哲学日記

人の名前を憶えられないが、それを自分の短所だとおもわなかった話。

 
おれは物忘れが酷く、特に人の名前など聞いた1秒後に記憶から消えてしまう。まったく憶えられない。
これは子供の時からのことで、歳のせいではない。

たとえば、小中学校でまあまあ普通の付き合いはしてたのに、半年経ってもクラスメートの名前を数人しか言えなかった。
毎年そうで、クラスが替わり往来が減ると、その数人さえ、顔は覚えてるが名前は出てこなくなった。

 
会社に入ってから、人並みの仕事をこなすためにこまめなメモが絶対欠かせなかったので、これはかなり苦労した。

当初は、これは脳の病気だとおもい、本などで調べワーキングメモリ(脳の一時記憶機能)をチェックするテストをやってみたら、予想通り全然ダメだった。
「作業記憶」「長期記憶」等の概念も早くから知った。

おれは自分のワーキングメモリが周りの人より小さいことを自覚し、それから生じる生活上の巨大な不便不都合は日々痛感したが、
しかし記憶力を鍛えようなどとはまったくおもわなかった。

なぜなら、自分が本当に関心のある事(仏教等)だけは、努力しないでもすぐ覚えられたので、それで十分と感じていたからだ。
 


のみならず、意識的には絶対必要だとおもっているのになかなか憶えられない場合
 
(ああ、おれの本心は不必要とみなしてるんだな)
 
と分かる。
これはすこぶる便利な能力だと気づいた。

つまり、ワーキングメモリが人より小さいのは、
おれの短所でも長所でもあり
言ってみれば、おれの個性だ
とおもうようになった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

Dusty Springfield - I Only Wanna Be With You (1963) 4K - YouTube


www.youtube.com

 

(過去記事再録)
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