合衆国の片隅で新館 2006~

5人と4頭プラスαと2羽と1匹とその他大勢だったアメリカ暮らしは2人と1頭と1匹になりました。

日本に行ってきました

2016-04-04 | 此処じゃない何処かへ

先月、一人っ子のうぃるちをトレーナーさんの友人に預けて(ええ、本気噛みまでされながらもしっかり躾てくださいました。おかげでまた一段とおりこうさんになって帰ってきました。ありがとう~)、日本で甥っ子の結婚式に出てまいりました。東京では娘のアパートに滞在。楽しかった。



飛行機はアメリカンエアライン。旅行会社のキャンペーンでウソみたいな値段で取れたチケットでしたが、基材はボーイングの787、クルーもサービスもとても良かったです。これからはできるだけアメリカン使おう。ノースワーストがなくなって本当によかったわ



映画やテレビ番組の選択肢も多かったけど、いつでも個人モニターで現在地の風景が、前、右、左とみられるのが楽しかったです。



まあ、ほとんどどこ見ても変わらないんだけれども。。。




結婚式は茨城で。なんと、我が甥っ子である新郎の手作りであるというテディベアがお出迎えしてくれました。



神式の結婚式なんて何十年ぶりだろう。新鮮でした。




オットの実家では梅が満開。水戸は臨時の「偕楽園駅」もオープンしていて、いい季節だったみたい。しかし、ここで初めて本当に杉の木から黄色い粉が飛ぶのを見てしまいました。怖いわー。でも十数年も杉から遠ざかっていたことで、体の中のアレルギー値がずいぶん下がったようで、そうひどい花粉症は起こさずに済んだのでした。




挨拶に行った親類の家で、オットの祖父が戦時中満州で受け取った絵葉書とか手紙とか、写真とか貴重なものを見せてもらい、当時のお話なんかもいろいろ聞けたのでした。同じ世代の戦争体験でも、住んでいた場所によってずいぶん違うのだと感慨深いものがありました。私の周りではとにかく食べ物に苦労したり空襲の中を逃げまわったり、ひどい話ばかりを聞かされて育ったのですが、田舎の方はわりとのんびりしていたようですね。
しかし、実際戦地にいる本人が受け取った友人からの葉書の文面には「銃後の防空訓練も猛烈さを増し、防空壕も掘り、敵様を迎え撃つ準備はできました」などと書かれていて!うひゃーっ!




東京に戻ってからは、買い物したり食べ歩いたり。



東京の温泉で楽しんだり。



たい焼き!



ああたい焼き!紫芋とか、いちごクリームとか、サツマイモとか、クロワッサンたい焼きも美味しかった~!



何食べても美味しいけど、1日平均軽く1万歩くらい歩くので太ってる暇もないんですね。




週末だけは娘とデート。



日暮里に「猫の町」があるなんて知らなかったわー。



素敵な古民家カフェで休んだり。



B-1グランプリ食べ歩いたり。



疲れたお腹には優しい自然食のカフェも充実。って本当にすばらしい。



ついに、本物の白紙鋼の牛刀も手に入れました。数年前に愛用の26cm牛刀が完全に折れてしまってから失意の日々(笑)でしたが、やっと思い切り料理できます。と言ってもダメになった牛刀のレベルからは程遠いのですが、それと同じものを今求めようとしたら数万円の単位では買えないと言われて諦めました。これからはこの24センチ牛刀がお友達。

今回のハイライトはこのケーキかなあ。南阿佐ヶ谷の葡萄の木という、お菓子とキッチン雑貨のお店。夢のように美味しい桃のムースでした。中は何層にもなっていて、とても自分では再現できそうもないです。



娘と楽しい日々を過ごして日本を十分に楽しんだけど、やっぱり地元に帰ってくるとホッとしました。

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実は、娘の仕事は本当に忙しく、11時ごろまで晩ごはんも食べずに働いて、帰ってきたらもう食欲もなくなっていてバタン…の日々でした。すっかり痩せて、体を壊して。せめて私がいる間だけでもちゃんとしたものを食べさせようとしたけれど…難しいですね。それでも自分の選んだ仕事、責任を背負ってがんばっていました。内容はもちろん、予算から会場、旅行の手配、こまごまとしたこと全て。それはそれは大変なプロジェクトだったんです。

しかし、その1年間の努力はすべて無になってしまったのでした。。。
先日のベルギー、ブリュッセルで起きたテロ事件。実はあの翌日、あの空港に、娘フーの率いる40数人の公演団が到着する予定でした。国と国との理解を文化交流を通して深めるために頑張ってきたのに、その努力はすべて、国と国とを引き裂こうとする勢力の暴力によって奪われてしまいました。当然ながらフーはひどく落胆し、憤っていました。たくさんの「もしも…」が頭の中に渦巻いてどうしようもない、と言っていました。それでも、母は、何よりもどんな使命よりも、娘が無事でよかった、と安堵しています。あと1日ずれていたら、一体どんなことになっていたのか。娘も、一緒に行くはずだった公演団のみなさんも。子供だっていたんです。本当に…よかった。犠牲になった人たちもみんな紙一重の運命だったはずだったのに。無念です。

でも何も解決はしていないんですね。これからも、またいつこんなことが起きるかわからない。こんな時代に生きていく我々はどうしたらいいのか。

娘はこう書いていました(無断抜粋):
日本の文化発信が注目されがちですが、もう一方で、日本人にとって他文化を身近に感じる環境づくりというのが、同じくらい大事だと私は信じています。今回の事件で、その相互交流に辿り着けなかったというのが悲しく、悔しいです。また海外は危ない、イスラムは怖い、というステレオタイプのループが繰り返されます。でも、過激派組織の行動でイスラムの背景を怖がらないでください。色んなものをひとくくりにしないでください。有事の際だからこそ、小さな理解の芽を育てていく、またいつか、いつか彼の地にこの人たちを連れて行ける時があれば、と強く思いました。(以上抜粋)


こんな時だからこそ、異文化間の対立を煽る勢力に乗せられてはいけない。それでは暴力グループの思う壺だ。それだけは私にもわかります。


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4 コメント

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Unknown (TAMA)
2016-04-09 03:06:03
☆chieさん、
日本は平和ボケというか、平和なんですよね。ほかの国とずっと切り離されてきた歴史からまだ完全には復活していない。「外国」は文字通り外の世界で、ほぼおとぎの国レベルで自分たちの生活とは関係ないように感じちゃう。

2週間ちょっとの滞在で、茨城に数日いた以外は東京から出てないですよー。chieさん、日暮里のネコの町(夕焼けだんだんと呼ばれているあたりかな)きっと好きだと思うわー。
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Unknown (chie)
2016-04-05 22:46:05
フーちゃんが書いていること、そのとおりです。
日本にいると平和ボケしてしまいます。
他文化や他宗教を迫害しないおおらかさも平和ボケから来ているだけなのかもしれない。
争いの中で理解することって本当に難しい。

でもブリュッセルで起きたテロに一日違いで巻き込まれなかったことのほうに心から安堵しています。
体をこわすほど頑張っているフーちゃん偉い。
偉いけどTAMAさんは遠くにいてさぞ心配でしょう。

こっちで随分あちこちへ行かれたようだけど、
いったい何日間滞在でした?
私、行ったことない場所だらけよーー。
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Unknown (TAMA)
2016-04-05 08:50:09
☆シナモンさん、
実際に公演をする予定だった人たちが取材をされたのではないかしら?公演団には子どもも含まれてていました。東北から来て、もう成田のホテルで待機しているときだったので、まさに呆然としていたことと思います。その子たちに何かを考えるきっかけになってくれれば、と思います。
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Unknown (シナモン)
2016-04-04 08:08:20
フーちゃん取材されませんでしたか?
友人にその話をしたら、「あ、それ観た、呆然としていました」と、どうもニュースで流れたようです。
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