終りも完成もない無常に疲れること #shorts #スマナサーラ長老 #初期仏教 #jtba - YouTube
あの疲れた気持ちが大事です。
形(色)・受・想・行・識を死ぬまで堂々巡りする人間の愚行を、根本的に解決するブッダの獅子吼にあの疲れた気持ちが厭ふという言葉で表されてる。
厭うが故に楽はず、楽はざるが故に解脱すると。
色は無常なり。
無常なるは即ち苦なり。
苦なるは即ち我に非ず、
我に非ざるは亦我所に非ず。
是の如く観ずるを真実の正観と名づく。
是の如く受・想・行・識は無常なり。
無常なるは即ち苦なり。
苦なるは即ち我に非ず、
我に非ざるは亦我所に非ず。
是の如く観ずるを真実の正観と名づく。
聖弟子、是の如く観ずれば色を厭ひ受・想・行・識を厭ふ。
厭うが故に楽はず、
楽はざるが故に解脱することを得。
解脱すれば真実の智生じ、我が生己に尽き、梵行己に立ち、所作己に作し、自ら後有を受けざるを知る。
(雑阿含経1)
だから、解脱するために、この厭うという疲れた気持ちが
どうしても必要で大事です。