あらかじめお断りしておきますが、このエントリは、携帯から見ても何一つ面白くありません。どうかパソコンから閲覧下さいますように。
このネタ元は、某巨大掲示板群の鉄道総合板で、「昔の空中写真を見て(*´Д`)ハァハァ するスレ」というのがあって、現在では廃線跡となった土地の、昔の空中写真を見ることによって、あの巨大な空き地、あの遺構、あの線路跡には、どういった線路がどのような形で配置されていたかをあれこれ考える、考古学的なスレッドである。昔の写真で、本線とは別方向に向かうこの引き込み線は何?…など、あれこれ見ていくと興味は尽きない。
その空中写真は、国交省の国土情報ウェブマッピングシステムの、左にあるサイドメニューにある「カラー空中写真の閲覧へ」から行くことが出来る。
というわけで、では昔の競馬場の空中写真なんぞを見て、何を(*´Д`)ハァハァ しようかというと、今週土曜日から始まる阪神競馬開催から、馬場が大幅にリニューアルされ、芝の外回りコースが新設される。
で、よくよく考えたら、新設された外回りコースって、元々は新明和の工場の敷地じゃなかったかしらと。じゃあちょっと、昔の空中写真を見て確かめてみようと。
阪神競馬場周辺 昭和60年
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/85/ckk-85-1/c4/ckk-85-1_c4_2.jpg
さらに昔まで遡ると、昭和49年まで見ることが出来る。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckk-74-8/c6a/ckk-74-8_c6a_7.jpg
もちろん、この頃のスタンドというのは、今みたいな立派なスタンドではなくて、改装前の3階建てのこじんまりしたスタンド。
で、両者を見比べてみると、昭和60年の写真には、パドック脇の通路から、観客用の入場門の建物がしつらえられているのがわかるが、昭和49年の写真を見ると、入場門はどこ? って感じ。
さらに、4コーナーにある障害を見比べると、昭和49年頃の障害は、逆回りに走っていく時でも、4コーナーにある9号障害は飛んでいたのかな? それ以前に、よく見ると、障害が置いてあるかすら判別が不可能だ。
こうして、各地の競馬場を見ていくと、周囲の変遷が手に取るように分かって、とても面白い。
例えば、中山競馬場。
昭和59年。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/84/ckt-84-3/c8c/ckt-84-3_c8c_13.jpg
もちろんこの頃はスタンドも改装前。
改装前のバスターミナルって、スタンド南側にあったんやねえ。
スタンドの脇を走る県道松戸原木線を隔てたはす向かいの旧厩舎地区では、更地にして何かを作ろうと工事に取りかかっているみたい。この部分が、今のベンジャミンプラザとバスターミナルである。
更に10年遡って、昭和49年。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckt-74-15/c25/ckt-74-15_c25_72.jpg
いやあ、凄いねえ。
10年で競馬場周辺はこうも変わるのかと。
なんたって、スタンド東側を南北に貫く武蔵野線が目下工事中。
そして、スタンド西側に広がる厩舎群。
茨城県美浦村にトレセンが開業するのは4年後の昭和53年、1978年で、この頃は中央競馬の厩舎も、東京、中山、白井(現在のJRA競馬学校)に分散していてレースのたびにそれぞれの競馬場間を行き来していたのだ。
で、競馬場のトラックを見ると、芝コースとダートコースがあって、その内側の障害コースとの間に、練習馬場みたいな馬場が走っているのがわかる。これは後年、ダートコースと芝コースをそれぞれ拡幅された際に、きれいに消えている。昭和54年の写真を見て貰うと、もう消えているのが分かる。
中山競馬場の裏手も畑ばかりで、住宅街は、この時点では、厩舎の西側、市川市内に見えるのみである。おそらくその辺りは、昔から厩舎関係者が大挙して住んでいたはずである。
どうせ中山競馬場を見たのだから、ついでに船橋競馬場近辺も見てみよう。
昭和49年のあの一帯は、こんな姿でした。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckt-74-13/c14/ckt-74-13_c14_2.jpg
ハイライトはなんといってもこれ。
♪ 船橋ヘルスセンタ~
♪ 船橋ヘルスセンタ~
ついでなんで、動画も置いておいてみたりして。
You tube - funabashi health center 1962
まだ湾岸道路がここでぶつ切れ。当然京葉線なんてものは、まだ走ってませんよ。
そして、今、湾岸道路が走っているべき道路が、未開発の谷津干潟。
で、船橋ヘルスセンターが残っているということは、この写真をもう少し東方向にずらしていくと、まだ賑わっていた頃の谷津遊園が姿を現す。今は無き谷津遊園でおさなき日々を過ごした方は、下の10年後の姿を見る前に、ちょいと設定をいじくって感涙にむせび泣け!
いいですか。
これが10年後には、こうなります。
昭和59年。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/84/ckt-84-3/c11/ckt-84-3_c11_59.jpg
京葉線が西船橋~千葉みなと間で1期開業するのは、この2年後の昭和61年、1986年3月まで待つことになるが、もともと貨物線として早くから整備されていたこともあり、駅は姿を現さないけれども、路盤だけは綺麗に出来上がっている。
それはさておき。
船橋ヘルスセンターはららぽーとに。
湾岸道路は立派に開通して、なにやら渋滞が見えますな。この頃から若松交差点はクソだったわけか。
で、この写真を一番東側へ持って行くと、干潟の北側で、住宅街が途切れて、なにやら整備途中の土地が現れる。丁度干潟とその北側を走る京葉道路の間の土地である。何を隠そうこれが閉園後の谷津遊園跡地である。
その谷津遊園跡地は、5年後には更に立派になって生まれ変わっている。
平成元年。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/89/ckt-89-4/c17a/ckt-89-4_c17a_2.jpg
この頃には、へぼかった花輪インターも、今の原型に作り替えられている。昔使用していた橋の西側に、新たに橋を架けて整備していて、昔の橋が取り残されているのが分かる。
というふうに、同じように競馬場を調べていくとですな、大井競馬場の写真に、大井オートの跡地が伺えたりして、なかなか興味は尽きない。
廃線跡探訪はもちろんのこと、自分が生まれ育った街の移り変わりを知ることが出来るサイトとしても、大いに重宝したいところである。
皆さんも、ひとときの空中散歩、ひとときのタイムスリップを体験されてはいかがだろうか。
↑空中写真で思いっきり(*´Д`)ハァハァ したらクリッククリック。
このネタ元は、某巨大掲示板群の鉄道総合板で、「昔の空中写真を見て(*´Д`)ハァハァ するスレ」というのがあって、現在では廃線跡となった土地の、昔の空中写真を見ることによって、あの巨大な空き地、あの遺構、あの線路跡には、どういった線路がどのような形で配置されていたかをあれこれ考える、考古学的なスレッドである。昔の写真で、本線とは別方向に向かうこの引き込み線は何?…など、あれこれ見ていくと興味は尽きない。
その空中写真は、国交省の国土情報ウェブマッピングシステムの、左にあるサイドメニューにある「カラー空中写真の閲覧へ」から行くことが出来る。
というわけで、では昔の競馬場の空中写真なんぞを見て、何を(*´Д`)ハァハァ しようかというと、今週土曜日から始まる阪神競馬開催から、馬場が大幅にリニューアルされ、芝の外回りコースが新設される。
で、よくよく考えたら、新設された外回りコースって、元々は新明和の工場の敷地じゃなかったかしらと。じゃあちょっと、昔の空中写真を見て確かめてみようと。
阪神競馬場周辺 昭和60年
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/85/ckk-85-1/c4/ckk-85-1_c4_2.jpg
さらに昔まで遡ると、昭和49年まで見ることが出来る。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckk-74-8/c6a/ckk-74-8_c6a_7.jpg
もちろん、この頃のスタンドというのは、今みたいな立派なスタンドではなくて、改装前の3階建てのこじんまりしたスタンド。
で、両者を見比べてみると、昭和60年の写真には、パドック脇の通路から、観客用の入場門の建物がしつらえられているのがわかるが、昭和49年の写真を見ると、入場門はどこ? って感じ。
さらに、4コーナーにある障害を見比べると、昭和49年頃の障害は、逆回りに走っていく時でも、4コーナーにある9号障害は飛んでいたのかな? それ以前に、よく見ると、障害が置いてあるかすら判別が不可能だ。
こうして、各地の競馬場を見ていくと、周囲の変遷が手に取るように分かって、とても面白い。
例えば、中山競馬場。
昭和59年。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/84/ckt-84-3/c8c/ckt-84-3_c8c_13.jpg
もちろんこの頃はスタンドも改装前。
改装前のバスターミナルって、スタンド南側にあったんやねえ。
スタンドの脇を走る県道松戸原木線を隔てたはす向かいの旧厩舎地区では、更地にして何かを作ろうと工事に取りかかっているみたい。この部分が、今のベンジャミンプラザとバスターミナルである。
更に10年遡って、昭和49年。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckt-74-15/c25/ckt-74-15_c25_72.jpg
いやあ、凄いねえ。
10年で競馬場周辺はこうも変わるのかと。
なんたって、スタンド東側を南北に貫く武蔵野線が目下工事中。
そして、スタンド西側に広がる厩舎群。
茨城県美浦村にトレセンが開業するのは4年後の昭和53年、1978年で、この頃は中央競馬の厩舎も、東京、中山、白井(現在のJRA競馬学校)に分散していてレースのたびにそれぞれの競馬場間を行き来していたのだ。
で、競馬場のトラックを見ると、芝コースとダートコースがあって、その内側の障害コースとの間に、練習馬場みたいな馬場が走っているのがわかる。これは後年、ダートコースと芝コースをそれぞれ拡幅された際に、きれいに消えている。昭和54年の写真を見て貰うと、もう消えているのが分かる。
中山競馬場の裏手も畑ばかりで、住宅街は、この時点では、厩舎の西側、市川市内に見えるのみである。おそらくその辺りは、昔から厩舎関係者が大挙して住んでいたはずである。
どうせ中山競馬場を見たのだから、ついでに船橋競馬場近辺も見てみよう。
昭和49年のあの一帯は、こんな姿でした。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckt-74-13/c14/ckt-74-13_c14_2.jpg
ハイライトはなんといってもこれ。
♪ 船橋ヘルスセンタ~
♪ 船橋ヘルスセンタ~
ついでなんで、動画も置いておいてみたりして。
You tube - funabashi health center 1962
まだ湾岸道路がここでぶつ切れ。当然京葉線なんてものは、まだ走ってませんよ。
そして、今、湾岸道路が走っているべき道路が、未開発の谷津干潟。
で、船橋ヘルスセンターが残っているということは、この写真をもう少し東方向にずらしていくと、まだ賑わっていた頃の谷津遊園が姿を現す。今は無き谷津遊園でおさなき日々を過ごした方は、下の10年後の姿を見る前に、ちょいと設定をいじくって感涙にむせび泣け!
いいですか。
これが10年後には、こうなります。
昭和59年。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/84/ckt-84-3/c11/ckt-84-3_c11_59.jpg
京葉線が西船橋~千葉みなと間で1期開業するのは、この2年後の昭和61年、1986年3月まで待つことになるが、もともと貨物線として早くから整備されていたこともあり、駅は姿を現さないけれども、路盤だけは綺麗に出来上がっている。
それはさておき。
船橋ヘルスセンターはららぽーとに。
湾岸道路は立派に開通して、なにやら渋滞が見えますな。この頃から若松交差点はクソだったわけか。
で、この写真を一番東側へ持って行くと、干潟の北側で、住宅街が途切れて、なにやら整備途中の土地が現れる。丁度干潟とその北側を走る京葉道路の間の土地である。何を隠そうこれが閉園後の谷津遊園跡地である。
その谷津遊園跡地は、5年後には更に立派になって生まれ変わっている。
平成元年。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/89/ckt-89-4/c17a/ckt-89-4_c17a_2.jpg
この頃には、へぼかった花輪インターも、今の原型に作り替えられている。昔使用していた橋の西側に、新たに橋を架けて整備していて、昔の橋が取り残されているのが分かる。
というふうに、同じように競馬場を調べていくとですな、大井競馬場の写真に、大井オートの跡地が伺えたりして、なかなか興味は尽きない。
廃線跡探訪はもちろんのこと、自分が生まれ育った街の移り変わりを知ることが出来るサイトとしても、大いに重宝したいところである。
皆さんも、ひとときの空中散歩、ひとときのタイムスリップを体験されてはいかがだろうか。
↑空中写真で思いっきり(*´Д`)ハァハァ したらクリッククリック。
ああ、記事を書く時間と表現力がほしい・・