ルルドへの旅 アレクシー・カレル著 中公文庫 2015.10刊
後にノーベル生理学・医学賞を受賞(1912年)する仏の外科医であるアレクシー・カレル(1873年~1944年)が、1902年に、かつて聖母マリアが出現したと言われ、不治の病を治癒する「ルルドの泉」で知られた、カトリック教会の巡礼地ルルドを訪れたときに目の当たりにした“奇跡”について、自ら綴ったものである。カレル博士は一般には、『人間 この未知なるもの』の著者として有名である。
ルルドは、フランス南西部のピレネー山脈の麓にある小さな町(現在の人口は15,000人)で、1858年に、町の洞窟でベルナデット・スビルーという14歳の少女に半年間で18回の聖母マリアの出現があり、その9回目の出現のときに洞窟に見出された湧水による病気の治癒例が評判になり、世界的に有名な巡礼地となったのだという。1984年、2004年に教皇ヨハネ・パウロ2世、2008年に同ベネディクト16世も訪れている。
カレル博士が、難病・瀕死の病人の一団による巡礼の旅に帯同して見たのは、末期の結核性腹膜炎に罹って、腹部が膨張し、顔が黒ずみ、脈拍が致死的な速さで、死の間際と思われた女性が、ルルドの洞窟の中で見る見る症状を改善させ、数時間のうちに治癒したという事実だった。しかも、博士はたまたまその女性を巡礼の旅の当初から診ており、自らの医学的経験からも、結核性腹膜炎が誤診だったとは考えられないのである。
ルルドを訪れるまでの博士には、「医学的に説明不能」ということは受け入れがたく、(未知の科学的法則が将来は明らかになることは予測できたので、それも含めて)科学的な探求の前に「説明不能」があってはならないという考えが優先していたことは、本作品でも繰り返し語られおり、そうした立場上、リヨンに戻ったのちもルルドへ行ったことすら知られたくなかったといい(しかし、その後も4回訪れている)、本作品についても、帯同した医師の名前(レラック)と治癒した女性の名前(マリ・フェラン)を変え、ルルドを訪れた年を1年ずらして(1903年)書かれ、かつ、博士が存命中に発表されることはなかったのである。
しかし、一方で、本作品はいずれ公表されるのを前提に書き残されたことも事実であり、博士の長く深い心の葛藤(本書の解題では、博士は「ルルドで信仰を回復した」と書かれてはいるが)を感じずにはいられないのである。
翻って、特別の信仰心を持たない私としては、本書をどのように解釈するべきかの結論を今は持ちえないのであるが、一つの作品・事実として自らの中に溜めおきたいと思う。
(ある読者評より)
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