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まずは、問題です。これは、何でしょう?
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正解:これは、当時の人の落書きです。 まさか2000年後のとんでもない地の果ての国・日本の私達が見て、ブログに載せるなんて全く思いもよらず、こっそり壁にいたずら書きしたのでしょう。頭にオリーブの冠をつけた神官でしょうか?それとも、裁判官?偉そうなえばった感じ??横顔ですが、すごくよく特徴とらえていると思いませんか?シニカルでユーモラスな落書き(似顔絵?風刺画?)ですよね!!
西暦79年の暑い夏(8月24日)、ヴェスヴィオ火山の大噴火は、3日3晩続き、街は火山灰に埋もれ、発生した毒ガスにより街の人々の生命も駆け付けた援軍の命をも奪ってしまいました。
当時の様子を、「Poompeii The Last Day(ポンペイ最後の日)」と題し、BBCが2003年に製作。下記に最後の6を載せました(字幕付き)。1から、見ると更によくわかります。お時間ありましたら是非動画下の他の関連映像(特に1~5)も、見てみてくださいね。
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ポンペイ最後の日(POMPEII - The Last Day) (6 of 6)[日本語字幕]
その後、当時の姿を残したまま、街ごと瞬間冷凍されたように、火山灰の下で、約1700年(1500年?)もの長い眠りにつきました。そして、人々に恐れられ再建されないまま、忘れ去られていきました。しかし、1748年2月、農夫が、畑で青銅製の器具を見つけた事から、少しずつ、発掘がすすみ(盗まれたりしながら)、ローマ帝国最盛期のローマ人の生活が、眠りから覚め、約2000年たった今の私達の前に、姿を現したのです。
ポンぺイは、ローマとと同じくらい古い起源をもち、紀元前8世紀頃、イタリア先住民によりポンペイと名付けられました。ここは、ちょうどイタリア半島を南~北へ向かう中継点であり、海から内陸へ向う出発点でもあり、繁栄したのですが、同時にギリシャ等、近隣諸国の争奪の的にもなりました。 また、政治変遷とともに、様々な習慣、文化、芸術も伝えられ、様々な方面で発展を遂げていきました。
紀元前89年、完全にローマの植民地になってからは、ここは、大都市ローマの貴族達の憧れの避寒地でした。 現代の人間同様、約2000年前の彼らも大都会ローマの喧騒をのがれ、心の安らぎをこの地に求めたようです。そして、数多くの美しい中庭のある見事な別荘が建てられました。
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まず、玄関の床のタイルには、 猛犬注意と書かれたの強そうな犬の絵。今にも吠えかかってきそうでした。
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家の壁面には、ギリシャ?神話の物語が、全面に美しく鮮やかな色彩でダイナミックに描かれています。2000年前の壁画とは、思えない彩でした。(ただ、現在の発掘場所の保存状態で、この鮮やかさを、いつまで保てるものか?ちょっと不安になりました。)
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港から、ここまでは、荷馬車の通れますが、ここから、住宅地へは、入れないように、石が、たっています(多分??)。
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この街の魅力は、海に近く、温暖で、住みやすく、食べ物がおいしいと言う点だけではなく、様々なエンターテイメントの充実した街でもあったようです。やはり円形闘技場もありました。ローマの植民地となった年(紀元前89年)、建設が始まったようです。収容人数は当時のポンペイの総人口と同じ2万人。また、大劇場に小劇場(写真参照)、居酒屋や娼婦の館、そして、男女に別れた公衆浴場等も、ありました。
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ここは、街の中心、公共広場(フォロ)-宗教、政治、経済の中心。馬車は進入禁止。ポンペイ全住民が集まれる大きさでした。 広場は、雨でも、ぬかるまないように、また、雑草がはえないように 石灰華で舗床されています
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広場を少し離れて歩いて行くと、パン屋さんがありました。
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手作りパンは、一体どんな味だったのでしょうね?
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ポンペイ遺跡にいたワンコ達です。野良犬でしょうか??
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2000年前の人々の快適な暮らしへの思いを、至る所に感じると同時に、今の私達以上に、その感覚の鋭敏さに感心しました。喧騒の大都会ローマを逃れ、人間本来の心の安らぎと人生の楽しみを得る目的でこの地を選び集まった富裕な人々ですから、尚更なのかもしれません。
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*ここには、古代ローマ人のリゾート地(避寒地)、今で言えば、コートダジュールのニース・カンヌ・モナコと言った娯楽施設の完備し、かつ精神的にリラックス、リフレッシュするための場所でもあったのでしょうか?
そのせいか、エフェソス(現トルコ)で、驚かされた立派な図書館や、コモ島(ギリシャ・医学の父ヒポクラテスの故郷)やベルガマ(現トルコ)で、現代の医学について考えさせられたすばらしい古代医療施設(アスクレピオン)といったものは、ないようでした。
暑さの中を歩いた後にオアシス発見!!
ちょうど遺跡を出た所に 南イタリアらしいジュース屋さんがありました(現地のガイドさんのお薦め)。そのお話は次回に。
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では、また
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