アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

あえてこの計画に光はあたらないか

2014-01-25 05:23:22 | つれづれ
どこかの国の政治と景気のあり方は、ええかげんにしないと国自体が崩壊する・・・そんなレベルにあると思うが、絶えず新しい土木工事をしないと景気はよくならないらしい。

 だから、一度始めた工事はよほどのことがあってもやめないし、官僚は事業の失敗を絶対に認めない。逆に古いものを改修することも考えないらしい。
 老朽化している都心部の高速道路など、いつ壊れてもおかしくないが、こちらを直す話はとんと聞かれず、こんな具合に首相の地元にはムダな道路が続々と。

消える幻の貨物新幹線残骸 摂津の高架橋、「謎」のまま撤去へ(産経新聞) - goo ニュース

 さて、立ち上がりが不適切なことになってしまったが、今日とり上げるのは、摂津にある新幹線の高架の上にある施設の話。
 これが撤去されたというニュースがこちらだ。この構築物、新幹線の貨物用の路線の名残という。名残と言っても実際に走ったわけではなく、計画で終わった幻の・・・だが。

 なるほど、新幹線と平行して走る貨物線の計画があったということか。たらればだが、高速貨物網があったら、ずいぶん絵柄も変わっていたかも。
 記事にあるように、元々世界銀行の融資をあてにしていた節もあるし、幻になるのはある程度予定されていたのかも知れない。

 この構築物自体を保存して・・・などという意見もあったのかも知れないが、壊されてしまえばそこに何があったかも忘れ去れてしまう。
 この国民性は、古くから我々に備わっているようで、平城京建築の際に平城宮に隣接した小山を切り崩したところがある。

 実は、そこは古代の天皇陵で、前方後円墳の方形の部分だったのだ。つまり、そこが天皇陵だと知らなかったからで、さらにはその残った円墳の部分は現在平城天皇陵ということになっているのだ。
 というのは、平城天皇は後の平安時代の人物なのだ。平城京を作るときに壊した古墳が平安時代の天皇の古墳になったのは理由がある。

 というのは平城天皇は在位中に平城京に遷都を企図したこともあり、あまり評判が芳しくなかったのだ。そこで、そんなに平城京に帰りたかったのなら、そこにある円墳に葬ってしまえという荒っぽいことになった由。
 ちなみに平城天皇という名前は、諡号だから当然死後に贈られたものである。で、結局元々誰の墓なのかわかんないという・・・

 話を戻そう。最終的に壊してしまうのはいい。エコカー減税同様、この国では古いものを持ち続けることが悪で、新しいものに変えるのが正しいようだから・・・
 だがこの件もそうだが、結局誰も責任を取らないという・・・お上の世界では、間違えても責任取らないで済むからなあ・・・納得できませんなあ。
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