<彫刻家>大河原タカノリの作品集【現代カノン派】・彫刻・絵画美術館

新制作展彫刻家/元新構造展会員/日展彫刻家画家大河原隆則の作品・クンストインハイデルブルク賞クリスチャン日本彫刻家

【彫刻家】大河原隆則・・「穿つ・人」と作者・中堅

2023-03-02 | 経歴

 

寒いですね。年を取った現在の写真です。

何日もの間、体の様子を見ながら

少しずつやってきました。

制作というのは、本当にナメクジが這うような

スピードでもコツコツと積み上げていけば

形になるものですね。

細かいところのディテールで気になるところが、

また出てきそうなので着色は、

しないで置こうと思います。

応援くださった皆さん、本当に

感謝申し上げます。

有難う御座いました。


【若手彫刻家】「男の首」・・・新制作展初入選作品

2021-09-07 | 経歴

 

この作品は、

大学4年になる春休みに

彫塑室にて制作していました。

粘土の状態で3日間で完成、

その後型取り。(FRPにて)

そして、着色。

大学を卒業して

社会人一年目に新制作展に

初出品しました。

初入選でした。

実際の人間の頭部より

一回り大きく造りました。

大体の頭像が、一回り大きいんですけども。

 


【若手彫刻家】「東北の男」・・・新制作展入選作(過去)

2021-09-04 | 経歴

 

昨日の続きという訳ではないんですが

遂に菅首相が辞任するという

ニュースを目にしました。

当然の帰結。

さて、作品は、ひきつづき

新制作の入選作です。

昨日の作品と同じく

御影石の作品です。

こちらの方が、硬かったのを

記憶しています。

黒御影石です。

1996年の作です。

昨日の作品「或る男」は、

収蔵されていますので

手元にはないのですが

こちらは、まだ手元にあります。

制作に3ヶ月程かかったものです。

作者の想いがどれほど入って

いるのか、計ってみたいものです。


【若手彫刻家】「或る男」・・・新制作展入選作品(過去)

2021-09-03 | 経歴

 

平成の不況の時に

生まれた子供達にも

時代は、重い影を落としました。

大人も大変でした。

20代後半から50代半ばまで

不況の煽りを受けました。

その途中に3.11があり

コロナが、今あるのです。

日本は、成長しない国に

なりました。

何もいらない、食べられればいい

という人が、増えました。

そう、生きていける最低限の

収入が確保できない人も

増えました。

ゆとりが、無いのです。

田中角栄のようなヴィジョンを持った政治家、

安倍晋三ではないのですよ。

リーダーとして相応しい人を

求めているのです。

話し変わってコロナですが、

ミューという新たな変異株が

出てきました。

イベルメクチンで効くのでしょうか?

終末を感じてしまうのは

私だけでしょうか?


https://www.mbs.jp/mint/news/2021/03/10/082714.shtml

 


【若手彫刻家】大河原隆則「Voice of the Earth」1991

2021-09-02 | 経歴

 

20代の頃の作品です。

今も、作業場にあります。

おかしな所が、目に付いて

お恥ずかしい。

新制作展入選作品です。

カメラマンが撮った写真です。

 

厳選の新制作、佐藤忠良、舟越保武も

健在だった頃。

入選するメンバーとして、地方大出身者は

数少なかった。


【美術の窓・2021・8月号記事】・・・載ってますよ~

2021-07-18 | 経歴

 

 

 

 

 

2室

 大河原隆則「鳥人」新構造賞

鳥の頭をした人物が立ち上がる。

体と頭に穴が開けられている。

何か空虚な存在感が感じられる。

大河原作品の中でも珍しいイメージの

造形が、今回特に面白い。

人間でありながら人間でないかのような

存在感で、現代に生きる我々に

問いを投げかけるようだ。

 

 


【昔の話】・・・27年前④

2021-07-15 | 経歴

何ヶ月か同じ状態が続いた。

病名を明かしてなかったので

こんなことになった。

休みがちになった事。

それで、事務の部長と

話し合うことになったが

続ける事は、非常に再発への

リスクが、ありすぎる事、

向こうは、今になって

日中だけの授業を担当

することを提案して来たり、

いろいろ言ってきたが

教員が、6名、事務職が5名

で学校を運営してること自体が

無理がある。

教員を増やすこと、今のままでは

無理があること、

それは、その度ごとに

言ってきたつもりだったが

学園長にも、飽き飽きした。

何の未練もない、と決めて

去ることにした。

 


【昔の話】・・・27年前③

2021-07-12 | 経歴

11科目の中身は、

政治経済・憲法・倫理社会・地理・文学史

美術史・音楽史・判断推理・適性、その他

忘れた。

花見をしたり、懇親会もやった。

発病する前も私は、学校関係、塾等で

働いており、さまざまな所に

行きました。

児童相談所(児相)にもいました。

幼稚園でお絵かきの先生もやってました。

幼稚園は、ほんとに楽しかった。

幼稚園に入ると、園児が、

「おえかきのせんせ~い。」

と、体に上ってくる。ぶら下がる、まとわりつく。

いやな感じはしませんね。

みんな良い子だから。

年を取るに従い人間は、

素直でも、正直でもなくなる。

生きる為なのでしょうがないと言えば、

しょうがないが、ほんとにそれでいいのか?

脱線しました。(失礼)

そうやって、7月に入る頃

再発の兆しが、見え始め

休みがちになりました。

やはり、女房の助言は、聞くもんですね。

 

 


【昔の話】・・・27年前②つづき

2021-07-11 | 経歴

それでも、稼がなくてはいけないので

常勤を希望した。

2月の寒い冬、開校に向けての作業が

始まった。

学科は、行政事務科。

公務員になるための学科です。

必要なスキルの完全でないところで

事が決まっていって

私は、11科目教えなくてはいけず

時間は、日中の部と夜間の部

両方を持たなくてはいけないという

ブラック中のブラックな勤務体系

となってしまった。

3月行政事務科の最終面接を終え、

4月の入学が、始まった。

そして、授業が、始まる。

大変でしたよ、11教科回さなければ

ならない。

中学に勤めていたとき

美術一教科でも500名見るのに

苦労したのに。

50名の11教科。

日中7コマ、夜間3コマ

その大半を一人で視る。

 


【昔の話】・・・二十七年前

2021-07-10 | 経歴

昔の話

精神病を発病してから

退院して、一年間は仕事(務め人)を

休んでいた。

買い物か何かで通りがかった

通りに新しく専門学校ができた。

「こんな所で働けたらいいな。」

ある日、求人チラシに

その学校が出ていた。

総合職とある。

教員募集である。

私は、美術中高一級と社会高校二級の

教員免許を持っている。

それで、その専門校に面接に行ってみた。

かなりの教科数を持たなくてはいけない。

また、病気が再発する、という思いが

あったが、働いてみることにした。

女房に話したら、

「あんまり無理せずに非常勤とか、やったほうがいいよ。」

と、返ってきた。