時は遡って新春、年越し夜勤中の仕事の鬱憤を千葉競輪場で晴らそうとしたら、いろいろと余計に鬱憤がたまるという素晴らしい展開に恵まれた(泣)もので、どこぞでたまった鬱憤を晴らそうと、休養をしっかり取った翌日、新調して間もないデジカメを抱えて、一路ときわ路をたどったのでありました。
1月2、3と連休になり、3日は東京ドームのアメフト頂上決戦ライスボウルに充てるとして、2日を寝正月とするのはなんとなくもったいない。
ならば一丁出かけるべと、特に算段もなくひたちなか海浜鉄道へ出かけて、うまいことレトロな気動車の小さな旅でもできれば御の字と、お昼前に家を出る。
ひたちなか海浜鉄道は、勝田~阿字ヶ浦間を結ぶ小さなローカル線で、当ブログでも一度、2007年3月に、鹿島鉄道のお別れ乗車をした際に行きがけの駄賃で夜中に立ち寄っている。あ、この頃はまだひたちなか海浜鉄道ではなくて、茨城交通湊線の頃だったか。
家を出がけに勝田までの乗換えを調べてみたら、30分以上家を遅く出て、船橋から東武野田線に揺られ、柏から12時50分発特急「フレッシュひたち25号」に乗ればいいらしいので、一計を案じて家を飛び出し、上野から特急に乗ってやろう。
こんなときは、船橋で乗り換えて柏へ向かっても、津田沼で特急に乗り換えて上野へ出ても、おそらくは所要時間は変わらないであろう我が家の立地条件はいいなと、なぜか一人悦に入るw
そんなわけで、京成津田沼でちょいと写真を。
まずは引きがこちら。
これが寄せるとこれだけ寄るの。
いろいろとバランスは難しいですがね(´・ω・`)
そんなわけで、上野駅であります。
12時30分発勝田行き「フレッシュひたち25号」。
1月2日、帰省時に入った時期の昼過ぎの下りだから、指定席はガラガラ。
もちろん自由席でも良かったのだけれど、人口密度と出資を天秤にかけて、敢えて指定席を取ってみたw
秋口にも、たぶんこの1時間前のフレッシュひたち21号だったと思うのだけれど、柏から石岡まで自由席に乗ったことがあり、この時は柏からも各自由席号車にそれなりに列ができており、立つ人はいないけれど空席もないという絶妙な乗車率だったこともあったので、余分な投資にはなるけれど、敢えて快適度を選んだというわけ。
そんなわけで、「フレッシュひたち」に使用されるE657系のシート。
各席にコンセントが常備されてる(・・;)
これは秋口に初めてこの列車に乗って、あたしゃ感動したもんですw
というより、各席にコンセントが常備されているなんて、乗ってから初めて知ったぜw
シートも背が高いし枕は可動式だし、なかなかいいじゃないですか。
ただ、前の「フレッシュひたち」用E653系に比べると、シートピッチは広がったのかしら? あれは究極の詰め込み仕様だったからねえ。
列車は常磐線を快調にすっ飛ばし、定刻13時50分に勝田に到着。
接続するひたちなか海浜鉄道の列車の時刻までは全く調べてはいないが、窓の外を覗き込むと、ひたちなか海浜鉄道のホームには…。
旧型気動車一発ツモ\(^O^)/
(※撮影は阿字ヶ浦駅)
とりあえず、おそらく特急に接続したダイヤであろうことは想像に難くないので急ぎ足で乗り換え。
乗り換え口にたどりつくと、もう気動車の運転士が運転台に乗り込むところで発車時間が迫っており、キップをひとまず阿字ヶ浦まで買おうと思ったら、一日乗車券を発売している由、そちらのほうがいろいろと遊び倒すのには有り難く、一日乗車券を所望して1両の気動車に乗り込むと、ほどなくドアが閉まり発車。
後で発車時刻を調べてみたら、この133列車の発車は13時53分。3分の待ち合わせだったわけで、接続は本当に絶妙だったわけ。
いや、旧型気動車を一発で引けて嬉しいな。
平日はだいたい新型気動車が走っていて、旧型気動車も、走っているかどうかは日にち次第で、あらかじめ同社HPで確認しなければいけないから、乗れて何より。
というのは、今日の気動車運用は、前日の初日の出輸送の絡みもあってか公開されておらず、足を運んでみないことにはどうにもならなかったからである。
この車両はキハ2000形2004。1966年製で、もともと北海道の留萌鉄道で走っていたところ、1970年の同線廃止で茨城交通にやってきたもの。
身にまとっている塗装は、いわゆる「国鉄準急色」と呼ばれるもので、気動車準急華やかりし頃は、これらの塗装を身にまとったキハ55形が、全国各所をエンジンも高らかに走り回っていた。
いわば「リバイバル塗装」、今風に言えば「ウソ電」の範疇に入るのだが、常磐線はもともと気動車準急「ときわ」号が走っていた土地柄、踏み切り待ちの車の中からこの列車を見て「昔はあんな色の汽車で東京へ行ったっぺよ」と、息子さんやお孫さんに語りかけるお年よりもおられよう。
ノスタルジック満点の車内。
響き渡るディーゼルエンジン。たまらんねこりゃ。
ひたちなか海浜鉄道にはしばらくご無沙汰している間に、途中駅の金上駅に交換設備が設けられており、ここで上下列車が行き違うようだが、対向列車は…
キハ205きた\(^O^)/
つまり、今動いている2本とも今日は旧型気動車。キハ205の写真はまたおいおい。
なんか今日は来てよかったなあ。いつもは当たることがない旧型気動車に、2本も当たっちまったでよ。
対向列車の姿を見てさらにテンションアップwそら上がらずにはいられんよ。そらそうよ。
車庫のある那珂湊で車内の客が半分ほど入れ替わり、平磯あたりからは海岸線が間近に迫る。水平線だよガンバ♪水平線だよガンバ♪←分かる人は年がばれますw
勝田から26分、30分足らずのショートトリップで阿字ヶ浦に到着。
夏の盛りなら、やおらここから海岸に繰り出すところだけれど、正月の海を見てもねえ…(´・ω・`)
このひたちなか海浜鉄道、前身の茨城交通に初乗車をしたのは1998年。あの時は阿字ヶ浦から茨城交通バスで那珂湊駅経由の水戸駅方面行きに乗って水戸へ出たのだけれど、阿字ヶ浦から出る水戸方面行きのバスはとうの昔に廃止になっている。
これが平日なら、折りがよければコミュニティバスが走っており、これに乗ってどこかへ出る手もないわけではないのだが、正月3が日の真っ只中ではいかんともしがたい。
ただ、いくら一日乗車券持ちとはいえこのまま折り返しの列車に乗っても芸がないので、適当な近所の駅まで1駅くらいは歩けるだろう。
なもんで、お隣の磯崎という、昔の国鉄総裁みたいな名前の駅まで、住宅街をとぼとぼと歩いてみる。
今の世の中はとても便利になったもので、昔はこうした街歩きは、駅前の地図を一気に読み込んで「どこそこの角を左…」などと覚えていったものだが、今はスマホの地図機能という、この上ない味方がある。迷えば開けばいいんだもの。便利になったよねえ…。
無理に勝田行きに乗らなくてもいいので、45分後に、さきほど金上で離合したキハ205がやってくるはずなので、とぼとぼ歩いてこれでもう一度阿字ヶ浦に戻ったっていい。いやさすがに戻りたい。寒いもんw
途中の道端で、普段はほとんどやらない走行写真の撮影にも挑戦。
うん。
ぜんっぜんダメダメだわ(´・ω・`)
だって普段やらんもん。アクションカメラ系じゃないから。エロ本じゃないよ←
さて、磯崎駅で、15時03分に来る阿字ヶ浦行きキハ205を待ち受けます。
(以下続きます。)
(※取材日…2014年1月2日)
1月2、3と連休になり、3日は東京ドームのアメフト頂上決戦ライスボウルに充てるとして、2日を寝正月とするのはなんとなくもったいない。
ならば一丁出かけるべと、特に算段もなくひたちなか海浜鉄道へ出かけて、うまいことレトロな気動車の小さな旅でもできれば御の字と、お昼前に家を出る。
ひたちなか海浜鉄道は、勝田~阿字ヶ浦間を結ぶ小さなローカル線で、当ブログでも一度、2007年3月に、鹿島鉄道のお別れ乗車をした際に行きがけの駄賃で夜中に立ち寄っている。あ、この頃はまだひたちなか海浜鉄道ではなくて、茨城交通湊線の頃だったか。
家を出がけに勝田までの乗換えを調べてみたら、30分以上家を遅く出て、船橋から東武野田線に揺られ、柏から12時50分発特急「フレッシュひたち25号」に乗ればいいらしいので、一計を案じて家を飛び出し、上野から特急に乗ってやろう。
こんなときは、船橋で乗り換えて柏へ向かっても、津田沼で特急に乗り換えて上野へ出ても、おそらくは所要時間は変わらないであろう我が家の立地条件はいいなと、なぜか一人悦に入るw
そんなわけで、京成津田沼でちょいと写真を。
まずは引きがこちら。
これが寄せるとこれだけ寄るの。
いろいろとバランスは難しいですがね(´・ω・`)
そんなわけで、上野駅であります。
12時30分発勝田行き「フレッシュひたち25号」。
1月2日、帰省時に入った時期の昼過ぎの下りだから、指定席はガラガラ。
もちろん自由席でも良かったのだけれど、人口密度と出資を天秤にかけて、敢えて指定席を取ってみたw
秋口にも、たぶんこの1時間前のフレッシュひたち21号だったと思うのだけれど、柏から石岡まで自由席に乗ったことがあり、この時は柏からも各自由席号車にそれなりに列ができており、立つ人はいないけれど空席もないという絶妙な乗車率だったこともあったので、余分な投資にはなるけれど、敢えて快適度を選んだというわけ。
そんなわけで、「フレッシュひたち」に使用されるE657系のシート。
各席にコンセントが常備されてる(・・;)
これは秋口に初めてこの列車に乗って、あたしゃ感動したもんですw
というより、各席にコンセントが常備されているなんて、乗ってから初めて知ったぜw
シートも背が高いし枕は可動式だし、なかなかいいじゃないですか。
ただ、前の「フレッシュひたち」用E653系に比べると、シートピッチは広がったのかしら? あれは究極の詰め込み仕様だったからねえ。
列車は常磐線を快調にすっ飛ばし、定刻13時50分に勝田に到着。
接続するひたちなか海浜鉄道の列車の時刻までは全く調べてはいないが、窓の外を覗き込むと、ひたちなか海浜鉄道のホームには…。
旧型気動車一発ツモ\(^O^)/
(※撮影は阿字ヶ浦駅)
とりあえず、おそらく特急に接続したダイヤであろうことは想像に難くないので急ぎ足で乗り換え。
乗り換え口にたどりつくと、もう気動車の運転士が運転台に乗り込むところで発車時間が迫っており、キップをひとまず阿字ヶ浦まで買おうと思ったら、一日乗車券を発売している由、そちらのほうがいろいろと遊び倒すのには有り難く、一日乗車券を所望して1両の気動車に乗り込むと、ほどなくドアが閉まり発車。
後で発車時刻を調べてみたら、この133列車の発車は13時53分。3分の待ち合わせだったわけで、接続は本当に絶妙だったわけ。
いや、旧型気動車を一発で引けて嬉しいな。
平日はだいたい新型気動車が走っていて、旧型気動車も、走っているかどうかは日にち次第で、あらかじめ同社HPで確認しなければいけないから、乗れて何より。
というのは、今日の気動車運用は、前日の初日の出輸送の絡みもあってか公開されておらず、足を運んでみないことにはどうにもならなかったからである。
この車両はキハ2000形2004。1966年製で、もともと北海道の留萌鉄道で走っていたところ、1970年の同線廃止で茨城交通にやってきたもの。
身にまとっている塗装は、いわゆる「国鉄準急色」と呼ばれるもので、気動車準急華やかりし頃は、これらの塗装を身にまとったキハ55形が、全国各所をエンジンも高らかに走り回っていた。
いわば「リバイバル塗装」、今風に言えば「ウソ電」の範疇に入るのだが、常磐線はもともと気動車準急「ときわ」号が走っていた土地柄、踏み切り待ちの車の中からこの列車を見て「昔はあんな色の汽車で東京へ行ったっぺよ」と、息子さんやお孫さんに語りかけるお年よりもおられよう。
ノスタルジック満点の車内。
響き渡るディーゼルエンジン。たまらんねこりゃ。
ひたちなか海浜鉄道にはしばらくご無沙汰している間に、途中駅の金上駅に交換設備が設けられており、ここで上下列車が行き違うようだが、対向列車は…
キハ205きた\(^O^)/
つまり、今動いている2本とも今日は旧型気動車。キハ205の写真はまたおいおい。
なんか今日は来てよかったなあ。いつもは当たることがない旧型気動車に、2本も当たっちまったでよ。
対向列車の姿を見てさらにテンションアップwそら上がらずにはいられんよ。そらそうよ。
車庫のある那珂湊で車内の客が半分ほど入れ替わり、平磯あたりからは海岸線が間近に迫る。水平線だよガンバ♪水平線だよガンバ♪←分かる人は年がばれますw
勝田から26分、30分足らずのショートトリップで阿字ヶ浦に到着。
夏の盛りなら、やおらここから海岸に繰り出すところだけれど、正月の海を見てもねえ…(´・ω・`)
このひたちなか海浜鉄道、前身の茨城交通に初乗車をしたのは1998年。あの時は阿字ヶ浦から茨城交通バスで那珂湊駅経由の水戸駅方面行きに乗って水戸へ出たのだけれど、阿字ヶ浦から出る水戸方面行きのバスはとうの昔に廃止になっている。
これが平日なら、折りがよければコミュニティバスが走っており、これに乗ってどこかへ出る手もないわけではないのだが、正月3が日の真っ只中ではいかんともしがたい。
ただ、いくら一日乗車券持ちとはいえこのまま折り返しの列車に乗っても芸がないので、適当な近所の駅まで1駅くらいは歩けるだろう。
なもんで、お隣の磯崎という、昔の国鉄総裁みたいな名前の駅まで、住宅街をとぼとぼと歩いてみる。
今の世の中はとても便利になったもので、昔はこうした街歩きは、駅前の地図を一気に読み込んで「どこそこの角を左…」などと覚えていったものだが、今はスマホの地図機能という、この上ない味方がある。迷えば開けばいいんだもの。便利になったよねえ…。
無理に勝田行きに乗らなくてもいいので、45分後に、さきほど金上で離合したキハ205がやってくるはずなので、とぼとぼ歩いてこれでもう一度阿字ヶ浦に戻ったっていい。いやさすがに戻りたい。寒いもんw
途中の道端で、普段はほとんどやらない走行写真の撮影にも挑戦。
うん。
ぜんっぜんダメダメだわ(´・ω・`)
だって普段やらんもん。アクションカメラ系じゃないから。エロ本じゃないよ←
さて、磯崎駅で、15時03分に来る阿字ヶ浦行きキハ205を待ち受けます。
(以下続きます。)
(※取材日…2014年1月2日)
(吉田)
わざわざコメントを頂戴いたしましてありがとうございました。
返信が大変遅くなりまして、申し訳ございません。