ある休日、父が話し合いの為に一時帰宅した際に、
遂に母に対して"手が出た"。
母は、子供に喧嘩する姿を見せてはいけないと思い、『外出しなさい』と父が帰ってくる度に言われていた為、その場には居合わせなかったが、帰宅すると母の顔が大きく腫れ上がっていた。
母の顔を見てすぐに理解し、私は母に
『もうやめよう...』
『お金返してもらって脱会しよう...』
このような言葉をかけ、泣き崩れ、母は何度も『ごめんね』と言って、私を抱きしめて、玄関で一緒にわんわん泣いたのを覚えています。
翌日になると、真っ黒に変色し、さらに腫れて変形してきた母の顔を見るのはあまりにも辛く、
大きなショックを受けました。
大好きな父が、大好きな母を殴る....
これは中学生の私にはあまりにも耐え難い状況でした。
(※実際には文字にできない程の内容がありました)
こんな状況になっても、母は『お父さんは悪くないの。お父さんを悪く思わないでね。』とこのような言葉をかけられたと思います。
ふざけて父をイジる事はあっても、普段から子供の前では父を悪く言ったり、下げるような発言は絶対にしない母でした。
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父と離れ離れになった事、
大好きな両親が対立している事、
教会の対応があまりにも不誠実だった事、
よほどストレスだったのか、この頃から自分の身体に異変がでてきていました。
そんな状況で、日に日に教会に対して恨みが増していき、自宅の祭壇のご父母様のお写真が目に入れば、倒して伏せてしまう程でした。
そしてある時、二世担当の婦人がクリスマスに
【ハゲ頭と苺 -(著文亨進)】と言う本を
『プレゼントだよ。』と、
私に手渡してきた婦人に対して『要らない!』と受け取らなかった時、無理やり『持ってなさい』と強引に手渡してきたので、爆発してしまい
『要らないって言ってるでしょ?』
と言って、本を婦人に向かって投げつけそうになったが、一瞬理性が働き、放り投げるように床に捨ててしまった。
婦人は驚きすぐに私に謝罪してきたが、帰宅後、私は酷い罪悪感でいっぱいでした。
こんな調子で、家庭が悪化するのと比例して教会内ではますます反抗的になっていきました...
ただ、神様の存在は疑わなく、いつも常に自分の中に居た為、神様に『いつまでこんなことが続くのでしょうか?家族一緒に仲良くまた暮らしたい。それ以外は望みません、だからお父さんを返して下さい』と毎日祈っていました。
両親が居て家族仲良く、普通に暮らすただそれだけの事が、どれだけ尊い日々だったのか強く実感しました。
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その頃、父が母と教団に対して提示していた、最終的な要求は『教祖の謝罪』(無理すぎw)と『返金』だった。
(※この時期に父はコッソリと【被害者家族の会】に入っていることが判明し、そして弁護士とやり取りしている事も分かった。)
今は笑えるが、当時は真剣に『文鮮明を呼べ!』『お前達がしてる事がいかにおかしな事か分からせてやる!』このような事を言っていた。
自分の要求が、あまりにも無謀な要求であるかが分かると、今度は『献金を指示した責任者を呼べ!謝罪に来い説教してやる。』と言っていたらしい...
すべて後から聞いた話しだが、母が教会長にお願いすると、何とずっと訪問での謝罪を『拒否』していたらしい。(🥹🥹🥹)
おまけに教会長は、なすりつけるように、婦人部長に謝罪に行かせようとしていた。
父は『女性はダメだ』教会の1番の責任者を出せと、婦人部長だったら来るなと、拒否していたらしい。
それでは、『話を聞くので会っても良い、教会に来て下さい』と教会長が母を通して父に伝えたところ、さらに父が怒り狂い、上から目線の態度である事や、普通は謝罪する側が出向く事を注意され、この教会長は更に父を怒らせ、火に油を注いでいた。
後に分かったが、謝罪を拒否していた理由は『サタン圏の人間に謝罪する事は赦されない、神に背く行為だ』と、その教会長は言っていたそう。
この理由は私が大人になってから母から聞いた内容だったが、私は呆れて開いた口が塞がらなかった...。
その教会長は自分を守る為に、父の要求や約束を守る事もなく、最後まで父に会うのを拒否し、トンズラした。
しばらく経って、教会長が変わった。
後に、このお方が状況を変えていく、きっかけを作る人となった。(※現在松濤本部職員)
⇒【#3】へ続く
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