先日、おかんが「うちわ壊れちゃった」といって、ボロボロに使い古した団扇を持ってきたら、一つの団扇からいろんな感慨が沸いてきて…。
感慨が沸いてきたのも道理で、写真を一目見てもらえればお分かりいただけるかと思うが、剥がれた団扇には「2002 福岡ドーム」の文字が…。
あれからもう8年の歳月が経つのか…。
っつーか、8年前の団扇が現役かよw
これは2002年7月の福岡遠征で手に入れた団扇。
今の今までよくもまあ生き延びていたな…というのが偽らざる感情。
この2002年7月の福岡遠征は、おいらのマリーンズライフに於いて、決定的なターニングポイントを迎えた旅でもあった。
福岡ドームのレフトスタンド待機列で、もしおいらの並ぶ順序が、もう少し後ろだったら、或いは前だったら、おいらのマリーンズライフは、ここまで楽しいものにはなっていなかったはずであるし、2010年現在、外野席を中心に出入りしていたかも分からなければ、ともすれば、マリーンズ自体から離れていたかも知れない。
金曜日のド平日のナイターだったので、14時半頃には福岡ドーム入りしていたのだが、たまたまおいらが並んだ待機列の前に並んでいたのが、当ブログでたびたびコメントを寄せて下さる陀羅尼助丸兄さんご一行様。カップルや母親と小さい娘さんを連れた方々の小さなグループで、話し方を聞いた限りでは、関西から、前夜フェリーで連れ立って福岡まで来たようだ。
小さい娘さんをいじっているうちに「じゃあ、僕らと一緒に見ませんか?」という話になり、こちらも単騎遠征で、別に誰と一緒に見るでもなく、いわばアテのない身、喜んで御言葉に甘えることとなる。
その日の試合が、メンバーは誰が出場していて先発が誰だったかというところまでは生憎と覚えていない。当時は今よりも野球をごくごくライトに楽しんでいて、適度に応援も楽しめればいい…というスタンスだったから、せめて遠征先くらい、メンバーのメモくらい取っておけば、数年後にはネタになったのに…と悔やむことしきり。遅いけどw
メンバーは覚えてないけれど、確かその日の試合は負けてしまったはず。
その頃のおいらの「遠征」のスタンスは、3連戦があっても、野球場は一度、一日行ければそれでよく、せっかく九州まで来たのだから、他の日はいろいろと足を運んでみたい場所もあったりして、3連戦の予定があったら3連闘するなどという、今の感覚からすると自然な流れの感覚というものがなく、事実、金曜日の試合中から、陀羅尼助丸兄さんに、「小馬さん、明日の予定はどうなってます?もしいらっしゃるなら、うちの知り合いが関東から来ますんで、一緒に紹介したいんですよ」と悪魔のささやき。
さて困った。
こりゃあ、口が裂けても、「いや、明日は佐賀競馬に行くつもりなんで行けないんですぅ」とは言えなくなっちゃった(汗
しかも世の中、旅先でのこうした出会い、ましてやいろいろと知人を紹介して下さるなどと誘われる機会など、ありそうでなかなかあったものではない。この人達との関係を、一夜限りで終わらせるのは間違いなくもったいなく、断るのは非常に忍びない。
「夕方からは空きそうなんですが、チケットが…ごにょごにょ」
そう。行きたいのはヤマヤマなのだが、行く行かない以前にチケットがない。
なにぶん、金曜日の試合しか行くつもりではなく、ハナっから土日の試合を観ようなどとは考えていなかったので、チケットはもちろん手配していなかった。
現に、土日の外野自由席はとうの昔に売り切れだったが、万年Bクラスのマニア人気が幸いして、レフト側の外野指定席だったら余裕で空いていたので、指定席券で自由席に潜り込むことにした。2003年以降、福岡ドームは行っていないので、現状のシステムはよく分からないのだが、確か今は指定席チケットでは自由席には潜り込めないシステムに変更されているはずで、この手段はもう使えなかったりして。
しかし、あくまで予定は予定ってーことで、あくまでも明るい旅行計画の筋道は曲げず、翌日は福岡市内をあちこち寄り道した後に、佐賀競馬へ突撃してあえなく撃沈。
佐賀競馬から福岡ドームへ行こうとすると、鳥栖かJR久留米へ出てJRで博多に出るよりは、距離的にも西鉄久留米から天神へ出た方が良さそうだったので、九州の公営競技場独自のシステムで、よそ者には極めて分かりづらい、往路無料、復路有料の「友の会バス」で西鉄久留米へ出て、特急で天神へ移動すると、もう試合開始30分前を切っている。
かような予定なので、どうしても今日は開門にはいられませんが、それでも大丈夫なら今日もお伺いしますと陀羅尼助丸兄さんに伝えていたので、福岡天神で電車を降りて、バス乗り場が10数カ所もあって散々迷うドーム方面行きバス停を一発でみつけ、152番の福岡タワー東口行き西鉄バスに乗り込んだらもう17時36分。福岡ドーム前に着いたのは試合開始5分前。レフトゲートに行くなら、その先の国立医療センターまで乗っていれば近かったのだが、そんなチエが回るはずもなく、福岡ドーム前バス停からまあ走った走った。走っても試合開始に間に合うわけもなしorz
「すいません、遅くなりました…_| ̄|○」
そこで紹介されたのが、当ブログでも競馬関係や相撲関係でお寄り頂いている、タコ徳利さん。サイドバーでリンクしている蜜柑星人さんもこの時がお初。
思えば、人は巡り巡って繋がるものである。
この時のタコ徳利さんの誘い文句は、陀羅尼助丸兄さん以上。
「小馬さん、来週はマリンに来ます?来たら、俺達の仲間を紹介しますよ」
こうなったら、もう逃げられません。
行く予定じゃなくても、いやでも行かなきゃいけない空気が出来上がっちゃった(汗
で、翌週、行く予定がなかった千葉マリンに無理矢理出かけて出会ったのが、誰あろう、今となっては人生の師の一人である、たこすけさんだったりする。
「おめえか、福岡であの野郎が出会ったってーのは。よく来たな、まあ飲め」
言うことは8年前からほんっっっとに変わらない(笑)。
あれから幾年月、まさかあの場で出会ったたこすけさんに、「いつかきっと抜いてやる(どこを抜くかは言わないけど)」と言い放つ間柄になろうとは…。
あれから8年か…。
思えば8年前、俺ももうその当時で20代後半(←いいから実年齢を明かせよw)、いつまでも外野でやんちゃを出来る年齢でもなかったし、なにより外野でも内野でも一人観戦が基本で、たまに連れ立つ元芝居仲間はいるにはいたけれど、それとて予定は仲間の都合に縛られるところがあるから、定期的に球場で会うという間柄でもないし、おいらもそうだったけれど、仲間も就職だ結婚だ…という動きが徐々に増え、なにより体力には人一倍自信がないのに外野になんて出ずっぱりの生活でいいのか。
この福岡遠征の前週だか前々週だか、4番立川の満塁ホームランが出て千葉マリンが狂喜乱舞した試合を、バックスクリーン近くでもと芝居仲間と観ていたのだけれど、正直、あの試合中も、「そろそろ外野は潮時だな…」と思っていた。
この頃は、おいらもようやく好きな仕事に出会い、やっと人生が前向きに転がり始めていた頃、就職、そして結婚へと進む知人達を見て、いろんな意味で「俺はこのままでいいのか」と思い悩んでいた時期でもあった。いや、悩んでいたというより、別に基本は一人観戦なのだから悩む必要はなく、とっとと内野の2階席でゆっくりビールでも飲みながら観戦するか…という、ワンランク上の見方(決して外野観戦をワンランク下と言っている訳ではありませんで、あくまでそれは「やんちゃできない」という事への対の文句です)へ転じてもいい頃ではないのかと思っていた頃でもあった。
そう思っていた矢先の出来事だっただけに、この福岡遠征が、マリーンズライフを語る上で、おいらの中ではあまりにも大きな転換点になったのだ。
この転換点がなければ、今のマリーンズライフはなかっただろうし、マリーンズを通じての人と人とのおつきあいが、大きくなることもなかっただろうし、もっと言うなれば、おいらがブログというツールを持ったとしても、実際に人と人との繋がりが出来て、2005年の焼肉屋での醜態が、忘れきった頃に白日の下に晒されるなどということもあり得なかっただろう(笑)。
人間として、少しでも大きくなれるきっかけとなる、人生のターニングポイントの一つと書いても決して過言ではない、大きな意味を持つ旅になった。
…とは書いてみたけれど、あれから8年、成長してるんか、俺?
あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら
僕らはいつまでも 見知らぬマリーンズファンのまま
壊れた団扇で、思い出す。
感慨が沸いてきたのも道理で、写真を一目見てもらえればお分かりいただけるかと思うが、剥がれた団扇には「2002 福岡ドーム」の文字が…。
あれからもう8年の歳月が経つのか…。
っつーか、8年前の団扇が現役かよw
これは2002年7月の福岡遠征で手に入れた団扇。
今の今までよくもまあ生き延びていたな…というのが偽らざる感情。
この2002年7月の福岡遠征は、おいらのマリーンズライフに於いて、決定的なターニングポイントを迎えた旅でもあった。
福岡ドームのレフトスタンド待機列で、もしおいらの並ぶ順序が、もう少し後ろだったら、或いは前だったら、おいらのマリーンズライフは、ここまで楽しいものにはなっていなかったはずであるし、2010年現在、外野席を中心に出入りしていたかも分からなければ、ともすれば、マリーンズ自体から離れていたかも知れない。
金曜日のド平日のナイターだったので、14時半頃には福岡ドーム入りしていたのだが、たまたまおいらが並んだ待機列の前に並んでいたのが、当ブログでたびたびコメントを寄せて下さる陀羅尼助丸兄さんご一行様。カップルや母親と小さい娘さんを連れた方々の小さなグループで、話し方を聞いた限りでは、関西から、前夜フェリーで連れ立って福岡まで来たようだ。
小さい娘さんをいじっているうちに「じゃあ、僕らと一緒に見ませんか?」という話になり、こちらも単騎遠征で、別に誰と一緒に見るでもなく、いわばアテのない身、喜んで御言葉に甘えることとなる。
その日の試合が、メンバーは誰が出場していて先発が誰だったかというところまでは生憎と覚えていない。当時は今よりも野球をごくごくライトに楽しんでいて、適度に応援も楽しめればいい…というスタンスだったから、せめて遠征先くらい、メンバーのメモくらい取っておけば、数年後にはネタになったのに…と悔やむことしきり。遅いけどw
メンバーは覚えてないけれど、確かその日の試合は負けてしまったはず。
その頃のおいらの「遠征」のスタンスは、3連戦があっても、野球場は一度、一日行ければそれでよく、せっかく九州まで来たのだから、他の日はいろいろと足を運んでみたい場所もあったりして、3連戦の予定があったら3連闘するなどという、今の感覚からすると自然な流れの感覚というものがなく、事実、金曜日の試合中から、陀羅尼助丸兄さんに、「小馬さん、明日の予定はどうなってます?もしいらっしゃるなら、うちの知り合いが関東から来ますんで、一緒に紹介したいんですよ」と悪魔のささやき。
さて困った。
こりゃあ、口が裂けても、「いや、明日は佐賀競馬に行くつもりなんで行けないんですぅ」とは言えなくなっちゃった(汗
しかも世の中、旅先でのこうした出会い、ましてやいろいろと知人を紹介して下さるなどと誘われる機会など、ありそうでなかなかあったものではない。この人達との関係を、一夜限りで終わらせるのは間違いなくもったいなく、断るのは非常に忍びない。
「夕方からは空きそうなんですが、チケットが…ごにょごにょ」
そう。行きたいのはヤマヤマなのだが、行く行かない以前にチケットがない。
なにぶん、金曜日の試合しか行くつもりではなく、ハナっから土日の試合を観ようなどとは考えていなかったので、チケットはもちろん手配していなかった。
現に、土日の外野自由席はとうの昔に売り切れだったが、万年Bクラスのマニア人気が幸いして、レフト側の外野指定席だったら余裕で空いていたので、指定席券で自由席に潜り込むことにした。2003年以降、福岡ドームは行っていないので、現状のシステムはよく分からないのだが、確か今は指定席チケットでは自由席には潜り込めないシステムに変更されているはずで、この手段はもう使えなかったりして。
しかし、あくまで予定は予定ってーことで、あくまでも明るい旅行計画の筋道は曲げず、翌日は福岡市内をあちこち寄り道した後に、佐賀競馬へ突撃してあえなく撃沈。
佐賀競馬から福岡ドームへ行こうとすると、鳥栖かJR久留米へ出てJRで博多に出るよりは、距離的にも西鉄久留米から天神へ出た方が良さそうだったので、九州の公営競技場独自のシステムで、よそ者には極めて分かりづらい、往路無料、復路有料の「友の会バス」で西鉄久留米へ出て、特急で天神へ移動すると、もう試合開始30分前を切っている。
かような予定なので、どうしても今日は開門にはいられませんが、それでも大丈夫なら今日もお伺いしますと陀羅尼助丸兄さんに伝えていたので、福岡天神で電車を降りて、バス乗り場が10数カ所もあって散々迷うドーム方面行きバス停を一発でみつけ、152番の福岡タワー東口行き西鉄バスに乗り込んだらもう17時36分。福岡ドーム前に着いたのは試合開始5分前。レフトゲートに行くなら、その先の国立医療センターまで乗っていれば近かったのだが、そんなチエが回るはずもなく、福岡ドーム前バス停からまあ走った走った。走っても試合開始に間に合うわけもなしorz
「すいません、遅くなりました…_| ̄|○」
そこで紹介されたのが、当ブログでも競馬関係や相撲関係でお寄り頂いている、タコ徳利さん。サイドバーでリンクしている蜜柑星人さんもこの時がお初。
思えば、人は巡り巡って繋がるものである。
この時のタコ徳利さんの誘い文句は、陀羅尼助丸兄さん以上。
「小馬さん、来週はマリンに来ます?来たら、俺達の仲間を紹介しますよ」
こうなったら、もう逃げられません。
行く予定じゃなくても、いやでも行かなきゃいけない空気が出来上がっちゃった(汗
で、翌週、行く予定がなかった千葉マリンに無理矢理出かけて出会ったのが、誰あろう、今となっては人生の師の一人である、たこすけさんだったりする。
「おめえか、福岡であの野郎が出会ったってーのは。よく来たな、まあ飲め」
言うことは8年前からほんっっっとに変わらない(笑)。
あれから幾年月、まさかあの場で出会ったたこすけさんに、「いつかきっと抜いてやる(どこを抜くかは言わないけど)」と言い放つ間柄になろうとは…。
あれから8年か…。
思えば8年前、俺ももうその当時で20代後半(←いいから実年齢を明かせよw)、いつまでも外野でやんちゃを出来る年齢でもなかったし、なにより外野でも内野でも一人観戦が基本で、たまに連れ立つ元芝居仲間はいるにはいたけれど、それとて予定は仲間の都合に縛られるところがあるから、定期的に球場で会うという間柄でもないし、おいらもそうだったけれど、仲間も就職だ結婚だ…という動きが徐々に増え、なにより体力には人一倍自信がないのに外野になんて出ずっぱりの生活でいいのか。
この福岡遠征の前週だか前々週だか、4番立川の満塁ホームランが出て千葉マリンが狂喜乱舞した試合を、バックスクリーン近くでもと芝居仲間と観ていたのだけれど、正直、あの試合中も、「そろそろ外野は潮時だな…」と思っていた。
この頃は、おいらもようやく好きな仕事に出会い、やっと人生が前向きに転がり始めていた頃、就職、そして結婚へと進む知人達を見て、いろんな意味で「俺はこのままでいいのか」と思い悩んでいた時期でもあった。いや、悩んでいたというより、別に基本は一人観戦なのだから悩む必要はなく、とっとと内野の2階席でゆっくりビールでも飲みながら観戦するか…という、ワンランク上の見方(決して外野観戦をワンランク下と言っている訳ではありませんで、あくまでそれは「やんちゃできない」という事への対の文句です)へ転じてもいい頃ではないのかと思っていた頃でもあった。
そう思っていた矢先の出来事だっただけに、この福岡遠征が、マリーンズライフを語る上で、おいらの中ではあまりにも大きな転換点になったのだ。
この転換点がなければ、今のマリーンズライフはなかっただろうし、マリーンズを通じての人と人とのおつきあいが、大きくなることもなかっただろうし、もっと言うなれば、おいらがブログというツールを持ったとしても、実際に人と人との繋がりが出来て、2005年の焼肉屋での醜態が、忘れきった頃に白日の下に晒されるなどということもあり得なかっただろう(笑)。
人間として、少しでも大きくなれるきっかけとなる、人生のターニングポイントの一つと書いても決して過言ではない、大きな意味を持つ旅になった。
…とは書いてみたけれど、あれから8年、成長してるんか、俺?
あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら
僕らはいつまでも 見知らぬマリーンズファンのまま
壊れた団扇で、思い出す。
しかも、壊れずに~全然!使える状態でw(@o@)w。
この日記を読んで…探してみたら、即刻!出て来ましたわ(笑)。
思い返してみたら、一度!団扇の整理をした覚えがあるんですが、何か…思い入れが深くて捨てられませんでした(笑)。
そうか…小馬さんとの出会いが、そうさせたのかも知れませんねo(^-^)o。
翌日は、佐賀競馬へ行かれる予定だったとは…知らず、誘ってしまいスミマセンm(u_u)m。
まぁ、私もこの団扇を眺めてみましたが…私自身も何も変わってないですね(〒_〒)。つまり…人は革命的な事と出逢わない限り、簡単には変わらないって事なんでしょうな(泣)。
とはいえ、球場で目の前にある野球を肴に~時に酒を掲げながら~一喜一憂出来る仲間が居る事は、素晴らしい事なのかもしれませんね。
それにしても!この8年間、関西仲間の件も含め~関東仲間の間でも色々とありましたねぇ…(^"^)ゞ。
その都度、小馬さんの冷静な判断~言動には学ぶ所も多く、感謝しておりますm(_ _)m。
人の繋がりという流れに身を任せて…今がある訳ですから、見方を変えれば…02年から小馬さんの人生も私の人生も“私的”部分としては「大きく~そして!今も尚!変化し続けてる」のかもしれませんね。
何か…無性に福岡ドームへ行きたくなって来ましたわ(≧▽≦)ゞ。
>陀羅尼助丸兄さん
うちは結構な勢いで使い古していたので、片面がべろんとはがれたようです。
あの時の団扇、まだ残ってらしたんですね。いい団扇です(笑)。
いや、最近はやたらと熱くなりすぎると、怒られることばっかりなんですよorz それも一つの修行と思って耐え忍んでおりますが(泣)。
あの日の出会いがなければ、今頃、おいらのマリーンズの楽しみ方は、いったいどうなっていたんでしょうか…。
想像も出来ません。
>たこすけさん
この前飲みに行ったばっかりですが、行きますか?(笑)
貴殿との初対面は自由席の一番上だったね。
今じゃ、自分の環境もガラリと変わり、遠征は疎か、時間と金は厳しいね。(笑)
あれから今まで、貴殿との出会いは財産だよね。
これからも、ヨロシクLOTTE'n'-roll!
こればかりは仕方ありません。
財産だなんて、そんな…。
てへっ←殴