これは、尊敬して止まないイタリア現代彫刻の故エミリオ・グレコ
に寄せて、造ったものです。
これは、オマージュです。
こういう風に、尊敬の意を込めていれば良いんだよな。
2007年
2014年
こういうパクリ野郎が、郡山市美展
福島県展の審査員をやっているんだな。
平成5年くらいから十年間ほど
俺が、市美展の審査員やってたことも
知らないんだろうな。
昭一先生や藤田さんの時代だ。
俺の画集も見ただろう?
配りまくったからな。
知らぬ存ぜぬは通用しねえぜ。
昔からいる様な顔してんな。
若いなら、若いなりの態度ってのが
あろう?
両手結んで、頭を下げろ。帽子とって。
何だ、あのピースは?餓鬼じゃあるまいし。
頭に乗ってんのか?
kuroちゃんの場合、受難っていうんじゃないんだな。
確固たる罪、犯罪。
サノケンジロウって覚えてますか?
謝るまで、続けますよ。
もう、パクリませんって誓うまで続ける。
ファースト・ペンギンが泣きを見るようなのは
許せんのだ。
内なる自己の声、所謂
精神的必然性から生まれる造形
そうならざるを得ない必然
それがなくては、独自性は
生まれない。
あくまで自分の中にあるテーマ
それが、存在しなくては
影響を受けた作品に近づいてしまう。
所謂、真似事、パクリの謗りを
受けてしまう。
影響を受けた作品からどれだけ離していくか?
それが、重要だ。
あくまで、精神的必然性に置けるテーマ
設定が重要だ。
形態は、後からついて来る。
狡猾なのは、駄目だ。