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【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第3部・第18章)

2022-09-04 15:08:42 | 日記
【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第3部・第18章)


第十八章 神に対する英雄的忠実


〈忠実〉

聖人になる第一の条件は、霊魂を聖ならしめる神の御働きに少しも反対しない決意である。それは非常に強い意志と戦いに対する勇敢さを要求する。「私が地に平和を投ずるために来たと思うな、平和ではなく、剣を投ずるために来た。」(マタイ10-34)

修道誓願(修道生活をおくるための公式誓願)を立てる時、コンソラータは院長から「不動の決意をもって英雄的に自己聖化に励みなさい。」という命令と祝福をいただいた。

「その瞬間から神のお恵みがあふれてくるのを感じました。光を浴びふしぎな力に満たされて、新しく生まれ、修道生活を雄々しく歩み続けようという善意でいっぱいになりました。神からいただいた自分の特別な使命を全うするため、どうしても完全な自己献身が必要であることもわかっていました。」

イエズスは恵みにつぐ恵みを重ねて与え、コンソラータを聖化の絶頂へ導いたが、コンソラータもその恵みに答えて少しも反対しなかった。高い聖化に召された者は、絶壁から落ちる危険に絶えず直面していて、一歩まちがえばもう終わりである。それで案内者が必要である。

─イエズス─「あなたが自分自身や他の被造物に依り頼んだならば、かたつむりのようにしか進めなかっただろうが、あなたはイエズスのみに信頼したから、私があなたの中で奇跡的に働いて、二人で巨人のように飛んでゆくことができる!」(一九三五年十一月十八日)

イエズスはコンソラータを普通の聖人ではなく、恵みの傑作にしたいお考えであった。

─イエズス─「世間の人々は最高記録をつくるためにたいへん骨折っているが、よし! 私はあなたをすべての最高記録を破る者とする。それを私に任せなさい!」(一九三五年十日三日)

全生涯にわたってイエズスはコンソラータの心の中で働きたもうたが、修道院にはいる前はあまり目だたず、またイエズスの御働きを強く感じた修道生活の初期も準備の時期であった。はっきりしたご指導は一九三五年九月十五日から翌年の九月まで、特に一九三五年九月十五日から十二月十五日までの三カ月間に行なわれた。この短期間にイエズスはコンソラータをすべての被造物からはなし、完全純粋な愛へと導いたのである。

─イエズス─「一カ月が過ぎてあなたは大きな進歩をした! あなたが完全な聖人になりたいことを知っている。それには過去、現在、将来について少しも心配せず、あなたにとっては絶え間ない愛の心のほか、何も存在しないようにしなさい!」 コンソラータがイエズスの御働きを感謝すると、答えたもうた。「十一月には私はより強い力であなたの中に働くだろう。」 また十一月二十五日「コンソラータ、あなたの心は純化してきたので、前より清く麗しく、もっと私の所有(もの)になったと感ずるだろう! 私はあなたの中で働いて、あなたの心を清くし、永遠の生命のために、あなたに与えた賜ものを保存してあげよう。聖三位一体の神への供え物として。」

「この修道院で、あなたはすべての善徳の最もすぐれた模範になりなさい!」(一九三五年十月十日)

〈義務に対する忠実〉

─イエズス─「苦業するため、特に日常生活の義務を忠実に果たしなさい! まず第一に自分の義務を、常に自分の義務を!」(一九三五年十二月十一日)

コンソラータはイエズスの教えられたこの安全な道を常に歩んだ。

「ある朝のご聖体拝領後、私は心の中に、石垣の上に置かれた小さな十字架を何本も見ました。ながめている間にその中の一番大きな十字架が私のほうへかがんでくるようでした。愛をもって私はその十字架をいただき、口づけいたしました。するとその十字架は、便箋のはいっている箱の上に置かれました。午後になって『私はいろいろな十字架をいただく夢を見ているが、イエズスは私の十字架を、義務の上においてくださった』ことを悟り、深く感動して、私の十字架にせっぷんいたしました。

 ──祝日だったので一日の大半を聖櫃の前で過ごすつもりでしたが、秘書として多くの手紙を書かねばなりませんから夜おそくまで手紙を書いておりました。」 イエズスは「ごらん、
 コンソラータ、私は絶え間なく続く小事への忠実が大好きだ。」
(一九三五年十二月十三日)とほめ、励ましてくださった。また「ストーブをたく時、小さなまきはすぐ燃えつくが、大きなまきは燃えつくのに時間がかかる。わかりましたか。」と仰せられて、小さな犠牲こそ愛の絶えざるストーブを燃やすまきであることを教えられた。

聖暦年の大祝日や修道生活の大きな祝日を迎える準備として行なわれる九日間や三日間の信心の時には、いつも「すべての義務に対する忠実」という恵みを願った。

「イエズスの私へのご計画がすべて実現されますように、各瞬間ごとの義務への忠実が必要です。小さい仕事、小さい会則、小さい苦業、小さい善徳に対する忠実こそ、意志を強め、心の熱を保つものです。」
この決心にそむくたびごとに、コンソラータは落胆せず、すぐに舌で床に十字架を印すなどの小さな苦業や、人に親切、寛大にすることなどによって償い、再び決心を守るよう警戒しながら励んだ。

〈決心に対する忠実〉

イエズスに導かれてコンソラータは自分の決心や特別な誓約を英雄的忠実をもって守るように努力した。

─イエズス─「きのうあなたは来るべき偉大な英雄的苦難を考えては、心の準備をしようと思っていた。そしておそらくはいつまでも来ないそんな苦しみのことを考えることによって、実際にきた小さな苦しみの機会を有効に使わなかった。コンソラータ、そんなことをしないでください!来るべき苦しみを想像することはやめ、私に任せなさい! 自分の決心を忠実に守るようにだけ努めなさい。そうすれば自然に、苦しみ、試練に対して常に覚悟していることになる。」(一九三五年十一月二四日)

自分の自由意志からでなく、気がつかないで自然にやったことは不忠実とは言われない。

─イエズス─「自然に浮かんでくる考えは不忠実ではない。では不忠実とはなんだろうか? 例えば、あなたは食事の時、大きなほうをとりたがる本性に反し、常に小さいほうを選ぶ約束をしながらきのう大きいほうのトマトを選んだだろう!それが不忠実だ。」

不忠実になった時は、すぐ痛悔するとともに、信頼の心を起こし、新たな善意をもって、雄々しく道を歩み続けるよう御父が悟らせてくださった。

─御父─「あなたが特別に立てた誓約と決心を、忠実に守るため、あなたは、何もかもすべて惜しみなくささげる雅量、英雄的な雅量を示しなさい!問われないのに何かを言った時、断固として沈黙の誓約をまた新たに立てなさい!いらぬことを見た場合、いよいよ力を尽くして目の慎みに励みなさい!……この絶え間ない努力は多くの功徳となり、サタンとの戦いに新しい勇気を与えるだろう。」

そこでコンソラータは、毎朝夕、十字架の道行をするたびごとに各留で自分の決心のひとつを改め、ご苦難の功徳によって、それを忠実に守る御助けを願った。またごミサで、司祭がぶどう酒に少し水をまぜる時、自分の決心と誓約を水の一滴としてカリスの中に入れそれを忠実に守る力に変化させてくださるよう祈った。この絶えざる努力の報いとしてイエズスはコンソラータに、決心を必ず忠実に守らせてくださると約束された。

(イエズスとコンソラータとの対話、一九三五年十月二九日)

─イエズス─「コンソラータ、きょうから約五十日間……」

「イエズス、あなたはいつまでも愛してくださるでしょうか?」
「もちろん、コンソラータ」

「私があなたに不忠実なことをした時も?」

「不忠実って、どうしてそう思うの?」

「不忠実になりたくありませんが、自分は弱い者で、もし不忠実になったら……と心配で……」

「違う!違う!あなたの忠実は一分ごとに増加して完全な忠実となるだろう!」

〈恵みに対する忠実〉

聖霊は絶えず霊魂に働き、神のおぼしめしを「勧め」によって知らせるとともに、実行しやすいように助力の恩恵をくださるので、霊魂はそのたびごとに忠実にこたえることが必要である。

コンソラータは書いている。

「すべてにおいて──心の世界にもまた外界の最も些細な事柄に至るまで──聖霊が私を聖ならしめるため働いておられることを確信し、その御導きにいつも忠実に従うことを決心します。その御導きの声に逆らわないよう、最も従いやすい状態にいるよういつも覚悟して耳を傾けています。」

「警戒せよ!サタンは狡猾(こうかつ:悪がしこい)であり、私は弱く女々しい者です! 災いなるかな、小事に不忠実な人!その最後こそ悲惨! 私はイエズスが忠実な努力を多くの恵みで報いてくださることを経験しています。また次のこともよく知っています。小さな自由意志から出た犠牲をしているうちに、連鎖反応を起こしたように、それより大きな犠牲ができるようになり、それをしているうちにまたもっと大きな犠牲ができるようになって、最後には偉大な愛の行ないも可能になるものです。イエズスよ、常に目ざめているように助けてください!」

十年間の絶えざる努力ののち、コンソラータは言った。「一九二九年五月、カプチン会に入ってから今日(一九三八年十月)まで、私の霊魂は、すべてにおいて聖霊の御勧めに常に従ったと思います!」

御勧めに忠実に従ったばかりでなく、実行するにあたっては、どんな小事でも、すべての行ないを、できるかぎりていねいに完全に実行するよう努力した。ただ普通に神に仕えるのでなく完全に仕えようとした。コンソラータはいろいろな仕事があってたいへん忙しかったが、すべてを賢明に注意深く、心をこめて果たした。

「小さな義務をよく果たすこと! ひとつひとつの行ないをていねいに、またできるかぎりの大きな愛をもってなしとげること! たとえ最も小さいどんなつまらぬ行ないも、最も完全に行なうこと! 祈りも全部、特に食前食後の短い祈りを全精神を集中し、ありったけの心をこめて唱えること!」

また将来のことを全然心配せず、現在の各瞬間をできるだけ完全に過ごし、イエズスの恵みで満たすという主義に従った。そのことを聖母マリアもお勧めになった。

─聖母─「どんな日、どんな時間、どんな場合であっても、地上にイエズスとあなたの霊魂のほかは何も存在しないように、すべてが完了するまで、現在の各瞬間を完全に生きなさい!」


─イエズス─「あす十分食物があるかどうか心配しないでください! からだのために食物を用意してくださる神はましてや霊魂のあすのことを考えてくださらないことがあろうか。あなたはきょう、絶え間ない愛の祈りに励みなさい。あすのことは私が考えてあげよう。」(一九三六年三月二五日)

そのようにしている間に、神の恵みにより霊魂は、現在の各瞬間を完全に生きる第一の段階から、第二の段階に導かれてゆくのである。すなわち二つのよいことのうち、より完全なほうを選ぶという新しい聖化の頂上へと。

コンソラータはイエズスの御声がはっきり聞えている間(一九三五年九月一五日 ~ 一九三六年九月二十五日)その誓約を立てなかったが、イエズスに勧められ、指導司祭の許可を得て、一九三八年の王たるキリストの祝日に誓約を立てた。

「常に、二つの事の中のより完全のほうを選び、それを外部的には完全な方法で、内部的には全き愛の心をもって完全に果たします。」

〈雅量(がりょう)ゆたかな忠実〉

やりやすい時、また短い間なら完全な忠実もむずかしくないだろうが、絶えざる激しい戦いを要する時に完全な、雅量ゆたかな忠実を守れる人は少ない。

─イエズス─「決心したこと、誓約を立てたことを取り消してはならない。イエズスに対する愛のため、すべてをあるがままに受け入れ、すべてを苦しまねばならない。」(一九三五年六月一日)

霊的乾燥の時には、小さな善業、少しのがまん、普通の祈りすらひどい嫌悪のためほとんどできなくなることがある。そういう時にこそ、愛は純粋となる。コンソラータは愛の甘美を深く喜んだ時もあったが、十字架にくぎづけられたような苦しい時は、それよりもずっと長かった。

「私の毎日はたいてい次のような状態です。イエズスに忠実であったことについては心が平安と喜びに満ちていますが、ひとつひとつの犠牲、苦しみまた忠実を守ることに、強い反感というか抵抗を感じています。」

─イエズス─「その反感に勝つことによって功徳を増すから、私はその激しい反感を取り除かない。」(一九三六年九月八日)

「私の使命は美しい。だが最高の努力を尽くすためには根気強く耐え忍び、どの決心も取り消さぬよう、惜しみなくすべてをささげる雅量が必要です。精神ははやるけれども、私は弱さそのものです。」

からだの苦しみと精神の試練において、なお雅量をもって忠実を守るよう、イエズスは命令なさらず、ていねいに頼まれた。イエズスは自己を主にささげる人にご自身を与えたもう。すべてをささげたいと望む霊魂の雅量に対して、とうとい雅量ゆたかなイエズスの聖心は、負けずに、より大きな喜びと雅量とをもってこたえたもう。

─イエズス─「私の浄配である修道女たちのすべての希望を聞きいれることは私の喜びである。だがその希望はもっともっと高めることができる。」(一九三五年九月十九日)

─イエズス─「私が最も好む修道女たちは私がその希望をかなえてやる者ではなく、むしろ、犠牲を与えて純化させる者たちである。コンソラータ、このことをよく覚えておきなさい!」(一九三五年十月九日)

コンソラータは常にそのことをよく覚えていた。実際犠牲の機会は限りなくあった。その修道生活の始め、一九三一年のことだった。

「ある晩、あまり疲れて、やっと立つことができるほどでした。母様が私に近づいて、私の青い顔を見ると、私は言わないほうがよかったのに疲れていることを話しました。……親切に母様はすぐ私を休ませて、朝課を免除してくださいました。私は従順にベッドにはいりましたが、イエズスがきびしく私に良心の苛責を感じさせてくださいましたので、ベッドは針のむしろとなり、起きたいと思っても従順によって起きられもせず苦しみました。

─イエズス─『コンソラータ、あれくらいのことを、母様に言わなくともよかったのに! もう一時間もがまんすれば十分だったのに! ごらん、その間どんなにたくさんの功徳をなくしたか! 皿洗い、台所の片づけ、野菜をきれいにする手伝い、共同の仕事、聖堂でのロザリオ、朝課……それらがみんな、あなたが雅量を欠いたため、なくなってしまったのだ。』」

この教訓は十二分の効果(ききめ)があったので、イエズスはコンソラータの熱心にブレーキをかけねばならなくなった。

─イエズス─「私はあなたが心配しすぎることを望まない。あなたがもっと雅量ゆたかであることを望む。」

コンソラータの良心はいたみやすく、弱さやその他の理由で決心を守らなかった時は、ひどく良心の苛責を感じた。指導司祭に書いている。

「きょう私は水を飲まない決心を二回守りませんでした。のどがあまり渇いて、お祈りもできなくなりました。それから休憩時間に時々眠りました。」(一九三六年八月)

休憩時間にも仕事をするようイエズスから要求されていたのである。このように、全く、雅量ゆたかな忠実を守ることもなまやさしいことではなかった。

しかし一九三八年、コンソラータは感謝しながら書いている。

「イエズスは私の霊魂をほんとうに変えてくださいました。私の臆病は一滴の水となって、イエズスの雅量の海にしたたり、もう全然なくなりましたから、神の強さが私のものとなりました。どんな犠牲の機会があっても雄々しく『はい』と言い、イエズス、御身に信顧しております!」

それはイエズスの次の御約束が成就されたのである。

─イエズス─「こわがらなくともよい。コンソラータ、私はあなたを雅量ゆたかな者──非常に雅量ゆたかな者にするだろう。私の手からすべてを受け取り、どんな悲しみ、試練にも、愛による従順と忠実によって、勝ちなさい。」(一九三五年十二月八日)

〈悪魔との戦い〉

悪魔は聖人たちを攻撃するが、ペトロも、箕み の中で良い麦と悪い麦をふり分ける時、悪魔によって悪い麦の中に入れられようとした。コンソラータもまた悪魔の猛烈な攻撃を受けた。

─イエズス─「サタンはあなたをふり分けようとしている。だが恐れなくともよい! あなたは弱く病気だが、偉大な勝利をおさめるだろう。ただ私のみに信頼し、あなたの誓約を忠実に守りなさい。」

私たちはみな隣人愛や貞潔に関して誘惑を経験するが、聖人たちはずっと強い誘惑を受け、特に、信望愛に関しては、神に対するひどい反抗、侮辱、恨み、不信仰などの真にサタン的精神へと強く誘われているのである。コンソラータもそれを経験して、次のように書いた。

「……それは、たいていいつでも反抗の考えで、狡猾で悪賢く、もしその考えを口で言い表わしたら、私はなんと災いな者でしょう。」(一九三六年八月)

─イエズス─「誘惑がどんなに強くとも、意志が承諾しないなら、全然罪にならないことをよく覚えておきなさい!その意志とは悪いと知りながらするという意志のことです。……」(一九三五年十二月八日)

警戒して悪魔がはいらないようにすることは、入ったのを追い出すよりも楽である。どんなに長くかかっても警戒しながらしんぼう強くがんばりとおす決心によって、悪魔の頑強な誘惑に抵抗することができる。

─イエズス─「はえが飛んできてあなたの顔にとまったら、今度はとまらないうちに防ぐだろう。誘惑に対しても同じようにしなさい! 悪魔が心にはいるのを許せばサタン的毒が霊魂に侵入してくる。」(一九三六年七月二七日)

─イエズス─「その勧めが聖霊から来たか、悪魔から来たかを判断するため、次の主義を使いなさい。その勧めが、心をあたためて愛へ導かないなら、恨みが愛をもたらすことはできないから確かに天から来たものではない!」(一九三六年八月一七日)

コンソラータの全生涯に悪魔との戦いが見られる。日記によると悪魔は時々見える姿で現われた。

「夜中悪魔が私を起こしてびっくりさせると、いつも神が助けてくださいます。十字架の印をしながら、心を落ち着け、また静かに眠ります。」

「悪魔が絶えずひどく攻撃して私は少しも休まれません。ある晩心の中へ何度も邪推をいれようとする悪魔につばをかけてやるという方法を思いつきました。そうしたら退却しました。いつもそのように戦って勝つことができました。

ほとんど毎日私の心は汚物のような状態です。その悪臭があたりの空気を汚さないように、私は沈黙のふたを心にかぶせます。そしてすべての罪源の欲望が心の中で騒ぐのを感じながらも、愛へ心を向けることによっていくらか平安を得、暗い心に光が射しこむのを待ちます。」

だんだん臨終に近づくにつれて、サタンの攻撃もますます激しくなり、失敗するので非常に憤慨しては、コンソラータのからだをいじめた。

「悪魔は私のからだも攻撃してくる。心の中にはそのいやな顔が現われ、それとともに神の『恐れるな!』という御声が聞こえ、突然顔に火傷したような傷みを感じたり、おもりのようなものが足の上に落ちてきて足の指をつぶしたり、また倒されることもあります。私がとうもろこしのおかゆをかきまぜていた時だった。私が立っていた小さな台が見えない手で引っぱられた。その瞬間、ぐらぐら煮え立っているなべの中に落ちそうになったが、ある力が私を強く引っぱって、床に投げ出されました。幸いけがはしませんでした。また卵のいっぱいはいっているなべをもっていて転んだ時も、神が助けてくださいましたので、卵はひとつもわれませんでした。

もし多くの霊魂が救われ、私の霊魂が少しも汚れないなら、悪魔がどんなに私をいじめてもかまいません。」(一九四二年七月十八日)

〈英雄への召し出し〉

コンソラータは、はっきり英雄への召し出しを受けた。それは「愛の最も小さい道」を英雄的な忠実をもって歩むためであった。英雄と雅量とは同じものではなく、広い心をもっているから、がんばって英雄的な努力をするのであって、雅量のある行ないは、必然的に英雄的な精神と努力を要するのである。またただ一度英雄的なことをすることと、絶え間ない英雄的生活とは違っている。もしある霊魂が善徳の高い程度に達し、英雄的努力を一度も拒まないなら、その善徳は英雄的な状態になったといえる。

一九三六年九月十六日から二十五日までの黙想会の時、善意に満ちているコンソラータは、「聖霊よ、あなたのものである私は、あなたの御勧めを聞いてそれを実行する覚悟をしています!」と心の準備をした。イエズスの御勧めに従い、心と口の沈黙を完全に守り、目を慎み、最高の熱心をもって愛の祈りに励んだコンソラータは、心の糧をイエズスからいただこうと思って、イエズスに聞いた。(一九三六年九月十六日)

「今、私から何を希望していらっしゃるのでしょうか?」

─イエズス─「私があなたに望み、要求していることは、あなたが、どんなに戦いと苦しみが激しくとも、少しも怠らずに絶え間ない愛の祈りを続けるため、完全な自己放棄をする英雄、私が犠牲を要求するたびごとに感謝してそれを受ける英雄、すべての人に私を見てどんなに忙しくともことばと行ないによってすべての人を私のように取り扱う英雄になることだ。私があなたを助けてあげよう。」

翌日またあらためてイエズスはこの召し出しを述べられた。

─イエズス─「私はあなたが英雄的であってほしい。私が要求したことに対して英雄的に努力してほしい。コンソラータ、私はいつかあなたを世界の人々に英雄として見せたい。あなたはすでに完全に自己献身したので、あなたを神にささげなさいとは言わないが、ささげたものをどこまでも英雄的に保存するようがんばりなさい!恐れるにはおよばない!私がいるから、私においてあなたはなんでもできるのだ!」

黙想会の最後の日、愛の犠牲(いけにえ)に選ばれたコンソラータは、幻視において、言い表わせぬほど美しいまっ白な霊魂を見て、イエズスに、「私はあんな清い霊魂になりたいと望んでいます」と願った。その日の晩おそく、イエズスは、「コンソラータ、ないしょの話だが、さっきあなたが幻視で見たまぶしいほど潔白な霊魂は今のあなたの霊魂だ。永遠の婚宴に聖心の浄配としてささげられたあなたを、こういう姿にしたいと望んだ私は、自分の思うとおりに、あなたの霊魂を準備したのだ。」

 一九三五年十二月十五日イエズスの御声は聞こえなくなったが、続いて「恵みの声」によってご指導をいただいた。しかし一九三六年九月二十五日から、その超自然的照らしもなくなり、永眠(一九四六年七月十八日)まで、最後の殉教が始まるのだ。

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