新聞記事にもびっくりしたけれど、この記事が載せられている所を見て二度びっくり。
山形にもなかなか分かる記者さんがいたもので…。
asahi.com - ブラバン甲子園☆オリジナル曲こう作る ∞ロッテ元応援団員 ジントシオさんに聴く - マイタウン山形
↑記事は長いからリンクをクリックしてちょ。
う~ん…。
>野球応援評論家のジントシオさん
>野球応援評論家のジントシオさん
>野球応援評論家のジントシオさん
>野球応援評論家のジントシオさん
>野球応援評論家のジントシオさん
その手があったかww
記事では、ベニーの応援歌を引き合いに出して、ノリがいいこの曲が生まれた背景と、応援歌にするコツが書かれている。
思い出すのは、ベニーの応援歌を作ろうとジン氏が考えた時、まず頭の中にひらめいたのはハワイの民謡やフラダンスだったようで、外野の常連さんがフラダンスを習っているという人を聞きつけて、ハワイの曲を片っ端から集めて貰って聴きまくり、ひらめいたのが「アロハオエ」なのだそう。
この曲が出来て、もう4年半も経とうとしているとは、時の流れはげに恐ろしや。
思えば、ジン氏がリードを取っていた頃を知っている、現役の外野スタンド派のマリーンズファンもかなり少なくなってきた。
元より昔から、ライトスタンドは2~3年周期で常連客はかなり入れ替わっていて、若い頃は外野で暴れ回っていたけれど、今はやんちゃが出来る年でもなくなって内野に回っている人や、環境が変わって球場に行けなくなった人達も相当数いることだろう。
2~3年周期で客が入れ替わるので、その周期に当てはめれば、マリーンズが優勝した2005年の時からも、スタンドの客は入れ替わっているという計算が成り立つのだが、それを証明するかのように、おいらの観戦仲間をとってみても、あの頃、「ちょっと会社で腹痛を起こして『海浜幕張の病院へ行く』と言い、会員証という名の保険証持参で、勝利という名の処方箋を貰って家に帰った」奴らの巣窟だったのに(笑)、3年一昔といわんばかりに皆環境が変わってしまい、外野で会う仲間の数も激減した。
かくいうおいらも寄る年波には勝てず、週末参戦が主体になり、待機列に並ぶルールもこの2年で大きく様変わりしてしまったので、今では無理をせず、試合開始3時間前に行かずとも席が取れる指定席に回ることが増えている。
そうでなくても、2~3年周期で客が入れ替わるライトスタンドに、もう10年以上通い詰めている身、やはり、己を取り巻く環境は変わろうとも、ライトスタンドに出入り出来ている自分を振り返り、「このままでいいのか」と思うことは多々あるわけで。
2005年を境に、昔の「ロッテ」な球団と別れを告げようとしている今のマリーンズを、あの頃に戻してはいけないとは思いつつ、あの頃、突っ伏してもただただ目の前の選手達にバカになりながらソウルを震わせるしかなかった俺達を、手玉にとりまくるリードを展開していたジン氏の謎リードを、今のファンが知らないのは、ある意味かわいそうでもある。
あの時のファンってーのは、例えば去年のCS前の最終戦で、ジン氏が「ホセ・オーティズですか。そういえば今年のCSのスポンサーはヨドバシカメラですね。それじゃあ行きますよ、♪まーるい緑の山手線…」と続けたら、即座に反応出来る適応力を求められてましたからねえ。。。
まあ、あの手法は、今より格段にお客さんの絶対数が少なかった時代だったからこそ成立していたのだろうけどね…。
しかし…。
なぜ山形???
誰か千葉支局の記者さんでも山形の支局にいるのかね?
そうでなきゃ、山形でこの人の名前を聞くことになるとは思わないしねえ…。
あ、あと、この記事には書かれていないけれど(書こうと思っても無理だろうが)、大事なことが一つ抜けてますよ。
それは、ジン氏が持って生まれた天賦の才能とも言うべき選曲センスの良さ。
こればっかりは、いくら真似しようとも逆立ちしても敵いません。
これを抜きにしたら、この記事は語っちゃいかんような気が…(^^;)
山形にもなかなか分かる記者さんがいたもので…。
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う~ん…。
>野球応援評論家のジントシオさん
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>野球応援評論家のジントシオさん
その手があったかww
記事では、ベニーの応援歌を引き合いに出して、ノリがいいこの曲が生まれた背景と、応援歌にするコツが書かれている。
思い出すのは、ベニーの応援歌を作ろうとジン氏が考えた時、まず頭の中にひらめいたのはハワイの民謡やフラダンスだったようで、外野の常連さんがフラダンスを習っているという人を聞きつけて、ハワイの曲を片っ端から集めて貰って聴きまくり、ひらめいたのが「アロハオエ」なのだそう。
この曲が出来て、もう4年半も経とうとしているとは、時の流れはげに恐ろしや。
思えば、ジン氏がリードを取っていた頃を知っている、現役の外野スタンド派のマリーンズファンもかなり少なくなってきた。
元より昔から、ライトスタンドは2~3年周期で常連客はかなり入れ替わっていて、若い頃は外野で暴れ回っていたけれど、今はやんちゃが出来る年でもなくなって内野に回っている人や、環境が変わって球場に行けなくなった人達も相当数いることだろう。
2~3年周期で客が入れ替わるので、その周期に当てはめれば、マリーンズが優勝した2005年の時からも、スタンドの客は入れ替わっているという計算が成り立つのだが、それを証明するかのように、おいらの観戦仲間をとってみても、あの頃、「ちょっと会社で腹痛を起こして『海浜幕張の病院へ行く』と言い、会員証という名の保険証持参で、勝利という名の処方箋を貰って家に帰った」奴らの巣窟だったのに(笑)、3年一昔といわんばかりに皆環境が変わってしまい、外野で会う仲間の数も激減した。
かくいうおいらも寄る年波には勝てず、週末参戦が主体になり、待機列に並ぶルールもこの2年で大きく様変わりしてしまったので、今では無理をせず、試合開始3時間前に行かずとも席が取れる指定席に回ることが増えている。
そうでなくても、2~3年周期で客が入れ替わるライトスタンドに、もう10年以上通い詰めている身、やはり、己を取り巻く環境は変わろうとも、ライトスタンドに出入り出来ている自分を振り返り、「このままでいいのか」と思うことは多々あるわけで。
2005年を境に、昔の「ロッテ」な球団と別れを告げようとしている今のマリーンズを、あの頃に戻してはいけないとは思いつつ、あの頃、突っ伏してもただただ目の前の選手達にバカになりながらソウルを震わせるしかなかった俺達を、手玉にとりまくるリードを展開していたジン氏の謎リードを、今のファンが知らないのは、ある意味かわいそうでもある。
あの時のファンってーのは、例えば去年のCS前の最終戦で、ジン氏が「ホセ・オーティズですか。そういえば今年のCSのスポンサーはヨドバシカメラですね。それじゃあ行きますよ、♪まーるい緑の山手線…」と続けたら、即座に反応出来る適応力を求められてましたからねえ。。。
まあ、あの手法は、今より格段にお客さんの絶対数が少なかった時代だったからこそ成立していたのだろうけどね…。
しかし…。
なぜ山形???
誰か千葉支局の記者さんでも山形の支局にいるのかね?
そうでなきゃ、山形でこの人の名前を聞くことになるとは思わないしねえ…。
あ、あと、この記事には書かれていないけれど(書こうと思っても無理だろうが)、大事なことが一つ抜けてますよ。
それは、ジン氏が持って生まれた天賦の才能とも言うべき選曲センスの良さ。
こればっかりは、いくら真似しようとも逆立ちしても敵いません。
これを抜きにしたら、この記事は語っちゃいかんような気が…(^^;)
通りすがって頂きありがとうございます。
次回からは是非ともハンドルネームを記載していただきますと、ちょいと嬉しかったりします。
アフロじゃないと、本人だってわかりませんよねえ(笑)。
それにしても山形支局の記者さん、食いつきますねえ…。
こんなのも出てました。
神宮で歌詞カードを貰ったことを覚えているので間違いないかと。
スタンドの環境が変わるのも、これは時の流れです。
5年も10年も全く環境が変わらない方が還って珍しいんで、それは仕方のないことですから…。
>雷庵さん
そうでしたねえ…。
あのアフロのラッパ男は、どうやら飛田給に行けばいるみたいです(笑)。
今度飛田給でダービーマッチがあるので行ってみたい気がしますが、貼りと日程が重なるんで、どーしようかなあ…ww
俺達だけでも、時折小ネタで語り継いでいきましょう。
ジン君のリードに乗せられた客の姿こそ、応援の真髄が隠されているような気がしてなりません。
彼は隣の市の出身で、子供の頃は西武ファン6という共通点があり、他人とは思えませんでした。
彼の選曲とアレンジはまさに天賦の才。
そして人々を熱狂させるアジテーターとしての扇動力。世紀末に現れたハーメルンの笛吹き男ならぬ、ラッパ吹き男。
もうああいう「ライブ」は今の野球場では再現できないでしょう。残念だけど。団塊の世代の人が拓郎・かぐや姫の「つま恋」を語り継ぐように、僕達も語り継ぎましょう。世紀末の日本の野球場に現れたアフロのラッパ吹き男を。
97年生まれだったとは…知らなかったmmペコリ。
また…ジン氏のリードによる、呼び掛け応援をしたいですな♪。
で、マリーンズに関わる環境…応援仲間内外の顔ぶれ・環境…私自身の身の回りの環境…etc。
そんな全てが04年までの環境が今も尚!引き続いていたなら‥。。私はきっと!封印していた“兼任の道”の封印は解いていなかっただろうな。
これも私にとっての時代の流れ!…なんでしょうけど。
でも、度々、、複雑な心境にはなりますが‥封印は解いて良かったと思ってます。
色々なプロ野球ファンの姿も見つつ、勉強?しつつ…プロ野球観戦・参戦の“イ・ロ・ハ”を違った雰囲気&環境の中で考えつつ…学びつつ…。
これもまた、今の私にとって必要な“道”であり…楽しいモノなんですよvv。
あっ!ていうか、話が全く!違う方向に走ってしまいましたネ(爆)。、、ジン氏の環境に変化があったんだろうけど、‥また、スタンドのお立ち台に戻って来て欲しいですな(望)。
ジン君が高校生だった頃、神宮球場のオープン戦で「俺達の誇り」をレクチャーされたことは、昨日のように覚えております。おいらが学校を卒業した時なので、1997年の事です。
あの頃から既に、ミュージシャンとしての片鱗は見せていたのでしょうね。
この曲が今でもマリーンズファンの心の拠り所として威光を放っているのは、嬉しい限りです。
宮城球場で酒をラッパ飲みした挙げ句に、警備員の制止も何のその、ラッパ片手に内野席まで客を煽りに行ったのも、今となっては昔語りの光景ですなあ(笑)。
>3636さん
おーい
マリーンズ
来年は
俺達の
期待を
裏切るな~!
思えばこんなことばっかりやってましたねえ(笑)。
>夜のスイ(ryさん
さすがwwww
原曲を見て一発でアーティストが分かる人くらいなら、あれくらいは一発かと(笑)。
なるほど、そういう外野の入り方もあったのか。
それでいていっぱしのマリーンズファンにさせてしまうのだから大したもんです。
私は大笑いしましたよ。
「これ、絶対音楽好きが絡んでるとしか思えん!!www」
…それがジン氏だったと知るまで、そう時間はかかりませんでした。
私がロッテの応援にすんなり入れたのは
この人の選曲・編曲センスの賜物だったかと思います。
ライブやフェスに通っていた時の感覚で外野にいられるんだもの、
楽しくないわけがない。
戻ってきてほしいなあ…
ジントシオー
早く
マリンに
帰ってこ~い
確かに!天才的な才能と存在感と人々を引き付けるパワーに満ち溢れてますよね。
私の中では、ジーンズ&ワッペンいっぱいのジージャン姿で…フルイニング⇒センターリードに立ってる姿と…、、何と言っても!アフロヘアー!!。
そして♪~どんな曲でもトランペットで奏でちゃう~♪‥。
例えば⇒チャンステーマの「コーリン!コーリン!○○~コーリン!コーリン!オーオーオー…」ってな曲も、ジン氏が居ないと出来ない‥っていう話を聞いた事がありますなぁ~。本当に!国宝級みたいな方ですよね。
で、確かに!04年までは実に!楽しかったvv。
球場に行けば…仲間内外に関わらず、何かとネタに満ち溢れてましたし、参戦日は必ず一回は大爆笑して帰ってたという思い出があります。
特に!マリン参戦した時は…(笑)。
マリンスタジアム病院も開業してましたし…ww。
やはり!現実‥時代は流れてますね。あの頃には戻れない…時代の流れには逆らえない。定め!!
解りきってる事…当たり前の事ですが…orz‥(泣)。