小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

もっとやれもっとやれ

2004-11-16 09:47:32 | Weblog
阪急電鉄が西宮競輪廃止で損害と賠償提訴 (読売新聞) - goo ニュース
兵庫県の競輪選手会もこれくらい提訴したっていいはず。なにせ自分の「練習場所が」赤字理由で全く無くなってしまったのだから。

西宮球場の思い出は深い。なにせ初めてプロ野球と接したのが西宮球場なのだから。
1986年3月のオープン戦、阪急対巨人を、「巨人側レフトスタンド」から観戦したのが初めて。先発は阪急は山田久志、巨人は江川卓。確かオープン戦にしては珍しく、両投手完投したのではなかっただろうか。今から考えれば、えらい試合を見ているものである。当時、阪急今津線小林駅近くに住んでいて、西宮北口ゆき電車に乗って四つ目が、スタジアムのある駅、西宮北口だった。通っていた小学校に、ブレーブス子供会に入っていた奴がいて、何度か一緒に西宮球場に通ったものだった。当時は応援団は内野席にいて、500円で入れた内野席に入り、応援団と一緒に声を嗄らした記憶がよみがえる。球場裏には競輪用の移動式バンクが置いてあり、その間から場外に出たファウルボールが何個か出てきて拾ったっけ。
その後、中学生になって球場に通うことも無くなり、千葉に引っ越したことによって、プロ野球自体に興味を無くしていた時期もあって、その次に西宮球場に足を運んだのは12年後、すっかり年だけ大人になった1998年8月まで待たねばならない。
阪急ブレーブスがオリックスブレーブスになり、さらに神戸に転出してブルーウエーブになり、西宮からプロ野球の歓声が聞こえなくなった1998年8月、知人の高校演劇全国大会を観に鳥取へ出かけた帰りに、スポーツ新聞で西宮競輪開催を知り、姫路から梅田行き阪神直通山陽特急を新開地で阪急電車に乗り継ぎ、西宮北口に10年ぶりに降り立った。
あらかじめ予想していたとはいえ、12年ぶりに足を踏み入れた西宮球場の変貌ぶりには、やはりショックだった。バックスクリーンは取り壊されて、跡地には競輪用の特別観覧席を建設中。つまり、もはやその姿は西宮「球場」では無かった。バックスクリーンがないのだから、野球が出来ないのだ。選手関係者と一般客が共用していた食堂は廃墟と化し、僅かに狭い通路に、昔日の面影を残すのみであった。あまりのショックに車券検討もどこへやら、たまたまやっていた負け戦のA級選抜8レースに、たまたま遠征で名前を連ねていた千葉勢のスジ車券を投資して、早々に退散したことだった。
確か、バックスクリーン跡に建設された特観席は翌1999年竣工、それから僅か3年後の2002年3月、西宮市と兵庫県が甲子園競輪もろとも競輪事業から撤退、西宮スタジアムも今年9月、とうとう解体が始まった。

そりゃそうだろう。多額の建設費を所有者である阪急電鉄が背負っているにもかかわらず、僅か3年でゴミとは、お役所仕事じゃなきゃできない芸当。それでも場外車券売り場として残すのなら理解も出来よう。車券自体を一切売らないというのだから、無用の長物とはまさにこのこと。
今回の提訴は、兵庫の選手会にも一石を投じるのではないだろうか。たしか両者はまだいがみあったままのはず。こういったお役所経営が、競輪他競馬、オートレースなどの公営ギャンブル事業を下火にさせている要因になっているのだから。
もっとやれ、はでにやれ。

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1 コメント

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では・・・ (たこすけ)
2004-11-17 09:18:48
取手のバンクで会いますか。
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