っつーわけで、せっかく地元にネタ列車が走るのに、拝まない手はないとばかり、ちょいと出かけて参りました。
地元の駅に着いたら(素直に京成大和田って言えw)、ちょうど佐倉行き快速に行かれたばかりで、うすいから先へは20分待ち。ただ待っているのもしゃくなので、つい一杯引っかけてしまう。
20分待ちということは、大和田が13時ちょうど。
ってーことは、今からでは成田に行ったところで絶対につかまえっこ出来ないので、佐倉あたりまで出ずっぱれば記念に一枚撮れるかなと。
やってきたのはロングシート改造された京急600形。
しかしなあ…。
ネタ幕のままでここまで来るってーのは、おいら達へのサービスかい?
沿線は、どこから集まったか、同業者がぞろぞろ。勝田台やユーカリが丘、うすいの各駅はおろか、ユーカリから先の田園地帯のあちこちに人影が…。ユーカリが丘~うすい間の南側には、カメラの砲列がずらりと並んでいたのにはびっくり。ここはどこのJR線かと。
上りの最初の定期列車待避駅である佐倉には、拍子抜けするくらい人影が少なかった。ここまで気合いを入れて来るファンは少なかったのかもしれない。お陰様でマターリと開運号を眺めることができた。
開運号の案内は「団体専用」。
毎年1月になると、成田山へ向かう団体列車が走るので、この表示は、さして珍しいというほど珍しいわけではないが、やはり新鮮に映る。
というわけで、いよいよ行灯式のヘッドマークも誇らしげに、開運号堂々の入線。
画面ではよく分からないが、行灯式と書いたとおり、このヘッドマークは光るんです。蛍光灯でバックから照らしている。
昔の開運号のヘッドマークが蛍光灯だったかどうかは知らない。おそらく白熱灯の時代もあったのだろうが、1960年代の話だろう。
各車両の真ん中のドア上には、でかでかと「指定特急」のステッカーが。
昔の開運号時代の写真を見ると、各車両の真ん中のドア上に「指定特急」を表示するサボ受けがあり、さすがにサボは再現できなかったが、ステッカーでも十分往時がしのばれる。
列車は一応「団体臨時列車」なので、種別は「臨時」の表示。
成田方に回ってみると、こちらはささややかながらレプリカのヘッドマークを取り付けている。
上野方の写真と見比べると、ヘッドマークの分厚さが一目瞭然w
ほら。ね。
まさか生きながらえて、もう一度伝統あるカラーに伝統ある切り抜きの社名に出会えるとは思わなかった。やはり「keisei」にはこの色が似合う。
開運号は佐倉でスカイライナーを待って発車。開運号はこの先ユーカリが丘で特急、船橋競馬場で快速の待ち合わせをする。快速は佐倉始発なので、座っちゃったし、ゆっくり快速で追いかけてみよう。後からやってきた特急は、とても成田空港始発とは思えないほどの混みっぷり。混雑の原因は、どう考えても、明らかに同業者のせいだったw
酒をあおってしまったので、トイレが近くなったので、どうせ快速は船橋競馬場で開運号に追いつくのだから、船橋競馬場まで行ってみようか。
したらばあんた…。
駅が競馬にもオートにもららぽーとにも行かない客で埋め尽くされていた。
上り側はもっと凄いことになっていた。
まあ、高砂や八幡で待ち構えるよりは、遙かにスペースもあって安全だし、船橋から二つめだから手頃だし。
しかし、こうも集結するもんかね。
佐倉で待ち構えたのは正解だったな。
発車間際の反対側下りホームは、この有様です。
ピンぼけなのは正直スマンかった。
この先まで追いかけても、おそらく混雑は増すばかりかと思われたし、佐倉でとりあえず捕まえたからもうお腹いっぱい。東中山で離脱して、あとは馬券勝負とか、やられた挙げ句に東中山→関屋→牛田→浅草→池袋と出て、ちょいとお買い物なんぞを。
浅草雷門から確か、王子経由で池袋へ行くバスがあったはず…、あ、これこれ♪…とふらふらと乗ったバスは草63系統。巣鴨駅経由って…。
地雷バスでした…orz
いや、個人的に古傷がうずくだけなんだ。明治通りから西日暮里を通って千駄木経由なんて…。千駄木から夕焼けだんだんを歩いた先から見た西日は、失恋の苦い思い出なのよ。とほほ。
まあいいか、上58系統に乗って不忍通りを北へ行くよりは←分かる人(ry
祭りはあっという間に終了。
あとはおそらく、3298Fが引退すると思われる3月末まで、ゆっくりと京成の線路をがたごとと走ることだろう。
たまに見かけたら、乗ってやるとするか。
平日の61運行に入ってくれると個人的にはぴったりなんだよなあ。通勤がてら八幡から日暮里まで乗れるから。
↑ ♪ぐんぐん京成 ぐんぐん京成
地元の駅に着いたら(素直に京成大和田って言えw)、ちょうど佐倉行き快速に行かれたばかりで、うすいから先へは20分待ち。ただ待っているのもしゃくなので、つい一杯引っかけてしまう。
20分待ちということは、大和田が13時ちょうど。
ってーことは、今からでは成田に行ったところで絶対につかまえっこ出来ないので、佐倉あたりまで出ずっぱれば記念に一枚撮れるかなと。
やってきたのはロングシート改造された京急600形。
しかしなあ…。
ネタ幕のままでここまで来るってーのは、おいら達へのサービスかい?
沿線は、どこから集まったか、同業者がぞろぞろ。勝田台やユーカリが丘、うすいの各駅はおろか、ユーカリから先の田園地帯のあちこちに人影が…。ユーカリが丘~うすい間の南側には、カメラの砲列がずらりと並んでいたのにはびっくり。ここはどこのJR線かと。
上りの最初の定期列車待避駅である佐倉には、拍子抜けするくらい人影が少なかった。ここまで気合いを入れて来るファンは少なかったのかもしれない。お陰様でマターリと開運号を眺めることができた。
開運号の案内は「団体専用」。
毎年1月になると、成田山へ向かう団体列車が走るので、この表示は、さして珍しいというほど珍しいわけではないが、やはり新鮮に映る。
というわけで、いよいよ行灯式のヘッドマークも誇らしげに、開運号堂々の入線。
画面ではよく分からないが、行灯式と書いたとおり、このヘッドマークは光るんです。蛍光灯でバックから照らしている。
昔の開運号のヘッドマークが蛍光灯だったかどうかは知らない。おそらく白熱灯の時代もあったのだろうが、1960年代の話だろう。
各車両の真ん中のドア上には、でかでかと「指定特急」のステッカーが。
昔の開運号時代の写真を見ると、各車両の真ん中のドア上に「指定特急」を表示するサボ受けがあり、さすがにサボは再現できなかったが、ステッカーでも十分往時がしのばれる。
列車は一応「団体臨時列車」なので、種別は「臨時」の表示。
成田方に回ってみると、こちらはささややかながらレプリカのヘッドマークを取り付けている。
上野方の写真と見比べると、ヘッドマークの分厚さが一目瞭然w
ほら。ね。
まさか生きながらえて、もう一度伝統あるカラーに伝統ある切り抜きの社名に出会えるとは思わなかった。やはり「keisei」にはこの色が似合う。
開運号は佐倉でスカイライナーを待って発車。開運号はこの先ユーカリが丘で特急、船橋競馬場で快速の待ち合わせをする。快速は佐倉始発なので、座っちゃったし、ゆっくり快速で追いかけてみよう。後からやってきた特急は、とても成田空港始発とは思えないほどの混みっぷり。混雑の原因は、どう考えても、明らかに同業者のせいだったw
酒をあおってしまったので、トイレが近くなったので、どうせ快速は船橋競馬場で開運号に追いつくのだから、船橋競馬場まで行ってみようか。
したらばあんた…。
駅が競馬にもオートにもららぽーとにも行かない客で埋め尽くされていた。
上り側はもっと凄いことになっていた。
まあ、高砂や八幡で待ち構えるよりは、遙かにスペースもあって安全だし、船橋から二つめだから手頃だし。
しかし、こうも集結するもんかね。
佐倉で待ち構えたのは正解だったな。
発車間際の反対側下りホームは、この有様です。
ピンぼけなのは正直スマンかった。
この先まで追いかけても、おそらく混雑は増すばかりかと思われたし、佐倉でとりあえず捕まえたからもうお腹いっぱい。東中山で離脱して、あとは馬券勝負とか、やられた挙げ句に東中山→関屋→牛田→浅草→池袋と出て、ちょいとお買い物なんぞを。
浅草雷門から確か、王子経由で池袋へ行くバスがあったはず…、あ、これこれ♪…とふらふらと乗ったバスは草63系統。巣鴨駅経由って…。
地雷バスでした…orz
いや、個人的に古傷がうずくだけなんだ。明治通りから西日暮里を通って千駄木経由なんて…。千駄木から夕焼けだんだんを歩いた先から見た西日は、失恋の苦い思い出なのよ。とほほ。
まあいいか、上58系統に乗って不忍通りを北へ行くよりは←分かる人(ry
祭りはあっという間に終了。
あとはおそらく、3298Fが引退すると思われる3月末まで、ゆっくりと京成の線路をがたごとと走ることだろう。
たまに見かけたら、乗ってやるとするか。
平日の61運行に入ってくれると個人的にはぴったりなんだよなあ。通勤がてら八幡から日暮里まで乗れるから。
↑ ♪ぐんぐん京成 ぐんぐん京成
会社の仲の良い同僚(K成フェチ)がわざわざ年休を取って祭に参戦したそうです。家族の名前を総動員してン十枚の応募ハガキを送りつけたものの、ことごとくハズレ。当日は撮影に徹して追っかけていた模様。ちなみに船競で撮影していたらしいので群集画像の中にそいつがいると思われ。
どうせなら金ぴかの部分を電飾して…げふんげふんげふん堂←分かる人ry
今から20年くらい前、巣鴨営業所の運転手さんの運転が荒っぽく、同じ都営バスでも渋谷の「茶81」(現在は廃止)や「田87」などの丁寧な運転ぶりとは違っていたのが、ちょっとしたカルチャーショックでした。その後も何回か、そういうスリル(?)を味わいたくて草64には乗りましたが。
晩年は毎時1本に減らされていましたが、いちいち地下に降りなくてよかったので、もろに半蔵門線とバッティングするコースなのに、比較的後年まで生き存えていましたね。
さすらいの8143様のブログにもあるとおり、副都心線開通後の池86系統と、早77系統の今後が気になりますね。もろにバッティングしますからねえ…。
おそらく池86系統と早77系統の合併は考えられるでしょうね。あの系統は区間利用客が多いので、地下鉄だけではカバーしきれない部分があると思うのですが…。