小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

やっぱりそうだったのか…

2005-07-22 22:50:46 | Weblog
橋本真也、婚約していたらしい。

橋本さん婚約していた
 脳幹出血で11日に急死したプロレスラー橋本真也さん(享年40)が婚約していた。相手は03年3月19日に直腸がんで死去した冬木弘道さん(享年42)の妻、薫さん(42)。一部報道では昨秋から交際がスタート、今年3月25日に離婚した原因になったとされている。すでに同居もしていて最期をみとったのも薫さんとされていた。薫さんは22日に都内で会見を行う予定だったが、直前になって「おもてに出られる健康状態じゃない」との理由でキャンセル。マネジャーが代わって報道陣の前に姿を現した。マネジャーは「橋本さんがリングに復帰した後に結婚することが決まっていた」と6月に婚約していたことを発表した。

この噂は、橋本真也生前から噂されていて(俺が知ったのは逝去時)、夕刊フジではこんな記事も出ていた。


急逝・橋本真也さんめぐる「2人の女性」の存在
再婚考えていた…

 脳幹出血のため11日、40歳の若さで急死したプロレスラーの橋本真也さん。「破壊王」としての栄光と、晩年は借金や離婚という挫折を味わい、あっという間に短い人生を駆け抜けた。そして、その陰には2人の女性がいた。

 「橋本さんは先週の火曜日(5日)に来たばっかり。ダイエット中なので、ざくろハイ2杯とカニ、それからメロンをおいしそうに食べて帰っていきました」

 橋本さんが通った居酒屋「海賊亭」(横浜市南区)。店主のリキさんは元女子プロレスラーで、橋本さんは「横浜のお母さん」と慕った。

 「橋本さんは人柄のいい、純粋で優しい人。ユーモアがあってよく冗談を言っていたが、寂しがり屋だった。店に来るお客さんにも、気さくにサインや記念撮影に応じていた」とリキさん。


橋本さんのなじみの店には「陰膳」が据えられていた=横浜市南区の「海賊亭」
 「不整脈は気にしていたが、手術せずに治療できると言っていたし、最後に会ったときも元気そのものだった。(急死は)信じられない。涙も出ない」と、声を詰まらせた。

 橋本さんが倒れたのは、横浜市内の知人女性宅だった。橋本さんと交流があった地元男性は、「ここ数年、橋本さんは奥さんや子供たちと別居し、(知人女性宅で)女性とその2人の子供たちと一緒に暮らしていた」と明かす。

 この女性は平成15年3月にがんで亡くなったプロレスラー・冬木弘道さん(享年42)の未亡人、薫さん(42)。冬木さんの死から1年あまり、主宰団体「冬木軍」を女手ひとつで取り仕切った。

 「がんが一度快方に向かい、冬木さんは橋本さんと対戦を約束したが、結局かなわなかった。病床の冬木さんは子供が小さいこともあり、『何かあったときは頼むな』と橋本さんに託したようだ」(地元男性)

 冬木さんの告別式では橋本さんが弔辞を捧げた。そして「薫さんが『冬木軍』の社長を引き継いだあと、橋本さんは何かと相談に乗り、興行にも参加し続けた。そのうち、2人の関係も親密になっていった」(同)

 薫さんは昨年4月、自身が代表取締役となり、橋本さんを取締役に据えてエステ関連会社を設立した。

 「子供っぽいところのある橋本さんに、子供さんたちも懐いていた。橋本さんは参観日や運動会にも顔を出していた」(地元の主婦)

 前出の地元男性によれば、「今年3月に正式に離婚が成立して、橋本さんは薫さんと再婚する気だったが、薫さんは『籍は入れない』と話していた」という。

 平成12年に創設したプロレス団体「ZERO-ONE」は多額の負債を抱え、橋本さんは昨年11月に経営権を放棄した。

 「お金に無頓着な橋本さんは前の家族に養育費も払っており、借金は数億単位だったと思う」(プロレス関係者)

 右肩の大手術を終え、今秋のカムバックを目指してトレーニングに励む橋本さんは、「もう一度リングに立てれば、数年で完済できる」と周囲に話していた。その視線の先には、新しい家族との幸福な生活があったに違いない。

 「海賊亭」では、「灰になるまで毎日、陰膳をしてあげたい」というリキさんの親心から、橋本さんが最後に座ったカウンター席に、ざくろハイとおしぼりが置かれている。


まさかこの噂が本当だったとは思わなかった。
確かに状況証拠としては揃いすぎているほど揃っており、信じたくはないし、故人はせめてきれいな形で送り出してやりたかったと思っていたのだけれど…。

やっぱりなあ…。
冬木が浮かばれないよ、これじゃあ…。

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