先日水戸に行ってきた。小生、水戸に降りたのはかれこれ20年近く前のとき以来であり、駅前の変貌にはおおいに驚いた。まあ、考えてみれば、東京のほとんどの駅が20年前と比べれば大変貌しているのだから、当たり前ではある。
いわゆる北関東の県庁所在地は、偶然にも東京からほぼ100kmのところに位置しているが、宇都宮・前橋に比べ水戸は、一回り人口が少ない。
とはいえ、そこはそれ徳川御三家のひとつのお膝元である。なんともいえない落ち着いた佇まいを感じるし、県庁の周辺もかつてのお城の匂いを残している。
そんな、厳かな気分で駅前の坂道を歩いていたところ、大きな鳥居と「東照宮」と刻まれた石碑が見えた。なるほど、さすが、徳川城下町などと思った次の瞬間である。
東照宮の向こうに「水戸東映」の文字が・・・(汗)。なんだ、これは?あの鳥居は東映の入り口だったかぁ・・・やられた。
もっとも、東照宮はその名のとおり、東を照らす宮なのであるから、東を映す東映と、セットでも当たり前である(←って、そんなわけねえだろ)
よく見たら、鳥居からは東映と逆サイドに流れる斜めの道が走っていて、それが参道になっているようだ。なあんだ・・・である。
しかし、鳥居と前後して東映があるのは事実であり、この映画館に出かけたお客様のうち、鳥居を通り抜ける人も少なくないはずである。
このひねり方、さすが、前副将軍水戸光圀公もかくやである。えっ、その前ってのは何かって・・・皆さん水戸黄門をご覧になったことがあるだろうか。
助さん格さんが印籠片手に言う、「恐れ多くも、サキのふくしょうぐん」のさきなのである。ときに、水戸黄門というと皆さんにとっては、誰なのだろうか。
オヤジの小生にとっては、東野英次郎というイメージである。誰が思い浮かぶかで年齢がばれるようにも思う。そう、何がなんでも小生は東野英次郎である。
そう、水戸黄門は東野英次郎、略して「とうえい」・・・東映、ってそういうオチだったのかよ(爆)
いわゆる北関東の県庁所在地は、偶然にも東京からほぼ100kmのところに位置しているが、宇都宮・前橋に比べ水戸は、一回り人口が少ない。
とはいえ、そこはそれ徳川御三家のひとつのお膝元である。なんともいえない落ち着いた佇まいを感じるし、県庁の周辺もかつてのお城の匂いを残している。
そんな、厳かな気分で駅前の坂道を歩いていたところ、大きな鳥居と「東照宮」と刻まれた石碑が見えた。なるほど、さすが、徳川城下町などと思った次の瞬間である。
東照宮の向こうに「水戸東映」の文字が・・・(汗)。なんだ、これは?あの鳥居は東映の入り口だったかぁ・・・やられた。
もっとも、東照宮はその名のとおり、東を照らす宮なのであるから、東を映す東映と、セットでも当たり前である(←って、そんなわけねえだろ)
よく見たら、鳥居からは東映と逆サイドに流れる斜めの道が走っていて、それが参道になっているようだ。なあんだ・・・である。
しかし、鳥居と前後して東映があるのは事実であり、この映画館に出かけたお客様のうち、鳥居を通り抜ける人も少なくないはずである。
このひねり方、さすが、前副将軍水戸光圀公もかくやである。えっ、その前ってのは何かって・・・皆さん水戸黄門をご覧になったことがあるだろうか。
助さん格さんが印籠片手に言う、「恐れ多くも、サキのふくしょうぐん」のさきなのである。ときに、水戸黄門というと皆さんにとっては、誰なのだろうか。
オヤジの小生にとっては、東野英次郎というイメージである。誰が思い浮かぶかで年齢がばれるようにも思う。そう、何がなんでも小生は東野英次郎である。
そう、水戸黄門は東野英次郎、略して「とうえい」・・・東映、ってそういうオチだったのかよ(爆)
でもそのお蔭でいまだにヒーローものは好きです、私。
それはともかく、以前は副将軍だったのが水戸中納言になっているような。
私はかなり副の役職を経験していたけど、今日会長に事故あるときになって、会長の代行できるのも、長いこと生きてきたからかな。
ときに、中納言と今はつけているのですか・・・知らなかった。
ちなみに、紀伊と尾張は大納言で、水戸だけわざとワンランク下げているらしいですね。