エクストリーム四十代のかもめ日記

野球を中心に、体力気力に任せて無茶をしがちな日常を綴る暑苦しい活動記。

三浦大知の初期ライブを語る

2020-11-10 22:13:34 | 音楽
ロッテが2位を確定してCS進出を決めたのに、三浦大知の話!?
まあ、そのへんのことは間もなく書きますよ。

今はもう日本でその実力を知らぬ人はない…とまではいかないけど
かなり知名度の高くなった三浦大知。
でもね~、初期の大知くんのライブってほんとにすごく独特というか
すっごいマニアの世界でした。あれは特異で異様な、でも素敵な空間。
今のファンの人たちはあまり知らないような、あの時代のライブに
ついて紹介してみたいと思います。

まず、大知くんに対しても、ジャ(伏せ字)事務所の妨害はほんとに
エグかった。デビューから2曲目で大手携帯電話会社のTVCMに
抜擢されたと思ったら、即、そのCMのキャラクターが嵐に代わる
というあの驚愕…
「えっなんでそんな結果も出ない短期間で交代、しかも嵐クラスの
人気タレントに突然横取りされる!?」という素早さでした。
SMAP好きだったし「Dの嵐!」や実験で嵐の下積み時代も大好き
だったから血相を変えて「ジャ×の妨害が!」とわめき散らすことは
しないけど、実際、大知くんのメジャー化は10年遅れました。
そのために、彼はえもいわれぬ「マニアな大人向けライブ」を続ける
ハメになったと思います。

新規ファンの開拓を妨害されて、ファン層が広がらなかったので、
初期の三浦大知のファンは、Folder時代に「この三浦大地って
子供すげえ」と思って傾倒した年上の人たちばかり。(子供時代は
DAICHIまたは三浦大地が芸名なので表記が違います)
「三浦大知」のライブに行くと、17歳の少年の歌を聴くために、
三十代、四十代を中心に、大人がごっそり来ているわけですよ。
中高生を相手に「まじヤバい(はぁと)」で商売できるのはほんとに
楽ちんで幸せです。経験値が低くてまだひよっ子レベルだもん。
当時、私32歳、ダンナ33歳。こういう、三、四十代中心の、
J-POPの数々の名曲を聴いて育ってきた客と勝負しなければ
ならない三浦大知17歳! まじキッツー!!

ではそういう客層の中で三浦大知がライブをやるとどうなるか??
もうね、大知くんには申し訳ないんだけど、「聴き惚れてしまって、
全然ノらない」んですわ。
ほんとに三浦大知すげえと思うんだけど、アップテンポな曲とかでも
客がこぞって「ああ~、いいわぁ~」と聴き入ってしまって、会場が
じわ~んと静かに満たされていくわけ。
客はもちろんそれで大満足しているんだけど、演者の大知くんからは
「やばい会場静かになっちゃってるんだけど俺大丈夫?」って感じ。
実際、よく「え、えっと、こんなんでよかったですかね」みたいな
MCの雰囲気になってしまってました。
違うよ大知くん、みんな聴き惚れて静かになっちゃってたんだってば。

再デビュー曲「KeepItGoingOn」をはじめ、初期の
大知くんの曲はしっとり大人の味わいの曲が多くて、アップテンポな
ダンス曲でもしみじみ聴き入って味わえちゃったんですよね。
今はとにかく「ノッて跳んで拳振って一体感! それこそがライブ!」
って感じだし、大知くんのライブもそういう世界になっています。
でも再デビュー後の時期は、小刻みに首や足先でリズムを取りつつも、
ほんとに「大知の声を音楽を、かけらも聴きもらさないぜ」みたいな
「静」中心のライブでした。
そして、ファンばかりが集っているとはいえ、大人の真剣な生視聴に
耐えうるハイクオリティなパフォーマンスを常時やりきってくれる
三浦大知は、とにかくほんとにすごかったわけです。

そして、耳が肥えてる大人たちが相手なので、怖いことも起こります。
当時、アルバムが出るでもなくシングルもなかなか出ない三浦大知、
ライブにおける「新曲発表」というのは「今後ライブでやっていく
新しい曲」という意味でした。その「新曲発表」は、ファンの耳が
非常に厳しい方向にそばだちます。
「クソな曲出してきたらどうしてくれよう」みたいな緊迫した空気が
ライブ会場にピーンと張り詰めます。
今思うと、いい曲で歌って、最高のダンスパフォーマンスを見せて
くれてもノッてもあげずに不安な気分にさせておいて、新曲になると
厳しい審査眼を向けるってどんだけ過酷なのよ。もっとノセてあげて、
新曲も快く発表させてあげなさいよ。
……で、「クソな曲」が出ちゃったらどうなるのかって?
そりゃ~もう、会場中がさーっと潮が引くように冷めていき、微妙な
空気で息苦しくなるんですよ。まじ怖!

特に懐かしく思い出すあの場面。
三浦大知に「SuperStar」って曲があります。
シングル「Flag」のカップリングに収録されたこの曲、実は、
ライブで「新曲」として発表されたときは…………
いや、「SuperStar」で聴くとそんなに悪くない曲です。
ただし良くもない。三浦大知は「一般受けしない地味でマニアックな
曲でも一定のカッコよさに引き上げてしまう」という実力のせいで、
逆に「売れる曲」がもらいづらくなっています。
「SuperStar」も、大知クオリティで引き上げてしまって、
けっこうカッコいい曲になっている「まあまあの曲」かと思います。
でも、発表当時は……多分、大知ライブの歴史の中で、発表時に
あんなにも会場を凍りつかせた曲はなかったですね。

初公開された時、この曲のタイトルは「SuperStar」でなく、
「Supercar」…「スーパーカー」だったんです。
イントロに、スーパーカーの「ブロロロ~!」みたいな吹かし音が
入り、間奏にも車の効果音が入る超だっさい(編曲した人スマンな)
演出に会場がドン引き。
若い子がいてくれればもっと純粋に肯定してくれたかもしれませんが、
私たちの世代って、子供の頃にスーパーカー消しゴムで遊んで、
ランボルギーニカウンタックLP500のラジコンに憧れていたん
ですよ。だから、スーパーカーをそのまんま演出に持ってくると、
「スーパーカー? 30年も前のセンスじゃん! 今のこの時代に
エンジン音吹かすのカッコいいと思ってる? しかも『三浦大知』に
このオッサンセンスの曲をやらせる気?? だっさーーー!」という
リアクションになっちゃうんですよ。
どーっと潮が引き、凍りついた会場…。私も「萎える、寒すぎる」と
思ったし、周囲の客が同じように引いてるのも感じ取れました。
当時まだ十代のの大知くんにしてみれば、30年前にスーパーカー
流行ったとか全然知らないし、会場がドン引きする理由がまったく
わからなかったことでしょう。でもなんか変な雰囲気になっている
ことはわかっただろうし、つらいシチュエーションだ~~。
いや、いい曲でいいパフォーマンスをしても聴き入られて客の
反応がなかったりしたので、変な意味で彼も「ノリの悪い雰囲気」
に慣れてしまっていたかもしれませんが…。

さすがにあの会場の雰囲気に、スタッフか事務所の人が「これは
やばい」と感じたのでしょう、あの「スーパーカー」だった曲は、
カップリング収録で再び現れた時には「SuperStar」という
演出のまったく違う別テーマの曲に変更されていました。
この結果をして、会場がいかに明白にドン引きしたかが窺い知れると
いうものです。

こんな怖~い大人のお兄さんお姉さんたちに温かくも厳しい育成を
受けた三浦大知は、こんなにハイクオリティなアーティストに
育ちました。
十代で「大人がガチに聴きに来て忌憚なく態度に出す」という
マニアックでしんどい環境の中で結果を求められてきたんだから、
それはもう必然の結果でしょう。

そして…他事務所による妨害なんかあってはならないのですが、
あのデビュー2曲目で抜擢された「ケータイの映像が、変わるよ」
のTVCMで「ダンスかっこいいな!」と中途半端な人気が出て
しまっていたとしたら、もしかして今のこの三浦大知という存在は
ないのかもしれないな、とも思うのです。
妨害のせいでちっさいハコの中で大人相手に商売していくしか
なかったけど、そこには、「三浦大知がいくら売れなくても、
実力への信頼はまったく揺らがない」という落ち着いた大人の
ファンばかりが集っていました。
この人たちは(私たち夫婦も含め)三浦大知を見捨てない人でも
あったのです。
また、そんな大人たちを決して失望させなかった三浦大知の実力と
努力もまた称賛されてしかるべきかと思います。
(あと、事務所の踏ん張りも称えられてしかるべきだと思う…)

最後にもう一つ、昔のライブの逸話。
三浦大知の古参のファンは、アンコールを「D-ROCK!」で
コールするスキルを持っています。
いちおう説明しておくと、「D-ROCK」は、Usherの
コンポーザーJ.Queという人が三浦大知につけてくれたニック
ネームです。
1stアルバム発売後のライブでは「アンコール!」とコールする
ところを「D-ROCK! D-ROCK!」とやっていたのです。
「D-ROCK」のニックネームがJR東日本の「E電」のように
まるで定着しなかったので(例えが古い!)、今のファンは
「D-ROCKコール」とか言っても全然わかんないだろうなあ。
でも私も当時「今回はアルバムタイトルがD-ROCKウィズユー
だからいいけど、今後もずっとD-ROCKコールでアンコールを
やるのはちょっと…」と思ってたから今の普通のコールでいいや。
でもわりと近年の大知くんのライブに行って、アンコールの声が
起こりはじめると、ついつい「D-ROCK!」と小声で言っては
笑っている悪いファンだったりします。

初期には、行けるライブはとにかく片っ端から夫婦で行ってたし、
池袋パルコのタワーレコードが穴場だったのでアルバム発売に伴う
先着順のイベント参加券を楽々ゲットして、最前列でミニライブを
観たり列をなして握手を賜ったりもしましたよ。
もう、最近は、大知くんのライブチケットが驚愕の争奪戦になって
しまいました。大知くんがメジャーになったことで「もう、私たちの
役目は終わった」とファンクラブを脱退してしまった我々夫婦には、
チケットがほぼ取れなくなりました。
それでも、2018年2月15日の映画館ライブビューイング、
「DAICHI MIURA BEST HIT TOUR 
in 日本武道館 LIVE VIEWING」は会社を早退して
映画館「新宿バルト9」に観に行きました。
今もNHK「おげんさんといっしょ」がやるといえば「大知くんは
出るのか!」と目を凝らしてテレビの前でスタンバイしたりして
います。笑
昔のライブのタオルや「D-ROCK Tシャツ」を普段使いして、
初期の大知くんのライブはいろんな思い出として生きています。

あの、初期の「大人ライブ」で全然若者に優しくない真っ向勝負の
聴き方をしちゃってごめんね大知くん。
でも、Folderで出会った時から、「子供の歌声が大嫌い」な
私が聴いても三浦大地は全然子供じゃなかった。ただのプロだった。
事務所が育てたかった「マイケル・ジャクソン」には育たなかった
けど、自分の目指した「三浦大知それこそがオリジナル」という
方向性で十分突き進めていると思う。
あのガチ育成の一端を担わせてもらったレアな一員として、まだまだ
これからも応援してるよ!