いつも応援有難うございます。
父は、日頃ストレスを抱えていたのかもしれない
日常的に厳しく、まれに優しい一面もあるという
常時、ヒステリックな感情の持ち主だった
私は、決してDV夫を褒めたくはないが
せめて後になって優しい言葉をかけてくれるような
存在であってほしかったとも思う
要するに、もっと穏やかであってほしかった
年寄りなら年寄りらしく老いては子に従うような
ふしがあれば皆に愛されとも思うのに
生きることに一生懸命だったのかもしれない
損な性分を持ち合わせていた
私は、父に孝行出来たのだろうか?
これもまた、今となっては解らない
父は、父親を早くに亡くしている
それが災いしてか愛情の表現が下手だ
「愛情の本質」とはどういうものなのかを知らなかったのだ
私も子育てが上手くいったとは思っていないが
愛情深い子供が二人成人した。
私は、美術、芸術を通して愛を学んだ
父を愛してくれるような人が幼少時にいれば
それから繋がる不幸を堰き止められたのではないかと思う
父には、子供として愛を尽くしたつもりだったが
どう感じたのだろうか
今となってはもう解らない
見方を変えてみれば、父はよく働く頑強な人だった
高血圧に心臓病、前立腺癌に肺の病気など
これほどの既往歴をもってしても死なないで来た
立派といえば立派だ
しかし、父として夫として子供や女房を
幸せに出来たかどうかは疑問だ
母は、もうボケてしまっている
父は、そんなボケている母を殴ったりもしていた
私は、成人するまで、百発は殴られただろう
殴れば良くなるとでも考えていたのだろうか?
昔、私は、父の襟首を掴んだことがあったが可愛そうになり止めた
その当時の私の正拳突きは、コンクリートも壊す威力だったからだ
それを自覚していた私は、今まで本気で人を殴った事はない
父は、元自衛官だ
軍人気質で王君のような人だったが
私には暴君にしか見えなかった
小学生のときに、スパルタで折檻教育を受けた
今で言えば虐待になるだろう
私の精神的な脆弱性はそのときに作られた
基本的に私には厳しかった
病気になる前も、なった後もだった
それでも、母親恋しさに電話をすると
2、3会話をして母に代わってしまう。
大事な話があってもできやしない。
母と私は、暴君の奴隷だった
兄は、王子で弟は目に入れても痛くない存在
良くしてもらった事は、沢山あるが
その性格ゆえ、感謝されない損な人である
「そんなんじゃ駄目なんだ、もっとこうしろ!」
父と向き合うとまず一言目には、命令が来る