(釈尊が布施の功徳を語られた)
(現代語仏教聖典 釈尊編 第六章第一節)より引用させて頂きます。
世によく『私には他に施す財がない』という者がある。
然し、それはその人に財がないのではなく、真実がないのである。
どんな貧乏人であっても、少々のパンくず位は持っているであろう。
それを蟻に施すのも立派な布施である。…
またまことに一物もなく、身一つであるならば、その身をもって、他の奉仕するのをたすけるがよい。
それもできぬ身体であったなら、ただ他がよい布施をするのを見て、よろこびの心を起こせ。
それだけでも、その人は大なる功徳を得るであろう。
(引用終。強調は私です)
上記の話は、子供達に聞かせる抹香臭いお説教だ。
おとなはみんな知っている、残念ながらこんなのは厳しい現実を知らない単なるきれいごとに過ぎないということを。←これが世間の常識だ。
仏法は、世間の常識とはまったく違う。
指先に付いたパンくずを地面の蟻にやるだけで、それはほんとに立派な布施になる。
他人のする善行を見て喜びの心を起こせば、それだけでほんとに大功徳を得る。
行為の大小は関係ない。
他人の評価も関係ない。
ブッダの教えのポイントは、
あなたが
真実
で行うか
そうでないか
だけだ。
世間の常識はまったく間違っている。
ブッダの教えだけが真実だ。
(My Favorite Songs)
[和訳] Virtual Insanity - Jamiroquai
(過去記事再録)