\樋口!樋口!/
ジョー樋口氏死去 元全日本プロ
ジョー 樋口氏(じょー・ひぐち=元全日本プロレスレフェリー、本名樋口寛治=ひぐち・かんじ)8日午前5時38分、肺腺がんのため死去、81歳。横浜市出身。葬儀・告別式は親族のみで行う。72年に故ジャイアント馬場が旗揚げした全日本プロレスに参加。小気味よいレフェリングでファンの人気を集めた。引退後は「プロレスリング・ノア」の監査役などを務めていた。
。゜(゜´Д`゜)゜。
樋口さんが…樋口さんが…。・゜・(ノД`)・゜・。
このニュースを電車の中で知って、思わずケータイの画面に向かって大声上げちゃっただすよ…。
ノアの会場には、昨年3月の武道館大会以来、足を運べてはいないのだけれど、部屋のテレビがG+に入っているので、ノア中継はバッチリ見れる環境にあり、つい最近も元気な姿を見ていたと思っていた矢先の出来事だっただけに…。
ウィキペディアのジョー樋口の項目に、「レフェリージョー樋口」とコールされたあとに「ジョー!」と客が叫ぶのが恒例になっている云々という記述があるのだが、そのような客のムーブが出来たのは、レフェリーとしてのジョー樋口晩年の1990年代のことである。
おいら達30代後半以上は、金曜夜8時の新日本プロレス、土曜夕方5時15分くらいからの全日本プロレス、或いはそれより上の世代の方々では、平日のどっかの夜7時からか、或いは日曜のお昼にやっていた全日本女子プロレス中継と、プロレスをテレビで実際に見ながら育っていった世代の人間からすれば、間違いなくジョー樋口=失神シーンなんですよww
コーナーに相手レスラーを追い詰めたジャンボ鶴田が興奮の余り、止めに入るジョー樋口を殴って反則負けとか、ブルーザー・ブロディが相手レスラーをボディスラムに抱えたら、抱えた相手の足がジョー樋口を直撃してノーコンテストとか、ロープの反動を利用して跳ね返ってきた相手をそのまま反対のロープへ投げたら、なぜかそこにジョー樋口がいて投げられたレスラーにぶつかって倒れるとか、そんなんばっかりですよ、昔の大会場のタイトルマッチでさえwww
その中でも、これは諸説それぞれお持ちのプロレスファンの先輩方が一杯いらっしゃるでしょうが、ジョー樋口の失神芸の中でも最高級の一つに数えられるのが、1983年8月の蔵前国技館、ブルーザー・ブロディ対ジャンボ鶴田のインターナショナル・ヘビー級選手権。
YouTube - ジョー樋口失神
当時でも異例の、失神したジョー樋口に対して樋口コールが起きるというシーン。ジャンボ鶴田はこの一戦で「日本の至宝」インターナショナル王座を獲得し、長かったナンバー2の時代から、名実共に全日本ナンバー1の座に上り詰めるのだ。
ちなみにこの日のメインイベントは、当時の少年少女に人気が高かったテリー・ファンクの引退試合、ザ・ファンクス対スタン・ハンセン、テリー・ゴディ組の対決だったもんで、子供達の歓声が凄かったのも、当時のプロレスがいかに小学生達に受け入れられていたかを物語っている。
と同時に、ここで引退したはずのテリー・ファンクが、1年後だかその後にしれっとまた復帰をしており、プロレスラーは盛大に引退試合で送り出されても、ファンのニーズさえあれば復帰出来るという、いい意味でも悪い意味でも好例を作った選手の一人である(笑)。
っていうか。
この映像で楽しめないとおっしゃる方とは、プロレスは語れませんなwwww
そうだろう、ジャグ氏、雷庵さん(笑)。
最後に、ちょっと画像が汚くて大変恐れ入りますが、2009年3月の日本武道館で撮影したジョー樋口さんを、拡大画面でご覧頂きます。
昭和は遠くなりにけり。
あの頃からいろんな意味で光り輝いていたジョー樋口さん。
間違いなく、プロレス黄金自体の一翼を担った人でした。
謹んでご冥福をお祈り致します。
ジョー樋口氏死去 元全日本プロ
レスレフェリー(共同通信) - goo ニュース
ジョー 樋口氏(じょー・ひぐち=元全日本プロレスレフェリー、本名樋口寛治=ひぐち・かんじ)8日午前5時38分、肺腺がんのため死去、81歳。横浜市出身。葬儀・告別式は親族のみで行う。72年に故ジャイアント馬場が旗揚げした全日本プロレスに参加。小気味よいレフェリングでファンの人気を集めた。引退後は「プロレスリング・ノア」の監査役などを務めていた。
。゜(゜´Д`゜)゜。
樋口さんが…樋口さんが…。・゜・(ノД`)・゜・。
このニュースを電車の中で知って、思わずケータイの画面に向かって大声上げちゃっただすよ…。
ノアの会場には、昨年3月の武道館大会以来、足を運べてはいないのだけれど、部屋のテレビがG+に入っているので、ノア中継はバッチリ見れる環境にあり、つい最近も元気な姿を見ていたと思っていた矢先の出来事だっただけに…。
ウィキペディアのジョー樋口の項目に、「レフェリージョー樋口」とコールされたあとに「ジョー!」と客が叫ぶのが恒例になっている云々という記述があるのだが、そのような客のムーブが出来たのは、レフェリーとしてのジョー樋口晩年の1990年代のことである。
おいら達30代後半以上は、金曜夜8時の新日本プロレス、土曜夕方5時15分くらいからの全日本プロレス、或いはそれより上の世代の方々では、平日のどっかの夜7時からか、或いは日曜のお昼にやっていた全日本女子プロレス中継と、プロレスをテレビで実際に見ながら育っていった世代の人間からすれば、間違いなくジョー樋口=失神シーンなんですよww
コーナーに相手レスラーを追い詰めたジャンボ鶴田が興奮の余り、止めに入るジョー樋口を殴って反則負けとか、ブルーザー・ブロディが相手レスラーをボディスラムに抱えたら、抱えた相手の足がジョー樋口を直撃してノーコンテストとか、ロープの反動を利用して跳ね返ってきた相手をそのまま反対のロープへ投げたら、なぜかそこにジョー樋口がいて投げられたレスラーにぶつかって倒れるとか、そんなんばっかりですよ、昔の大会場のタイトルマッチでさえwww
その中でも、これは諸説それぞれお持ちのプロレスファンの先輩方が一杯いらっしゃるでしょうが、ジョー樋口の失神芸の中でも最高級の一つに数えられるのが、1983年8月の蔵前国技館、ブルーザー・ブロディ対ジャンボ鶴田のインターナショナル・ヘビー級選手権。
YouTube - ジョー樋口失神
当時でも異例の、失神したジョー樋口に対して樋口コールが起きるというシーン。ジャンボ鶴田はこの一戦で「日本の至宝」インターナショナル王座を獲得し、長かったナンバー2の時代から、名実共に全日本ナンバー1の座に上り詰めるのだ。
ちなみにこの日のメインイベントは、当時の少年少女に人気が高かったテリー・ファンクの引退試合、ザ・ファンクス対スタン・ハンセン、テリー・ゴディ組の対決だったもんで、子供達の歓声が凄かったのも、当時のプロレスがいかに小学生達に受け入れられていたかを物語っている。
と同時に、ここで引退したはずのテリー・ファンクが、1年後だかその後にしれっとまた復帰をしており、プロレスラーは盛大に引退試合で送り出されても、ファンのニーズさえあれば復帰出来るという、いい意味でも悪い意味でも好例を作った選手の一人である(笑)。
っていうか。
この映像で楽しめないとおっしゃる方とは、プロレスは語れませんなwwww
そうだろう、ジャグ氏、雷庵さん(笑)。
最後に、ちょっと画像が汚くて大変恐れ入りますが、2009年3月の日本武道館で撮影したジョー樋口さんを、拡大画面でご覧頂きます。
昭和は遠くなりにけり。
あの頃からいろんな意味で光り輝いていたジョー樋口さん。
間違いなく、プロレス黄金自体の一翼を担った人でした。
謹んでご冥福をお祈り致します。
WWEのヘブナーの失神芸と共にね。
>>この映像で楽しめないとおっしゃる方とは、プロレスは語れませんなwwww
周りにいる全日本体の選手が着用している、ジャージのデザインで「何年ごろ」とか推察するぐらい好きですよw
当時は自分も若かったので、「ジョー!? アホ! ボケ! なにやっとんねん…」とリアルに憤慨しておりました
貼付け動画拝見、やっぱ昭和はいいなあ
自分がK-1や総合をキライなのも納得
それにしても、小鉄さん、ジョーさんと続けさまに
ホント昭和は遠く………
合掌
そうです。相手が取り出す凶器はまず見てませんwww
>雷庵さん
当時のレフェリーの基本ムーブですよね。
ミスター高橋はそれほど失神はしませんでしたが、よく乱闘に巻き込まれるってのはありましたっけか。
>とおるさん
うはwwwww
さすがですwww
私が高校生時分の全日本はまさに四天王黄金期でしたので、後楽園ホールなんかチケットが買える気すら起きない時代でしたからねえ…。
凶器を見て見ぬ振りのジョー樋口、シンが凶器をタイツの中に隠してもシューズをチェックして終了のミスター高橋www
>JR京阪さん
だからこそ、当時のプロレスの熱気は凄かったんですよね、今思えば…ですが。
今あんなことをやったら笑われますし、当時のプロレスファン気質としては、笑いが起こるプロレスはタブーでしたものね…。
さすがプロレスバカ達www
ジョー樋口さんのご冥福をお祈り致します。