それは、おかんとのふとした他愛のない会話の端から。
映画のタイトルは失念したのだが、小津安二郎の映画をケーブルテレビで見ていたら、昔の東急池上線が出てきたのにとても興味を持ったのだとか。
「洗足?洗足池?その隣の駅名の漢字が読めなかったんだけど…」
あのあたりは東急池上線か目黒線(当時なら目蒲線)沿線住民でないと、洗足と洗足池の関係はイマイチ掴みきれないのは、おいらとて実は一緒で、あのあたりの地理だけは今でも地図無しではつかめない。
おかんがしっかり「東急池上線」と言ったのならおそらくそれは間違いないだろう。
東急池上線なら洗足池。
読めなかった駅名票の漢字というと…。
「石川台」?
「旗の台」?
たぶん旗の台のほうではないかと思うのだが…。
で、調べてみたら、小津安二郎映画だと、東急池上線は比較的よく出てくる路線らしくて、小津作品の各所を彩る存在であるようだ。
つまり、「小津安二郎」「東急池上線」というだけでは、おかんが小津安二郎のどんな映画を見たのかは推測することはできない…(´・ω・`)
小津作品ではないけれど、昔の日本映画のくくりの話をしていて思い出したことが。
ケーブルテレビなどで流れる昔の日本映画を見ていると、各所に散りばめられる鉄道シーンは、鉄ヲタという観点からしても(*´д`)ハァハァできるものだけれど、当時と現在の風習の違い、旅行スタイルの違い、生活スタイルの違いを手に取るように理解することができるシーンに触れられることがあるのが面白い。
例えば。
家にある「復刻版時刻表」1956年11月号を見ていて、ふと急行「さつま」の編成についての疑問が沸いてきた。
当時の急行「さつま」号は、東京と鹿児島を直通で結ぶ3本の急行のうちの1本で、東京を21時45分に発車して、東海道、山陽、鹿児島本線を経由して、鹿児島着が5時46分着というもの。「ずいぶん速いじゃないか」と思うことなかれ。鹿児島着は「翌々日」の到着。
これは上り列車も一緒で、鹿児島を23時30分に出て、東京に着くのは翌々日の6時25分。日本の南から花の都大東京まで2晩を乗り詰める、遠い遠い旅路である。
で、この時刻表の巻末に編成表がついておりまして。
←博多
ニ、ユ、ネAB、ネCロ、特ロ、特ロ、ロ、シ、ハネ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ
の12両編成(荷物車と郵便車を除く)のうち、時刻表の注釈では、
1号車(ネAB)、4~6号車(特ロ、ロ、シ)、11、12号車(ハ、ハ)が博多回転なんです。
1号車と11、12号車だけというなら、編成をばらすのも1号車と2号車の間と、10号車と11号車の間の連結器を解放して、両方から入換用の機関車で引っ張っていけば問題ないと思うのだけれど、中ほどの4~6号車まで東京~博多間の博多回転車。
これってどうやって入換作業をしていたんだろう…。
ちなみにこの編成表の謎は未だに解けておりません。
上下共に博多での停車時間が17分あるので、その間に編成をばらしたのだとは思うのだけれど、はたしてこの編成表の表示が正しかったのかどうかも疑問が残るところ。
ちなみに編成中、1号車の「ネAB」、2号車の「ネCロ」は、現在のようなA寝台、B寝台というクラスではなく、2等寝台車、すなわち「ロネ」の等級を表している。編成中に3等寝台車、現在のB寝台「ハネ」は1両連結されているけれど、2等寝台車はA、B、Cの3つのクラスがあったのだ。
すなわち、旧1等寝台車(1955年の等級改正で1等寝台が廃止されたため)の個室がA、旧1等車の開放式寝台などがB、従前からの2等寝台車がCとされていて、それぞれのランクによって冷房がついていたりもしたために、お値段も相応に違っていた時代である。
どうにも疑問が残ったので、「急行さつま」でググッたら、思いがけずこんな動画にぶち当たって思わず胸が熱くなった。
[鉄系] - 急行「さつま」横浜⇒佐賀・急行「西海」
すげええええええええええええ
どうやら松本清張原作「張込み」の1シーンらしい。
長距離急行に発車後に飛び乗る姿。
当たり前のように混んでいる車内。
席が空いておらず通路で寝るのが当たり前。
座っている客に目的地を聞いて、空きそうだと「よろしく」と声をかけている姿。
当たり前のように非冷房。
車窓から車内へ駆け抜ける自然の風だけが空調。
佐賀駅出発前、(おそらく)東京に電報を打つ姿。
いやあ。
こりゃ凄い…。
電話の普及もままならない時代の鉄道旅行の情景が、これでもかとばかり詰め込まれている。
今ならケータイでメールでも通話でもすぐだけれど、電報ですよ…。
さすがに鉄道の駅にあった電報を利用するシーンを見たのは初めてだ…。
昔の日本映画から、(今から思うと)とんでもない当時の情景に思いがけず当たると、まさしく目からウロコですな。
こういったシーン、秋の夜長にいろいろ探してみようかな。
映画のタイトルは失念したのだが、小津安二郎の映画をケーブルテレビで見ていたら、昔の東急池上線が出てきたのにとても興味を持ったのだとか。
「洗足?洗足池?その隣の駅名の漢字が読めなかったんだけど…」
あのあたりは東急池上線か目黒線(当時なら目蒲線)沿線住民でないと、洗足と洗足池の関係はイマイチ掴みきれないのは、おいらとて実は一緒で、あのあたりの地理だけは今でも地図無しではつかめない。
おかんがしっかり「東急池上線」と言ったのならおそらくそれは間違いないだろう。
東急池上線なら洗足池。
読めなかった駅名票の漢字というと…。
「石川台」?
「旗の台」?
たぶん旗の台のほうではないかと思うのだが…。
で、調べてみたら、小津安二郎映画だと、東急池上線は比較的よく出てくる路線らしくて、小津作品の各所を彩る存在であるようだ。
つまり、「小津安二郎」「東急池上線」というだけでは、おかんが小津安二郎のどんな映画を見たのかは推測することはできない…(´・ω・`)
小津作品ではないけれど、昔の日本映画のくくりの話をしていて思い出したことが。
ケーブルテレビなどで流れる昔の日本映画を見ていると、各所に散りばめられる鉄道シーンは、鉄ヲタという観点からしても(*´д`)ハァハァできるものだけれど、当時と現在の風習の違い、旅行スタイルの違い、生活スタイルの違いを手に取るように理解することができるシーンに触れられることがあるのが面白い。
例えば。
家にある「復刻版時刻表」1956年11月号を見ていて、ふと急行「さつま」の編成についての疑問が沸いてきた。
当時の急行「さつま」号は、東京と鹿児島を直通で結ぶ3本の急行のうちの1本で、東京を21時45分に発車して、東海道、山陽、鹿児島本線を経由して、鹿児島着が5時46分着というもの。「ずいぶん速いじゃないか」と思うことなかれ。鹿児島着は「翌々日」の到着。
これは上り列車も一緒で、鹿児島を23時30分に出て、東京に着くのは翌々日の6時25分。日本の南から花の都大東京まで2晩を乗り詰める、遠い遠い旅路である。
で、この時刻表の巻末に編成表がついておりまして。
←博多
ニ、ユ、ネAB、ネCロ、特ロ、特ロ、ロ、シ、ハネ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ
の12両編成(荷物車と郵便車を除く)のうち、時刻表の注釈では、
1号車(ネAB)、4~6号車(特ロ、ロ、シ)、11、12号車(ハ、ハ)が博多回転なんです。
1号車と11、12号車だけというなら、編成をばらすのも1号車と2号車の間と、10号車と11号車の間の連結器を解放して、両方から入換用の機関車で引っ張っていけば問題ないと思うのだけれど、中ほどの4~6号車まで東京~博多間の博多回転車。
これってどうやって入換作業をしていたんだろう…。
ちなみにこの編成表の謎は未だに解けておりません。
上下共に博多での停車時間が17分あるので、その間に編成をばらしたのだとは思うのだけれど、はたしてこの編成表の表示が正しかったのかどうかも疑問が残るところ。
ちなみに編成中、1号車の「ネAB」、2号車の「ネCロ」は、現在のようなA寝台、B寝台というクラスではなく、2等寝台車、すなわち「ロネ」の等級を表している。編成中に3等寝台車、現在のB寝台「ハネ」は1両連結されているけれど、2等寝台車はA、B、Cの3つのクラスがあったのだ。
すなわち、旧1等寝台車(1955年の等級改正で1等寝台が廃止されたため)の個室がA、旧1等車の開放式寝台などがB、従前からの2等寝台車がCとされていて、それぞれのランクによって冷房がついていたりもしたために、お値段も相応に違っていた時代である。
どうにも疑問が残ったので、「急行さつま」でググッたら、思いがけずこんな動画にぶち当たって思わず胸が熱くなった。
[鉄系] - 急行「さつま」横浜⇒佐賀・急行「西海」
すげええええええええええええ
どうやら松本清張原作「張込み」の1シーンらしい。
長距離急行に発車後に飛び乗る姿。
当たり前のように混んでいる車内。
席が空いておらず通路で寝るのが当たり前。
座っている客に目的地を聞いて、空きそうだと「よろしく」と声をかけている姿。
当たり前のように非冷房。
車窓から車内へ駆け抜ける自然の風だけが空調。
佐賀駅出発前、(おそらく)東京に電報を打つ姿。
いやあ。
こりゃ凄い…。
電話の普及もままならない時代の鉄道旅行の情景が、これでもかとばかり詰め込まれている。
今ならケータイでメールでも通話でもすぐだけれど、電報ですよ…。
さすがに鉄道の駅にあった電報を利用するシーンを見たのは初めてだ…。
昔の日本映画から、(今から思うと)とんでもない当時の情景に思いがけず当たると、まさしく目からウロコですな。
こういったシーン、秋の夜長にいろいろ探してみようかな。
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