①「諸聖人の交流」(現代カトリック事典」
エンデルレ書店 1982年)
地上の教会の信者と天国の聖人と煉獄の霊魂との一致と協力。この三者はキリストの神秘体の構成員として一つに結ばれている。地上の教会の信者は同じ信仰を公言し、同じ権威に従い、祈りと善業をもって互いに助け合って交流する。地上の信者は天国の聖人を栄光の教会の構成員として崇敬し、聖人たちの祈りと助けを呼び求め、聖人たちの善徳を見習おうと努力することによって交流する。地上の信者は煉獄の霊魂を自分たちの祈りと善業によって助けることによって交流する。
②「諸聖人の通功」(キリスト教百科事典
エンデルレ書店1960年:第2バチカン公会議前)
地上、煉獄、天国のキリストの神秘体の枝となるすべての信者の超自然的共同体。これは救霊の聖寵(恩恵)と信仰の愛との享持(きょうじ:保持)に根ざすものであり、この共同体の家族は救われた者を唯一の聖寵の主であるキリストと結び、すべてを超自然的諸善の相互的授受および義とされた者の功徳への参与にと結ぶ。つまり、イエズス・キリストを頭(かしら)にいただいて一致している人びと ー 天国の聖人、煉獄に苦しむ霊魂、現世の信者 ー が互いに功(こう)を通じて助け合うことである。すなわち現世の信者は、祈り、善業を行ない、苦しみを耐え忍ぶなどして、互いに助け合い、また煉獄の霊魂に対しては、祈り、善業、免償、償い、ことにミサ聖祭をもって助ける。在天の諸聖人はわれわれに自分の功徳をわかち、われわれの祈りを神に取り次いで、われわれを助ける。
③「旅する神の民」(カトリック教会の教え
日本カトリック司教協議会 2003年)
第二バチカン公会議は、この地上の教会を「終末に向けて旅する神の民」と呼び、天上の教会と心を一つにすることを呼びかけました。(『教会憲章』7章参照)。伝統的には、教会は、戦う教会(地上の教会)、清めの教会(煉獄の教会)、勝利の教会(天国の教会)と呼ばれてきました。教会がより大きな完成への途上の中で理解されてきたことがわかります。そのため、つねに、信者間での信仰の交わりだけでなく、死者のために祈ること、聖人を崇敬し取り次ぎを願うことなどが大切にされてきました。これを「聖徒の交わり」と呼びます。
④「聖人の執り成しを祈ること」
(祈りの偉大な力 リゴリ聖アルフォンソ著
レデンプトール修道会 1999)
1.聖人に取り次ぎを祈ることは有益である。
ここで問う。神の恵みを得るために執り成しを願うことは必要であろうか?
私たちの罪によって受けるに値しなくなった恵みを、イエス・キリストの功徳によりいただくために、聖人たちに取り次ぎを願うことは正しいこと、有益なことであろうか?しかり、これは教会の教義であり、トリエント公会議(1545~1563年)はこう宣言している。「御子キリストによる神の恵みを乞い願うために、聖人たちに懇願し、その保護と助けを願うことは良いこと、有益なことである。」
生きている者の祈りをあてにすることが許されるのなら、天国で神の御前にいる聖人たちの祈りにすがることが許されないことがあろうか?それは神にたいする不敬であるどころか、神を二倍に敬うことになるのである。つまり王を敬うことは王自身だけでなく、その僕たちをも敬うことになるのである。だから、聖トマス・アクィナスは何人もの聖人に祈りを願うことは良いことだとする。「一人の聖人に願うだけでは得られないことも、数人の聖人に頼めば、得られることもある。」私たちのために取り次ぎをしてほしいと聖人たちに祈ることが何の役にたとうか、彼らはそれに値する人たちのためにしか取り次ぎをしてくれないのだからと反駁する人もいるだろう。」これに対し、トマスはこう答える。「値しない人もいるだろう。が、その人も熱心に聖人に聖人に取り次ぎを願うことによって、値するようになるのである。」
⑤諸聖人の交わり
(ご存じですかシリーズ84 世のひかり社)
地上で戦う者、煉獄で清められる者、天国で幸福をうけているものは皆、
神の子どもたちの大家族では、すぐれた程度の交わりがあります。この事実をみのり豊かなものにするために、この「諸聖人の交わり」という信仰箇条を固く信じ、天国の聖人の取り次ぎを願うと共に、煉獄の霊魂のために祈りを捧げましょう。
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第1部 信経
第2部 秘跡
ー 以上ー
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