アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

恐れ多くも・・・前副将軍

2005-04-25 08:42:56 | つれづれ
先日水戸に行ってきた。小生、水戸に降りたのはかれこれ20年近く前のとき以来であり、駅前の変貌にはおおいに驚いた。まあ、考えてみれば、東京のほとんどの駅が20年前と比べれば大変貌しているのだから、当たり前ではある。

 いわゆる北関東の県庁所在地は、偶然にも東京からほぼ100kmのところに位置しているが、宇都宮・前橋に比べ水戸は、一回り人口が少ない。
 とはいえ、そこはそれ徳川御三家のひとつのお膝元である。なんともいえない落ち着いた佇まいを感じるし、県庁の周辺もかつてのお城の匂いを残している。

 そんな、厳かな気分で駅前の坂道を歩いていたところ、大きな鳥居と「東照宮」と刻まれた石碑が見えた。なるほど、さすが、徳川城下町などと思った次の瞬間である。
 東照宮の向こうに「水戸東映」の文字が・・・(汗)。なんだ、これは?あの鳥居は東映の入り口だったかぁ・・・やられた。

 もっとも、東照宮はその名のとおり、東を照らす宮なのであるから、東を映す東映と、セットでも当たり前である(←って、そんなわけねえだろ)
 よく見たら、鳥居からは東映と逆サイドに流れる斜めの道が走っていて、それが参道になっているようだ。なあんだ・・・である。

 しかし、鳥居と前後して東映があるのは事実であり、この映画館に出かけたお客様のうち、鳥居を通り抜ける人も少なくないはずである。
 このひねり方、さすが、前副将軍水戸光圀公もかくやである。えっ、その前ってのは何かって・・・皆さん水戸黄門をご覧になったことがあるだろうか。

 助さん格さんが印籠片手に言う、「恐れ多くも、サキのふくしょうぐん」のさきなのである。ときに、水戸黄門というと皆さんにとっては、誰なのだろうか。
 オヤジの小生にとっては、東野英次郎というイメージである。誰が思い浮かぶかで年齢がばれるようにも思う。そう、何がなんでも小生は東野英次郎である。

 そう、水戸黄門は東野英次郎、略して「とうえい」・・・東映、ってそういうオチだったのかよ(爆)
コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

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私も東野英次郎... (すぽっと)
2005-04-25 10:31:40
...と、は言っても、○曜日の○時は「水戸黄門」と決まっていた当時の我が家。TVチャンネル権は父にあったわけでして、チビ助だった私は「仕方なく」見ていたわけですけど...。え? それでも年齢バレるって?

でもそのお蔭でいまだにヒーローものは好きです、私。
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石坂さんの黄門さまが長く続けば (松田聖菜子★彡(まつだみなこ))
2005-04-25 20:07:09
 違った黄門さまでよかったような・・と思うのは私だけかなぁ。



 それはともかく、以前は副将軍だったのが水戸中納言になっているような。



 私はかなり副の役職を経験していたけど、今日会長に事故あるときになって、会長の代行できるのも、長いこと生きてきたからかな。
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石坂浩二 ()
2005-04-25 22:38:22
さすがに、石坂浩二となると今風だなと思ってしまいますね。



ときに、中納言と今はつけているのですか・・・知らなかった。



ちなみに、紀伊と尾張は大納言で、水戸だけわざとワンランク下げているらしいですね。
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