合気道 真風会のブログ

合気道の”氣”について。

先日、昇級審査を行い、DKさんと、Wさんの2名が5級へと昇級致しました。

級や段位は、稽古を続けていく上の一つの成長の目安となり励みになります。
そして、今度は自分が教わって来たことを、後輩へ教えていくことで自分の成長となって行きます。
”教えることは2倍学ぶことである。”という言葉もあります。
しっかりと、教えて学んで行ってください。

次に、今月始めから、体験入門で参加されているIさん親子が正式入門となりました。
これで小学生が1年生のM君、2年生のI君との2名になりましたので、”合気道 真風会少年部”の誕生です。
しかし、二人とも照れているのか、中々馴染めないようなので、まずは遊びながら仲良くなって行けばいいかなと思います。
二人とも、永く続けてがんばってくださいね。


さて話題は変わりますが、合気道を続けていると「手を触れないで、”氣”で人を投げ飛ばせるんですか?」と聞かれる事がよくあります。

私は「手を触れないで人を投げるなんて、あり得ません。」と答えます。

このように質問される事が多い事からも、合気道関係の武道にはいかがわしさが多いのも事実です。

その一つの原因に”氣”があると思います。
合気道界には、何もかもが”氣の力”だと考えてしまう人が多い傾向にあるように思います。
良く聞く話に、後輩へ技が効かないのは、”後輩が氣を受ける能力が未熟だからだ”などという話です。

離れた所から、手の平から出る”氣”で人を飛ばすとかいうのは、受け手が素直に反応する気持ちがなければ、絶対にあり得ません。

合気道を修行する人は、まずは、物理学的に力学的に理合を考えて行くことが大切だと私は思います。

私が、私達の団体を”真実の風”、真風会と名付けたのは、そういう意味も含めております。
”合気道”の”気”の文字に、もう一つの”氣”の文字を使うのを止めたのも、中国の気功のようなイメージを拭う為です。

決して、気功を悪く言ってるのではなく、合気道と気功を混同されて、私達の所へ気功師の様な能力開発を期待して来る人がいないようにと言う意味です。
私は手から氣を出し、人の病気を治すことはできませんし、当然教えることなどできません。
気功のそのような力を私は信じますが、私達の合気道では、当然そのような事はできませんし、全くの別の物です。

合気道真風会は、合気道が持ついかがわしさ、インチキ臭さのイメージを排除し”真実の合気道”を追求して行きます。


しかしながら、生命エネルギーとしての”氣”の存在は、私は信じています。
自分の体内の”氣”を臍下丹田に鎮め、心身を統一させる。
これが私達、真風会合気道の”氣”です。


”氣”を研究するには、まず”氣”から離れて考えることが大切だと思います。
それほど、”氣”の世界には偽者、インチキが多いと言う事です。
本当に”氣”で人を投げ飛ばせる人がいるならば、教えを乞いたいと思います。
そういう情報があればご連絡ください。
お待ちしています。

 

【ホームページ】

「合気道 真風会 オフィシャルサイト」


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コメント一覧

上土井
>Re kiraraさん、konさん。
書き込みありがとうございます。
>Re kiraraさん。佐川先生は独自の鍛錬法を欠かさずに続けられていたそうですね。その中の一つに四股ふみがあったそうですね。何かの本で読みました。スクワットではなく四股ふみの方が合気系武道には役に立つんでしょうね。また、素振りも良いでしょうね。コシティのような道具はそのえんちょうでしょうか?

>Re konさん。合気道の気とは気持ちの気が近いでしょうね。私もそう思います。その気を相手に合わせると考える流派と、天地の気に合わせると考える流派があります。どちらも正しいのでしょうね。奥深いです。
kon
合気道の気
こんにちわ。konと申します。
私の師範が言うには、合気道とは「気を合わせる道」
と読んでおり、この気とは、人ならば誰もが持っている「気持ち」の「気」のことだと言っています。
相手が考えているあるいは思っている「気持ち」を自分の気持ちを上手く合わせることによって、無理のない、自然の原理に即した、技となるのではないかと思います。
この、相手と自分の気持ち(相手:投げられたくない×自分:投げたい)は対立しますが、この2つの気持ちを上手く合わせていくのが合気道の稽古だと思っています。
私は他人から「合気道の気とはなんですか?」と聞かれたならば、誰もが持っている「気持ち」ですと答えるようにしています。このような考えはいかがでしょうか?
kirara
佐川先生。
大東流の佐川先生は、相当に鍛錬していたと、松田隆智さんの本にあったような。問題は、それがどんな鍛錬だったかですよね。単なる筋トレとも違ったのでしょうが。また、合気会の斉藤先生のお弟子さんと、ブログ友達になってますが、ぶったまげるような、鍛錬棒を使っていました。イランのコシティみたいな。この当たりにも何か秘密があるのでしょうか?
上土井
私が言いたいこと。
私も、楽して強くなる道はないと言いたいのです。
合気道は武道であり、超能力開発法ではないという事を言いたいのです。きちんとした理合の上に成り立った技術であり、稽古無しには身につかず、基本を正しい方法で反復練習しないと絶対に身につきません。楽して身につく、超能力まがいの物と一緒にしてほしくはありません。身に付ければ氣がでるなどと称する宗教じみた何とかパワーなどで合気道が身につくものではないし、合気道とその手のたぐいが混同されることは腹立たしく思います。そのような思いからその手の類の”氣”と合気道は別物だと強く訴えたくてこのような投稿を致しました。
kirara
理論上は可能
理論上は可能だと思います。しかし、簡単にはできない芸だと思います。タイミング。相手の気走り読み
偶然起こりえることはあっても、自在に使えるようになるのはよほどの達人ではないと無理なのではないでしょうか?もし、自在にできるとすれば、現代競技武道の大会でも使用可能なはずです。真武館とかは、ほぼ死合いに近いですから、そこで使い証明することができると思います。私もそういう達人と出会ったら迷わず弟子入りしますが、しかし、弟子になったとしても、どのくらい鍛錬すればいいのか。そこまでいく自信は無いですね。楽をして、勝てる神秘の技。あれば、学びたいです。
DK
昇給審査少し緊張しました。まだ左脚を折り曲げての後ろ受け身がとっさにできません。左右両方できるようになりたいです。

「手を触れずに相手を投げる」について、私も無理だと思います。タイミングと心理的なものが絡んでるような気がします。しかし、「かめはめ波」が使えたらいいですね。
kirara
可能性
確かに可能性はあるでしょうが、どのくらいの可能性でしょうか?また、どのくらいの鍛錬に寄れば、その可能性が高まるのでしょうか?と考えるのが、古術の護身思想です。不確実なものより、より確実性を追う。それぞれ、流儀の考えがあるからこそ、流儀が起こるのでしょうが。
私の経験上、むしろ、素人には通用しにくいですね。
あるていど気を読める段階の人の方が、そういう可能性は高いような気がします。
上土井
>Re通りすがり人さん
こんにちは。コメントありがとうございます。
全くおっしゃる通りだと思います。
自爆のような状況は多々あると思います。少し言葉足らずでしたので補足しますと、私は、いわゆる手から氣を出して人を飛ばすということの意味で言いました。私も実際にそのような事ができる方々にお会いし体験してみての結論です。目の前で私が紹介した知人が反応して驚いたこともあります。但し、これは受け手の意識も多いに関係があり、素直に氣を感じようと思っても全く反応しない人も多いです。私もそうでした。まして、始めから受ける気がない人には絶対にかかりません。合気道をあまりご存知ない一般の方々は合気道とは、いつもこのような稽古をしている武道と誤解している方が多いので今回意見を述べました。
通りすがり人
気で投げ飛ばす
上土井、こんにちは。
私の考えを述べさせていただきます。
「手を触れないで、”氣”で人を投げ飛ばせるんですか?」
これについては、出来ないと思います(但し、気に対する定義がなされていないので、氣について詳しくお聞きしないと不毛の議論になってしまうと思いますが・・・)。
「手を触れないで人を投げるなんて、あり得ません。」
私は、可能だと思います。スポーツをしていれば、たまに経験していることなのではないでしょうか。そう、自爆というやつです。
合気道では、自爆のお膳立てをうまくしてやれば、手を触れないで人を投げ飛ばすことができると思います。型練習のときには、目的が違うので、そのようなことは起こりにくいと思いますが、真剣勝負の状況であれば可能性は高くなると思います。スポーツで例えると、サッカーボールを思い切り蹴ろうとしたときに、ボールがそこに無かったらどうなりますか。大した重さも無いボールが存在しないだけで転けてしまうのですから。合気道では、相手の能力と心の動きを読むという要素が加わるので非常に難しいと思いますが。
丹田についてですが、物理的、科学的にと仰るのでしたら、体の重心の位置が丹田の位置と一致しているということをまず先に考える必要があるのではないでしょうか。重心の位置を考えることは、合気道をする上で、非常に大切なことだと思います。丹田という定義がなされていない、曖昧で神秘力的意味を含んでいる言葉を使うことに問題があると、私は思います。呼吸力と丹田はよく結びつけられますが、丹田が重心であると分かれば、呼吸により重心を意識的に上下に移動させることができ、しかも相手からは見えないことなので、技をかける上で有利に働かせることができるということが簡単に分かるのではないでしょうか。これを有効に使うには、真剣な鍛錬が不可欠と思いますが。いかがでしょうか。

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