前ロッテの黒木が現役引退=元エース、「悔いはない」-プロ野球 (時事通信) - goo ニュース
ジョニーに戦力外通告が下った、あの日。
会社帰りにその事実を知ったおいら。
おそらく誰もがそうであったとは思うのだけれど、まず間違いなく、ジョニーは今年で戦力外だろうという予感はしていたし、覚悟はできていた。
いや、正確には「できていた、つもりだった」と言った方がいいだろう。
帰りの山手線で天を仰いだおいら。
そのまま、下を向くことが出来なかった。
下を向いたら、電車の床に涙が落ちてしまうから。
「来るべき時が来ただけじゃないか」と、必死に自分をなだめすかしていたのだが、なだめすかすのは、ジョニーやジョニーのファンではなく、他ならぬ自分自身だったのだ。
溢れ来る涙を、上野の街では堪えることが出来なかった。
2軍で中継ぎで出てきてもボカスカに打たれるジョニーを見て、覚悟は出来ていたはずなのに。
あの日、まともな心理状況で記事をアップする状況ではなかったのは確かで、あの日は、戦力外通告に関するエントリは、「後日に譲る」とだけどこかに書き残したままになっていた。
案の定、各方面でどうにもやりきれぬファンの思いが交錯し、あちこちで火が噴いていた。
誰もがやるせない思いを抱え、しかしジョニーのために誠心誠意声の限り応援してきた者からすれば、ジョニーの決めたことだから、グッと堪えて見守るしかなかったのだ。
そしてやってきた、現役引退。
覚悟していたこととはいえ、このような形で終わってしまうのは、残念としか言いようがない。
ジョニーとマリーンズ球団との間で、どのようなやりとりが交わされたのかは、外野であるこちらからは皆目見当が付かない。コーチ就任を蹴って現役続行を希望したという話も、今となっては、本当かどうかもわからない。
こうした結果になったのは、ひとえにジョニー自身が現役にこだわった結果だから、最後に寂しく去っていく形になってしまったのは、仕方のないことかも知れない。
もし、ジョニー自身が納得した形であるならば、なんとかして、最後の花見を飾って貰いたいものなのだが…。
だってさあ…。
あんなに声を嗄らして応援してきた、俺達の精神的支柱だったピッチャーが、なんのセレモニーもなく去っていくなんて、寂しくて寂しくて仕方がない。
90年代後半から知る、おいら達のようなにわかマリーンズファンにとって、精神的な支柱の選手は、紛れもなくジョニーだったのだ。
「お前じゃなきゃダメなんだ」とは、黒木会が外野スタンドで出していた横断幕のようだが、あの頃のファンは、本当に「お前じゃなきゃダメなんだ」という横断幕そのものだった。そういえばおいらも、昔は丁度黒木会が陣取る上の列あたりにいつも座っていたっけな。
その黒木会も今では…。・゜・(ノД`)・゜・。
ジョニーの思い出…というと、実はおいら、それほどジョニーの投げる試合を観ていたわけではない。
特に2000年以降は、ジョニーが投げる日は、スタンドはジョニー見たさで確実にいつもの2割増くらい客が増えたこともあったのと、仕事が不規則でなかなかジョニーが投げる試合に休みが重ならなかったということもある。
その中でも…となると、やはり1999年4月、小僧松坂が千葉マリン初登板の日に投げ合い、ネ申様の一発でWお立ち台という試合かなあ。4月の平日、ましてや水曜日の試合で、全券種売り切れ札止めだなんていう事態は、当時の客入りからして、とてもとても信じられるものではなかった。あの日は外野スタンドの入り口の柵もほぼ閉め切られ、柵自体が「今日はチケットはタダの一枚も残らず売れちゃったよ」と語っていたくらいだったらなあ…。
ジョニーには、辛くも辛くも辛くも辛くも、そして楽しい思い出も。
それだけに、一つの時代が終わろうとすることが、1990年代が、徐々に遠くなり始めていこうとすることが、寂しくて仕方がない。
黒木選手、お疲れ様でした。
今度はテレビやラジオで、燃えるような解説を期待しています。
ロッテから戦力外を通告されていた黒木知宏投手(33)が12日、東京都内で記者会見し、現役引退を表明した。同投手は「10月2日に戦力外となった後(他球団からの)オファーを待ったが誘いはなく、選択肢は引退しか残っていなかった。悔いはない」と語った。今後の進路は未定という。
黒木は目を潤ませながら会見に臨み、「プロ野球選手として興味を示してもらえなかった。現状は厳しいが、自分の力不足。引退は2、3日前に決意した」と説明。「いろんな経験をさせてもらえ楽しかった。やり残したことはない」と、故障による離脱期間を含め13年間の現役生活を振り返った。「ジョニー」の愛称で親しんでくれたファンには「黒木という人間を育ててくれた」と感謝の言葉を口にした。
黒木は1995年にロッテに入団し、98年に最多勝、最高勝率のタイトルを獲得するなどエースとして活躍。2000年シドニー五輪にも出場した。01年に右肩を故障し、翌年から2シーズン戦線離脱。04年に復活したが、全盛期の球威は戻らなかった。通算成績は199試合に登板して76勝68敗1セーブ、防御率3.43。
ジョニーに戦力外通告が下った、あの日。
会社帰りにその事実を知ったおいら。
おそらく誰もがそうであったとは思うのだけれど、まず間違いなく、ジョニーは今年で戦力外だろうという予感はしていたし、覚悟はできていた。
いや、正確には「できていた、つもりだった」と言った方がいいだろう。
帰りの山手線で天を仰いだおいら。
そのまま、下を向くことが出来なかった。
下を向いたら、電車の床に涙が落ちてしまうから。
「来るべき時が来ただけじゃないか」と、必死に自分をなだめすかしていたのだが、なだめすかすのは、ジョニーやジョニーのファンではなく、他ならぬ自分自身だったのだ。
溢れ来る涙を、上野の街では堪えることが出来なかった。
2軍で中継ぎで出てきてもボカスカに打たれるジョニーを見て、覚悟は出来ていたはずなのに。
あの日、まともな心理状況で記事をアップする状況ではなかったのは確かで、あの日は、戦力外通告に関するエントリは、「後日に譲る」とだけどこかに書き残したままになっていた。
案の定、各方面でどうにもやりきれぬファンの思いが交錯し、あちこちで火が噴いていた。
誰もがやるせない思いを抱え、しかしジョニーのために誠心誠意声の限り応援してきた者からすれば、ジョニーの決めたことだから、グッと堪えて見守るしかなかったのだ。
そしてやってきた、現役引退。
覚悟していたこととはいえ、このような形で終わってしまうのは、残念としか言いようがない。
ジョニーとマリーンズ球団との間で、どのようなやりとりが交わされたのかは、外野であるこちらからは皆目見当が付かない。コーチ就任を蹴って現役続行を希望したという話も、今となっては、本当かどうかもわからない。
こうした結果になったのは、ひとえにジョニー自身が現役にこだわった結果だから、最後に寂しく去っていく形になってしまったのは、仕方のないことかも知れない。
もし、ジョニー自身が納得した形であるならば、なんとかして、最後の花見を飾って貰いたいものなのだが…。
だってさあ…。
あんなに声を嗄らして応援してきた、俺達の精神的支柱だったピッチャーが、なんのセレモニーもなく去っていくなんて、寂しくて寂しくて仕方がない。
90年代後半から知る、おいら達のようなにわかマリーンズファンにとって、精神的な支柱の選手は、紛れもなくジョニーだったのだ。
「お前じゃなきゃダメなんだ」とは、黒木会が外野スタンドで出していた横断幕のようだが、あの頃のファンは、本当に「お前じゃなきゃダメなんだ」という横断幕そのものだった。そういえばおいらも、昔は丁度黒木会が陣取る上の列あたりにいつも座っていたっけな。
その黒木会も今では…。・゜・(ノД`)・゜・。
ジョニーの思い出…というと、実はおいら、それほどジョニーの投げる試合を観ていたわけではない。
特に2000年以降は、ジョニーが投げる日は、スタンドはジョニー見たさで確実にいつもの2割増くらい客が増えたこともあったのと、仕事が不規則でなかなかジョニーが投げる試合に休みが重ならなかったということもある。
その中でも…となると、やはり1999年4月、小僧松坂が千葉マリン初登板の日に投げ合い、ネ申様の一発でWお立ち台という試合かなあ。4月の平日、ましてや水曜日の試合で、全券種売り切れ札止めだなんていう事態は、当時の客入りからして、とてもとても信じられるものではなかった。あの日は外野スタンドの入り口の柵もほぼ閉め切られ、柵自体が「今日はチケットはタダの一枚も残らず売れちゃったよ」と語っていたくらいだったらなあ…。
ジョニーには、辛くも辛くも辛くも辛くも、そして楽しい思い出も。
それだけに、一つの時代が終わろうとすることが、1990年代が、徐々に遠くなり始めていこうとすることが、寂しくて仕方がない。
黒木選手、お疲れ様でした。
今度はテレビやラジオで、燃えるような解説を期待しています。
こんばんは、小馬太郎兵衛さま。
ご挨拶が遅れました。
でも、「おもいで」、すごく共感するし、
本当に切ないものです。
やっぱりジョニーはスーパースターですよ。
今日はテレビでちゃんと流れてくれて
よかった。・・・
ポチっとしていきますね~
今はただ、「お疲れ様」としか言えません。
でも、ファンがそれぞれに切なさを感じるからこそ、やはりジョニーはスーパースターだったんですね。
改めて今、そう思います。
お疲れ様でした。
でも日がかわり、もう黒木も34歳となり、新たな野球人生が始まったのですから、私達も振り返っちゃいけないですね。
コメントありがとうございます。
そうですね。
後ろを振り返っても、何もありませんから。
思い出をそっと大事に胸の奥にしまっておこうと思います。
そして、ジョニーの新たな野球人生に幸多からんことを祈りたいですね。
今のファンの大半は本当のジョニーの事を知らない世代です。
せめて、知っている我々だけでも惜別と感謝の気持ちを持っていたいです。
セレモニー、やりたかったなあ。
選手会が来季オープン戦でのセレモニーを企画しているとの報道があったようですが・・・・。orz
そうなんですよねえ…。
今のファンの大半は、なぜジョニーがここまでファンに愛されているのか、頭では理解しても、身体では理解できていないと思うのです。
だからこそ、我々も、ジョニーがどれだけ愛されたのか、愛される理由があったのか、新しいファンに語り継いでゆかねばならないでしょうね。
それこそが、我々がジョニーにできる、最後の恩返しなのかもしれません。
>たこすけさん
帰ってきてくれたらいいのですがね…。
今回の一件では、どうも球団とジョニーの間では、少なからずしこりがあるのではないかと思うのです。
ジョニーがどのように思っているのかは、我々ファンからは全くわかりませんが…。