2011年3月26日土曜日。巨大地震以降いやに目が冴える日が続いたのだが、今朝はことのほか目が冴えて仕方がなかったので、一計を案じて旅程をやや前倒しにして朝5時半頃に家を出ることに。
今日の予定は、まずはなにはともあれ震災発生以降やたらと息が苦しく閉塞状態に陥っている関東地方から抜け出し、ひとまず大阪あたりで大きな息を突き、六甲アイランド20時発の新門司行き阪九フェリーにチェックインするまでフリーにしてあるが、ある程度目的地の目算は立ててある。
一昨年2009年、母校八千代東が甲子園出場を果たした折、ついでといってはなんだけれど、もう一つ果たしておきたかったのが「阪急サウンドの堪能」。
甲子園の翌日、大阪ドームでのマリーンズ戦を見た後に観戦仲間と別れ、わざわざ阪急京都線で京都に住んでいたマリーンズファンと合流して飲んだのは、阪急2300系が奏でるサウンドでハァハァしたかったからという意図もあったのだが、サウンドでは充実出来ずじまい。
僕が聞きたかったのは、阪急3000系以前の車両が時折床下から奏でる、「ひゅわわわわわわわ…」という独特のコンプレッサー音、それに2000系あたりの甲高いモーター音も聞ければそりゃもう最高。
2000系のモーター音とコンプレッサー音を同時に楽しめられるところといえば…。
能勢電鉄しかない。
能勢電鉄に出かけるのは、初乗りを志願して全線踏破した1998年2月以来。
あの時は、まだ能勢電鉄に1編成だけ残っていた元阪急の1010系に当たらないものかと、阪急梅田を7時47分ごろに発車した通勤準急で川西能勢口を目指したのだが、着いた時間が朝ラッシュ終了後ということで空振り…。
せっかくもう一度能勢電鉄に出かけるのだから、大荷物のスーツケースを抱えている立場ではあるけれど、能勢電鉄の廃線跡を歩いてみたい。
JR福知山線川西池田駅から、団地街の外れの小道をゆらゆらとカーブを描きながら、阪急の川西能勢口駅までたどる道路が、まるまる能勢電鉄の廃線跡として残っているので、1キロあるかどうかの道を、スーツケースをガラガラ音を立てながら歩くのもたまには悪くはないだろう←迷惑ですw
能勢電鉄探訪が終わったら、阪神競馬場か甲子園にでも行くかね。甲子園は春のセンバツ高校野球が始まっている。
う~む。
甲子園は2009年以来1年半ぶり。
阪神競馬場は1999年4月以来、まる12年足を記していない。
だったら阪神競馬場になるかなあ。阪神競馬場にしろ甲子園にしろ、能勢電鉄からなら阪急今津線は経由しなければならないルート。
ならば阪神競馬場に寄って、帰りは西宮北口の神戸線への連絡線、通称「9号線」を通る、梅田行きの臨時急行に試乗したい。
実はあたくし、以前は阪急今津線小林駅最寄りの住人でありながら、こうした臨時列車や、朝の今津線からの直通準急列車に用事があった立場ではなかったから、今まで乗ったことがなかったのだ。
問題は、帰りに梅田行き臨時急行に乗ってしまうと、阪九フェリーが出る六甲アイランドとは全く逆方向に進路を向けるという無意味ww
そんなわけで地元の駅を5時50分ごろに出発。
キャリーケースが重たいので、八千代台5時59分発のモーニングライナーに魂を売って、日暮里までゆったり。
京成に乗ったら、節電の一環として、各車両4本程度蛍光灯が外されていた。この動きはこの後さらに広がり、社局によって6本~8本程度外される動きとなって行く。
本当は8時ごろ、確か8時10分発の博多行き「のぞみ15号」の指定席を買っておいたのだが、そこまで待つのもアレなので、東京駅に行って発車時間が近い便に変更してもらおう。
聞いてみたら、7時20分発の新大阪行き「のぞみ205号」がN700系だというので、2人掛けの窓側E席を指名買いして乗車変更。
2009年8月以来となる東海道新幹線。N700系でございます。
N700系の車内の見つけを改めて。このアングルで車内後方まで無人状態で撮影できるチャンスは、広島あたりののぞみの末端区間を除けばなかなかないからねえ…。しかもフラッシュまでたいてるしww
報道では、東京など関東から関西以西へ脱出する人たちで、東京駅は込み合っているという話をどこかで聞いたのだけれど、意に反して東海道新幹線はガラガラで、一番後ろの16号車が指定されたのだけれど、東京発車時で車内に座を占めていたのは6~7人といったところ。
これは完全な推測でしかないのだけれど、東京脱出を現実として動いていたのは富裕層の一部であり、東京、或いは関東、東北一帯から出たくても出られなかった人達ばかりだったのではと。まあ、計画停電で日々の生活すらままならず、飲食店が悲鳴を上げていた時期だった関東地方の住民が、どこかへ旅行に出かけるという気分ではなかったのは間違いない。
よく晴れていた関東地方。
新幹線から富士山がよく見えたのは、多分はじめてかも。
関ヶ原付近までは良好だった天気も、伊吹山が見える頃には天気が怪しくなり、米原を過ぎて八日市あたりからはなんとまあ雪が降り出した。
大津あたりまで来たら晴れてきたが、前夜だか近い日に雪が降ったようで、屋根や道端はうっすら雪化粧していた。
そんなわけで定刻9時56分に新大阪着。新大阪着の列車なのに、到着ホームが一番北寄り(上り寄り)の26番線とは意外といえば意外。
新大阪駅構内は目下工事の真っ最中とあって、コンコースは東京駅とは見違えるくらいごった返していると見える。
まずは最初の目的地である川西池田へ。
新大阪駅の外側線長距離特急ホームでは鉄ヲタが群がっていたのでなんぞやと思ったら、目当ては10時05分発の城崎温泉行きの特急「こうのとり5号」であったらしい。そういえばこの列車に充当されている国鉄形特急車183系は、近いうちの新型車への代替が決まっている。
そういえば、新大阪から大阪へ一駅各駅停車に乗ろうと思ったら、新幹線コンコースから降りてくるエスカレーターの目の前が女性専用車両。これって土日は野郎も乗っても良かったのかしら…?(現在は土日問わず終日専用車両設定の由)
大阪では折よくあった、10時20分発の篠山口行き丹波路快速があったので乗り換え。
大阪がなんだか天井に屋根がついて天井に通路ができたりなんかして、えらく人でごった返している。
今は気持ち悪くなるほど人でごった返しているので、落ち着いたらもう一度行きたいな。
尼崎発車後に大きく右にカーブ。時速60キロ程度で、2005年4月の脱線転覆事故の現場を通過する際、そっと手を合わせて黙祷。
10時38分に川西池田着。
改札口脇に売店があったので、ついでに阪神競馬用の「競馬ニホン」を購入。
しばらく関西地方に足を向けなかったうちに、いつの間にか競馬ニホンの判形が大きくなり、西主場の阪神と西従場の小倉の全レースの馬柱がのっかっていてちょっと感動wいや、小倉のレースを買うためにわざわざ小倉の競馬新聞を別に買う必要がなくなったぜw
JRの川西池田と阪急川西能勢口の両駅の間は、直線距離で500メートルほど離れており、両駅はペデストリアンデッキで直結されている。
現在の能勢電鉄は阪急川西能勢口駅と直結し、朝夕の通勤時には阪急宝塚線に乗り入れて梅田までの通勤列車が走っている。
この能勢電鉄は、1981年まで川西池田まで線路が伸びており、隣接して「川西国鉄前」という小さな駅があった。
その能勢電鉄の廃線跡をしのびつつ、川西能勢口までしばしの散歩を楽しもうという算段w
駅のやや西側から北方向に、写真でいうと左方向に伸びていた。
ゆらゆらと不自然にカーブするところがいかにも廃線跡という雰囲気を醸し出している。
廃線跡を転用した道路のマンホールには、この線路をとことこと走っていた車両が描かれている。
線路跡が川西能勢口方面に繋がっている。
ガラガラとキャリーケースを引っ張って歩く事15分ほど。
当時と比べて高架化されて格段に立派になった川西能勢口駅に到着。
川西池田から川西能勢口まで、直線距離ならまっすぐで直結するところを、西側に大きく迂回した形に。
さて、能勢電鉄の旧型阪急車を堪能しに出かけることにしよう。
(※以下続く)
今日の予定は、まずはなにはともあれ震災発生以降やたらと息が苦しく閉塞状態に陥っている関東地方から抜け出し、ひとまず大阪あたりで大きな息を突き、六甲アイランド20時発の新門司行き阪九フェリーにチェックインするまでフリーにしてあるが、ある程度目的地の目算は立ててある。
一昨年2009年、母校八千代東が甲子園出場を果たした折、ついでといってはなんだけれど、もう一つ果たしておきたかったのが「阪急サウンドの堪能」。
甲子園の翌日、大阪ドームでのマリーンズ戦を見た後に観戦仲間と別れ、わざわざ阪急京都線で京都に住んでいたマリーンズファンと合流して飲んだのは、阪急2300系が奏でるサウンドでハァハァしたかったからという意図もあったのだが、サウンドでは充実出来ずじまい。
僕が聞きたかったのは、阪急3000系以前の車両が時折床下から奏でる、「ひゅわわわわわわわ…」という独特のコンプレッサー音、それに2000系あたりの甲高いモーター音も聞ければそりゃもう最高。
2000系のモーター音とコンプレッサー音を同時に楽しめられるところといえば…。
能勢電鉄しかない。
能勢電鉄に出かけるのは、初乗りを志願して全線踏破した1998年2月以来。
あの時は、まだ能勢電鉄に1編成だけ残っていた元阪急の1010系に当たらないものかと、阪急梅田を7時47分ごろに発車した通勤準急で川西能勢口を目指したのだが、着いた時間が朝ラッシュ終了後ということで空振り…。
せっかくもう一度能勢電鉄に出かけるのだから、大荷物のスーツケースを抱えている立場ではあるけれど、能勢電鉄の廃線跡を歩いてみたい。
JR福知山線川西池田駅から、団地街の外れの小道をゆらゆらとカーブを描きながら、阪急の川西能勢口駅までたどる道路が、まるまる能勢電鉄の廃線跡として残っているので、1キロあるかどうかの道を、スーツケースをガラガラ音を立てながら歩くのもたまには悪くはないだろう←迷惑ですw
能勢電鉄探訪が終わったら、阪神競馬場か甲子園にでも行くかね。甲子園は春のセンバツ高校野球が始まっている。
う~む。
甲子園は2009年以来1年半ぶり。
阪神競馬場は1999年4月以来、まる12年足を記していない。
だったら阪神競馬場になるかなあ。阪神競馬場にしろ甲子園にしろ、能勢電鉄からなら阪急今津線は経由しなければならないルート。
ならば阪神競馬場に寄って、帰りは西宮北口の神戸線への連絡線、通称「9号線」を通る、梅田行きの臨時急行に試乗したい。
実はあたくし、以前は阪急今津線小林駅最寄りの住人でありながら、こうした臨時列車や、朝の今津線からの直通準急列車に用事があった立場ではなかったから、今まで乗ったことがなかったのだ。
問題は、帰りに梅田行き臨時急行に乗ってしまうと、阪九フェリーが出る六甲アイランドとは全く逆方向に進路を向けるという無意味ww
そんなわけで地元の駅を5時50分ごろに出発。
キャリーケースが重たいので、八千代台5時59分発のモーニングライナーに魂を売って、日暮里までゆったり。
京成に乗ったら、節電の一環として、各車両4本程度蛍光灯が外されていた。この動きはこの後さらに広がり、社局によって6本~8本程度外される動きとなって行く。
本当は8時ごろ、確か8時10分発の博多行き「のぞみ15号」の指定席を買っておいたのだが、そこまで待つのもアレなので、東京駅に行って発車時間が近い便に変更してもらおう。
聞いてみたら、7時20分発の新大阪行き「のぞみ205号」がN700系だというので、2人掛けの窓側E席を指名買いして乗車変更。
2009年8月以来となる東海道新幹線。N700系でございます。
N700系の車内の見つけを改めて。このアングルで車内後方まで無人状態で撮影できるチャンスは、広島あたりののぞみの末端区間を除けばなかなかないからねえ…。しかもフラッシュまでたいてるしww
報道では、東京など関東から関西以西へ脱出する人たちで、東京駅は込み合っているという話をどこかで聞いたのだけれど、意に反して東海道新幹線はガラガラで、一番後ろの16号車が指定されたのだけれど、東京発車時で車内に座を占めていたのは6~7人といったところ。
これは完全な推測でしかないのだけれど、東京脱出を現実として動いていたのは富裕層の一部であり、東京、或いは関東、東北一帯から出たくても出られなかった人達ばかりだったのではと。まあ、計画停電で日々の生活すらままならず、飲食店が悲鳴を上げていた時期だった関東地方の住民が、どこかへ旅行に出かけるという気分ではなかったのは間違いない。
よく晴れていた関東地方。
新幹線から富士山がよく見えたのは、多分はじめてかも。
関ヶ原付近までは良好だった天気も、伊吹山が見える頃には天気が怪しくなり、米原を過ぎて八日市あたりからはなんとまあ雪が降り出した。
大津あたりまで来たら晴れてきたが、前夜だか近い日に雪が降ったようで、屋根や道端はうっすら雪化粧していた。
そんなわけで定刻9時56分に新大阪着。新大阪着の列車なのに、到着ホームが一番北寄り(上り寄り)の26番線とは意外といえば意外。
新大阪駅構内は目下工事の真っ最中とあって、コンコースは東京駅とは見違えるくらいごった返していると見える。
まずは最初の目的地である川西池田へ。
新大阪駅の外側線長距離特急ホームでは鉄ヲタが群がっていたのでなんぞやと思ったら、目当ては10時05分発の城崎温泉行きの特急「こうのとり5号」であったらしい。そういえばこの列車に充当されている国鉄形特急車183系は、近いうちの新型車への代替が決まっている。
そういえば、新大阪から大阪へ一駅各駅停車に乗ろうと思ったら、新幹線コンコースから降りてくるエスカレーターの目の前が女性専用車両。これって土日は野郎も乗っても良かったのかしら…?(現在は土日問わず終日専用車両設定の由)
大阪では折よくあった、10時20分発の篠山口行き丹波路快速があったので乗り換え。
大阪がなんだか天井に屋根がついて天井に通路ができたりなんかして、えらく人でごった返している。
今は気持ち悪くなるほど人でごった返しているので、落ち着いたらもう一度行きたいな。
尼崎発車後に大きく右にカーブ。時速60キロ程度で、2005年4月の脱線転覆事故の現場を通過する際、そっと手を合わせて黙祷。
10時38分に川西池田着。
改札口脇に売店があったので、ついでに阪神競馬用の「競馬ニホン」を購入。
しばらく関西地方に足を向けなかったうちに、いつの間にか競馬ニホンの判形が大きくなり、西主場の阪神と西従場の小倉の全レースの馬柱がのっかっていてちょっと感動wいや、小倉のレースを買うためにわざわざ小倉の競馬新聞を別に買う必要がなくなったぜw
JRの川西池田と阪急川西能勢口の両駅の間は、直線距離で500メートルほど離れており、両駅はペデストリアンデッキで直結されている。
現在の能勢電鉄は阪急川西能勢口駅と直結し、朝夕の通勤時には阪急宝塚線に乗り入れて梅田までの通勤列車が走っている。
この能勢電鉄は、1981年まで川西池田まで線路が伸びており、隣接して「川西国鉄前」という小さな駅があった。
その能勢電鉄の廃線跡をしのびつつ、川西能勢口までしばしの散歩を楽しもうという算段w
駅のやや西側から北方向に、写真でいうと左方向に伸びていた。
ゆらゆらと不自然にカーブするところがいかにも廃線跡という雰囲気を醸し出している。
廃線跡を転用した道路のマンホールには、この線路をとことこと走っていた車両が描かれている。
線路跡が川西能勢口方面に繋がっている。
ガラガラとキャリーケースを引っ張って歩く事15分ほど。
当時と比べて高架化されて格段に立派になった川西能勢口駅に到着。
川西池田から川西能勢口まで、直線距離ならまっすぐで直結するところを、西側に大きく迂回した形に。
さて、能勢電鉄の旧型阪急車を堪能しに出かけることにしよう。
(※以下続く)
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