鉄道趣味雑誌において自ら「鉄道の未来を考える」と標榜し、一貫してその姿勢を貫いて、80年代あたりは隆盛を極めた「鉄道ジャーナル」が、とうとう今春、今年4月発行の6月号をもって休刊することが、今月発売の鉄道ジャーナル3月号で明らかとなりました。
鉄道ジャーナルに関しては、今や昔の2000年代中盤から後半にかけて、同じカテゴリでやいのやいの書いたことがございますので、ご興味のある方はご一読を願っておきますが、これはあらかじめ申し上げておきます。
「あくまで2000年代中盤~後半の趣向と、今の僕の趣向は全く違います」ということはあらかじめ申し上げておきます。
なので、「あの頃と書いていることが全然違うじゃないか」などといわれる所以は全くございませんw
え~。
鉄道趣味雑誌に関しては、大きく3つの役割を持った雑誌がございまして。
まずはお子様から大人まで、幅広く「鉄道趣味入門書」としての役割を昔も今も一途に全うしている「鉄道ファン」。
ちょっと大人になってきて、鉄道を使った街歩きや乗り鉄あたりに足を突っ込んだら、「鉄道ジャーナル」と出会い、思春期に少年から大人に変わる。道を探していた。穢れもないままにw
そしていやちょっと趣向が違うぞ。いろいろ歴史が知りたいぞ、知的欲求をもっと深めたいぞという、こじらせた鉄道ファンになると、これは戦後復興と共に創刊された歴史と伝統の深い記事が味わい深く、1960年代の乗り鉄シーンも忘れ切ったころに掲載してくれる、老舗「鉄道ピクトリアル」を、90歳くらいになっても定期購読できるものならしていたい。
この「ファン誌→ジャーナル誌→ピクトリアル誌」と読む雑誌が移り変わるのは鉄道ファンあるあるですw
以上の3誌があって、他にもお子様からアクティブ向き、撮り鉄向きまでいろいろな雑誌が本屋さんに行けば並んでおりますね。まさに百花繚乱、お子様から大きなお子様までよりどりみどり、お好きな鉄道雑誌を一度手に取ってご覧ください、
とはいってもいまや立ち読み防止で雑誌に封をされていて読めなくなっているケースが多発してますがねw
さて、前段はさておき。
正直鉄道ジャーナルに関しては、僕もしっかり書いているのですが、2007年までで定期購入をやめて「鉄道ピクトリアル」に乗り換えており、正直それから20年近くよく持ったなあ…というのが正直なところ。
というのは、同じ2007年あたりを境に、鉄道ジャーナルのメインライターとして君臨していた種村直樹さん降板騒動があり、また竹島紀元編集長の退任、それに合わせて姉妹紙「旅と鉄道」の休刊(これは出版会社を変えて奇跡的に復活)などが2000年代中盤に立て続けに起こって、正直鉄道ジャーナル自体がこの頃に倒れていても全くおかしくはない状況だったと思うのです。
そこから「社会派」の本領をフルに発揮、鉄道が果たす社会の役割は、今取りざたされているドライバークライシス2024ですとか、各所で経営危機が叫ばれている地方鉄道、ローカル路線の維持運営について大きく振れて20年弱、なんとか今まで雑誌作りを行ってきたのですが、ついに休刊ということになりました。
その分野はネットメディアで間に合うということなのでしょうが、正直昨今のローカル線問題のネット記事など有象無象で、お金を取って雑誌で読ませるだけの問題ではなくなったということなのでしょうか。
鉄道ジャーナルが隆盛を極めたのは1980年代。
社会派を標榜するだけあって、とりわけ国鉄内部の労働組合問題にも深く切り込んでいたのは、現代の雑誌ではおおよそ考えられないことで、国鉄内部、とりわけ上層部にも新聞記者時代から切り込んでおられた種村直樹先生の存在があり、また国鉄内部からも、鉄道ジャーナルに限らず大御所の皆様方が各雑誌に寄稿する時代で切磋琢磨しており、「列車追跡シリーズ」と銘打ったルポルタージュは、今でも忘れることが出来ない至極の記事ばかりであったと思います。
列車追跡シリーズの一番人気はなんでしょうなあ。
個人的にものすごく記憶に残っているのは、1978年あたりに掲載された、上り名古屋行き夜行寝台特急「金星」が、神領電車区に一旦引き上げている間に寝台をたたんで下り「しらさぎ」に仕立て替え、上下往復して水タンクの使用量の差までルポした記事。
あるいは同じころに掲載された、東海道本線を走る荷物列車の同乗ルポ。これは本当に類書というか、同じような記事がほとんどなく、荷物輸送の歴史においても貴重な記事。
そうだなあ、もう一つあげるとすれば、国鉄分割民営化直前に、TBSアナウンサー「ロングおじさん」「ロンちゃん」こと吉村光夫アナウンサーを起用した、寝台特急「さくら」の記事かな。
ロンちゃんの記事で思い出すのは、総武快速線が横須賀線と直通運転を行い始めたころに、成田発久里浜行きのラッシュ時の快速電車の同乗ルポなんてーのもありましたっけね。
あと、廃止直前の急行ビュッフェ車に焦点を当てた、超満員の急行「信州」のルポなんてーのもあって、当時でも片道売り上げが3万円、これではとってもやっていけないと、数字まであけすけに書かれていたルポもありましたねえ。
人気投票したらかなり票が割れそう。
ただ、竹島紀元編集長の文章は華麗で、とても真似できそうにありません。
そういえあれは1977年あたりでしたか。鉄道雑誌同士で読者投稿欄と編集後記をを使って喧嘩をすることもありましたっけw
あの当事者、今でもご存命なのかしらw
ああ、編集長がご存命だw
鉄道趣味雑誌にあって「社会派」を自認するだけあって、鉄道のライバルとなっていた飛行機の記事を堂々と表紙に据え、「新幹線vs飛行機」という特集を組んで、鉄道趣味界に衝撃を与えたこともありましたね、「鉄道雑誌に飛行機を載せるとはなんたることか」と当時は非難囂々でしたが、その前後で国鉄はワイド周遊券の往復のどちらかに飛行機も選べる「立体周遊券」、のちの「ニューワイド周遊券」を発行する流れになってきており、いち早く鉄道趣味界に衝撃を与えたのは、時代を先取りしていたのかなと。
もう一つは「バスコーナー」。
あれでこじらせたバスファンも少なくないと思います。
1986年あたりの記事で、このバスはもとなんとかバスの中古で何年式…なんて、小学生にわかるか!w
その後時代は変わり、個人情報保護から列車追跡の一番の強調点でもあった乗客の顔が語られることがなくなり、やがてそれが強化されからの2000年代中盤のごたごた。
よくぞこの時代まで生きながらえたと思います。
休刊理由が「紙媒体の衰退」ともあげられており、それ自体は少なからず理由の一つなのだろうなあ、と。
とはいえ、もし竹島紀元編集長がご存命でいらしたならば、今の鉄道趣味界にはびこっている、ただの情報の先物取引化を大いに憂い、ぶった切ることでしょう。
そこがまさに紙媒体と相容れぬところであり、生き残っていくにはどうしたらよいのかを、絶えず模索していかなければならないのだと思います。
鉄道ジャーナル。
今を時めく鉄道写真家の中井精也さんの写真は、どれもみな美しい。
休刊はとても残念ですが、残る鉄道ファン誌は、いつまでも老若男女問わず鉄道趣味の入門書であってほしいし、鉄道ピクトリアル誌は老舗と歴史と伝統の強みで、奥深い記事で我々が90歳になっても読めるほどの雑誌で残っていてほしいと、切に願っております。
春なのに、お別れですか。
春なのに、涙がこぼれます。
さようなら、鉄道ジャーナル。
鉄道ジャーナルに関しては、今や昔の2000年代中盤から後半にかけて、同じカテゴリでやいのやいの書いたことがございますので、ご興味のある方はご一読を願っておきますが、これはあらかじめ申し上げておきます。
「あくまで2000年代中盤~後半の趣向と、今の僕の趣向は全く違います」ということはあらかじめ申し上げておきます。
なので、「あの頃と書いていることが全然違うじゃないか」などといわれる所以は全くございませんw
え~。
鉄道趣味雑誌に関しては、大きく3つの役割を持った雑誌がございまして。
まずはお子様から大人まで、幅広く「鉄道趣味入門書」としての役割を昔も今も一途に全うしている「鉄道ファン」。
ちょっと大人になってきて、鉄道を使った街歩きや乗り鉄あたりに足を突っ込んだら、「鉄道ジャーナル」と出会い、思春期に少年から大人に変わる。道を探していた。穢れもないままにw
そしていやちょっと趣向が違うぞ。いろいろ歴史が知りたいぞ、知的欲求をもっと深めたいぞという、こじらせた鉄道ファンになると、これは戦後復興と共に創刊された歴史と伝統の深い記事が味わい深く、1960年代の乗り鉄シーンも忘れ切ったころに掲載してくれる、老舗「鉄道ピクトリアル」を、90歳くらいになっても定期購読できるものならしていたい。
この「ファン誌→ジャーナル誌→ピクトリアル誌」と読む雑誌が移り変わるのは鉄道ファンあるあるですw
以上の3誌があって、他にもお子様からアクティブ向き、撮り鉄向きまでいろいろな雑誌が本屋さんに行けば並んでおりますね。まさに百花繚乱、お子様から大きなお子様までよりどりみどり、お好きな鉄道雑誌を一度手に取ってご覧ください、
とはいってもいまや立ち読み防止で雑誌に封をされていて読めなくなっているケースが多発してますがねw
さて、前段はさておき。
正直鉄道ジャーナルに関しては、僕もしっかり書いているのですが、2007年までで定期購入をやめて「鉄道ピクトリアル」に乗り換えており、正直それから20年近くよく持ったなあ…というのが正直なところ。
というのは、同じ2007年あたりを境に、鉄道ジャーナルのメインライターとして君臨していた種村直樹さん降板騒動があり、また竹島紀元編集長の退任、それに合わせて姉妹紙「旅と鉄道」の休刊(これは出版会社を変えて奇跡的に復活)などが2000年代中盤に立て続けに起こって、正直鉄道ジャーナル自体がこの頃に倒れていても全くおかしくはない状況だったと思うのです。
そこから「社会派」の本領をフルに発揮、鉄道が果たす社会の役割は、今取りざたされているドライバークライシス2024ですとか、各所で経営危機が叫ばれている地方鉄道、ローカル路線の維持運営について大きく振れて20年弱、なんとか今まで雑誌作りを行ってきたのですが、ついに休刊ということになりました。
その分野はネットメディアで間に合うということなのでしょうが、正直昨今のローカル線問題のネット記事など有象無象で、お金を取って雑誌で読ませるだけの問題ではなくなったということなのでしょうか。
鉄道ジャーナルが隆盛を極めたのは1980年代。
社会派を標榜するだけあって、とりわけ国鉄内部の労働組合問題にも深く切り込んでいたのは、現代の雑誌ではおおよそ考えられないことで、国鉄内部、とりわけ上層部にも新聞記者時代から切り込んでおられた種村直樹先生の存在があり、また国鉄内部からも、鉄道ジャーナルに限らず大御所の皆様方が各雑誌に寄稿する時代で切磋琢磨しており、「列車追跡シリーズ」と銘打ったルポルタージュは、今でも忘れることが出来ない至極の記事ばかりであったと思います。
列車追跡シリーズの一番人気はなんでしょうなあ。
個人的にものすごく記憶に残っているのは、1978年あたりに掲載された、上り名古屋行き夜行寝台特急「金星」が、神領電車区に一旦引き上げている間に寝台をたたんで下り「しらさぎ」に仕立て替え、上下往復して水タンクの使用量の差までルポした記事。
あるいは同じころに掲載された、東海道本線を走る荷物列車の同乗ルポ。これは本当に類書というか、同じような記事がほとんどなく、荷物輸送の歴史においても貴重な記事。
そうだなあ、もう一つあげるとすれば、国鉄分割民営化直前に、TBSアナウンサー「ロングおじさん」「ロンちゃん」こと吉村光夫アナウンサーを起用した、寝台特急「さくら」の記事かな。
ロンちゃんの記事で思い出すのは、総武快速線が横須賀線と直通運転を行い始めたころに、成田発久里浜行きのラッシュ時の快速電車の同乗ルポなんてーのもありましたっけね。
あと、廃止直前の急行ビュッフェ車に焦点を当てた、超満員の急行「信州」のルポなんてーのもあって、当時でも片道売り上げが3万円、これではとってもやっていけないと、数字まであけすけに書かれていたルポもありましたねえ。
人気投票したらかなり票が割れそう。
ただ、竹島紀元編集長の文章は華麗で、とても真似できそうにありません。
そういえあれは1977年あたりでしたか。鉄道雑誌同士で読者投稿欄と編集後記をを使って喧嘩をすることもありましたっけw
あの当事者、今でもご存命なのかしらw
ああ、編集長がご存命だw
鉄道趣味雑誌にあって「社会派」を自認するだけあって、鉄道のライバルとなっていた飛行機の記事を堂々と表紙に据え、「新幹線vs飛行機」という特集を組んで、鉄道趣味界に衝撃を与えたこともありましたね、「鉄道雑誌に飛行機を載せるとはなんたることか」と当時は非難囂々でしたが、その前後で国鉄はワイド周遊券の往復のどちらかに飛行機も選べる「立体周遊券」、のちの「ニューワイド周遊券」を発行する流れになってきており、いち早く鉄道趣味界に衝撃を与えたのは、時代を先取りしていたのかなと。
もう一つは「バスコーナー」。
あれでこじらせたバスファンも少なくないと思います。
1986年あたりの記事で、このバスはもとなんとかバスの中古で何年式…なんて、小学生にわかるか!w
その後時代は変わり、個人情報保護から列車追跡の一番の強調点でもあった乗客の顔が語られることがなくなり、やがてそれが強化されからの2000年代中盤のごたごた。
よくぞこの時代まで生きながらえたと思います。
休刊理由が「紙媒体の衰退」ともあげられており、それ自体は少なからず理由の一つなのだろうなあ、と。
とはいえ、もし竹島紀元編集長がご存命でいらしたならば、今の鉄道趣味界にはびこっている、ただの情報の先物取引化を大いに憂い、ぶった切ることでしょう。
そこがまさに紙媒体と相容れぬところであり、生き残っていくにはどうしたらよいのかを、絶えず模索していかなければならないのだと思います。
鉄道ジャーナル。
今を時めく鉄道写真家の中井精也さんの写真は、どれもみな美しい。
休刊はとても残念ですが、残る鉄道ファン誌は、いつまでも老若男女問わず鉄道趣味の入門書であってほしいし、鉄道ピクトリアル誌は老舗と歴史と伝統の強みで、奥深い記事で我々が90歳になっても読めるほどの雑誌で残っていてほしいと、切に願っております。
春なのに、お別れですか。
春なのに、涙がこぼれます。
さようなら、鉄道ジャーナル。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます