最初の一歩だらけ

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50年前の自分の価値観と比べて

2016-02-25 15:08:30 | 日記
成人式の頃の価値観当時の学校教育から男女平等で、成績だけが評価の基準と思ってひたすら勉学にいそしんだのに社会に出ると違ってた。
女性の社会進出なんてどこにもない。あるのは早く結婚相手を見つけて、しかもその相手は高学歴が高収入イコール幸せであると思って、寿退職することを目標としていた。
だが、その相手を見つける手段の縁がないので自分で見つけるしかないと思っていた。
つまり、学歴もなく縁もなく資格を取る財力もなく、ましてたいして男をひきつける魅力もなく、一人生きてゆく能力もないこの私はどうすりゃいいのさと思ってた。
父が社長の友人、美貌でもてる友人、働きながら、国立大学を目指してた才媛の友人を羨望のまなざしで彼女達がそれぞれ、素敵なパートナーに出会って結婚していく姿をただ、指をくわえて眺めているより仕方がない青春時代だった。
見えるところで幸せを計っていた。だから、貧乏な人、地位のない人、病気の人、きつい仕事をしている人、中小企業の人などは幸せではないとすら思っていた。
それでも出会いはやってくる。
しかし、人としての関わり方がわかっていなかった。理解しょうとしただろうかといえば心地よい関係さえ作ればいいと思っていた。
利害関係のない人や合わない人とは関わらなかったように思う。
意見を交わすことすらなかったかな。意見が違うことは喧嘩になるので避けていた。
人間を否定された気持ちになり、議論する前に断絶したものだ。
そんな私が今は:平気で意見を交わし、意見を打ち消されても平然と出来るというか別に意見が違っても私を否定されていないと受け止められるから。
才能がない人はいない。きっと自分にも長所はあると思えるようになったし。
一人でやるよりみんなで力を出し合ったら楽しみは2倍、苦しみは半分になるとか。
今も必要以外のお金はないが、たぶん付加価値はさほどないけど、自分のことより多くの時間を世の中のために使う方が自分も元気になれることを身を以て経験したり・・・
変ったと思う。人生捨てたもんじゃない。
しかし:いまだにこの私を奴隷扱いする夫に対してこう思う。
私を奴隷扱いしてしまうと彼はやることがない。すると体も心も頭も衰退することになるのではないか。
それでもいいのか。いいや、そこで彼のために私の仕事を分配することにした。
今では買い物係、ごみ捨て係、猫のトイレ掃除係、部屋の軽い掃除係、シャッターの開け閉め係、車の移動係(縦列駐車のため)洗濯物の取り入れとたたみ係、庭の草取りと手入れ係、お風呂の掃除とわかし係ets・・・
つまり、残った仕事は三度の食事支度係と洗い物と洗濯機のセットと干す係(時間のないときはこれも委託)
が私の仕事となった。おかげで彼は太る暇はないみたい。もちろん、散歩一日2回のメニューも欠かさない。
これでも私を奴隷と思っているのだ。九州男児のフレージングは抜けきらないみたい。
今日は時間があったからいっぱいかけたな。玉手箱のようなテンプレートに変えた。これもなかなか面白いもんだ。