〜 未来の息子と娘との会話 〜

50歳からパパはじめた男の語り

〜 陰徳あれば陽報あり 〜

2025-01-24 09:23:29 | 日記
これぞ
庶民の生き方であると共感!

どんな環境化であろうとも
今与えられた場所を
使命の地と心に定め
日々前向きに頑張る。やりきる。

大きな富
きらびやかな名声は
得られないかもしれないが
・周りからの信頼
・やりきった結果から多くの知識や経験
・確固たる自信
という人として最も大切なものを得られるのではないだろうか。

そしてそこに
自分にしか描けない「栄光の自分史」ができると確信している。

レアへ

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名字の言 心に残る陰徳の記憶
2025年1月24日

今月、日米の野球殿堂入りを果たしたイチロー氏。
輝かしい「記録」とともに、阪神・淡路大震災の年のリーグ優勝や翌年の日本一への貢献など、「記憶」を歴史に刻んだ人物でもある

1994年にシーズン200安打の日本記録を達成した直後、球場で氏と一緒に記念プレートを掲げたのが球団マスコット「ネッピー」。

その中に入っていた島野修さんも野球ファンの「記憶」に残る人と言える。

島野さんは“高校球界の逸材”と鳴り物入りで68年にドラフト1位で巨人に入団。
だが通算1勝4敗でユニホームを脱いだ。

その後、球団マスコットをかぶり、18年間で1175試合に登場した。

一時は“ドラフト1位の僕がなぜ着ぐるみを”とプライドが許さなかったというが、心から野球を愛する島野さんは“自分にしかできない裏方の仕事”との誇りで全うした。

今でも球団マスコットの話題となれば、その名がファンの間で語り継がれている。

池田先生は語った。
『陰徳あれば陽報あり』とは、陰で、真剣に、いちばん苦労して戦った人こそが、いちばん大きな果報に包まれるという、厳正にして公平なる『希望の法則』である。

活躍の記録は破られても、陰徳の記憶は人々の心に残る。人生の勲章と輝きわたる。

名字の言 心に残る陰徳の記憶

名字の言 心に残る陰徳の記憶

【名字の言】

聖教新聞




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