…という内容の記事が"Competitor Running"誌に有りましたので、日本語化しました。
この内容をどう応用するかですが、事前にイメージトレーニングを繰り返しておくことで、レースetc.の本番で無用な疲労を抑制する、というのも考えられそうです。
いわゆる「認知」は全て脳において行われている
By Matt Fitzgerald, Jan. 06, 2014
1999年公開の映画「マトリックス」は、人間が機械によって制御されている陰鬱な未来社会を舞台としている。その機械は人間の脳を制御し、現実社会と全く区別出来ない、極めて説得力のある「もう一つの現実」を認知させている。この型破りな前提(と言っても、所詮は1972年にポーランドのSF作家であるStanislaw Lemが発表した”The Futurological Congress”のパクリだが)は、全くもって非現実的なものではない。人間が「経験する」とは全て脳の作用であり、極論すればある動きを「経験する」には、眼や筋肉を動かす必要は無い。
マトリックスが公開されたのは15年前だが、科学技術によって現実社会はマトリックスで描かれた世界に近づきつつある。数年前、脳卒中で四肢が麻痺してしまったCathy Hutchinonが、自らの意志によってロボットアームを操作し、カップに入ったコーヒーを飲んだのだ。これが可能なのは、Hutchinonの脳内に完璧な筋骨格系の「地図」が存在するからだ。つまり、Hutchinonの大脳において右腕を制御する部位にマイクロチップを埋め込み、そこから電気コードをロボットアームに繋いだのだ。そして、Hutchinonは既に麻痺している自らの右腕を、麻痺する前のように動かしたいと脳で考え、それによって代役であるロボットアームを動かすことが出来た。
この話がランニングとどう関係するのか?と疑問に思う読者もいることだろう。もう少しお付き合いいただきたい。ここ数年、運動科学者の間で議論の的となっているのは、「『運動のしんどさ』という知覚(原文:the perception of effort during exercise)は何に起因するのか?」である。「運動のしんどさ」とは筋肉の運動に伴う感覚であり、それはいわば皮膚で「空気が冷たい」ことを知覚するような触知可能なものであるという考えがある。しかしSamuele Marcora(イギリスのKent大学所属の運動生理学者)は、人間の肉体は「運動のしんどさ」の知覚と殆ど関係が無いと考えた。逆に彼は、「『運動のしんどさ』を認知するとは、大脳中枢から筋肉に発信された命令を意識的に気付くことにほかならない」と主張した。言い換えると、人間が走るのに必要な筋肉を作動させる大脳の部分は、信号を送ることで当該筋肉を活動させるだけでなく、当該筋肉がどれ位活動しているかという感覚をも生成しているのだ、ということである。そして、筋肉から大脳にフィードバックされる感覚情報は、「運動のしんどさ」の認知には全く関係が無い、というのだ。
2012年に”Psychophysiology”誌で発表された研究結果が、上記の考えを支持するものであった。Marcoraらの研究グループが次のような実験を行った。16名の健常な成人男子を被験者とし、彼らに上腕二頭筋が疲労していない状態/事前に疲労させた状態で、軽い負荷/重い負荷でカールをさせた(つまり、4水準の試験を行った)。カールをさせている間、被験者の大脳の運動皮質/上腕二頭筋の活性を測定し、試験後には被験者が知覚した運動強度を申告させた。
その結果、筋肉&大脳の活性/知覚した運動強度は、重い負荷を挙げた場合でより高かった。また、負荷の軽重に関係無く、上腕二頭筋を事前に疲労させた状態で運動させた場合の方が大脳の活性/知覚した運動強度が高かった。勿論、この結果は予想通りのものであった。ここで興味深いのは、同じ負荷を挙げたにも関わらず、筋肉の疲労度が高い場合で大脳の活性が高かったということである。
つまり、負荷が等しくとも、大脳の運動皮質の活性は「運動のしんどさ」に比例したのだ。詳述すると、挙上した負荷が比較的「楽ちん」と感じられた場合、大脳の活性も比較的低かった。逆に、挙上した負荷が「キツい」と感じられれば、大脳の運動皮質の活性も高かった。
一般的には、ある2つの要因の間に相関関係が認められたからといって、必ずしも因果関係が存在するとは即断出来ない。しかし、上述の実験で認められた、大脳の運動皮質/「運動のしんどさ」の間に認められた相関関係は、Samuele Marcoraが提唱した考え、つまり「運動のしんどさ」は筋肉から大脳に送られた信号によるものでなく、あくまでも大脳独自の活動であるという仮説を支持するものと云える。なお、Marcoraは追試を計画している。
仮にMarcoraの仮説が正しいとすれば、ランナーにとっても何らかの形で応用/実践出来る可能性がある。疲労感が大脳の活動によって生成されるものであれば、ランニングについて何かを考えるだけで疲労感を知覚するのも有り得る話である。また、トレーニングを視覚化してそれに馴らすことで、疲労に対する抵抗性を高めるのも可能かもしれない。それならば、通常のトレーニング以外の時間に出来るし、故障で休養中でも出来る事である。事実、筋力トレーニングを想像させることによって筋力自体が向上するという研究結果も報告されている。
マトリックスでキアヌ・リーブスが演じた主役が現実世界に舞い降りてランニングをし始めたら、彼は自らの運動能力が高いことに驚くかもしれない。もしそうであれば、それは映画の世界で既に経験したランニングによるものであろう。それは勿論、脳内で実践したことであろうが。
この内容をどう応用するかですが、事前にイメージトレーニングを繰り返しておくことで、レースetc.の本番で無用な疲労を抑制する、というのも考えられそうです。
いわゆる「認知」は全て脳において行われている
By Matt Fitzgerald, Jan. 06, 2014
1999年公開の映画「マトリックス」は、人間が機械によって制御されている陰鬱な未来社会を舞台としている。その機械は人間の脳を制御し、現実社会と全く区別出来ない、極めて説得力のある「もう一つの現実」を認知させている。この型破りな前提(と言っても、所詮は1972年にポーランドのSF作家であるStanislaw Lemが発表した”The Futurological Congress”のパクリだが)は、全くもって非現実的なものではない。人間が「経験する」とは全て脳の作用であり、極論すればある動きを「経験する」には、眼や筋肉を動かす必要は無い。
マトリックスが公開されたのは15年前だが、科学技術によって現実社会はマトリックスで描かれた世界に近づきつつある。数年前、脳卒中で四肢が麻痺してしまったCathy Hutchinonが、自らの意志によってロボットアームを操作し、カップに入ったコーヒーを飲んだのだ。これが可能なのは、Hutchinonの脳内に完璧な筋骨格系の「地図」が存在するからだ。つまり、Hutchinonの大脳において右腕を制御する部位にマイクロチップを埋め込み、そこから電気コードをロボットアームに繋いだのだ。そして、Hutchinonは既に麻痺している自らの右腕を、麻痺する前のように動かしたいと脳で考え、それによって代役であるロボットアームを動かすことが出来た。
この話がランニングとどう関係するのか?と疑問に思う読者もいることだろう。もう少しお付き合いいただきたい。ここ数年、運動科学者の間で議論の的となっているのは、「『運動のしんどさ』という知覚(原文:the perception of effort during exercise)は何に起因するのか?」である。「運動のしんどさ」とは筋肉の運動に伴う感覚であり、それはいわば皮膚で「空気が冷たい」ことを知覚するような触知可能なものであるという考えがある。しかしSamuele Marcora(イギリスのKent大学所属の運動生理学者)は、人間の肉体は「運動のしんどさ」の知覚と殆ど関係が無いと考えた。逆に彼は、「『運動のしんどさ』を認知するとは、大脳中枢から筋肉に発信された命令を意識的に気付くことにほかならない」と主張した。言い換えると、人間が走るのに必要な筋肉を作動させる大脳の部分は、信号を送ることで当該筋肉を活動させるだけでなく、当該筋肉がどれ位活動しているかという感覚をも生成しているのだ、ということである。そして、筋肉から大脳にフィードバックされる感覚情報は、「運動のしんどさ」の認知には全く関係が無い、というのだ。
2012年に”Psychophysiology”誌で発表された研究結果が、上記の考えを支持するものであった。Marcoraらの研究グループが次のような実験を行った。16名の健常な成人男子を被験者とし、彼らに上腕二頭筋が疲労していない状態/事前に疲労させた状態で、軽い負荷/重い負荷でカールをさせた(つまり、4水準の試験を行った)。カールをさせている間、被験者の大脳の運動皮質/上腕二頭筋の活性を測定し、試験後には被験者が知覚した運動強度を申告させた。
その結果、筋肉&大脳の活性/知覚した運動強度は、重い負荷を挙げた場合でより高かった。また、負荷の軽重に関係無く、上腕二頭筋を事前に疲労させた状態で運動させた場合の方が大脳の活性/知覚した運動強度が高かった。勿論、この結果は予想通りのものであった。ここで興味深いのは、同じ負荷を挙げたにも関わらず、筋肉の疲労度が高い場合で大脳の活性が高かったということである。
つまり、負荷が等しくとも、大脳の運動皮質の活性は「運動のしんどさ」に比例したのだ。詳述すると、挙上した負荷が比較的「楽ちん」と感じられた場合、大脳の活性も比較的低かった。逆に、挙上した負荷が「キツい」と感じられれば、大脳の運動皮質の活性も高かった。
一般的には、ある2つの要因の間に相関関係が認められたからといって、必ずしも因果関係が存在するとは即断出来ない。しかし、上述の実験で認められた、大脳の運動皮質/「運動のしんどさ」の間に認められた相関関係は、Samuele Marcoraが提唱した考え、つまり「運動のしんどさ」は筋肉から大脳に送られた信号によるものでなく、あくまでも大脳独自の活動であるという仮説を支持するものと云える。なお、Marcoraは追試を計画している。
仮にMarcoraの仮説が正しいとすれば、ランナーにとっても何らかの形で応用/実践出来る可能性がある。疲労感が大脳の活動によって生成されるものであれば、ランニングについて何かを考えるだけで疲労感を知覚するのも有り得る話である。また、トレーニングを視覚化してそれに馴らすことで、疲労に対する抵抗性を高めるのも可能かもしれない。それならば、通常のトレーニング以外の時間に出来るし、故障で休養中でも出来る事である。事実、筋力トレーニングを想像させることによって筋力自体が向上するという研究結果も報告されている。
マトリックスでキアヌ・リーブスが演じた主役が現実世界に舞い降りてランニングをし始めたら、彼は自らの運動能力が高いことに驚くかもしれない。もしそうであれば、それは映画の世界で既に経験したランニングによるものであろう。それは勿論、脳内で実践したことであろうが。
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