こちらの記事の続きであります。
ジプシーロッテと呼ばれた時代の移動を振り返ろうという、野球ファンには相当なニッチでエッチな路線のエントリ。1974年よりかなりますます過激さを増す1975年の後期を振り返ります。ちなみに1975年とは、あたくしめがこの世にあろうことか生を受けてしまった年であります、誰も聞いてませんねごめんなさいねはいはい行きますよ。はいドン。
7/8 西宮 阪急
7/9 西宮 阪急
7/13 ★宮城 太平洋
7/13 ★宮城 太平洋
7/15 神宮 日ハム
7/16 神宮 日ハム
7/17 神宮 日ハム
(オールスターブレイク)
7/26 長岡悠久 近鉄
7/27 ★新潟鳥屋野 近鉄
7/27 ★新潟鳥屋野 近鉄
7/29 大阪 南海
7/30 大阪 南海
7/31 大阪 南海
8/1 川崎 阪急
8/2 川崎 阪急
8/3 ★川崎 阪急
8/3 ★川崎 阪急
8/5 宮城 南海
8/7 宮城 南海
8/9 宮城 近鉄
8/10 ★宮城 近鉄
8/10 ★宮城 近鉄
8/12 神宮 日ハム
8/13 神宮 日ハム
8/14 神宮 日ハム
8/15 平和台 太平洋
8/16 平和台 太平洋
8/17 平和台 太平洋
8/19 西宮 阪急
8/20 西宮 阪急
8/22 神宮 南海
8/24 ★神宮 南海
8/24 ★神宮 南海
8/26 宮城 阪急
8/27 ★宮城 阪急
8/27 ★宮城 阪急
8/29 熊本 太平洋
8/30 ★平和台 太平洋
8/30 ★平和台 太平洋
8/31 平和台 太平洋
9/2 宮城 近鉄
9/3 ★宮城 近鉄
9/3 ★宮城 近鉄
9/6 宮城 日ハム
9/7 ★宮城 日ハム
9/7 ★宮城 日ハム
9/9 日生 近鉄
9/10 日生 近鉄
9/11 日生 近鉄
9/12 後楽園 日ハム
9/13 後楽園 日ハム
9/14 後楽園 日ハム
9/15 後楽園 日ハム
9/16 大阪 南海
9/17 大阪 南海
9/18 大阪 南海
9/20 宮城 太平洋
9/21 ★宮城 太平洋
9/21 ★宮城 太平洋
9/22 宮城 太平洋
9/25 ★川崎 南海
9/25 ★川崎 南海
9/28 ★西宮 阪急
9/28 ★西宮 阪急
(★…ダブルヘッダー)
(※7月末の新潟鳥屋野球場は、前年の新潟球場とは別球場、のはず。ちょっと調べておきます。)
改めて書くことでもありませんが、凄い移動日程だ…。
東京に本拠を構えている選手たちにとっては、川崎でもおそらくは自宅には帰れそうだけれども、いったん日程が関東を離れたら、空恐ろしいことになっている。
特に8月の、お盆付近の、神宮3連戦で移動日なし平和台→日生でようやく関東に帰れるという日程もさることながら、その後が恐ろしい。
8月24日の神宮球場のダブルヘッダーでへっとへとになっている体があるというのに、明後日からは宮城で2日で3試合、その後はおそらくいったん帰京して、荷物を解いて一息をつく間もなく福岡、或いは熊本空港への空路移動。熊本から平和台に移動して…ということだけれども、これは列車移動だったか、或いはそのまま着の身着のままで、九州自動車道が古賀~熊本間が開通したばかりだったから、こちらで貸し切りバスで移動したのかもしれない。
で、熊本→平和台で3日で4連戦のセットをこなし(当時のパリーグの組み方は、週末などはこれが基本になっていたようである)、9月に入って更に東京経由で宮城へ舞い戻り、宮城球場で2日で3試合をこなしてようやく中2日の休養があるというものすごさ。
この2日間で選手がわざわざ東京と仙台を往復していたとも思えず、おそらくはどこかのホテルで体のケアに余念がなかったことでしょう。
で、6日から宮城で日ハムを迎えての2日で3連戦。これをこなすと今度は移動日を挟んで大阪日生球場の3連戦。
これが終わってやっと東京へ帰って腰を落ち着けられるんですよ(・・;)
ただでさえ後期シーズンも佳境に入り、お盆でそれなりに当時のスタンドもお客さんが入る中で、一旦8月24日で関東を離れたら、宮城→熊本→平和台→宮城→日生→、でやっと9月12日に後楽園って、これねえ、もうしわけないけど、俺だったら絶対に体を壊して1軍離脱する自信があるもの(・・;)
これダブルヘッダーなどの試合それ自体の過酷さを抜きにしても、これらの移動を、しっかりプロ野球選手としての体のケアを怠らずに行わなければならないわけで、現在のように高速道路網、新幹線網、飛行機網が各所に網羅されている今の時代とは全く違うから、書いているだけで辛いって思うもの。
旅がらすというかなんというか、野球のためだけに東へ西へ。西でエラーかましちゃ心が痛え、東でホームラン1本存すればなお痛え、みたいなセリフが出て来そうw
この旅がらす状態が、前期6位、後期2位も総合順位で4位という成績に終わったのも、むべなるかなといったところ。
いやあ辛い。
この移動距離は半端なくつらい。
これらの移動の辛苦をご覧いただいて、今度は1976年のロッテオリオンズの歴史もご覧いただきましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
ジプシーロッテと呼ばれた時代の移動を振り返ろうという、野球ファンには相当なニッチでエッチな路線のエントリ。1974年よりかなりますます過激さを増す1975年の後期を振り返ります。ちなみに1975年とは、あたくしめがこの世にあろうことか生を受けてしまった年であります、誰も聞いてませんねごめんなさいねはいはい行きますよ。はいドン。
7/8 西宮 阪急
7/9 西宮 阪急
7/13 ★宮城 太平洋
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7/15 神宮 日ハム
7/16 神宮 日ハム
7/17 神宮 日ハム
(オールスターブレイク)
7/26 長岡悠久 近鉄
7/27 ★新潟鳥屋野 近鉄
7/27 ★新潟鳥屋野 近鉄
7/29 大阪 南海
7/30 大阪 南海
7/31 大阪 南海
8/1 川崎 阪急
8/2 川崎 阪急
8/3 ★川崎 阪急
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8/5 宮城 南海
8/7 宮城 南海
8/9 宮城 近鉄
8/10 ★宮城 近鉄
8/10 ★宮城 近鉄
8/12 神宮 日ハム
8/13 神宮 日ハム
8/14 神宮 日ハム
8/15 平和台 太平洋
8/16 平和台 太平洋
8/17 平和台 太平洋
8/19 西宮 阪急
8/20 西宮 阪急
8/22 神宮 南海
8/24 ★神宮 南海
8/24 ★神宮 南海
8/26 宮城 阪急
8/27 ★宮城 阪急
8/27 ★宮城 阪急
8/29 熊本 太平洋
8/30 ★平和台 太平洋
8/30 ★平和台 太平洋
8/31 平和台 太平洋
9/2 宮城 近鉄
9/3 ★宮城 近鉄
9/3 ★宮城 近鉄
9/6 宮城 日ハム
9/7 ★宮城 日ハム
9/7 ★宮城 日ハム
9/9 日生 近鉄
9/10 日生 近鉄
9/11 日生 近鉄
9/12 後楽園 日ハム
9/13 後楽園 日ハム
9/14 後楽園 日ハム
9/15 後楽園 日ハム
9/16 大阪 南海
9/17 大阪 南海
9/18 大阪 南海
9/20 宮城 太平洋
9/21 ★宮城 太平洋
9/21 ★宮城 太平洋
9/22 宮城 太平洋
9/25 ★川崎 南海
9/25 ★川崎 南海
9/28 ★西宮 阪急
9/28 ★西宮 阪急
(★…ダブルヘッダー)
(※7月末の新潟鳥屋野球場は、前年の新潟球場とは別球場、のはず。ちょっと調べておきます。)
改めて書くことでもありませんが、凄い移動日程だ…。
東京に本拠を構えている選手たちにとっては、川崎でもおそらくは自宅には帰れそうだけれども、いったん日程が関東を離れたら、空恐ろしいことになっている。
特に8月の、お盆付近の、神宮3連戦で移動日なし平和台→日生でようやく関東に帰れるという日程もさることながら、その後が恐ろしい。
8月24日の神宮球場のダブルヘッダーでへっとへとになっている体があるというのに、明後日からは宮城で2日で3試合、その後はおそらくいったん帰京して、荷物を解いて一息をつく間もなく福岡、或いは熊本空港への空路移動。熊本から平和台に移動して…ということだけれども、これは列車移動だったか、或いはそのまま着の身着のままで、九州自動車道が古賀~熊本間が開通したばかりだったから、こちらで貸し切りバスで移動したのかもしれない。
で、熊本→平和台で3日で4連戦のセットをこなし(当時のパリーグの組み方は、週末などはこれが基本になっていたようである)、9月に入って更に東京経由で宮城へ舞い戻り、宮城球場で2日で3試合をこなしてようやく中2日の休養があるというものすごさ。
この2日間で選手がわざわざ東京と仙台を往復していたとも思えず、おそらくはどこかのホテルで体のケアに余念がなかったことでしょう。
で、6日から宮城で日ハムを迎えての2日で3連戦。これをこなすと今度は移動日を挟んで大阪日生球場の3連戦。
これが終わってやっと東京へ帰って腰を落ち着けられるんですよ(・・;)
ただでさえ後期シーズンも佳境に入り、お盆でそれなりに当時のスタンドもお客さんが入る中で、一旦8月24日で関東を離れたら、宮城→熊本→平和台→宮城→日生→、でやっと9月12日に後楽園って、これねえ、もうしわけないけど、俺だったら絶対に体を壊して1軍離脱する自信があるもの(・・;)
これダブルヘッダーなどの試合それ自体の過酷さを抜きにしても、これらの移動を、しっかりプロ野球選手としての体のケアを怠らずに行わなければならないわけで、現在のように高速道路網、新幹線網、飛行機網が各所に網羅されている今の時代とは全く違うから、書いているだけで辛いって思うもの。
旅がらすというかなんというか、野球のためだけに東へ西へ。西でエラーかましちゃ心が痛え、東でホームラン1本存すればなお痛え、みたいなセリフが出て来そうw
この旅がらす状態が、前期6位、後期2位も総合順位で4位という成績に終わったのも、むべなるかなといったところ。
いやあ辛い。
この移動距離は半端なくつらい。
これらの移動の辛苦をご覧いただいて、今度は1976年のロッテオリオンズの歴史もご覧いただきましょう。
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