我々教師が最優先して確保しなければいけないものはなんでしょうか?
授業による学習?
行事による社会性の勉強?
部活動による感動?
どれもハズレです。
答えは「安全」
児童生徒の安全が確保できていないのに、学びあいだとか人としての成長だとかを語る教師がいれば、さっさとクビにした方が良いです。
ですから我々はいじめの撲滅を目指さねばなりません。
先日の豊田市の児童熱中症死亡案件も糾弾されてしまいます。
組み体操が批判されます。
しかし、残念ながら、この時期に、新学期を苦に自殺してしまう生徒が出てしまいます。
人数にすれば100人にもならない数ですし、全児童生徒に対する割合で見れば1%未満です。
でも、だからといって「そんな少数なら別に良いじゃん」という教師はいません。
なぜなら、学校を理由に生徒が亡くなってしまうと言うことは、教師が最優先して確保しなければならない「安全」の確保ができていないと言うことになるからです。
学校がそこまでイヤになる理由はなんでしょうか。
大雑把には
・人間関係(含:いじめ)
・学習の悩み
この2つではないでしょうか。
それぞれについて、思ったことを書いてみます。
・人間関係
平成28年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」結果によれば、
いじめの認知件数は,
小学校237,921 件(前年度151,692 件),
中学校71,309 件(前年度59,502件),
高等学校12,874 件(前年度12,664 件),
特別支援学校1,704 件(前年度1,274 件)。
全体では,323,808 件(前年度225,132 件)。
だそうです。
また
いじめを認知した学校数は25,699 校(前年度23,557 校),全学校数に占める割合は68.3%(前年度62.1%)。
です。
もちろん、これは認知数ですので、大人が見落としたいじめはノーカンです。
そして、いじめ以外の人間関係のトラブル(恋愛等)もありますので、実際はもっともっと多くの問題があります。
恋愛トラブルなんて……と思う方もいるでしょう。
そういうトラブルって、第三者から見れば「そんなことで」なんですけど
当人にとってはアルマゲドン並の一大事なんですよね。
思春期ってそういうものではありませんか。
さらに、先ほどの調査によれば
いじめの現在の状況で「解消しているもの」の件数の割合は90.6%(前年度88.7%)。
だそうです。
まとめると
・いじめの認知数だけでもかなりの数。
・未認知のいじめや、いじめでない人間関係の問題は計り知れない。
・認知されたいじめの9割は、最終的には解決している。
というところでしょうか。
さて、我々大人ができることはなんでしょうか。
やはり大事なのは、いじめを発生させないこと。そして、いじめの見落としを減らすことでしょう。
また、いじめ以外の人間関係のトラブルについても、情報を密に収集し、必要があればすぐに介入できるようにするべきでしょう。
いじめは火事のようなものです。
最終的に鎮火すれば良いというものでは無く、何より火を出さないことが大切です。
そのためには、教師の目がより行き届くようにするしかありません。
というわけで、教師の増員か、教師のやるべき事を減らし、より目の行き届きやすいようにするか、どちらかが対応策としてあげられます。
が、前者は現実的ではありません。国や自治体は社会保障で財政はパンパン。教師の増員を行なう財源があるとは思えません。
なので、教師のやるべき事を減らし、現場の余裕を生み出すしかありません。
「業務の断捨離」を提案します。
・学習の悩み
これへの対応策ですが
私は前から言っていますが、習熟度別に授業を受けさせるべきです。
何かを修得するためには、段階というものがあります。
極端な例としては、整数の四則計算ができない子に分数の計算を教えても意味がありません。
ところがそれをやってしまうのが現在の学校教育制度です。
「宿題が辛い」というのも同様。
学習者の習熟度を無視して課題を出すことは、生産的ではありません。
(過去の記事ですでに指摘しました。興味のある方はこれやこれをどうぞ。)
授業の前提となる知識が習得できていない生徒に、「1時間真面目に席に座って先生の話を聞いてノートをとりなさい」というのが非合理的なのです。
でも、ここまでの話は、制度に関する大人視点の話。
子ども視点の話に転換してみましょう。
学校の授業について行けない子が授業を受ける事って、すごいストレスだと思います。
先生の説明は何言ってるか分からない。
でもクラスの半分くらいのことは理解できているようで、なんか話をしている。
「みんなで話し合いましょう」と言われても、何を話せば良いか分からない。
「分からなかった人は、しっかり復習するように」と言われても、何をどうすればいいのかすらわからない……。
こんなことが1日に何時間も、しかも毎日ずっと続くのです。
そして家庭に帰っても、宿題で同じ現象が起こります。
そりゃ、学校いやになるわ。
ですから、授業は習熟度別にするべき。
しかし、習熟度別にすれば良いというものではありません。
習熟度別授業展開をやるなら、教師の授業準備の負担は増えます。
現状のまま授業だけ習熟度別にしたら、間違い無く教師はその負担に耐えきれず
テキトーな授業が展開され、最終的には授業は崩壊するでしょう。
ですから、繰り返しになりますが、教師の増員、または授業以外の業務の断捨離が必要です。
長くなりました。
まとめ。
・まずは子どもの安全確保が第一。
・だから、人間関係、いじめ対応、どちらも教師の目がより行き届くような体制を目指すべき。
・そして、授業は習熟度別に。
・これを実現するために、「教師の業務の断捨離」を。
以上です。
まーそれなのに文科省は教科を増やそうとしていますから、どうなることやら。
授業による学習?
行事による社会性の勉強?
部活動による感動?
どれもハズレです。
答えは「安全」
児童生徒の安全が確保できていないのに、学びあいだとか人としての成長だとかを語る教師がいれば、さっさとクビにした方が良いです。
ですから我々はいじめの撲滅を目指さねばなりません。
先日の豊田市の児童熱中症死亡案件も糾弾されてしまいます。
組み体操が批判されます。
しかし、残念ながら、この時期に、新学期を苦に自殺してしまう生徒が出てしまいます。
人数にすれば100人にもならない数ですし、全児童生徒に対する割合で見れば1%未満です。
でも、だからといって「そんな少数なら別に良いじゃん」という教師はいません。
なぜなら、学校を理由に生徒が亡くなってしまうと言うことは、教師が最優先して確保しなければならない「安全」の確保ができていないと言うことになるからです。
学校がそこまでイヤになる理由はなんでしょうか。
大雑把には
・人間関係(含:いじめ)
・学習の悩み
この2つではないでしょうか。
それぞれについて、思ったことを書いてみます。
・人間関係
平成28年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」結果によれば、
いじめの認知件数は,
小学校237,921 件(前年度151,692 件),
中学校71,309 件(前年度59,502件),
高等学校12,874 件(前年度12,664 件),
特別支援学校1,704 件(前年度1,274 件)。
全体では,323,808 件(前年度225,132 件)。
だそうです。
また
いじめを認知した学校数は25,699 校(前年度23,557 校),全学校数に占める割合は68.3%(前年度62.1%)。
です。
もちろん、これは認知数ですので、大人が見落としたいじめはノーカンです。
そして、いじめ以外の人間関係のトラブル(恋愛等)もありますので、実際はもっともっと多くの問題があります。
恋愛トラブルなんて……と思う方もいるでしょう。
そういうトラブルって、第三者から見れば「そんなことで」なんですけど
当人にとってはアルマゲドン並の一大事なんですよね。
思春期ってそういうものではありませんか。
さらに、先ほどの調査によれば
いじめの現在の状況で「解消しているもの」の件数の割合は90.6%(前年度88.7%)。
だそうです。
まとめると
・いじめの認知数だけでもかなりの数。
・未認知のいじめや、いじめでない人間関係の問題は計り知れない。
・認知されたいじめの9割は、最終的には解決している。
というところでしょうか。
さて、我々大人ができることはなんでしょうか。
やはり大事なのは、いじめを発生させないこと。そして、いじめの見落としを減らすことでしょう。
また、いじめ以外の人間関係のトラブルについても、情報を密に収集し、必要があればすぐに介入できるようにするべきでしょう。
いじめは火事のようなものです。
最終的に鎮火すれば良いというものでは無く、何より火を出さないことが大切です。
そのためには、教師の目がより行き届くようにするしかありません。
というわけで、教師の増員か、教師のやるべき事を減らし、より目の行き届きやすいようにするか、どちらかが対応策としてあげられます。
が、前者は現実的ではありません。国や自治体は社会保障で財政はパンパン。教師の増員を行なう財源があるとは思えません。
なので、教師のやるべき事を減らし、現場の余裕を生み出すしかありません。
「業務の断捨離」を提案します。
・学習の悩み
これへの対応策ですが
私は前から言っていますが、習熟度別に授業を受けさせるべきです。
何かを修得するためには、段階というものがあります。
極端な例としては、整数の四則計算ができない子に分数の計算を教えても意味がありません。
ところがそれをやってしまうのが現在の学校教育制度です。
「宿題が辛い」というのも同様。
学習者の習熟度を無視して課題を出すことは、生産的ではありません。
(過去の記事ですでに指摘しました。興味のある方はこれやこれをどうぞ。)
授業の前提となる知識が習得できていない生徒に、「1時間真面目に席に座って先生の話を聞いてノートをとりなさい」というのが非合理的なのです。
でも、ここまでの話は、制度に関する大人視点の話。
子ども視点の話に転換してみましょう。
学校の授業について行けない子が授業を受ける事って、すごいストレスだと思います。
先生の説明は何言ってるか分からない。
でもクラスの半分くらいのことは理解できているようで、なんか話をしている。
「みんなで話し合いましょう」と言われても、何を話せば良いか分からない。
「分からなかった人は、しっかり復習するように」と言われても、何をどうすればいいのかすらわからない……。
こんなことが1日に何時間も、しかも毎日ずっと続くのです。
そして家庭に帰っても、宿題で同じ現象が起こります。
そりゃ、学校いやになるわ。
ですから、授業は習熟度別にするべき。
しかし、習熟度別にすれば良いというものではありません。
習熟度別授業展開をやるなら、教師の授業準備の負担は増えます。
現状のまま授業だけ習熟度別にしたら、間違い無く教師はその負担に耐えきれず
テキトーな授業が展開され、最終的には授業は崩壊するでしょう。
ですから、繰り返しになりますが、教師の増員、または授業以外の業務の断捨離が必要です。
長くなりました。
まとめ。
・まずは子どもの安全確保が第一。
・だから、人間関係、いじめ対応、どちらも教師の目がより行き届くような体制を目指すべき。
・そして、授業は習熟度別に。
・これを実現するために、「教師の業務の断捨離」を。
以上です。