家からチャリ漕ぎ10分で着く「はま寿司」へ。
DLした「春琴抄」を聴きながら昼食。
Wikipedia「春琴抄・あらすじ」から引用させていただきます。
物語は「鵙屋春琴伝」という一冊の書物を手にした「私」が、春琴の墓と、その横に小さくある佐助の墓を参り、2人の奇縁を語るモノローグで始まる。
大阪道修町の薬種商鵙屋の次女、春琴(本名は琴)は9歳の頃に眼病により失明して音曲を学ぶようになった。春琴の身の回りの世話をしていた丁稚の佐助もまた三味線を学ぶようになり、春琴の弟子となる。わがままに育った春琴の相手をさせようという両親の思惑とは裏腹に、春琴は佐助が泣き出すような激しい稽古をつけるのだった。やがて、春琴が妊娠していることが発覚するが、春琴も佐助も関係を否定し、結婚も断る。結局、春琴は佐助そっくりの子供を出産した末に里子に出した。
やがて春琴は20歳になり、師匠の死を機に三味線奏者として独立した。佐助もまた弟子兼世話係として同行し、我が儘がつのる春琴の衣食住の世話をした。春琴の腕前は一流として広く知られるようになったが、種々の贅沢のために財政は苦しかった。
そんな中、春琴の美貌が目当てで弟子になっていた利太郎という名家の息子が春琴を梅見に誘って口説こうとするが、春琴は利太郎を袖にしたあげく、稽古の仕置きで額にケガをさせてしまう。その1ヵ月半後、何者かが春琴の屋敷に侵入して春琴の顔に熱湯を浴びせ、大きな火傷を負わせる。
春琴はただれた自分の顔を見せることを嫌がり、佐助を近づけようとしない。春琴を思う佐助は自ら両眼を針で突き、失明した上でその後も春琴に仕えた。佐助は自らも琴の師匠となり、温井(ぬくい)琴台を名乗ることを許されたが、相変わらず結婚はせずに春琴の身の回りの世話を続けた。
春琴は1886年(明治19年)に脚気で亡くなり、佐助もまた、その21年後の1907年(明治40年)に亡くなった。
ちなみに、原文は、
佐助が衷情を思いやれば事の真相を発くのに忍びないけれどもこの前後の伝の叙述は故意に曲筆しているものと見る外はない彼が偶然白内障になったと云うのも腑に落ちないしまた春琴がいかに潔癖でありいかに盲人の思い過しであろうとも…
のように、句読点等の役物や改行を極力排した実験的文体が用いられてる。この特徴は朗読で味わえないので、青空文庫「春琴抄」に飛んでご確認ください。
100円皿「えび天握り」以前よりぷりぷり感が改良されてる。追加。
前回ゲットした6連値引券で-165円シニアパスで-50円。
(My Favorite Songs)
Stevie Wonder - Part Time Lovers - Live At Last (HD) - YouTube