今日はあの日から30年・・阪神・淡路大震災。
5時46分
何度かお話していますが
私はママ友数人とのウォーキング中でした。
皆、パートに出ていたので朝なら集まれるねって
一年以上続いていたウォーキング。
夜明け前の暗い時間帯ですが
神戸は街灯も多くて懐中電灯なしで歩けました。
地鳴りが近づき、空が青白く光ったかと思うと
立っていられないくらいの揺れ
自宅に戻るまで何度も揺り起こしがあり
そのたびに皆で輪になってしゃがみ込む。
幸い、広い道路に面した道だったので
倒壊した家や塀でケガをする事もなく帰宅できました。
帰ると団地の皆が外に出ておりビックリ
ガスの臭いが階段に充満し危険だからと出ていたそう。
(建物とガス管が繋がっている部分でのガス漏れ)
明るくなってから自宅に戻り昼頃に電気が通る。
テレビで知った被害、時間が経つにつれて
その被害の大きさに驚愕しました。
避難所に行く事もなく何とか自宅で生活を続けましたが
水もガスもなかなか復旧せず、それだけでも大変でした。
住む所を無くされた方々、
御家族や知人を亡くされた方々の事を思うと胸が痛みます。
月日が過ぎて、だんだんとあの頃も記憶も薄れて来ましたが
忘れてはいけない事が沢山ありますね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。 m(__)m
でもあの恐ろしさは忘れることができませんよね
幸い我が家は水道電気はすぐに復旧したものの
ガスは3月下旬まで使えませんでした
お風呂に困りました
友達の家でお世話になったりしました
あの日は お天気が良くてきれいな青空だったのですが
なぜか煙たい? なんか霞んでいるみたいな空でした
テレビが映らなかったので何が起きてるわからず
兄の家で火事を知り その煙が風と共に西の方まで煙っていたことがわかりました
あの地震後 少しでも揺れると怖くて
南海トラフなんてどうなるんだろうって思います
朝から 当時のことを放送しています
今見てもすごく怖いです
防ぎようのないことだけに 怖いですね
お互いに気を付けましょう
ってこれしか言えないかな
気を付けるなんてできないですよね
あの日のことは 関東に住んでいた私も忘れることなく今もハッキリ覚えています。
あの日私は一週間前に施設入所した長男の様子見と不足しているものを届けるために片道50数キロの道を運転していました。
家を出るときはテレビでまだ被害状況も良く分からない時刻で 「関西で強めの地震があったのね」くらいの感覚でしたが 施設までの1時間半の運転中にカーラジオから流れてくるニュースの凄まじさにビックリして 又帰るときのカーラジオからは火の手があちらこちらから上がっていて・・・・次々新しい怖い情報が入ってきて 今でもあのシーンがよみがえります。
家に帰ってすぐテレビを見ると高速道路がなぎ倒されていて現実にこんなことが起こることに衝撃でした。
あれから30年 その間にも東日本大震災 能登半島地震が起き 日本中 何処に居ても災害に遭う危険性を実感しています。
せめて命だけでも守ることが出来るようにそして災害の記憶は忘れることの無いようにしていきたいと思っています。
その後もずっと大変でしたね。
まだ知り合っていなかったうちのオットもその頃大阪に住んでいたので、無事でなかったら今の生活やこどもたちもいないんだなと思うと不思議な気がします。
今の世の中いつ被災してもおかしくないと肝に銘じていなくてはですね。