時代は変わったなあ、と心から思う。
前回のエッセイで、ロッテオリオンズと千葉ロッテマリーンズが
暗黒だった旨を書いたが、ファンが少なかった時代というのは
その当時を知る人が非常に少なくて、「不人気体験記」を書く人も
なかなかいないわけだ。
途中まで巨人ファンを兼ねていたうえに球場にもあまり行かなかった
私の体験記では不人気ぶりが伝わりづらいが、なんとか不遇な当時の
雰囲気を書いてみたいと思う。
私がロッテファンになったのは福岡在住時。周囲は巨人ファンと
西武ファンばかり。男の子たちは巨人と西武の野球帽か、町内会の
野球帽をかぶっていた。女の子で野球帽をかぶる子はいないので、
私は放課後に弟とその友達と一緒に「男の子遊び」をする時と、
弟とキャッチボールをする時と、家族旅行の時だけ、愛用のロッテ
オリオンズの帽子をかぶった。
だが、弟の友人に、私がロッテファンだと知っていた人はいない。
また、旅先で、弟の帽子を見て「巨人ファンだねー」と言う人は
いても、私に「ロッテファンなんだー」と言う人はいなかった。
まれに何か言われる時は、「それ、どこの帽子?」。
この状況は多分、ロッテオリオンズの野球帽をかぶっていても、
プロ野球チームの帽子だと気づいてもらえていなかった可能性が高い。
東京に戻ってきた中学時代、さすがに中学生女子で野球帽をかぶって
いるのは変な子すぎるので帽子はお蔵入り。
高校では周囲の巨人ファンを探し出して野球の話に盛り上がった。
クラスに2人(男1女1)、部活(漫研)に2人(男1女1)、
巨人ファンがいた。…ってロッテの話じゃないの!?
いつも「好きなプロ野球チームは巨人とロッテ」って自己紹介して
るんだけど、ロッテに関する思い出は皆無。漫研のコピー誌に、
ロッテオリオンズのにせ広告を勝手に描いた、ってことくらい。
なお、当時好きな選手は愛甲猛。そして、キャッチャーをやって、
立膝で一塁ランナーを牽制で刺したのでディアズも気に入った!
でも彼らの活躍は新聞の片隅の「打数・安打・打点…」というあの
一覧表と試合の得点経過表でしか見られなかった。(今以上にパ・
リーグは冷遇されていて、試合展開の説明文すらなかった)
毎日テレビのスポーツニュースを見るけれど、パ・リーグはほぼ
スルーなうえにロッテは「その他の結果」で得点表示のみ。
「プロ野球珍プレー好プレー」ではガラガラの川崎球場がネタになる
ものの、ロッテの選手のプレーはなかなか取り上げられない。あ、
上記のディアズの立膝で一塁ランナーを刺した場面は、「珍プレー
好プレー」で見られてよかった。
高校時代、あの「10.19」があったのに、「ロッテの優勝が
かかっているわけじゃないし」と興味を持たなかったのは失敗した。
(実は結果としてテレビで中継されてたことはずっと後で知った)
めったにない、ロッテの大きく関わった国民的行事だったのに…!
なお、「10.19」を話題にしていた野球ファンは周囲にいない。
家庭内にも野球ファンが自分以外に3人いたのに、家でも学校でも
「10.19」に限らずパ・リーグの話なんてまるっきり出なかった。
とにかく、ロッテファンであろうとしても、周囲にまるっきり
ロッテという球団が存在しないような状態だった。
つまり、真の不人気球団とは、不人気を実感することすらできず、
ファンでさえ「その球団が存在しない世界」を生きることを余儀なく
されるのだ――。
大学に入ると、衝撃の出来事が!
大学の漫研の先輩に、ロッテオリオンズのファンがいたのである!
彼は川崎在住。地元ガチやないですか!
そうとは知らずに入部して自己紹介に「巨人とロッテのファン」と
書いた私に、その先輩がかけてきた言葉は…
「実は俺、ロッテファン。…でも、なんでキミ、ロッテファンなの?」
顔には「意味がわからない」と書いてある。あんたもファンやんか!
もちろん「川崎市民でもないのになぜロッテファンなのか」という
ことなんだろうけど!
私、巨人ファン時代に「なぜ巨人ファンなのか」って聞かれたことは
1回もないのに、「なんでロッテファン?」って訊かれた回数は
数知れず。それも「なぜ、よりによってロッテ?」というニュアンス
をこめて、怪訝な顔で訊かれるのが常。
もちろん先輩には「野球帽をかぶっていて洗脳された」と答えて、
「まさか自分以外にロッテファンがいるとは!」と互いに驚き合った。
とはいえ、野球ファンはTPOをわきまえている人が多いもので、
私もこの先輩も、漫画の愛好団体であるサークルに野球話を持ち込む
ようなことはなく、ロッテの話はほとんどしなかった。
この大学入学年は、私のロッテオリオンズファン最高潮の年だった。
自分以外のロッテファンに初めて出会えたのみならず、なんとあの
川崎球場に乗り込んだのである!
でも、一緒に行った人が巨人ファンというのが…。
高校時代のクラスメイトに2人いた巨人ファンの、男のほうが
偶然同じ大学に進学していてびっくり。高校時代から彼の見た目が
すっごい好みだったので、頑張って割と親しいところまでいけた。
彼との定番の冗談が「川崎球場のロッテ×ダイエー」。当時、
もちろんロッテは低迷球団、ダイエーもBクラス常連の低迷球団。
この前年にはロッテを押しのけてダイエーがパの最下位だった。
私がロッテファンも兼ねているので、純粋な巨人ファンの彼に
「じゃあ川崎球場のロッテ対ダイエー行こうよ!」と振って、
彼が「やだよ! そんな試合!」と返すのがお約束。
セの王者である人気球団のファンが、なんでパの最下位争いを見に
行くのか!? という「バカネタ」だった。
でもある時「いいよ、行こうよ」ということになって、私は人生で
初めて自分でチケットを買って野球場を訪れた。子供のころの
後楽園球場以来かな。
球場慣れしていないので、川崎球場を特にぼろっちいとは思わず、
チケットを買ってライトスタンドへ上がった。
いやあ、あの風景は独特だったなあ。見渡す限り空席というか。
もうとにかくガラガラで、逆にどこに座ろうか迷う。前方上方に
応援団がいて、そこ以外はどこでも座り放題だった。
全方位に誰もいないエリアに座って見渡すと、内野席は応援団も
いないためほんとにガラッガラ。試合開始直前に球場入りしたのに
「試合開始の3時間前」って感じ。
試合は、愛甲が9回裏に起死回生の同点ホームランを放つ!
愛甲好きなので超嬉しい! そして誰かがサヨナラホームランを
打って試合は勝った。(後日これが堀だったことを知る。ロッテの
新人はなかなか覚える機会がないので堀幸一を認識してなかった)
実際に行った印象として川崎球場は古いだけでそうひどくなかった。
多分私がトイレとか行かず、外野席と最短の通路しか見なかった
からだと思うけど。食べ物も、男へのアピールとしてお弁当作って
行ったから売店にも行かなかったし。今思えば川崎球場を隅々まで
見ればよかった。野球より男目当てだったのが悔やまれる!
ライトスタンド全景が目に入った瞬間の光景は忘れられない。
応援団をあまりジロジロ見たら気の毒な感じがするくらいすいて
いて、広大な前方の灰色と右上方の青緑色が印象的だった。
ロッテが千葉に移転するとき、正直、ついていくかどうか迷った。
オリオンズという呼称に愛着もあったし、周囲に存在感がまるで
なかったからロッテファンをやめても生活に何の変化も起こらない
ことはわかってたし。
でも、やっぱり新聞のスポーツ欄のロッテが気になるので、ロッテ
ファンはやめなかった。なお、大学のロッテファンの先輩はもう
卒業していたので、仲間は一人もいなくなっていた。
マリンスタジアムにロッテ×巨人(オープン戦)を見に行ったりも
したが、毎年、ロッテの順位は気にならなかった。5位か6位と
思っていれば間違いなかった。(4位になれば大満足)
ファンが順位にまったく興味を持たないというのもすごい。
ただ、当時同じく弱小球団だった福岡ダイエーホークスとは、
劇的(悲劇的?)なドタバタ試合が多くて、対ダイエー戦の新聞の
スコアは毎回熱心に見ていた。
しかし、巨人がFA乱獲に走っていくと共にプロ野球から目を
そらすようになり、ロッテの情報に接することもなくなっていった。
1995年に2位になった時だけ一瞬フィーバーしたけど、監督が
ソッコー解任されたことでガッカリして、ロッテももういいや、と
いう気分になってプロ野球全体から離れていった。
1998年の18連敗も、周囲の野球ファンはパ・リーグなんか
眼中にないから話題にならず、私も数字だけ確認して「いかにも
ロッテらしいな」と思っただけだった。
だって周りで多少プロ野球の話題が出ても、ロッテなんて、球団が
存在しないくらい誰も意識してないんだもん。
私が意識しなくなったら完全に存在が消えてしまう、それが当時の
ロッテという球団だった。
千葉ではそんなことはなかったのかもしれないけど。いや、でも、
千葉移転初年度だけは沸いたけど、千葉での人気もすぐ低迷したん
だよね。パ・リーグから経営努力をしろと注意されるくらい。
プロ野球から遠ざかっていた私に、「ボビー・バレンタイン復帰」
のニュースがわずかに届いた。
「あの、ロッテを2位にした外国人監督を呼び戻すの!?」
2004年にバレンタイン監督が戻ってきて、ロッテのニュースの
チェックが欠かせなくなった。球界再編の騒動に熱くなったりして、
2005年からは交流戦が始まって、パ・リーグの地位も向上して、
ロッテ旋風が巻き起こって…
時代は変わった。
2005年は、日本シリーズのチケットが取れたり、その第一戦で
大学時代の川崎ガチの先輩に偶然再会したりするなど、まだ若干の
「狭い世界」感があった。
しかしその後もロッテファンは増加を続け、時代は変わり続けた。
2010年の日本シリーズは、夫婦でめちゃめちゃ頑張ってもついに
チケットがまるっきり取れなかった。
私の住まいは東京都板橋区の、千葉から遠く離れた地域。
ある日、普段着の普通のオッサンが、千葉ロッテマリーンズの紙袋を
下げて駅付近を通り過ぎていった。
また別のある日、ロッテの、衣料ブランドとのコラボTシャツを着た
女子も駅前で見かけた。若いお嬢ちゃんまでがロッテアイテムを!?
時々、駅前をロッテのユニフォームで歩いている若い男性を目にする。
試合に行く様子ではない。ユニフォームを普段使いしているのか?
千葉でもないのに、街角でロッテファンを見かけるなんて…
爬虫類など珍しい生物の販売イベント「東京レプタイルズワールド」
のために池袋サンシャインシティに行ってみたら、ロッテの背番号
17・成瀬のユニフォームを着た子供が親に連れられて来ている。
なんで爬虫類のイベントにロッテのユニフォーム着てきてんの。
ある年のある日、突如、西武ドームに西武×日ハムを見に行った。
前夜に「大谷翔平が先発か…」と西武ドームのチケットを見てみたら、
母の日特別価格で指定Bが880円だったので。
試合は、大谷が159キロ、159キロ、158キロで3球三振を
取ったりするも、やがて割と打たれだした。なんてこった~
私の服装はロッテロゴ付きポロシャツ。さりげなく「西武ファンでも
日ハムファンでもないぞアピール」。
売り子の姉ちゃんから氷結を買ったら、「今日はホーム、行かないん
ですか?」と話しかけられた。確かに、ロッテはマリンで試合中。
それをわかって、「ホーム」とか言っているあんたは、まさか?
次に彼女の口をついたのは、「私もロッテファンなんで~」。
まさかの、売り子がロッテファン。千葉在住だそうだ。
西武ドームの西武×日ハムで、なぜ、ロッテファン同士が出会う!
入院した病院でも、リハビリ担当の先生が私の持ち物を見て「夫が
ロッテファン」とカミングアウト。
今は、こんな時代。本当に、隔世の感がある。
もちろん、勤め先が付き合いでロッテのチケットを束で買ったものの、
ロッテファンが社内に私しかいなかったりもするんだけど。
でも、かつては怪訝な顔で「なんでロッテファン?」だったのに、
今は笑顔で「へーロッテファンなんだ!」と言われる。「千葉の人?」
と続くことが多いのが気に食わないけど、逆に周囲が皆「ロッテは
千葉の球団」と知っているわけだ。オリオンズ時代は「ロッテ…、
本拠地どこだっけ?」というのが多くの野球ファンの認識だった。
「川崎球場…」と言うとすぐ「珍プレー好プレー」って言われるし!
古参の野球ファンでも、ロッテオリオンズというと、ガラガラとか
いちゃつくカップルとかそうめん流しとかのイメージしかないし!
それは、ロッテを知ってるんじゃなくて「『珍プレー好プレー』で
しかロッテを知らない」って言うんだよ!
ロッテファンなのに周囲にロッテオリオンズが存在せず、プロ野球
チームを応援しているのに順位を意識するだけ無駄だったあの頃。
もちろんこれは東京の一ファンの経験でしかないけれど、現在の
ロッテファンはどこにいようとこんな環境にはならないと思う。
私は、マリンで開催されるファン感謝デーで、ただなんとなく席に
座ってフィールドを漫然と見ているのが大好きだ。
ゆっくり一人でお酒を口に運びながら、何万人ものロッテファンが
ひしめき合って戯れる様子を眺めて、「ああ、ファンが増えたなあ…」
「こんなに人気球団になったんだなあ…」としみじみ感じ入る時、
なんともいえない喜びを感じられる。
18連敗に付き合ってともに泣いたファンであっても、千葉移転
からのファンは、オリオンズ時代からのこのものすごい隔世の感を
味わうことはできないだろうなあ。
古いファンが偉いというわけではないけれど、長くファンを続けると、
なんかそれなりの「ごほうび」みたいなものはあるよね。
ロッテという球団が、いるのにいなかったあの時代。正しくは、
暗黒というより、完全に透明で気づいてもらえない、って感じかな。
まあ、東京の変わりモンの個人的な感想…ってことでご容赦を!
前回のエッセイで、ロッテオリオンズと千葉ロッテマリーンズが
暗黒だった旨を書いたが、ファンが少なかった時代というのは
その当時を知る人が非常に少なくて、「不人気体験記」を書く人も
なかなかいないわけだ。
途中まで巨人ファンを兼ねていたうえに球場にもあまり行かなかった
私の体験記では不人気ぶりが伝わりづらいが、なんとか不遇な当時の
雰囲気を書いてみたいと思う。
私がロッテファンになったのは福岡在住時。周囲は巨人ファンと
西武ファンばかり。男の子たちは巨人と西武の野球帽か、町内会の
野球帽をかぶっていた。女の子で野球帽をかぶる子はいないので、
私は放課後に弟とその友達と一緒に「男の子遊び」をする時と、
弟とキャッチボールをする時と、家族旅行の時だけ、愛用のロッテ
オリオンズの帽子をかぶった。
だが、弟の友人に、私がロッテファンだと知っていた人はいない。
また、旅先で、弟の帽子を見て「巨人ファンだねー」と言う人は
いても、私に「ロッテファンなんだー」と言う人はいなかった。
まれに何か言われる時は、「それ、どこの帽子?」。
この状況は多分、ロッテオリオンズの野球帽をかぶっていても、
プロ野球チームの帽子だと気づいてもらえていなかった可能性が高い。
東京に戻ってきた中学時代、さすがに中学生女子で野球帽をかぶって
いるのは変な子すぎるので帽子はお蔵入り。
高校では周囲の巨人ファンを探し出して野球の話に盛り上がった。
クラスに2人(男1女1)、部活(漫研)に2人(男1女1)、
巨人ファンがいた。…ってロッテの話じゃないの!?
いつも「好きなプロ野球チームは巨人とロッテ」って自己紹介して
るんだけど、ロッテに関する思い出は皆無。漫研のコピー誌に、
ロッテオリオンズのにせ広告を勝手に描いた、ってことくらい。
なお、当時好きな選手は愛甲猛。そして、キャッチャーをやって、
立膝で一塁ランナーを牽制で刺したのでディアズも気に入った!
でも彼らの活躍は新聞の片隅の「打数・安打・打点…」というあの
一覧表と試合の得点経過表でしか見られなかった。(今以上にパ・
リーグは冷遇されていて、試合展開の説明文すらなかった)
毎日テレビのスポーツニュースを見るけれど、パ・リーグはほぼ
スルーなうえにロッテは「その他の結果」で得点表示のみ。
「プロ野球珍プレー好プレー」ではガラガラの川崎球場がネタになる
ものの、ロッテの選手のプレーはなかなか取り上げられない。あ、
上記のディアズの立膝で一塁ランナーを刺した場面は、「珍プレー
好プレー」で見られてよかった。
高校時代、あの「10.19」があったのに、「ロッテの優勝が
かかっているわけじゃないし」と興味を持たなかったのは失敗した。
(実は結果としてテレビで中継されてたことはずっと後で知った)
めったにない、ロッテの大きく関わった国民的行事だったのに…!
なお、「10.19」を話題にしていた野球ファンは周囲にいない。
家庭内にも野球ファンが自分以外に3人いたのに、家でも学校でも
「10.19」に限らずパ・リーグの話なんてまるっきり出なかった。
とにかく、ロッテファンであろうとしても、周囲にまるっきり
ロッテという球団が存在しないような状態だった。
つまり、真の不人気球団とは、不人気を実感することすらできず、
ファンでさえ「その球団が存在しない世界」を生きることを余儀なく
されるのだ――。
大学に入ると、衝撃の出来事が!
大学の漫研の先輩に、ロッテオリオンズのファンがいたのである!
彼は川崎在住。地元ガチやないですか!
そうとは知らずに入部して自己紹介に「巨人とロッテのファン」と
書いた私に、その先輩がかけてきた言葉は…
「実は俺、ロッテファン。…でも、なんでキミ、ロッテファンなの?」
顔には「意味がわからない」と書いてある。あんたもファンやんか!
もちろん「川崎市民でもないのになぜロッテファンなのか」という
ことなんだろうけど!
私、巨人ファン時代に「なぜ巨人ファンなのか」って聞かれたことは
1回もないのに、「なんでロッテファン?」って訊かれた回数は
数知れず。それも「なぜ、よりによってロッテ?」というニュアンス
をこめて、怪訝な顔で訊かれるのが常。
もちろん先輩には「野球帽をかぶっていて洗脳された」と答えて、
「まさか自分以外にロッテファンがいるとは!」と互いに驚き合った。
とはいえ、野球ファンはTPOをわきまえている人が多いもので、
私もこの先輩も、漫画の愛好団体であるサークルに野球話を持ち込む
ようなことはなく、ロッテの話はほとんどしなかった。
この大学入学年は、私のロッテオリオンズファン最高潮の年だった。
自分以外のロッテファンに初めて出会えたのみならず、なんとあの
川崎球場に乗り込んだのである!
でも、一緒に行った人が巨人ファンというのが…。
高校時代のクラスメイトに2人いた巨人ファンの、男のほうが
偶然同じ大学に進学していてびっくり。高校時代から彼の見た目が
すっごい好みだったので、頑張って割と親しいところまでいけた。
彼との定番の冗談が「川崎球場のロッテ×ダイエー」。当時、
もちろんロッテは低迷球団、ダイエーもBクラス常連の低迷球団。
この前年にはロッテを押しのけてダイエーがパの最下位だった。
私がロッテファンも兼ねているので、純粋な巨人ファンの彼に
「じゃあ川崎球場のロッテ対ダイエー行こうよ!」と振って、
彼が「やだよ! そんな試合!」と返すのがお約束。
セの王者である人気球団のファンが、なんでパの最下位争いを見に
行くのか!? という「バカネタ」だった。
でもある時「いいよ、行こうよ」ということになって、私は人生で
初めて自分でチケットを買って野球場を訪れた。子供のころの
後楽園球場以来かな。
球場慣れしていないので、川崎球場を特にぼろっちいとは思わず、
チケットを買ってライトスタンドへ上がった。
いやあ、あの風景は独特だったなあ。見渡す限り空席というか。
もうとにかくガラガラで、逆にどこに座ろうか迷う。前方上方に
応援団がいて、そこ以外はどこでも座り放題だった。
全方位に誰もいないエリアに座って見渡すと、内野席は応援団も
いないためほんとにガラッガラ。試合開始直前に球場入りしたのに
「試合開始の3時間前」って感じ。
試合は、愛甲が9回裏に起死回生の同点ホームランを放つ!
愛甲好きなので超嬉しい! そして誰かがサヨナラホームランを
打って試合は勝った。(後日これが堀だったことを知る。ロッテの
新人はなかなか覚える機会がないので堀幸一を認識してなかった)
実際に行った印象として川崎球場は古いだけでそうひどくなかった。
多分私がトイレとか行かず、外野席と最短の通路しか見なかった
からだと思うけど。食べ物も、男へのアピールとしてお弁当作って
行ったから売店にも行かなかったし。今思えば川崎球場を隅々まで
見ればよかった。野球より男目当てだったのが悔やまれる!
ライトスタンド全景が目に入った瞬間の光景は忘れられない。
応援団をあまりジロジロ見たら気の毒な感じがするくらいすいて
いて、広大な前方の灰色と右上方の青緑色が印象的だった。
ロッテが千葉に移転するとき、正直、ついていくかどうか迷った。
オリオンズという呼称に愛着もあったし、周囲に存在感がまるで
なかったからロッテファンをやめても生活に何の変化も起こらない
ことはわかってたし。
でも、やっぱり新聞のスポーツ欄のロッテが気になるので、ロッテ
ファンはやめなかった。なお、大学のロッテファンの先輩はもう
卒業していたので、仲間は一人もいなくなっていた。
マリンスタジアムにロッテ×巨人(オープン戦)を見に行ったりも
したが、毎年、ロッテの順位は気にならなかった。5位か6位と
思っていれば間違いなかった。(4位になれば大満足)
ファンが順位にまったく興味を持たないというのもすごい。
ただ、当時同じく弱小球団だった福岡ダイエーホークスとは、
劇的(悲劇的?)なドタバタ試合が多くて、対ダイエー戦の新聞の
スコアは毎回熱心に見ていた。
しかし、巨人がFA乱獲に走っていくと共にプロ野球から目を
そらすようになり、ロッテの情報に接することもなくなっていった。
1995年に2位になった時だけ一瞬フィーバーしたけど、監督が
ソッコー解任されたことでガッカリして、ロッテももういいや、と
いう気分になってプロ野球全体から離れていった。
1998年の18連敗も、周囲の野球ファンはパ・リーグなんか
眼中にないから話題にならず、私も数字だけ確認して「いかにも
ロッテらしいな」と思っただけだった。
だって周りで多少プロ野球の話題が出ても、ロッテなんて、球団が
存在しないくらい誰も意識してないんだもん。
私が意識しなくなったら完全に存在が消えてしまう、それが当時の
ロッテという球団だった。
千葉ではそんなことはなかったのかもしれないけど。いや、でも、
千葉移転初年度だけは沸いたけど、千葉での人気もすぐ低迷したん
だよね。パ・リーグから経営努力をしろと注意されるくらい。
プロ野球から遠ざかっていた私に、「ボビー・バレンタイン復帰」
のニュースがわずかに届いた。
「あの、ロッテを2位にした外国人監督を呼び戻すの!?」
2004年にバレンタイン監督が戻ってきて、ロッテのニュースの
チェックが欠かせなくなった。球界再編の騒動に熱くなったりして、
2005年からは交流戦が始まって、パ・リーグの地位も向上して、
ロッテ旋風が巻き起こって…
時代は変わった。
2005年は、日本シリーズのチケットが取れたり、その第一戦で
大学時代の川崎ガチの先輩に偶然再会したりするなど、まだ若干の
「狭い世界」感があった。
しかしその後もロッテファンは増加を続け、時代は変わり続けた。
2010年の日本シリーズは、夫婦でめちゃめちゃ頑張ってもついに
チケットがまるっきり取れなかった。
私の住まいは東京都板橋区の、千葉から遠く離れた地域。
ある日、普段着の普通のオッサンが、千葉ロッテマリーンズの紙袋を
下げて駅付近を通り過ぎていった。
また別のある日、ロッテの、衣料ブランドとのコラボTシャツを着た
女子も駅前で見かけた。若いお嬢ちゃんまでがロッテアイテムを!?
時々、駅前をロッテのユニフォームで歩いている若い男性を目にする。
試合に行く様子ではない。ユニフォームを普段使いしているのか?
千葉でもないのに、街角でロッテファンを見かけるなんて…
爬虫類など珍しい生物の販売イベント「東京レプタイルズワールド」
のために池袋サンシャインシティに行ってみたら、ロッテの背番号
17・成瀬のユニフォームを着た子供が親に連れられて来ている。
なんで爬虫類のイベントにロッテのユニフォーム着てきてんの。
ある年のある日、突如、西武ドームに西武×日ハムを見に行った。
前夜に「大谷翔平が先発か…」と西武ドームのチケットを見てみたら、
母の日特別価格で指定Bが880円だったので。
試合は、大谷が159キロ、159キロ、158キロで3球三振を
取ったりするも、やがて割と打たれだした。なんてこった~
私の服装はロッテロゴ付きポロシャツ。さりげなく「西武ファンでも
日ハムファンでもないぞアピール」。
売り子の姉ちゃんから氷結を買ったら、「今日はホーム、行かないん
ですか?」と話しかけられた。確かに、ロッテはマリンで試合中。
それをわかって、「ホーム」とか言っているあんたは、まさか?
次に彼女の口をついたのは、「私もロッテファンなんで~」。
まさかの、売り子がロッテファン。千葉在住だそうだ。
西武ドームの西武×日ハムで、なぜ、ロッテファン同士が出会う!
入院した病院でも、リハビリ担当の先生が私の持ち物を見て「夫が
ロッテファン」とカミングアウト。
今は、こんな時代。本当に、隔世の感がある。
もちろん、勤め先が付き合いでロッテのチケットを束で買ったものの、
ロッテファンが社内に私しかいなかったりもするんだけど。
でも、かつては怪訝な顔で「なんでロッテファン?」だったのに、
今は笑顔で「へーロッテファンなんだ!」と言われる。「千葉の人?」
と続くことが多いのが気に食わないけど、逆に周囲が皆「ロッテは
千葉の球団」と知っているわけだ。オリオンズ時代は「ロッテ…、
本拠地どこだっけ?」というのが多くの野球ファンの認識だった。
「川崎球場…」と言うとすぐ「珍プレー好プレー」って言われるし!
古参の野球ファンでも、ロッテオリオンズというと、ガラガラとか
いちゃつくカップルとかそうめん流しとかのイメージしかないし!
それは、ロッテを知ってるんじゃなくて「『珍プレー好プレー』で
しかロッテを知らない」って言うんだよ!
ロッテファンなのに周囲にロッテオリオンズが存在せず、プロ野球
チームを応援しているのに順位を意識するだけ無駄だったあの頃。
もちろんこれは東京の一ファンの経験でしかないけれど、現在の
ロッテファンはどこにいようとこんな環境にはならないと思う。
私は、マリンで開催されるファン感謝デーで、ただなんとなく席に
座ってフィールドを漫然と見ているのが大好きだ。
ゆっくり一人でお酒を口に運びながら、何万人ものロッテファンが
ひしめき合って戯れる様子を眺めて、「ああ、ファンが増えたなあ…」
「こんなに人気球団になったんだなあ…」としみじみ感じ入る時、
なんともいえない喜びを感じられる。
18連敗に付き合ってともに泣いたファンであっても、千葉移転
からのファンは、オリオンズ時代からのこのものすごい隔世の感を
味わうことはできないだろうなあ。
古いファンが偉いというわけではないけれど、長くファンを続けると、
なんかそれなりの「ごほうび」みたいなものはあるよね。
ロッテという球団が、いるのにいなかったあの時代。正しくは、
暗黒というより、完全に透明で気づいてもらえない、って感じかな。
まあ、東京の変わりモンの個人的な感想…ってことでご容赦を!