哲学日記

映画「フューリー」 不都合な事実

以前紹介した名作「フューリー」が今

GYAO!で無料視聴できます。3月13日(日)まで

フューリー【吹替版】

 

GYAO!タイトル情報より引用させていただきます。

1945年4月ーたった5人で、300人のドイツ軍に挑んだ男たち。

1945年4月、戦車“フューリー”を駆るウォーダディ(ブラッド・ピット)のチームに、戦闘経験の一切ない新兵ノーマン(ローガン・ラーマン)が配置された。新人のノーマンは、想像をはるかに超えた戦場の凄惨な現実を目の当たりにしていく。やがて行く先々に隠れ潜むドイツ軍の奇襲を切り抜け進軍する“フューリー”の乗員たちは、世界最強の独・ティーガー戦車との死闘、さらには敵の精鋭部隊300人をたった5人で迎え撃つという、絶望的なミッションに身を投じていくのだった……。

ブラッド・ピット主演 『フューリー』予告編 - YouTube

 

 

殺人が合法になる
狂った世界
では、

誰が何をどうやってみても

直ちに「あれ」があらわになってしまう。

「あれ」とは、

 

生きることが
元々無意味で無価値
という「不都合な事実」

 

のことだ。

 

普段は

 

マーヤーのヴェール

 

でしっかりとおおわれてる。

 

だから、心ならずも

気づいちゃったなんて

厄災(僥倖)は起きない。

 

しかし戦争の狂気は

このヴェールを手荒く剥ぎ取る。

 

 

 

 

まあ、それでも大多数の人間は、


その公然になった「不都合な事実」

 

を本能的に嫌悪するようにできてる。

視野に入らないように注意深く眼をそらし、
ひたすら盲目利己的に

生き残ろうとするだけだ。

 

 

システム固有のバグを、

システムの中から直すことはできない。

のみならず、人間は

バグとうべなことさえ忌避する。

 

貪瞋痴のバグに翻弄される
いかれたシステムからの脱出を

望むどころか、忌みきらい

夢中で悶え楽しんでる。


 

共同幻想のまゆ

否応なくむしりとられた

裸の人間は、

最後の牙城である私的幻想に

なりふり構わず寄りすがり、
狂ったように解脱から逃げまわる。

 

 

 

 つまり、人間は、望んで
「生きんとする盲目の意志」世界
に閉じ込もってるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、

この「不都合な事実」を

一層クリアに表現した寓意的映画に

パージパージ:アナーキーがある。

『パージ』『パージ:アナーキー』予告編 - YouTube

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (My Favorite Songs)  

カーディガンズ。

「カーニバル」 この曲は、

カーディガンという言葉のイメージに合ってる気がして好きだった。


www.youtube.com

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