ちょっと
ズレた親切をやるなー…って。
とにかく、そうした経験から立浪氏に敬意と親しみがあった
ので、立浪ゲストの時に行くことにしたわけです。
なお、個人的な関わり以外の部分では立浪は敬称略です。
私は野球選手を、神たる斎藤雅樹ですら「斎藤」と言うので。

「ほろ酔い里崎智也のプロ野球語り呑み」は、平日開催ですが
19時開場の20時開演という、会社員向けの時間帯です。
そのへんも里崎がよくわかってくれてるよなー!
定時が一般よりちょっと遅めの私も、定時ダッシュで19時
すぎには会場の渋谷「東京カルチャーカルチャー」に到着
できました。
来ている人の大半が好きなチームのユニフォームやTシャツ
を身に着けている、濃い集会でした。私もロッテのビジター
ユニフォームを着用したうえに、里崎引退時に配られた
里崎の顔写真うちわを持参していたので、濃さで言ったら
かなりのものだと思うけど。
チケット購入時に整理券番号がついていて、その番号で席が
割り振られているので、酒やつまみを注文して席につきます。
お客さんは全部で60人前後ってところかな。
見回して驚いたのは、12球団のファンが集っていること。
ロッテファンだらけとか、今回は立浪だから中日ファンも
まざっているとか、そんなもんだと思っていたら、もちろん
ロッテファンと中日ファンが多いんだけど、12球団全部の
ファンが揃っていました。

時間になると、客席横のカーテンから里崎と立浪が出てきて、
すぐそばを通ってステージの上にあがります。
トークショーでは野球関連の話に終始。ガチの野球ファン
ばかり来ている理由がよくわかります。
立浪の話は、取材時に聞いた逸話などもあって微笑。
また、里崎が「ここだけの話」として球界の暴露話をして
「広まったらもうこういう会ができなくなるから、絶対、
公開しないように」と注意したりするんだけど、実際本当に
そのへんの話が今もってどこを見ても知られていないようで、
そこに集う野球ファンの野球愛と、里崎の「場の加減を計る」
技量を感じる本当に良いトークショーでした。

そして、この場を借りて、私は伏して謝罪をしたいと思います。
この時「立浪さんに関するクイズに全問正解した人には、
僕(里崎)と立浪さんの連名の直筆サイン色紙をプレゼント」
という催しがあったのですが…
クイズの内容、取材の時に聞いた内容がたくさんあったため、
全問正解の10名に私も入ってしまいました…
一種の「関係者」が優位に立つのはずるいよねえ。
もしも最後に「正解者は現時点で11人」などのしかるべき
状況になったら名乗り出て、色紙を辞退しようと思っていたの
ですが…
うまいこと、ピッタリ10人だったので、かえってそういう
余計なことを言い出すとイベントが混乱すると思って、黙って
色紙を有難く受け取ってまいりました。
あの場にいて、色紙がすっごく欲しかった方、本当に申し訳
ありません。色紙、超~大切にするのでご容赦ください。

実は最後に色紙をもらいに前に出た時、立浪が遠目に「なんか
この人見たことある??」という顔で私を見ていたような気が
しました。気のせいかもだけど。
もうこの時は取材から5年以上が経っていたし、取材当時私は
下っ端でしかなかったから、記憶にひっかかることはあっても、
「覚えて」はいなかったでしょう。
さらに、当時の立浪には私が斎藤雅樹の大ファン(つまり
傍目には巨人ファン)と伝わっていたので、この日の「全身
ロッテの服装でロッテOBのイベントに来ている人」という
私が「あの時のあのスタッフ」と気づくことはないでしょう。
それでも、ちょっと「知ってるような?」と思ってくれたん
だといいなー。色紙もらっちゃってほんとにゴメン。
当時、立浪が取材に対して「逆に得意だったのは斎藤雅樹さん
ですね」と答えた瞬間にピーンと表情が張り詰めた私。
同席の部長が笑って「この子、斎藤雅樹の熱狂的ファンなん
ですよ」と言ったら、立浪は妙~にうれしそうな笑顔になって
「それはすみません、よう打たせてもらいました」と答えた…
そんな思い出が去来する、立浪との再会でした。

最後、参加者全員で里崎と立浪を囲んで記念撮影をして終わり。
すっごく楽しかったので、「今度はロッテの選手がゲストの
時にでも、また行こう」と、一緒に行ったダンナと帰り道でも
盛り上がりました。

…というわけで12月21日(木)、同じ会場で開催された、
元ロッテ渡辺俊介がゲストの「ほろ酔い里崎智也のプロ野球語り
呑み」にも行きました。
元ロッテ選手同士のトークショーなので、前回よりは客の
ロッテファン比率が高かったと思いますが、やっぱり他球団の
ファンも多数来ていました。
トークの内容も「ロッテ関係者の内輪受け」になることなく、
客席の常連さんとの「いつも~だよね」みたいな掛け合いも
ちゃんとみんなにわかるように話が振られていて、こういう
ところが里崎の引退後の人気の秘密なんだろうと思いました。
個人的には「久しぶりに俊介見たわ~」としみじみ。
でも、立浪のスマートなかっこよさ、里崎のエネルギッシュさ
に対して、俊介は「枯れた一般人」みたいになっててちょっと
笑っちゃった。まあ、ロッテOBなのに「人前に出るモード」
を維持できる境遇にいられる里崎の才能が特殊なだけだけど。

そしてなんと、その翌々日、12月23日(土・祝)には
「里崎智也×田村龍弘 夢のトークショー」に行きました!
里崎と田村! 新旧背番号22、ロッテの元正捕手と現正捕手!
我が敬愛する者同士の、まさに「夢の」トークショーです。
これは「東京インテリア幕張店」の「東京西川」が開催者。
会場は、はるかかなた「新習志野駅」です。
(まあ、海浜幕張駅の千葉マリンスタジアムに通ってる分際で、
新習志野を「遠い」とか「かなた」とか言うのもナンだけどね)

千葉の客寄せイベントでもあるので、トークショーを見るのは
無料なのですが、「幕張店で東京西川の商品を~~円以上
お買い上げの先着50名様には、2人と一緒に写真を撮った
うえにサイン色紙がもらえる整理券をさしあげます」という
スペシャルな特典が!!!!!
その告知を球団HPかなんかで知った我が家はパニック。
「超~行きたい~、里崎と田村だよ、でも東京インテリアの
幕張店ってどこやねん、知らんわ~」とわめいて暴れる私。
「買い物に行って、整理券もらってくるよ」となだめるダンナ。
「たった50名様なんて、どうせ千葉県民で整理券ソッコー
うまるわ~、東京のロッテファンは虐げられてるんじゃー」と
勝手に悲観してますます荒れる私。
数日後、会社の昼休みにPHSに連絡が入り…
「買うのは枕でいい?」…なんのこと?
「他のものは高くて無理だから、1万〇千円の枕を買うしか
なくて、それだったら整理券が2人分もらえるから」
なんと、ダンナは東京インテリアの西川に電話して「今から
買いに行っても整理券は間に合いますか」と確認したうえ、
たった一人で新習志野に整理券を得るための買い物に行って
くれていたのでした。わけのわからん伴侶のために、ほんとに
いつも可哀そう…。
だが、私はというと、「告知から何日も経ってるのに、まだ
50名の整理券がはけてないなんて、主催者がロッテの選手に
ガッカリしているんじゃなかろうか」なんてことにくよくよ
しはじめるのでした。ほんとに面倒くさい性格だな!

枕1つだけをぶら下げて帰ってきたダンナがゲットしたのは
41番と42番の整理券。もっと後でも間に合ったんか!
それでも、ほんとにほんとに有難く、23日当日を迎えました。
新習志野駅まで2時間前後かかる! 車での来店をメインに
想定してる店だから、駅からも歩くと遠い!
こんな距離を、私のためにダンナは頑張ってくれたのか…
感動にむせびつつ「てゆうかダンナアホか、いやアホは私か」
とツッコミながら会場に到着。整理券を持っている客のために
ずらっとパイプ椅子が並べられている。よしよし…
この日の私は、勤め先が観戦チケット購入特典として私に
与えてくれた「TAMURA22」の青いユニフォームを
着用して、例の里崎うちわを持参。
だが「野球呑み」の時とは違って、ユニフォームを着ている
アホは圧倒的に少ない。「トークショーまではユニフォーム
脱いでたら…」と気まずそうに問いかけるダンナに「嫌だ。」
と堂々と答え、トークショー会場周辺に展示されたロッテの
展示物などを見て時間をつぶしました。

そして、選ばれし整理券持参者がロープの中の席に誘導されて
トークショー開始。
やだ~こんな近くで生田村見るのとか超うれしい~。
しかし、里崎を前にすると田村が「借りてきた猫」だったのが
超おかしかった。球団越しだったのかもしれないけど、
田村「背番号22ください」里崎「もっと打たないとダメ」
なんてやりとりが報道の片隅から窺えて、田村はもっと
図々しいくらい先輩にもいろいろ言える人なのかと思ったら…。
とにかく里崎のワンマンショーにアシスタントの田村が時々
話題を振られるみたいな感じになっちゃって笑った。

しかも、田村が背番号22を襲名したのは2016年オフで、
この2017年12月は、背番号22で1年をプレーした後
だったんだけど、里崎から田村にこんな質問が!
「全然怒ってないから普通に答えてほしいんだけど、あれだけ
22番ほしい~とかください~とか言ってて、なんで去年、
22番つけられることになった時に俺に一言もなかったの?」
…ああ、そりゃ~田村が悪い。ほんとに大失敗。
田村って、わりと人とコミュニケーション取るのマメらしいん
だけど、ほんとになんでこれをやっちゃったんだろう。
里崎は「ほんとに怒ってるとかじゃないんだよ」というのを
わかってもらおうとして明るい口調と笑顔で聞いているん
だけど、田村が凍りついてガッチガチ。
「ほんとに怒ってないから、なんでかな~って興味があるだけ
だから気楽に答えてよ」と問いかける里崎に、いったい田村が
どう答えたのか、それも覚えていないくらいに答えにならない
田村の姿が印象的でした。
田村、舞台裏で土下座して詫びとけよ。
要らないのに背番号が来ちゃっても、その番号を背負った
先輩がビッグな存在だったらそれなりに挨拶するもんだろ。
ましてや、自分が「22」を意味のある番号として、サトの
後釜を襲名したくてアピールしてたんだからな!

そんな爆笑・失笑トークの後は整理券を持ってる人たちだけの
スペシャルタイム!
事前に色紙に書き入れる名前を主催者に訊かれていたんだけど、
説明を受けたり誘導されたりする我々を背に、里崎と田村が
一生懸命受け取る人の名前を色紙に書き込んでいる。
里崎には悪いけど、ここはもう田村をガチ見。
やがて順に案内され、とうとう我々夫婦も壇上へ。
色紙を恭しく受け取り、里崎と握手。「先日の『語り呑み』も
行きました」と言ったら「ありがとう!」と言ってくれました。
田村と握手したときに何を言ったかは全然覚えてない。
大好きな人の前ではいつも真っ白になっちゃうんだよね。
里崎すまん。サトをディスっているわけではない。
そして、左から 田村→私→ダンナ→里崎 という並びで
写真を撮ってもらいました。
私が全身全霊をかけて田村の隣に写ろうと神経を尖らせて
ポジションを取ったことを誰も知らない…か、待機列からも
見て取れたか…どっちでしょうね?

さいわい50枚の整理券は全部はけたようで、椅子は50席
用意されていたんだけど、色紙も多分50枚サインして用意
してあったと思います。最後、これが何枚も余っていた様子が
あって、もったいないな~と思いつつ会場を後にしました。
だってさ、私とダンナで行ったら色紙に入れる名前を連名に
して、もらうのを「2人で1枚」にしないと、なんか申し訳
ないじゃない? そういう夫婦や親子が何組もいたと思う。
そうすると、50枚全部は使われないんだよね。
残ったら、主催者や里崎、田村はガッカリしないだろうか…。
変なところを気にしつつも、「田村と握手した~、一緒に
写真にも写った~」と、半分宙に浮いたまま帰ってゆく私
だったのでした。(本当に里崎すまん、あんたも好きやけん!)

なお、この時の4人で撮った写真ですが…
2018年の年賀状には間に合わなかったので、翌年の年賀状
(の、私一人版)において、トリミングして、田村と私の
ツーショット写真に見せかけて使いました。
ダンナと里崎、切り落としちゃってごめんな。
でも年賀状もらった人も、ロッテ田村とか知らないよね~。

それと、東京西川の1万ウン千円の枕は、私が安らかに毎日
使用しております。ダンナの枕は2千円です。

まあとにかくそんなわけで、プロ野球ファンであるという
ことは、それ以外にも実はいろんな楽しみがあるんですな。
私は基本、球場で試合を見る以外はどうでもいいんだけど…
たまにはこういうイベントに参加してみるのもいいもんだね!

田村龍弘に惚れた(あと、ちょっと柿沼)

2020-04-16 22:05:43 | プロ野球
とうとう勇気を出して、「田村愛」を語ってみることにする。

私は「ピッチャー好き」の野球ファンである。
人や異性では「地味で目立たない器用貧乏な人」が好きなので、
野球の花形である「投手」が好きというのは私の中では意外だが
実は「エースとして活躍している割には地味な人」が好きという
一貫性がある。
だから元巨人の斎藤雅樹とヤクルトの石川雅規が好きなことに
特に理由を必要とはしない。

じゃあなんで、ロッテでは捕手の田村龍弘に走ったのか?

私はボビー(バレンタイン元監督)信者であり、その流れもあって、
元ロッテの正捕手・里崎智也を崇拝してもいる。
里崎のリードは投手を楽にしつつノセていける、ある特徴を持っている。
が、案外世間でその特徴が語られないので、今後の里崎の現場復帰の
際に足を引っ張らないよう、ここでは詳しくは語らない。
とにかく、サトのリードは投手が楽になり、ノッていける組み立てが
基本になっていて、私はそこを高く評価している。
つまり私は、投手が好きであるがゆえに「投手を楽にしてくれる捕手」
が大好きなのだ。

里崎が引退したとき「これで当分ロッテは優勝にふさわしい捕手は
出てこないな」と思った。
が…まさかの、田村龍弘の台頭であった。

江村、吉田が重用されていた中、彼らが戦列を離れてからやっとこ、
穴埋めのような形でメインに使われるようになったのが田村。
だが、田村になった途端、試合が落ち着いた。力不足の捕手が
仕切ってわちゃわちゃする「新人所帯な不安定感」が消えた。
さらに、田村が仕切る試合は実際、勝てた。
以降、田村は正捕手として扱われるようになる。

当時の田村は「いろいろな人に話を聞いて勉強した」と言っていた。
つまり、自分でのし上がってきたということだ。
里崎が田村に何かを教えたかどうかはわからない。当時、もしも
田村が「里崎さんに教えてもらった」と言えば冷遇されるような
環境だったので、もしそうでもそうは言わなかっただろう。
とにかく、田村のリードは里崎の「あの特徴」を引き継いでいた。
投手が楽になり、ノッていけるリード。今はそこにさらに何重もの
応用を加えなければならず、目立たなくはなったが、初期の田村の
リードは実に里崎っぽかった。
クレバーな田村が自分で盗んだのか、里崎に正面から聞いたのか、
あるいは無意識に感じ取って実践したか、それはわからないが、
私にとってはまさに里崎の再来だった。

だが、それ以上に私を魅了したのは田村の野球脳の能力の高さ。
「脊髄で野球ができる」選手――つまり、「脊髄反射の速さで、
一番正しい判断をしつつ適切に対処できる」という天性の能力を持つ
選手がいる。私はそういう選手を最高に尊敬する。
田村はその能力を持っていた。
試合でとにかく目配りができている。「あれっ、何?」という送球を
突然したと思ったらランナーが飛び出している。投げてはいけない
時には反射的に投げかけたところでしっかり動作が止まる。
何をやるにも素早く、こっちの脳がついていけない。
「うぉ、こいつ、脊髄で野球ができる奴じゃん」
そして試合中、打球に合わせてちょこまかちょこまか、あちこちに
走っている。随時、とにかく何かに準備し、対応し続けている。
「いや~これは、二十代前半なのに、すごいプロの捕手だわ…」

この時点ではまだ、評価は最高に高かったが「好きな選手」に
数えるまでの好きではなかった。

私が決定的に打ちのめされたのは、もはやいつのことだったか忘れたが、
ある日の本塁クロスプレー。多分コリジョンルールが導入される前の
タッチプレーだったと思う。
本塁に突入するランナー、体勢を崩してタッチにいく田村。
クロスプレー、果たしてアウトかセーフか!?
私をはじめ、誰もが審判の判定に全身の神経を注いでいた時に、
田村はジャッジをまるで気にせずに別のランナーを刺そうと送球した。
「えっ! 判定は!?」
いや、実際は、本塁がアウトかセーフかを捕手が確認する必要はない。
もしそれがアウトならチェンジになる場面だとしても、もしセーフに
なったら次のアウトを取らなければならないのだから、ランナーが
走っていれば一刻も早くそこを刺すべきだろう。
でも、そんなのは理想論で、やっぱ気になるよね、本塁のジャッジ。
反射的に絶対、一瞬、ジャッジに意識が向かうよね。
それを田村は完全に無視できていた。こいつ本当にすごいと思った。
「四十何年野球見てきて、こんだけ野球脳高い捕手見たことない」

以来もう、田村しかいないと思った。ついていくしかない。

そしたらもー、盗塁も刺すわ刺すわ。
速くて強い「矢のような送球」では決してないのに、反応の速さで
次々刺していく。それでどんなに投手が助かるか。
危機一髪のところで田村が刺してピンチを脱出…なんてシビレる
展開も多々あった。かっこよすぎてそのたびに悶絶した。
2014、2015年は、2年続けて盗塁阻止率が4割を超えた。
盗塁阻止率は3割を超えれば十分で、4割超えは超一流。
2015年に至っては、なんと12球団イチの盗塁阻止率。
今はショートに入る藤岡のタッチがあまりに下手で、本当は
刺せているタイミングでもセーフになってしまう光景をよく見る。
実に残念だ。藤岡のタッチを指導できないコーチ・監督のせいで
田村の盗塁阻止率が下がってしまうのは悔しくてならない。
公に言うことはないが田村も悔しい思いをしているだろう。

ネットで調べ物をしていて、偶然田村の高校時代のインタビューを
見つけたので再生してみた。もう、その時から、語っている内容と
いうか心構えが、高校生のレベルをはるかに超えていた。
実は内野手としても使えるマルチな選手だが、田村を捕手で使わない
なんてナイな、と思った。
使える内野手は探せば普通にいるが、使える捕手はどんなに探しても
そうそう見つかるものじゃない。
その選ばれし者がロッテにいてくれるのだと思うと究極にうれしい。

そんなわけで、ずっと田村LOVEでロッテの野球を見続けている。

…が! ここのところ、ロッテの捕手の中では柿沼友哉が台頭して
きている。里崎の「ともや」の音と西武のMVP捕手・森くんの
「友哉」の字を持っているなんてちょっとズルい。
(なお、私は森くんを「捕手としては」大して評価していない)
今、ロッテファンの中では「正捕手田村、第二捕手柿沼」という
勢力図が定着していて、柿沼人気上昇中である。
正捕手は何かとしんどいところを請け負うために叩かれがちで、
新進の選手は美味しいとこ取りで称賛されがち。今「田村より
柿沼」とか言ってる奴は逆になってみたら実情がわかると思う。
私の田村への評価はかけらも揺らぐことはない。

とかいって私、柿沼も推しだったりする。
だって2016年、WBCの23歳以下大会「WBSC U-23
ワールドカップ」で、我が愛しの斎藤雅樹監督の下で正捕手として
活躍し、自チームの選手が一人も参戦していなくて不利な立場の
斎藤監督を世界一にしてくれたんだもん。厳しい試合で殊勲打も
打ってくれて、斎藤の世界一は柿沼なしにはありえなかった。
そういう「恩」の部分だけでなく、世界大会で1位の座に輝くと
いうのはやはり「能力」と「格」と「星」を持っているはずだ。
だから柿沼も期待してるし、応援している。

捕手は常に人材難。
田村龍弘と柿沼友哉がいるロッテは圧倒的に恵まれているはず。
でもFAで出ていかれてしまう危険があるので、実はこっそり、
田村の実力が球界で過小評価されていてほしいと思ってしまう。
田村~、1つのチームでずっと活躍するほうが絶対いいぞー。
てゆうかどこにも行かないで。
柿沼についても、実は斎藤雅樹が二軍監督をやっているとき、
「WBSCで力になってくれた柿沼がほしい、という話になって
トレードで取られたらどうしよう」と思っていたのだが、斎藤が
球界の現場を去ってしまったので、その点ではホッとした。
これからもずっと、田村がロッテの正捕手で、柿沼がその存在を
脅かすナンバーツーでいてほしい。
ロッテの正捕手・田村龍弘超~LOVE! 最高に応援してる!
(そして、あと、田村の次だけど柿沼もね!)