すべての人の救い 2015/07/08
キリストによってさまざまな価値転換が行われた。
ユダヤ人よりも異邦人が救われる。
大人よりも子供たちのほうが天の国に入る。
正しい人ではなく罪人を救うために来た。
富んでいる人よりも貧しい人々が幸い。
あとの者が先になり、先のものが後になる。
旧約聖書の中でユダヤ人は神から選ばれた選民であった。
キリストもユダヤ人であり、ユダヤ人の間で宣教したが、
ユダヤ人が捨てられ、異邦人が救われるだろうという予言がなされる。
といっても、初期のキリスト信者は皆ユダヤ人であったから、
捨てられるといっても皆ではないが、ユダヤ人はキリストを
死に追いやり、また、その後もユダヤ教の宗教指導者たちが
キリスト教を迫害することになる。
しかしいずれ、神はユダヤ人たちを顧みてくださる、とパウロは言っている。
また大人ではなく、子供のような心を持つ人こそが天の国に
入るとお教えになる。
キリストに近づこうとする子供たちを周りの大人たちが阻害したので、
キリストは「子供たちを私のもとに来させなさい」とおっしゃった。
また「子供のように心を入れ替えて天の国を受け入れる人でなければ、
決して天の国に入れない」(マタイ18章)。清らかで純粋で、信じる心を
持たなければならない。
富者ではなく、貧しい人こそ天の国に入る。
「貧しい人は幸いである。天の国はその人のものである。」(マタイ5章)
「金持ちは不幸だ。金持ちが天の国に入るのは、らくだが針の穴を
通るよりも難しい。」
貧しく謙虚で、人を踏みつけない者たち、自分のありのままの姿を
知る者たちでなければならない。
旧約聖書の世界では富者は神に祝福された人々だと考えられていた。
だからこの教えを聞いた人々は驚いた。
キリストご自身も貧しい家に生まれ、生涯貧しくお暮らしになった。
正しい者ではなく罪人が先に天の国に入る。
正しいといっても、自分を正しいと思って人を見下す人たちのことを
指していて、一般的に正しい人を否定しているわけではない。
ファリサイ派や律法学者たちの正しさは本当の正しさではなかった。
キリストは彼らに向かって言われた。
「あなたたちよりも遊女や徴税人のほうが先に天の国に入るだろう。
なぜなら彼らは信じたからである」(マタイ21章)。徴税人は当時、
罪人の代名詞のように使われていた。
「医者を必要とするのは病人である。私が来たのは正しい人のためではなく罪人のためである。」(マタイ9章)
「私は罪人を探して救うために来た」
真に正しい人を神はお喜びになる。しかし正しさにうぬぼれ、
人を見下す人を神はお認めにならない。また人はすべて罪人であり、
神の許しを必要とする。自らの罪深さを認め、へりくだって神の助けを
願う人が真に正しい人となってゆく。
このように、誰が救われるのか、という考えについて大きな価値転換が
行われた。
ユダヤ人よりも異邦人、大人よりも子供、正しい人よりも罪人、
富んでいる人よりも貧しい人々。あらゆる人が救われる可能性がある。
今まで救われがたいと思われていた人々にむしろ救いの可能性がある。
謙虚で素直に信じる人々のほうが救われる可能性が大きい。
「先の者が後になり、後の者が先になるだろう」(マタイ19章)
サイト「神父の放言」より転載
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