神戸から無事帰宅しました。 今回の記事、長いので適当に読み飛ばして下さいマセ。(^▽^;)
次男が「俺も一緒に行くわ」と言ってくれたので
東京駅で待ち合わせし当日午後に神戸で長男との用事をすます予定を立てていました。
私が東京まで行くのは高速バスか東北新幹線の利用しか経験がありません。
コロナから高速バスの便数が減っているので今回新幹線を利用し
小山駅までハゲリンが送迎してくれるとの事。
乗り降りがスムーズに出来る様にと私のスマホに
スイカやタッチでゴーも入れてくれていました。
当日、それでも念の為に30分も余裕を持って家を出て小山駅に到着。
「行ってきま~す」と元気に車を降りて
人生、初利用のスイカで改札をスムーズに入ったのだけど
新幹線の電光掲示板が【東京行き7:45】
え! 今何時? ここは何処? 私は誰? の世界に入る私。(';')
しばらくして、やっと新幹線が遅れているのだと理解し
そこから、またまたどうしたらいいのかとパニック状態で思考停止
ハゲリンは帰宅への運転中だし・・・
駅員さんも見当たらないし・・・子供じゃないけどなきそう・・ (;´Д`)
誰かに相談してみようかと周りをキョロキョロ
2~3人の男性が時計を見たりスマホを見たりで立ち止まっている
この人がいい?あの人がいい?何て考えながらサラリーマン風の男性に声をかけました。
私:「あの~すみません、東京まで行きたいのですけど、新幹線止まっているんですか?」
男性:「何だかそんな感じですね」
「新幹線に乗りたいのですか?」
私:「はい、東京駅で息子と待ち合わせしていて、神戸まで行く予定なんです」
男性:「新幹線の改札まで行ってみましょう」
と、一緒に行って下さった。改札は出て来る人で混雑して駅員さんはバタバタしている。
そんな中、男性が状況を確認してくれたのですが
駅員:「○○駅でオーバーランして駅に戻れない状態のままです。
あくまでも私の個人的な予想ですがまだ1時間は復旧できないでしょう」
午後2時には神戸に着かなきゃなのに、どうする?どうしたらいいの私?・・・またまた思考停止。
固まっている私を見た男性が
「一緒に在来線で東京まで行きますか?」と言って下さって、助かりました。
この方のおかげで東京から神戸への新幹線は最初の予定より1本遅れで乗る事が出来ました。
地獄に仏とはこの事ですね。何度もお礼を言いましたが言い足りないくらいです。
穏やかで優しくて本当に仏様の様な男性でした。
長男、次男、私の三人が揃って、用事を済ませ
何か美味しい食事でも・・と言ったのですが
長男は食欲がなく、次男は二日酔いで軽いものを希望で結局、明石焼きに決定。
タコが入っていますが、タコ焼きとは別物です。
殆どタマゴとダシで焼いているのでフワトロ!
ダシ汁に入れて食べますが、ソースをつけると味変で又美味しい♪
神戸暮らしの懐かしい味! ごちそうさまでした。(´艸`*)
神戸に着いた時、雨は上がっていたのですがまだ雲が多い空でした。
↓ 懐かしい須磨の海です。
↓ 少しだけど天使の階段が見えました♪
今回、3人が揃うなら須磨寺に来ておきたかったのです。
息子達のお父さん(私の元夫)が他界した時はここにお骨を納める事になりそう
その時に私が元気で手伝いが出来ればいいのですが分かりませんから
葬儀の事やら納骨の事やら、私が前もって伝えておいてあげる事が出来れば
戸惑う事も少なくて済むかと・・・
普通の家庭なら子供が親の葬儀のすべてを取り仕切って決めるのは
残った親を見送る時の一度だけですみそうですが
両親が離婚していれば2度も大変な思いをしますから
息子達の気持ちも聞きながら、誰が関わるにしてもこう言う方法で良いよねと確認し合って来ました。
ここに3人で来ておいてよかった。
息子達が幼い頃に来た事はあったのですがうろ覚えでした。
此処って、近くに沢山のお寺があるので間違いやすいのです。
帰り際に「ここも須磨寺やろ?」って次男が言ってましたから
「ちゃうよ~!一番奥やから間違わんとってね」と再度説明しておきましたケド。(^^ゞ
これでお父さんがいつ逝っても大丈夫だわ。(^^;
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ここからは私の気になる事の話で暗い内容なので読まずにスルーして下さって大丈夫です。m(__)m
書かない方が良いかと悩みましたが、気になる事がまだまだ続きそうで
どよ~んとしたブログを書いたり、更新が疎かになったり
皆様のブログへの訪問が少なくなったり・・・
そんな事が続くと御心配をおかけする事にもなるので、簡単にですがお伝えする事にしました。
気になる事・・長男の事です。
1年半前頃から体調不良で勤めを休みがちになり産業医との面談で休職となり
傷病手当が出るようになっていました。
マンションをローンで買って彼女と暮らしていていましたが
これも多様性と言うでしょうか10年近く一緒に暮らしていても入籍していない二人でした。
長男の体調は回復の兆しが見えないまま、昨年秋に二人は別れる事になりマンションを売りました。
ローンの借金を抱えるかとヒヤヒヤしましたけど購入時より高値で売れたので少しお金は残ったようですが
一人暮しになり体調は悪いままで色々な不安が押し寄せて来るようです。
産業医の診断は「自律神経失調症」だったそうですが眠剤の処方だけだったそう。
体調も悪く意欲もない本人が何かを調べるのも難しそうで、こちらであちこち相談し受診先が変わりました。
そして今の段階は医師から障害者手帳の申請をしてもらっており訪問看護が開始されました。
障碍者支援センターの関わりも始まり2~3か月後からヘルパーさんの支援も開始されるようです。
体が回復するまで一緒に住めないの?と疑問に思う方もおられるかと思いますが
私には、同居してまで長男の支えになってあげられる程の精神的な強さが今はありません。
その事は次男も知っているので今回も同行してくれた訳です。
私がもっと元気な頃だったら、また違ったかもしれませんけれど
又、仮に徐々に社会復帰を目指す様な段階になったとしたら・・
神戸での暮らししか知らない長男にはここの暮らしは難しいのです。
そして、もし同居しても社会復帰出来る所まで健康になれなかったら
それは共倒れを意味します。
私がケアマネだった頃、高齢の親と働けない息子さんや娘さん達の家族の支援に入った時
先ず初めにやる事は社会福祉課と協力してそれぞれを別世帯にし自立してもらう事でした。
そうしないと、介護保険・障害福祉サービス・生活保護等これらがスムーズに利用出来ないからです。
神戸と栃木、遠く離れていますが、その時その時で私が出来る事を少しだけ手伝っていきます。
長男がいつかまた幸せを感じられる生活が送れるようにと祈りつつ・・
暗い話を長々と書いてしまいました。
最後まで読んで下さった方々に感謝いたします。 ありがとうございました。 m(__)m