寒いですね。年を取った現在の写真です。
何日もの間、体の様子を見ながら
少しずつやってきました。
制作というのは、本当にナメクジが這うような
スピードでもコツコツと積み上げていけば
形になるものですね。
細かいところのディテールで気になるところが、
また出てきそうなので着色は、
しないで置こうと思います。
応援くださった皆さん、本当に
感謝申し上げます。
有難う御座いました。
2021年 福島県展 招待出品
新構造展 新構造賞受賞
2022年 福島県展 招待出品
新制作展入選(再々再々入選)
日展 初出品初入選
郡山市美展 招待出品
この作品は、
大学4年になる春休みに
彫塑室にて制作していました。
粘土の状態で3日間で完成、
その後型取り。(FRPにて)
そして、着色。
大学を卒業して
社会人一年目に新制作展に
初出品しました。
初入選でした。
実際の人間の頭部より
一回り大きく造りました。
大体の頭像が、一回り大きいんですけども。
昨日の続きという訳ではないんですが
遂に菅首相が辞任するという
ニュースを目にしました。
当然の帰結。
さて、作品は、ひきつづき
新制作の入選作です。
昨日の作品と同じく
御影石の作品です。
こちらの方が、硬かったのを
記憶しています。
黒御影石です。
1996年の作です。
昨日の作品「或る男」は、
収蔵されていますので
手元にはないのですが
こちらは、まだ手元にあります。
制作に3ヶ月程かかったものです。
作者の想いがどれほど入って
いるのか、計ってみたいものです。
平成の不況の時に
生まれた子供達にも
時代は、重い影を落としました。
大人も大変でした。
20代後半から50代半ばまで
不況の煽りを受けました。
その途中に3.11があり
コロナが、今あるのです。
日本は、成長しない国に
なりました。
何もいらない、食べられればいい
という人が、増えました。
そう、生きていける最低限の
収入が確保できない人も
増えました。
ゆとりが、無いのです。
田中角栄のようなヴィジョンを持った政治家、
安倍晋三ではないのですよ。
リーダーとして相応しい人を
求めているのです。
話し変わってコロナですが、
ミューという新たな変異株が
出てきました。
イベルメクチンで効くのでしょうか?
終末を感じてしまうのは
私だけでしょうか?
https://www.mbs.jp/mint/news/2021/03/10/082714.shtml
20代の頃の作品です。
今も、作業場にあります。
おかしな所が、目に付いて
お恥ずかしい。
新制作展入選作品です。
カメラマンが撮った写真です。
厳選の新制作、佐藤忠良、舟越保武も
健在だった頃。
入選するメンバーとして、地方大出身者は
数少なかった。
2室
大河原隆則「鳥人」新構造賞
鳥の頭をした人物が立ち上がる。
体と頭に穴が開けられている。
何か空虚な存在感が感じられる。
大河原作品の中でも珍しいイメージの
造形が、今回特に面白い。
人間でありながら人間でないかのような
存在感で、現代に生きる我々に
問いを投げかけるようだ。
何ヶ月か同じ状態が続いた。
病名を明かしてなかったので
こんなことになった。
休みがちになった事。
それで、事務の部長と
話し合うことになったが
続ける事は、非常に再発への
リスクが、ありすぎる事、
向こうは、今になって
日中だけの授業を担当
することを提案して来たり、
いろいろ言ってきたが
教員が、6名、事務職が5名
で学校を運営してること自体が
無理がある。
教員を増やすこと、今のままでは
無理があること、
それは、その度ごとに
言ってきたつもりだったが
学園長にも、飽き飽きした。
何の未練もない、と決めて
去ることにした。
11科目の中身は、
政治経済・憲法・倫理社会・地理・文学史
美術史・音楽史・判断推理・適性、その他
忘れた。
花見をしたり、懇親会もやった。
発病する前も私は、学校関係、塾等で
働いており、さまざまな所に
行きました。
児童相談所(児相)にもいました。
幼稚園でお絵かきの先生もやってました。
幼稚園は、ほんとに楽しかった。
幼稚園に入ると、園児が、
「おえかきのせんせ~い。」
と、体に上ってくる。ぶら下がる、まとわりつく。
いやな感じはしませんね。
みんな良い子だから。
年を取るに従い人間は、
素直でも、正直でもなくなる。
生きる為なのでしょうがないと言えば、
しょうがないが、ほんとにそれでいいのか?
脱線しました。(失礼)
そうやって、7月に入る頃
再発の兆しが、見え始め
休みがちになりました。
やはり、女房の助言は、聞くもんですね。
それでも、稼がなくてはいけないので
常勤を希望した。
2月の寒い冬、開校に向けての作業が
始まった。
学科は、行政事務科。
公務員になるための学科です。
必要なスキルの完全でないところで
事が決まっていって
私は、11科目教えなくてはいけず
時間は、日中の部と夜間の部
両方を持たなくてはいけないという
ブラック中のブラックな勤務体系
となってしまった。
3月行政事務科の最終面接を終え、
4月の入学が、始まった。
そして、授業が、始まる。
大変でしたよ、11教科回さなければ
ならない。
中学に勤めていたとき
美術一教科でも500名見るのに
苦労したのに。
50名の11教科。
日中7コマ、夜間3コマ
その大半を一人で視る。
昔の話
精神病を発病してから
退院して、一年間は仕事(務め人)を
休んでいた。
買い物か何かで通りがかった
通りに新しく専門学校ができた。
「こんな所で働けたらいいな。」
ある日、求人チラシに
その学校が出ていた。
総合職とある。
教員募集である。
私は、美術中高一級と社会高校二級の
教員免許を持っている。
それで、その専門校に面接に行ってみた。
かなりの教科数を持たなくてはいけない。
また、病気が再発する、という思いが
あったが、働いてみることにした。
女房に話したら、
「あんまり無理せずに非常勤とか、やったほうがいいよ。」
と、返ってきた。