「この列車ガラガラすぎてワロタ」との声に、つい鉄の血が騒ぎ、職場近くのチケットショップで青春18キップの2回残りを仕入れたが運の尽き、ついつい突撃してしまいました。(取材日:3月28日)
この「DLみなかみ号」は、JR東日本の非電化区間でのお召し列車牽引機である、高崎機関区所属のDD51 842号機が牽引する、いわゆる「ロイヤルエンジン」と呼ばれる機関車が牽引する客車列車。
ロイヤルエンジンと言えば、やっぱりこいつが有名でございますが。
ちなみにこのEF58 61号機は、どうやら現在休車中らしいです。
おそらくは、元はSLのD51 498号機が牽引する「SLみなかみ号」として運転されるはずだったのだろうが、今年初めだったか昨年末だったか、ボイラーを空焚きしてしまって破損させてしまい、長期の戦線離脱を余儀なくされたため、白羽の矢が立った…のかな? もしかしたら元からDLに引っ張らせるイベント列車を画策していたのかもしれないが。
しかし、同じロイヤルエンジンと言われても、ロクイチ(EF58 61)が走るとなると、沿線や駅は撮り鉄が大挙して実際に押すな押すなと言い合いながらひしめき合うのに、DD51 842号機の場合は、存在自体が地味なのか、EF58自体が旧型機関車の部類に入り、存在自体が希少価値というのに比べると、数を大分減らしつつはあっても、非電化区間ではそれなりの数がまだまだ残っており、希少価値と言うほどではないDD51 842号機は、どうしても我々鉄ヲタもは脳が鈍ってしまう。
それだけに、「DLみなかみ号客いなさすぎでワロタ」と聞いたらば、そりゃもう往年のガラガラの客車列車の乗り心地を堪能せんと出かけなければ仕方があるまい。
ブルートレインがもはや絶滅危惧種のこの時代、「ガラガラの客車列車」に出会うこと自体が、もしかしたら希少価値が出るかもしれないのだ。
とゆーわけで、高崎の発車が9時58分なので、それに間に合うためには…と逆算して、最低でも上野8時04分発の高崎行き841Mに乗ればいいのだけれど、この列車の前の高崎行きが30分開いていて、なんとなく混みそうだったのでパスし、その1本前の、7時38分発の高崎行き839Mで一路高崎へ。この列車だとE231系なのでクロスシートがついているが、841Mは211系なので、高崎まで行くならロングシート確定。国鉄形式211系を選ぶか、あくまでクロスにこだわってE231で行くかは好みの問題。こいつのクロスはクロスでケツが痛くなるのだがorz
高崎線に揺られること1時間40分強、高崎には9時22分の到着。
0番線の上信電鉄線乗り場では、「999号」が出迎えてくれる。乗らないけど(笑)。
高崎に着いて30分ほどの待ち合わせがあるのに、改札を出ないのもしゃくだから、改札を出て東口に降り立つと、駅前にはヤマダ電機のビルが建ち、前回(たぶん2008年1月以来)来た時と比べると、ずいぶん趣が異なっている。もっとも、「変わったな」と思えるのはこのヤマダ電機のビルだけで、東口から旧高崎競馬場のある方向を見やると、あまり代わり映えがしないことがよく分かる(笑)。ロータリーはヤマダ電機のビルが建設されたことで少々手を加えられてはいたが。
ホームに戻ると、列車はすでにホームに据え付けられていた。
これから2時間ほどの旅のお供になる12系客車。
元は臨時急行用として冷暖房装備で登場したが、晩年は各地に細々と残るローカル列車にも使われ、現在はイベントや団体列車などの波動用で残るのみである。
機関車がいる先頭部分では、それなりに写真を撮るファンの姿も。
ただし、数はそれほど多くはなく、実にマッタリした空気が早くも漂い始める。
まずは機関車の運転室部分。
ついでヘッドマークなども。
そうこうしているうちに発車時間。
こちらもそれなりに装備を調えていざ出発進行(笑)。
機関車の牽引列車では、機関車が引き出す瞬間に背中にかかる衝撃がまたたまらない。これぞ機関車牽引列車でしか味わえぬ乗り心地。この瞬間に炭酸麦芽系をバシュッと開けたらこりゃまたたまらんちん。おいらはこの瞬間、この背中に伝わる衝撃、このゆっくりとした乗り心地を楽しむために、わざわざ青春18キップ2回分、実にチケットショップに7000円もぼられながらも(泣)ここまで来たのだ。
車内では早速、車内改札と同時に乗車証明書が配られる。
朝10時台という中途半端な時間だけれども、記念弁当はとっとと片付けてしまおう。
…。
しっかし…。
聞きしに勝るガラガラっぷり。
数えてみたら、おいらを含めて一車両に8人だけ。それがめいめいに各ボックスに散らばっているのだから、どれだけ乗ってないんだよ…という話になる。
だが、それがいい。
こんなにマッタリした空気が流れる客車列車なんて、今後お目にかかれるかどうか。
4年くらい前までの東海道や山陽筋の寝台特急も同じような空気が流れていて、正直言って個室なんか取らなくったって、開放寝台を押さえればその区画は間違いなく独り占め出来たから、個室と違ってドアや壁に片方の車窓を遮られる…なんてことはないから、むしろそっちの方が贅沢な車窓を独り占め出来ただろうに…。
渋川では25分以上停車の「バカ停」タイム。
高崎では撮り鉄の大きいお友達がたむろしていたけれど、渋川まで来ると乗客しかいないから、写真がゆっくり撮り放題。
いろいろと運転台なんかも撮っていたら、なんとまあ、運転台にも上らせてくれましたよ。
運転士さんに帽子を借りて、運転台で記念撮影もしてもらったのだけれど、急いでカメラを渡してしまったので高感度設定のままになってしまい、出来上がりを見たらものの見事に露光オーバー。とほほorz
運転台をつぶさに眺めていると、窓ガラスが保護棒で覆われた部分があるのだけれど、これはタブレット閉塞区間を走っていた頃の名残で、昔の電車や気動車の、運転台直後のドアガラスだけが保護棒で覆われていたのは、タブレットから窓ガラスを保護するためのもの。停車する駅では直接駅員さんから渡して貰うけれど、通過駅の場合はタブレットキャッチャーでタブレットを引っかけて受け取っていたから、運転台のドア後ろの窓ガラスには保護が必要だったのだ。
ついでに、ほぼ原形を保ったままの12系客車の車内写真など、これからいつ撮れるかわからないので、今のうちに撮っておこう(笑)。
渋川を出ると沼田、後閑に止まり、いよいよ谷川岳が前方に見えてくる。
車内では、一車両ごとにじゃんけん大会が行われ、極めて高確率で、DD51にまつわるグッズが手に入るまたとないチャンスに。
DD51のレターセットはあいにくじゃんけんで外れたが、見事ピンバッジをゲットすることに成功。レターセットが1名で、ピンバッジが2名分。これを8人で取り合っていたのだからどんだけ高確率やねんwwwww
水上温泉郷の旅館群が見えてきて、もう間もなく水上到着…というところで、機関車が2、3度長音の警笛を鳴らしたかと思えば急停車。なんだなんだと前方を覗いてみるが…。
どうやら踏切だか線路内だかで直前横断があったらしいとのことでの急停車。踏切は付近には見あたらなかったから、どうやら踏切外のところで、窓の下を覗くと、2匹くらいの犬を連れたおばさんが不自然な場所にいたから、どうやらこのおばさんが直前横断をしたのだろう。
定刻より3~4分遅れて水上に着くと、駅のホームでは温泉郷の大歓迎を受ける。
…っーか、寒かとですよ奥さん。
粉雪が舞っているよ。寒い寒い寒い寒い。
こんな日はとりあえずとっととひとっ風呂浴びようぜ。
水上に前回来たのは2005年1月4日。
その時は少々温泉街に歩いた「ひがきホテル」の日帰り入浴を志し、その他にも各ホテルから客引きが駅前にたむろしていたのだけれど、今日はどうやら客引きは皆歓迎式典に出っぱっているようなので、前回歩いた「ひがきホテル」の奥の方に歩けば、まだ温泉街があるだろう…ということで、前回と同じく温泉街を目指して歩く。
どうやら少々歩いたところに、水上温泉の公共浴場「みなかみ交流館」があるらしい。
入った。
出た。
いやはや、いい湯でございました。
水上では2時間ほどの滞在で、折り返しは13時54分発の高崎行き普通列車。
駅に着いたら13時42分発の長岡行きに間に合ったから、これで思わず越後湯沢あたりにでも行ってみようか…とも思ったのだが、帰りが激しく面倒なので、素直に引き返す。
客車列車で酒を飲みつつ、目的地で温泉三昧。
しかもガラガラの客車列車。
これに勝る最高の乗り鉄は無し。
じっくりと堪能させて頂きました。
むは~。
この「DLみなかみ号」は、JR東日本の非電化区間でのお召し列車牽引機である、高崎機関区所属のDD51 842号機が牽引する、いわゆる「ロイヤルエンジン」と呼ばれる機関車が牽引する客車列車。
ロイヤルエンジンと言えば、やっぱりこいつが有名でございますが。
ちなみにこのEF58 61号機は、どうやら現在休車中らしいです。
おそらくは、元はSLのD51 498号機が牽引する「SLみなかみ号」として運転されるはずだったのだろうが、今年初めだったか昨年末だったか、ボイラーを空焚きしてしまって破損させてしまい、長期の戦線離脱を余儀なくされたため、白羽の矢が立った…のかな? もしかしたら元からDLに引っ張らせるイベント列車を画策していたのかもしれないが。
しかし、同じロイヤルエンジンと言われても、ロクイチ(EF58 61)が走るとなると、沿線や駅は撮り鉄が大挙して実際に押すな押すなと言い合いながらひしめき合うのに、DD51 842号機の場合は、存在自体が地味なのか、EF58自体が旧型機関車の部類に入り、存在自体が希少価値というのに比べると、数を大分減らしつつはあっても、非電化区間ではそれなりの数がまだまだ残っており、希少価値と言うほどではないDD51 842号機は、どうしても我々鉄ヲタもは脳が鈍ってしまう。
それだけに、「DLみなかみ号客いなさすぎでワロタ」と聞いたらば、そりゃもう往年のガラガラの客車列車の乗り心地を堪能せんと出かけなければ仕方があるまい。
ブルートレインがもはや絶滅危惧種のこの時代、「ガラガラの客車列車」に出会うこと自体が、もしかしたら希少価値が出るかもしれないのだ。
とゆーわけで、高崎の発車が9時58分なので、それに間に合うためには…と逆算して、最低でも上野8時04分発の高崎行き841Mに乗ればいいのだけれど、この列車の前の高崎行きが30分開いていて、なんとなく混みそうだったのでパスし、その1本前の、7時38分発の高崎行き839Mで一路高崎へ。この列車だとE231系なのでクロスシートがついているが、841Mは211系なので、高崎まで行くならロングシート確定。国鉄形式211系を選ぶか、あくまでクロスにこだわってE231で行くかは好みの問題。こいつのクロスはクロスでケツが痛くなるのだがorz
高崎線に揺られること1時間40分強、高崎には9時22分の到着。
0番線の上信電鉄線乗り場では、「999号」が出迎えてくれる。乗らないけど(笑)。
高崎に着いて30分ほどの待ち合わせがあるのに、改札を出ないのもしゃくだから、改札を出て東口に降り立つと、駅前にはヤマダ電機のビルが建ち、前回(たぶん2008年1月以来)来た時と比べると、ずいぶん趣が異なっている。もっとも、「変わったな」と思えるのはこのヤマダ電機のビルだけで、東口から旧高崎競馬場のある方向を見やると、あまり代わり映えがしないことがよく分かる(笑)。ロータリーはヤマダ電機のビルが建設されたことで少々手を加えられてはいたが。
ホームに戻ると、列車はすでにホームに据え付けられていた。
これから2時間ほどの旅のお供になる12系客車。
元は臨時急行用として冷暖房装備で登場したが、晩年は各地に細々と残るローカル列車にも使われ、現在はイベントや団体列車などの波動用で残るのみである。
機関車がいる先頭部分では、それなりに写真を撮るファンの姿も。
ただし、数はそれほど多くはなく、実にマッタリした空気が早くも漂い始める。
まずは機関車の運転室部分。
ついでヘッドマークなども。
そうこうしているうちに発車時間。
こちらもそれなりに装備を調えていざ出発進行(笑)。
機関車の牽引列車では、機関車が引き出す瞬間に背中にかかる衝撃がまたたまらない。これぞ機関車牽引列車でしか味わえぬ乗り心地。この瞬間に炭酸麦芽系をバシュッと開けたらこりゃまたたまらんちん。おいらはこの瞬間、この背中に伝わる衝撃、このゆっくりとした乗り心地を楽しむために、わざわざ青春18キップ2回分、実にチケットショップに7000円もぼられながらも(泣)ここまで来たのだ。
車内では早速、車内改札と同時に乗車証明書が配られる。
朝10時台という中途半端な時間だけれども、記念弁当はとっとと片付けてしまおう。
…。
しっかし…。
聞きしに勝るガラガラっぷり。
数えてみたら、おいらを含めて一車両に8人だけ。それがめいめいに各ボックスに散らばっているのだから、どれだけ乗ってないんだよ…という話になる。
だが、それがいい。
こんなにマッタリした空気が流れる客車列車なんて、今後お目にかかれるかどうか。
4年くらい前までの東海道や山陽筋の寝台特急も同じような空気が流れていて、正直言って個室なんか取らなくったって、開放寝台を押さえればその区画は間違いなく独り占め出来たから、個室と違ってドアや壁に片方の車窓を遮られる…なんてことはないから、むしろそっちの方が贅沢な車窓を独り占め出来ただろうに…。
渋川では25分以上停車の「バカ停」タイム。
高崎では撮り鉄の大きいお友達がたむろしていたけれど、渋川まで来ると乗客しかいないから、写真がゆっくり撮り放題。
いろいろと運転台なんかも撮っていたら、なんとまあ、運転台にも上らせてくれましたよ。
運転士さんに帽子を借りて、運転台で記念撮影もしてもらったのだけれど、急いでカメラを渡してしまったので高感度設定のままになってしまい、出来上がりを見たらものの見事に露光オーバー。とほほorz
運転台をつぶさに眺めていると、窓ガラスが保護棒で覆われた部分があるのだけれど、これはタブレット閉塞区間を走っていた頃の名残で、昔の電車や気動車の、運転台直後のドアガラスだけが保護棒で覆われていたのは、タブレットから窓ガラスを保護するためのもの。停車する駅では直接駅員さんから渡して貰うけれど、通過駅の場合はタブレットキャッチャーでタブレットを引っかけて受け取っていたから、運転台のドア後ろの窓ガラスには保護が必要だったのだ。
ついでに、ほぼ原形を保ったままの12系客車の車内写真など、これからいつ撮れるかわからないので、今のうちに撮っておこう(笑)。
渋川を出ると沼田、後閑に止まり、いよいよ谷川岳が前方に見えてくる。
車内では、一車両ごとにじゃんけん大会が行われ、極めて高確率で、DD51にまつわるグッズが手に入るまたとないチャンスに。
DD51のレターセットはあいにくじゃんけんで外れたが、見事ピンバッジをゲットすることに成功。レターセットが1名で、ピンバッジが2名分。これを8人で取り合っていたのだからどんだけ高確率やねんwwwww
水上温泉郷の旅館群が見えてきて、もう間もなく水上到着…というところで、機関車が2、3度長音の警笛を鳴らしたかと思えば急停車。なんだなんだと前方を覗いてみるが…。
どうやら踏切だか線路内だかで直前横断があったらしいとのことでの急停車。踏切は付近には見あたらなかったから、どうやら踏切外のところで、窓の下を覗くと、2匹くらいの犬を連れたおばさんが不自然な場所にいたから、どうやらこのおばさんが直前横断をしたのだろう。
定刻より3~4分遅れて水上に着くと、駅のホームでは温泉郷の大歓迎を受ける。
…っーか、寒かとですよ奥さん。
粉雪が舞っているよ。寒い寒い寒い寒い。
こんな日はとりあえずとっととひとっ風呂浴びようぜ。
水上に前回来たのは2005年1月4日。
その時は少々温泉街に歩いた「ひがきホテル」の日帰り入浴を志し、その他にも各ホテルから客引きが駅前にたむろしていたのだけれど、今日はどうやら客引きは皆歓迎式典に出っぱっているようなので、前回歩いた「ひがきホテル」の奥の方に歩けば、まだ温泉街があるだろう…ということで、前回と同じく温泉街を目指して歩く。
どうやら少々歩いたところに、水上温泉の公共浴場「みなかみ交流館」があるらしい。
入った。
出た。
いやはや、いい湯でございました。
水上では2時間ほどの滞在で、折り返しは13時54分発の高崎行き普通列車。
駅に着いたら13時42分発の長岡行きに間に合ったから、これで思わず越後湯沢あたりにでも行ってみようか…とも思ったのだが、帰りが激しく面倒なので、素直に引き返す。
客車列車で酒を飲みつつ、目的地で温泉三昧。
しかもガラガラの客車列車。
これに勝る最高の乗り鉄は無し。
じっくりと堪能させて頂きました。
むは~。
水上~高崎間は以外にも空いていたんで、D51・498号機の力強い牽引振りを楽しみながら~飲み鉄♪「オハ~」。
高崎から先は…それなりに乗客が乗って来て、ジャンケンゲーム等も無く…フツーに~だるま弁当を食べ、、途中の本庄からお向かいに、おばあちゃんと孫が乗って来たので~世間話をしつつ…越後湯沢で買った「六日町名菓“お六饅頭”」を食べつつ…お茶を飲みつつで、何の変哲も無く上野駅に到着。
その30分後…車内にお土産の饅頭と時刻表と小物類を入れたカバンを忘れた事に気づき…慌てて!上野駅(確か新宿から)の事務室(みたいな所)へ取りに戻った思い出がありますね(≧▽≦)ゞ。
やはり!3月号載ってなかった“裏列車”なだけに…牽引がSLじゃないだけに…“ガラ空き客車”だったのかも知れませんね。⇒いいなぁ~(^ε^)♪羨ましいッス。
中学時代に京都から乗った…最終の福知山行きで、園部から先が~ガラ空き状態だったかな(乗客は私を入れて3人)。
そして、福知山から~今は無き“客車急行・だいせん号”で出雲へ乗り鉄旅行。
最近では、05年に会津若松から新潟間で乗った“SLばんえつ物語号”の喫煙車両は比較的ガラ空き客車だったかな。
ガラ空き客車~最高!!。
そうなんです。
時刻表の3月号にも載っていなかったので、今となってはダイヤを思い出すのも写真に頼る他がないもので…(泣)。
もしかしたら2月号には載っていたのかもしれませんが…。
>かわじゅうさん
その女子大生とは、もちろん雑魚寝だけでは済まなかった(以下自主規制
>陀羅尼助丸兄さん
客車時代の急行「だいせん」は、98年8月に乗れそうな機会はあったのですが、体調が悪くて日程を見直して乗らなかったことがあるんです。
あの時乗れていたら…。
「ばんえつ物語号」は、SLとしては長距離を走るので、客車列車の走りをこれでもかと堪能するにはまたとない列車ですね。
磐越西線は会津若松~郡山間が未乗なんですよね…。