兄が介護老人保健施設に入所して1年半は体調も安定していましたが
徐々に嚥下状態が悪化して誤嚥性肺炎を繰り返すようになりました。
キザミ食からミキサー食になり、それもでもむせる・・
肺炎になる度に嚥下は増々悪くなり、食事摂取量も減り
栄養を補助する為に高カロリーのゼリーを食べるようになりました。
太り気味だった兄が見るたびに痩せて行くのが分かります。
車椅子にも座れず寝たきりになりました。
そのような状態が半年程続いた頃にはゼリーだけで栄養を摂っていたけれど
そのゼリーでもむせるようになって来て
主治医からゼリー中止の相談を私が受けました。
丁度、洗濯物を届けに行った時の事です。
入所当時から延命治療についても確認があり
胃漏はつくらないと希望は伝えていましたので
その確認を含めてのお話でした。
以前から夫とは自分達や兄の終末期についてよく話し合っており
理解できていましたので
「わかりました。それでお願いします。夫には私から話しておきます」と伝えると
主治医は「途中で意見が変わってもいいですよ。その時はまた検討しまししょう」と言って下さいました。
帰宅して夫に主治医の話を伝えると
「もう何も食べさせてもらえないのか・・・」と愕然としていました。
食べない・・それは死を意味するのですから
恐らく夫の頭の中は ”摂取中止=餓死” となっていたのでしょう。
それを家族が決断する。
とても辛いことだったでしょう。残酷です。
兄は食べる事だけが楽しみでミキサー食も栄養ゼリーも
「うまい、うまい」と言っていましたから。
「胃漏はいらない。口から物が食べられなくなると言う事は寿命だと思うからそれを受けれたい」
自分のことはそう思えても夫は兄に対して
それを決断するのは本当に苦しそうでため息ばかりついていました。
私はやはり他人だからでしょうか、淡々としていられる自分に対して
何だか悲しいような寂しいような気持ちになりならが夫にあれこれ話をしました。
福祉職で長く勤めた経験から、胃漏の辛さや延命に対しての実例などを。
結論としては、主治医の提案通り、この時から食摂取を中止し
水分補給としての点滴のみとなりました。
この記事を書いている時、夫は「兄貴は俺が作った料理をいつも
うまい!うまい!と言ってもりもり食べていた、
その頃の事が走馬灯のように浮かんできて・・・
もう兄貴が食べることが出来ないと思うとあの時は辛かった」と話していました。
おいしい美味しいと言っていた食事が摂れなくなる。
でも胃ろうをしても命は生きながらえても食事の美味しさ楽しさは無くなる。
兄弟の立場で決めることは本当に辛いことです。
弟さんがご飯を作りそれを美味い旨いと言っていたお兄様。
ハゲリンさんはどれほど辛かったことか・・・・
自分の辛かった気持ちを分かっていただけて嬉しかったと
ハゲリンが言っていました。
兄の場合は体力もかなり落ちており回復の見込みがなかったので
胃漏にしてもどれだけ命をつなぎ留められるのか・・
又、兄は肌が弱くバルーンカテーテルでもかなりかぶれて辛そうでしたから
胃漏でまたかぶれるのが目に見えていましたし・・
致し方ないことでも、ハゲリンの気持ちとしては
ただただ、兄が可愛そうで不憫で辛かったのだと思います。