カトリックコミュニティ掲示板

分野・種類に限らず、カトリック関係の記事を掲載します。

神父の放言:キリストを迫害した人々

2022-09-12 22:44:13 | 日記
キリストを迫害した人々

キリストを迫害し、死に追い詰めた人々は、皮肉なことに「自分は最も
信心深い者だ」と思っていた人々だった。そんなことがありえる。
ファリサイ派と律法学者たち、彼らは当時のユダヤ教社会の宗教的指導者、
権威者だった。聖書を最もよく知っていた人々だった。

しかし知識で知ることと、心で知ることは違うのだろう。

 後にキリスト教に改心してもっとも大きな功績を挙げたパウロは、
以前は熱烈なファリサイ派だった。そのときの反省があってか、
手紙の中でこのようなことを言っている。
 「知識は高ぶらせるが、愛は作り上げる」。(Ⅰコリント8章)
 「文字は殺し、霊は生かす」。(Ⅱコリント3章)

 律法を知っているだけでは、「文字は殺し」「知識は高ぶらせる」
ことになる。律法を行い、愛に生き、聖なる神の霊によって
生かされなければ、律法を知ってかえって悪しき人間になることもある。
彼らは民衆を見て、「律法を知らないこの人々は不幸だ。」
「呪われている」(ヨハネ7章)と言い、さげすんでいた。

 多くの人がイエスのなさる業を見たり、説教を聞いて「この人こそ
メシアだ」と思ったが、ファリサイ派の人々はそのあら探しばかりした。
そしてイエスの揚げ足を取ろうとしていろいろ質問した。
それがうまくいかないと見ると、イエスを殺す相談を始めた。

 彼らはイエスの革命的な教えを聞き、その行いを見て、「モーセの教えと
違う。聖書に反することをしている」と考えた。だから許してはならないと
思っていた。しかも自分たちの偽善をイエスが厳しく指摘する。
われらこそはメシアに最も気に入られると思っていたのに、
このイエスの前では立つ瀬がない。民衆の前で恥をかかされる。

 「聖書は私について書いているのに、あなたたちは私を
殺そうとしている」(ヨハネ5章)とイエスは言われた。

またファリサイ派や律法学者たちが昔の預言者たちの記念碑を立てて、
「私たちがその時代に生きていたならば預言者を殺さなかっただろうに」
と言っているのをイエスが聞いて「あなたたちは先祖の悪行を完成したら
どうだ」(マタイ23章)と皮肉をおっしゃった。案の定、彼ら自身が、
預言者の中の預言者であるキリストを死に追いやることになる。

このようにして、聖書に最も詳しかったファリサイ派と律法学者たちが、
聖書が予言していたメシアを死に追い込む先導をした、という皮肉な結果
になった。これは現代でも繰り返される。神学を勉強した者でも、
実はまことのキリストを知らない、ということがありえる。

キリストを文字や知識だけで学んでもダメだ。心で読み、
実践しなければダメだ。現代、もしキリストが予期しないお姿で
来られたならば、
「私こそ聖書の先生だ」「神学を知っている」「大変信心深い」と
自認する者が、率先してキリストを教会から追い出す、ということが
極めてありえる。司祭も気をつけなければならない。またよく教えを
知っていて熱心だと自認する信徒も気をつけなければならない。

 聖書について最もよく知る者が、一番聖書に反することをする、
ということがありえる。これは他宗教でも同じだろう。
仏典を最もよく知ると自認する者たちが、最も仏典に反することを
行っているということがありえる。

 私たちは聖書を知れば知るだけ、へりくだりたい。

            サイト:「神父の放言」より転載

神父の放言:すべての人の救い

2022-09-11 20:29:53 | 日記
すべての人の救い 2015/07/08

キリストによってさまざまな価値転換が行われた。

ユダヤ人よりも異邦人が救われる。
 大人よりも子供たちのほうが天の国に入る。
 正しい人ではなく罪人を救うために来た。
 富んでいる人よりも貧しい人々が幸い。
あとの者が先になり、先のものが後になる。

 旧約聖書の中でユダヤ人は神から選ばれた選民であった。
キリストもユダヤ人であり、ユダヤ人の間で宣教したが、
ユダヤ人が捨てられ、異邦人が救われるだろうという予言がなされる。
といっても、初期のキリスト信者は皆ユダヤ人であったから、
捨てられるといっても皆ではないが、ユダヤ人はキリストを
死に追いやり、また、その後もユダヤ教の宗教指導者たちが
キリスト教を迫害することになる。

しかしいずれ、神はユダヤ人たちを顧みてくださる、とパウロは言っている。

また大人ではなく、子供のような心を持つ人こそが天の国に
入るとお教えになる。
キリストに近づこうとする子供たちを周りの大人たちが阻害したので、
キリストは「子供たちを私のもとに来させなさい」とおっしゃった。

 また「子供のように心を入れ替えて天の国を受け入れる人でなければ、
決して天の国に入れない」(マタイ18章)。清らかで純粋で、信じる心を
持たなければならない。

 富者ではなく、貧しい人こそ天の国に入る。
 「貧しい人は幸いである。天の国はその人のものである。」(マタイ5章)
 「金持ちは不幸だ。金持ちが天の国に入るのは、らくだが針の穴を
通るよりも難しい。」
 貧しく謙虚で、人を踏みつけない者たち、自分のありのままの姿を
知る者たちでなければならない。

 旧約聖書の世界では富者は神に祝福された人々だと考えられていた。
だからこの教えを聞いた人々は驚いた。
キリストご自身も貧しい家に生まれ、生涯貧しくお暮らしになった。

 正しい者ではなく罪人が先に天の国に入る。
 正しいといっても、自分を正しいと思って人を見下す人たちのことを
指していて、一般的に正しい人を否定しているわけではない。
ファリサイ派や律法学者たちの正しさは本当の正しさではなかった。

キリストは彼らに向かって言われた。
 「あなたたちよりも遊女や徴税人のほうが先に天の国に入るだろう。
なぜなら彼らは信じたからである」(マタイ21章)。徴税人は当時、
罪人の代名詞のように使われていた。

 「医者を必要とするのは病人である。私が来たのは正しい人のためではなく罪人のためである。」(マタイ9章)
 「私は罪人を探して救うために来た」

 真に正しい人を神はお喜びになる。しかし正しさにうぬぼれ、
人を見下す人を神はお認めにならない。また人はすべて罪人であり、
神の許しを必要とする。自らの罪深さを認め、へりくだって神の助けを
願う人が真に正しい人となってゆく。

このように、誰が救われるのか、という考えについて大きな価値転換が
行われた。

ユダヤ人よりも異邦人、大人よりも子供、正しい人よりも罪人、
富んでいる人よりも貧しい人々。あらゆる人が救われる可能性がある。
今まで救われがたいと思われていた人々にむしろ救いの可能性がある。
謙虚で素直に信じる人々のほうが救われる可能性が大きい。

 「先の者が後になり、後の者が先になるだろう」(マタイ19章)

              サイト「神父の放言」より転載


神父の放言:悪魔の実在について   

2022-09-11 14:52:05 | 日記
悪魔の実在について    2012/10/09


現代では、一般社会はもとより、カトリック信者の間でも悪魔の実在についての観念が希薄になってきている。しかし教会はキリストの頃から一貫して、この実在を説いてきた。

 現代の教会の、悪についての教えは何か。どのような教えについてもそうだが、そういう疑問を持ったときには『カトリック教会のカテキズム』を見るのが一番いい。これこそカトリック教会2000年の多岐にわたる神学の結晶だと言っていい。そして現在の教会の公的な教えでもある。

また教会教義をはっきりさせるためにパウロ6世が作った「クレド」は簡単ながらはっきり書いている。ここにも悪魔の実在は肯定されている。

 悪魔、とは、現代の解説では人間心理の暗い部分に還元される。つまり、人間の心の闇を象徴的に悪魔といっていると。

しかしキリスト教会のみならず、多くの宗教でもそうであろうが、悪魔は象徴的なものではなく実在的なものだ。つまり、知性と意志を持った何者かだ。そしてカトリック教理によれば、それは人間より高い知性を有している。つまり堕落してはいるが、もともと天使の本性を持った者たちだ。

 天使というのも今となってはおとぎチックな話しだが、定義するなら、知性と意志を持った純粋な霊、ということになる。物理的な身体を持たない純粋霊だ。

 現代の悪魔の最大の成功は、悪魔が実在しないと人々の思わせることだと、ある教皇がおっしゃっている。

 実在しなければ戦い方も変わる。人を落としいれようと手を変え品を変えてくる、われわれの力を超えた実在がいるからこそ、戦い方が違う。そして悪魔の実在を知ることは、間接的に神の存在へと人々の心を導く。

 現代、人々が神を意識するひとつの力は、その対照的存在である悪の存在を意識させることだ。

 愛や喜び、救い、そして神を説くだけでは足りない。心の鈍い人にとっては甘っちょろいのだ。時には喜びの福音のみならず、世間の誤りに対して鞭をふるったり、地獄の滅びを予告することも必要だと思う。これで改心する者の例は多い。

アメリカの映画に「エクソシスト」というものがあり、ホラー映画としては絶えず上位を占めるらしいが、この映画が恐ろしいのは、実話を元にしているということだ。

 先日、この映画のエクソシストの舞台となった病院を経営する、Alexian Brothers修道会のある修道士と話をする機会があった。その修道士もこの出来事から大きな衝撃と教訓を得ていた。

 修道士でさえ悪魔の存在について考えさせられたと言っているように、それほどに、現代のキリスト教会でも悪魔の実在についての意識は希薄となっている。

 映画については、「エクソシスト」の続編や「エミリー・ローズ」「ライト」など、悪魔やエクソシスト(悪魔祓い)についての、実話を基にした作品が続いているようだ。悪魔の実在についての意識が回復されつつある。

              サイト「神父の放言」より転載

神父の放言: キリスト者のバランス 

2022-09-11 01:47:11 | 日記
キリスト者のバランス   2012/12/22


女性が水がめを頭に載せて歩いている。キリスト者の姿がそんなイメージと重なる。語弊があるかもしれないが、重たいものをもって歩いている。

 私たちは社会人として、日本人として生きてゆくために社会上のルールがある。礼儀や暗黙の常識があって、よき市民、よき社会人として周りとうまく生きてゆくだけでもひと苦労だ。

それに加え、信仰を持つ人は、時にはあたかもそれらの常識と180度違っているように見えるキリスト教の価値観を担って生きている。

 「悲しむ人は幸い、貧しい人は幸い、娼婦や徴税人のほうが先に天の国に入る、敵を愛せよ・・・」。

バランスを取るのが時には難しい。そして良心が鋭敏になってより苦しむかもしれない。

ある時には信仰や良心の消えかかった環境で一生懸命信仰に生きようとするあまり、意固地になってしまう。周りと距離をとってしまう。

 信仰と生活を両立させることが難しかったり、信仰と職場は両立しないものだとあきらめたり・・・。

 不自然になったり、かえって不親切な人間になったり・・・。

あるいはあきらめてしまい、俗人の価値観が福音の価値観を覆ってしまい、あたかもキリスト者でないかのごとく生きる場合もある。

ある司祭が「統合」という言葉を教えてくれた。キリスト者として自己を統合していかなければならない。社会のさまざまな価値観の中で生きていく私、職業人・家庭人・学生などそれぞれの身分を担って生きていく自分、日本人としての私、そしてキリスト者として生きていく自分、それらがうまく統合されなければならないとその司祭は言っていた。

これはひとつの課題だと思う。

 社会自体の価値観が多様化している。また心が病んでも不思議ではない難しい世の中だ。それに加え、同じカトリック信仰を共有していても温度差がかなり違う。そんな中で私を美しく統合させていかなければならない。難しい課題だと思う。

 重たい水がめを頭に乗せて歩く女性のように、バランスをうまくとって歩かなくては。時に不自然な信者がいても責めることなどできない。その人なりに一生懸命がんばっている。教会の指導や教導も十分ではないから、いろいろな疑問の中で信者は模索している。

 信仰とは本来、私たちが持っている人間性を美しく成長させ、完成させるものだと思う。

 聖トマス・アクィナスの神学の中で有名なこんな言葉がある。「恩恵は自然を破壊せず、かえってこれを完成する」。

スコラ神学の中で「自然」というと広く人間性も入ってくる。この言葉を今のコンテキストの中で分かりやすく説明すると、神からの恩恵は人間性を破壊することなく完成する、そして信仰も人間性を破壊するのではなく、むしろ完成する。人間性を無視するのではない。

 信仰を得ることによって人は余分なものを身に着けたのではなく、あるいは不自然な人間になるのでもなく、むしろ信仰によって人間本来の美しさや善さが成長し完成するということ。だから本当は、重たい水がめを持っている不安定なイメージではない。太陽である神が花を成長させ、咲かせているイメージの方がよいかもしれない。

しかし実際は、私たちは不器用に水瓶を持ち上げている場合が少なくない。これは挑戦だ。

もしよき市民、よき社会人、そしてよき日本人として人の信用を得、その上でよきキリスト者であることができるならば、その人は光のように世を照らすことができるに違いない。その人を通して多くの人がキリストに導かれるだろう。キリストの教えは確かに世を照らすものだ。

 不器用にしか担ぐことができない人がいても、その人が周りを照らしていることだってままある。

 現代、キリスト者として自己を統合していくことは私たちの課題だ。そしてこの課題はけっこう難しい。できていない人がいても責めることはできない。しかし、統合されて生きていけるなら、世を照らす者となれるだろう。

                (サイト:「神父の放言」より転載)

日本二十六聖殉教者のロザリオの祈り

2022-09-05 14:21:32 | 日記
日本二十六聖殉教者のロザリオ

聖ペトロ・バプティスタ、聖パウロ三木等26名の司祭、修道士、信者は長崎の立山で
1597年2月5日殉教した。 1862年6月8日列聖。祝日2月5日。
(26人のうち、日本人は20名、スペイン人が4名、メキシコ人、ポルトガル人がそれぞれ1名であり、すべて男性であった。)
日本二十六聖人列聖 1597年に豊臣秀吉により長崎で磔にされた26人のクリスチャン。処刑の行われた西坂の丘はゴルゴタに似ているという理由で彼ら自身が望んだ。


(カトリック二俣川教会作成)


十父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン 。

十 使徒信条(信仰宣言)

(十字架で)

 天地の創造主、全能の父である神を信じます。
 父のひとり子、わたしたちの主
 イエス・キリストを信じます。
 主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、
 ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、
 十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、
 三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、
 全能の父である神の右の座に着き、
 生者と死者を裁くために来られます。
 聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、
 罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
 アーメン。

主の祈り

 天におられるわたしたちの父よ、
 み名が聖とされますように。
 み国が来ますように。
 みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
 わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。
 わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
 わたしたちを誘惑におちいらせず、
 悪からお救いください。

アヴェ・マリアの祈り

 アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
 主はあなたとともにおられます。
 あなたは女のうちで祝福され、
 ご胎内の御子イエスも祝福されています。
 神の母聖マリア、
 わたしたち罪びとのために、
 今も、死を迎える時も、お祈りください。
 アーメン。

聖パウロ三木、あなたは京都から長崎までの十字架の道を歩み、
       キリストのためにいのちをささげました。

アヴェ・マリアの祈り


栄唱

栄光は父と子と聖霊に。
初めのように、今もいつも世々に。
アーメン。


第一の奥義

(月・土)
喜びの神秘 :第1の黙想 マリア、神のお告げを受ける。
この1連をささげて、神の呼びかけに信仰をもってこたえることが
できるよう聖母の取り次ぎによって願いましょう。

(火・金)
苦しみの神秘 :第1の黙想 イエス、苦しみもだえる
この1連をささげて、誘惑に陥らないうに目覚めて祈る恵みを
聖母の取り次ぎによって願いましょう。

(日・水)
栄えの神秘 :第1の黙想 イエス、復活する
この1連をささげて、わたしたちが主とともに死んで、その復活にも
あずかることができるよう聖母の取り次ぎによって願いましょう。

(木)
光の神秘 :第1の黙想 イエス、ヨルダン川で洗礼を受ける
この1連をささげて、 洗礼の恵みを神に感謝し、
聖霊に導かれて、神の子として生きることか
できるよう聖母の取り次ぎによって願いましょう。

主の祈り


アヴェ・マリアの祈り
聖フランシスコ吉、あなたは京都から長崎までの十字架の道を歩み、
         キリストのためにいのちをささげました。

アヴェ・マリアの祈り
聖コスメ竹屋、同上

アヴェ・マリアの祈り
聖ペトロ助四朗、同上

アヴェ・マリアの祈り
聖ミカエル小崎、同上

アヴェ・マリアの祈り
聖ディエゴ喜斎、同上


栄唱


第二の奥義

(月・土)
喜びの神秘:第2の黙想 マリア、エリサベトを訪問する
この1連をささげて、救いの訪れをたたえ、喜び合う心を
聖母の取り次ぎによって願いましょう。

(火・金)
苦しみの神秘 :第2の黙想 イエス、むち打たれる
この1連をささげて、イエスがベトロにあわれみの目を向けられたことを
思い、罪から立ち上がる恵みを聖母の取り次ぎによって願いましょう。

(日・水)
栄えの神秘 :第2の黙想 イエス、天に上げられる
この1連をささげて、わたしたちが主の復活の証人として生きることが
できるよう聖母の取り次ぎによって願いましょう。

(木)
光の神秘 :第2の黙想 イエス、カナの婚礼で最初のしるしを行う
この1連をささげて、 イエスへの信仰を深めることができるよう
聖母の取り次ぎによって願いましょう。


主の祈り

アヴェ・マリアの祈り
聖パウロ茨木、あなたは京都から長崎までの十字架の道を歩み、
       キリストのためにいのちをささげました。

アヴェ・マリアの祈り
聖ヨハネ五島、同上

アヴェ・マリアの祈り
聖ルドビコ茨木、同上

アヴェ・マリアの祈り
聖アントニオ、同上

アヴェ・マリアの祈り
聖ペトロ・バプチスタ、同上

栄唱

第三の奥義

(月・土)
喜びの神秘 :第3の黙想 マリア、イエスを生む
この1連をささげて、神の御子を迎え、礼拝する心を聖母の
取り次ぎによって願いましょう。

(火・金)
苦しみの神秘 :第3の黙想 イエス、いばらの冠をかぶせられる
この1連をささげて、誤解や侮辱をおそれずに信仰を生きることが
できるよう聖母の取り次ぎによって願いましょう。

(日・水)
栄えの神秘 :第3の黙想 聖霊、使徒たちにくだる
この1連をささげて、わたしたちが聖霊に満たされ、いつも勇気をもって
救いの福音をのべ伝える者となるよう聖母の取り次ぎによって願いましょう。

(木)
光の神秘 :第3の黙想 イエス、神の国の到来を告げ、人々を回心に招く
この1連をささげて、イエスの招きに応え、心から悔い改めて、
福音を信じることができるよう聖母の取り次ぎによって願いましょう。


主の祈り

アヴェ・マリアの祈り
聖マルチノ・デ・ラ・アセンシオン、あなたは京都から長崎までの十字架の道を歩み、
                 キリストのためにいのちをささげました。

アヴェ・マリアの祈り
聖フィリッポ・デ・ヘスス、同上

アヴェ・マリアの祈り
聖ゴンザロ・ガルシア、同上

アヴェ・マリアの祈り
聖フランシスコ・ブランド、同上

アヴェ・マリアの祈り
聖フランシスコ・デ・サン・ミゲル、同上

栄唱

第四の奥義

(月・土)
喜びの神秘 :第4の黙想 マリア、イエスをささげる
この1連をささげて、毎日の生活を神に奉献することができるよう
聖母の取り次ぎによって願いましょう。

(火・金)
苦しみの神秘 :第4の黙想 イエス、十字架を担う
この1連をささげて、わたしたちも日々、自分の十字架を担って主に
従っていくことができるよう聖母の取り次ぎによって願いましょう。

(日・水)
栄えの神秘 :第4の黙想 マリア、天の栄光に上げられる
この1連をささげて、わたしたちも天の国を求め、永遠の喜びに
入ることができるよう聖母の取り次ぎによって願いましょう。

(木)
光の神秘 :第4の黙想 イエス、タボル山で栄光の姿を現す
この1連をささげて、主の変容を心に刻み、イエスに聞き従うことが
できるよう聖母の取り次ぎによって願いましょう。



主の祈り

アヴェ・マリアの祈り
聖マチアス、あなたは京都から長崎までの十字架の道を歩み、
      キリストのためにいのちをささげました。

アヴェ・マリアの祈り
聖レオン烏丸(からすまる)、同上

アヴェ・マリアの祈り
聖ボナベンテゥラ、同上

アヴェ・マリアの祈り
聖トマス小崎、同上

アヴェ・マリアの祈り
聖ヨアキム榊原(さかきばら)、同上

栄唱

第五の奥義

(月・土)
喜びの神秘 :第5の黙想 マリア、イエスを見いだす
この1連をささげて、日々の生活のなかで主イエスを探し
求める心を聖母の取り次ぎによって願いましょう。

(火・金)
苦しみの神秘 :第5の黙想 イエス、息をひきとる
この1連をささげて、救いの恵みがすべての人に与えられるよう
聖母の取り次ぎによって願いましょう。

(日・水)
栄えの神秘 :第5の黙想 マリア、すべての人の母となる
この1連をささげて、救いを求めるすべての人が御子イエスのもとに
導かれるよう聖母の取り次ぎによって願いましょう。

(木)
光の神秘 :第5の黙想 イエス、最後の晩さんで聖体の秘跡を制定する
この1連をささげて、すべてを与え尽くされたイエスの愛に
日々ならうことができるよう聖母の取り次ぎによって願いましょう。


主の祈り

アヴェ・マリアの祈り
聖フランシスコ医師、あなたは京都から長崎までの十字架の道を歩み、
          キリストのためにいのちをささげました。

アヴェ・マリアの祈り
聖トマス談義者、同上

アヴェ・マリアの祈り
聖ヨハネ紺屋(こうや)同上

アヴェ・マリアの祈り
聖ガブリエル、同上

アヴェ・マリアの祈り
聖パウロ鈴木、同上

 栄唱

☆おしらせ(1)
 
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   第1部  信経 :  第2部 秘跡』

従来の「カトリックの教え」を修正・大幅加筆:

第1部 信経「公教要理」から、「最後の審判」まで70項にわかれて、
詳しく説明。

第2部 秘跡全般「洗礼」から「堅信」「聖体」「ミサ」までを詳説。

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とても役立つ参考書籍などが脚注で多数紹介されています。
信仰上の疑問にぶつかったときなど大きな助けとなってくれるでしょう。
詳細な目次もついてあり、事典としてもお使いください。

第1部 信経
https://peraichi.com/landing_pages/view/00hiz

第2部 秘跡
https://wnrm0.hp.peraichi.com/


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https://ameblo.jp/cha6ku6/entry-12533328485.html
歴代の教皇からの推薦もあります。全11巻となっていますので、第一巻からお読みください。>


 ー以上ー