先日、他市の公立学校で行なわれた研究授業を見てくると言う出張がありました。
研究授業とは、普通の授業ではありません。
みなさん子どもの時、なぜだかわからないけれども、他の先生達がぞろぞろと授業を見に来るということを経験したことがあると思います。
あれが、研究授業です。
研究授業は、普通の授業とは違い、その教師または学校の研究の成果の発表となる授業です。
そのため、指導案の作成から本番の前日まで、管理職や教務主任等々の厳しい指導が入るのが普通です。
そして、授業後は、ぞろぞろと見にきた先生達から、これは良かったとか、これはいかんと色々と言われます。
若手の場合は、修行として、ベテランの場合は、若手の手本として、研究授業をするのが普通です。
なので、研究授業で発揮されるパフォーマンスが、その教師のフルパフォーマンスです。
先日私が行ってきた出張は、ICTの活用によるアクティブラーニングをテーマとしたものでした。
その市内の2小学校、1中学校で、それぞれ同時に5個くらいの研究授業が行なわれた後、研究大会が行なわれるという大々的なものでした。
以前自分は、こんな記事を書きました。
この記事を書いたとき、実は、あるメーカーの電子黒板をイメージしていました。
シャープ製のこれです。
これの大画面モデルを3つつなげば、従来の黒板なんて用済みです。
21世紀に入ってから、もうすぐ20年。
いいかげん、このくらいの学校の改革はあっても良いのでは、と思っています。
黒板にチョークとか、コスパ良いのは分かるけど、設備的には明治時代と変わりませんよ?
で、この研究授業を行なった市の小中学校には、なんと、すべての普通教室に1台、常設でこの電子黒板が配備されていたのです。
いやー、テンション上がっちゃいましたよ。
自分が、「これ使って授業してみたい!」と思っていた物の、実物が目の前にあるのですもの。
我が校には、これよりも数段に年式もグレードも低い物が、数台あるだけで、「こんなもん使うくらいなら、チョークで良いわ」といつも思っていたのですが
これは、そんなものとは全然違います。
自分は、中3の金星の挙動と満ち欠けに関する授業を参観しました。
まさに、ICT機器を活用した、アクティブラーニングでした。
ちなみに私は、もともと、タブレットの活用には反対の立場だったのですが
これだけ高性能なタブレットがたくさん配備されていれば、意見を変えざるを得なくなります。
通常の黒板には、今日のめあてと、「こんなことをやるからね」というお品書きのようなものが事前に板書されており
それだけです。
開始から終了まで、教師は一度もチョークを持ちませんでした。
生徒の注目は、主に教師と電子黒板と、1人1台配られたタブレットです。
まず、教師が、今日の授業を受ける上で必要な知識を電子黒板で提示します。
教師が画面に触れるだけで、次々にスライドが表示されるので
教師は常に生徒に顔を向けられます。
次に、星の動きを表わすアニメーションを見てみようと教師が言い
電子黒板で、やり方を説明します。
それを見て、生徒は手元のタブレットを操作します。
さらに、それを見た上で考える課題が、生徒に示され
生徒はタブレットに、手書き入力またはソフトキーボード入力で自分の考えを書きます。
そして、近くの子ども同士でタブレットを見せ合い、考えを発表し合いつつ
実は子どもたちのタブレットの画面は、サムネイルのような感じで電子黒板に表示されます。
そのため、教師が誰かのタブレット画面をさっと電子黒板に表示させ
「これはどうゆうことかな?」と発表させることができるのです。
なんやかんやと金星について考えた後に、まとめに入ります。
まとめも、先生が事前に用意したスライドで行ないます。
空所がある文章が表示され、その空所にあてはまる言葉を生徒が考え、発表し
まとめの文章をワークシートに記して、おしまいです。
あ、いっときますけどこれ公立学校ですよ。
金持ち私立ではありません。
ちゃんとした設備と、その設備を教師がしっかりと授業に組み込めば、こんなに良い授業ができるのだということを痛感しました。
授業自体は素晴らしかったです。
でも、今から悲観的なことを書きます。
結局、金なんです。
予算があり、良い設備があるからできる授業であり
逆に言うと、設備が無ければ、現場の教師がどれだけ必死こいて授業準備しても、あのような授業はできないのです。
この研究授業は、主に教師が見に来るものでしたが
教師があれを見たって
「すごいなー」
「(あの設備)うらやましいなー」
で終わりなんですよ。
あの授業は、政治家や官僚が見なければいけないものでした。
そして、教育にちゃんと設備投資すれば、あれだけ改善された授業が展開できると言うことを知ってもらう良い機会でした。
残念なことに、あの授業を見た教師以外のものは、その市の市長と数名の市会議員だけでした。
さらに悲観的なことを書きます。
なぜあの市の学校がそんな設備を持っていたのか、という話です。
研究授業には、2種類あります。
1つは、ただの校内研修としてのもの。
もう1つは、市町村や県から「研究課題」を与えられ、それにこたえる手立てとして行なわれるものです。
これはどこの県も一緒だと思いますが、その研究は、ローテーションで割り当てられます。
つまり
何年度から何年度まで、A市では○○についての研究を行ない、最終年度に研究授業という形で研究発表をしてください。
という割り当てが来るのです。
そうゆう割り当てが来ると、他の自治体の人に見られて恥ずかしくないものをやらなければなりませんから
周到な準備計画が立案されるとともに、そのために必要な予算も通りやすくなります。
だから、あの市の学校は、その特別予算のおかげで、良い設備を手に入れられたのです。
これ、研究が終われば、きっと予算はつかなくなり
装備の更新は難しいものになります。
現時点では、極めて先進的な設備で授業をしていますが、下手したら数年後、十年後も同じ設備で授業をしている危険性があります。
結局、金ですね。
研究発表のためとはいえ、一地方自治体がちょっと頑張って、あそこまでのICT整備ができたのですから
国家レベルが本気出せば、いけると思うんですけどね。
残念ながら、こんなことは今回の選挙の争点にすらなってません。
教育に関する事と言えば、幼児教育の無償化など、有権者の財布にすぐに効果が出るものばかりで
長期的な視点での話は、まるでない。
なんだかなぁ。
よく、学校の授業はあてにならない、我が子を良いところに進学させたかったら、塾や予備校に行かせるべきだ、と言う親がいるのですけれども
こうゆう点では、公立学校は絶対に塾に勝てませんからね。
ある意味、あたっています。
最後に、その研究を行なった市の市長の挨拶を紹介して終わりたいと思います。
市長曰く
「今日我々がやった授業は、とても先進的なものであるという自信がある。10年後には、どの学校でも今日みたいな授業が普通に行なわれるようになっていることを望む」
それを聞いて
いや、2030年になってもチョークで授業してたら、もうこの国だめだろ。
と思ってしまいました。
研究授業とは、普通の授業ではありません。
みなさん子どもの時、なぜだかわからないけれども、他の先生達がぞろぞろと授業を見に来るということを経験したことがあると思います。
あれが、研究授業です。
研究授業は、普通の授業とは違い、その教師または学校の研究の成果の発表となる授業です。
そのため、指導案の作成から本番の前日まで、管理職や教務主任等々の厳しい指導が入るのが普通です。
そして、授業後は、ぞろぞろと見にきた先生達から、これは良かったとか、これはいかんと色々と言われます。
若手の場合は、修行として、ベテランの場合は、若手の手本として、研究授業をするのが普通です。
なので、研究授業で発揮されるパフォーマンスが、その教師のフルパフォーマンスです。
先日私が行ってきた出張は、ICTの活用によるアクティブラーニングをテーマとしたものでした。
その市内の2小学校、1中学校で、それぞれ同時に5個くらいの研究授業が行なわれた後、研究大会が行なわれるという大々的なものでした。
以前自分は、こんな記事を書きました。
この記事を書いたとき、実は、あるメーカーの電子黒板をイメージしていました。
シャープ製のこれです。
これの大画面モデルを3つつなげば、従来の黒板なんて用済みです。
21世紀に入ってから、もうすぐ20年。
いいかげん、このくらいの学校の改革はあっても良いのでは、と思っています。
黒板にチョークとか、コスパ良いのは分かるけど、設備的には明治時代と変わりませんよ?
で、この研究授業を行なった市の小中学校には、なんと、すべての普通教室に1台、常設でこの電子黒板が配備されていたのです。
いやー、テンション上がっちゃいましたよ。
自分が、「これ使って授業してみたい!」と思っていた物の、実物が目の前にあるのですもの。
我が校には、これよりも数段に年式もグレードも低い物が、数台あるだけで、「こんなもん使うくらいなら、チョークで良いわ」といつも思っていたのですが
これは、そんなものとは全然違います。
自分は、中3の金星の挙動と満ち欠けに関する授業を参観しました。
まさに、ICT機器を活用した、アクティブラーニングでした。
ちなみに私は、もともと、タブレットの活用には反対の立場だったのですが
これだけ高性能なタブレットがたくさん配備されていれば、意見を変えざるを得なくなります。
通常の黒板には、今日のめあてと、「こんなことをやるからね」というお品書きのようなものが事前に板書されており
それだけです。
開始から終了まで、教師は一度もチョークを持ちませんでした。
生徒の注目は、主に教師と電子黒板と、1人1台配られたタブレットです。
まず、教師が、今日の授業を受ける上で必要な知識を電子黒板で提示します。
教師が画面に触れるだけで、次々にスライドが表示されるので
教師は常に生徒に顔を向けられます。
次に、星の動きを表わすアニメーションを見てみようと教師が言い
電子黒板で、やり方を説明します。
それを見て、生徒は手元のタブレットを操作します。
さらに、それを見た上で考える課題が、生徒に示され
生徒はタブレットに、手書き入力またはソフトキーボード入力で自分の考えを書きます。
そして、近くの子ども同士でタブレットを見せ合い、考えを発表し合いつつ
実は子どもたちのタブレットの画面は、サムネイルのような感じで電子黒板に表示されます。
そのため、教師が誰かのタブレット画面をさっと電子黒板に表示させ
「これはどうゆうことかな?」と発表させることができるのです。
なんやかんやと金星について考えた後に、まとめに入ります。
まとめも、先生が事前に用意したスライドで行ないます。
空所がある文章が表示され、その空所にあてはまる言葉を生徒が考え、発表し
まとめの文章をワークシートに記して、おしまいです。
あ、いっときますけどこれ公立学校ですよ。
金持ち私立ではありません。
ちゃんとした設備と、その設備を教師がしっかりと授業に組み込めば、こんなに良い授業ができるのだということを痛感しました。
授業自体は素晴らしかったです。
でも、今から悲観的なことを書きます。
結局、金なんです。
予算があり、良い設備があるからできる授業であり
逆に言うと、設備が無ければ、現場の教師がどれだけ必死こいて授業準備しても、あのような授業はできないのです。
この研究授業は、主に教師が見に来るものでしたが
教師があれを見たって
「すごいなー」
「(あの設備)うらやましいなー」
で終わりなんですよ。
あの授業は、政治家や官僚が見なければいけないものでした。
そして、教育にちゃんと設備投資すれば、あれだけ改善された授業が展開できると言うことを知ってもらう良い機会でした。
残念なことに、あの授業を見た教師以外のものは、その市の市長と数名の市会議員だけでした。
さらに悲観的なことを書きます。
なぜあの市の学校がそんな設備を持っていたのか、という話です。
研究授業には、2種類あります。
1つは、ただの校内研修としてのもの。
もう1つは、市町村や県から「研究課題」を与えられ、それにこたえる手立てとして行なわれるものです。
これはどこの県も一緒だと思いますが、その研究は、ローテーションで割り当てられます。
つまり
何年度から何年度まで、A市では○○についての研究を行ない、最終年度に研究授業という形で研究発表をしてください。
という割り当てが来るのです。
そうゆう割り当てが来ると、他の自治体の人に見られて恥ずかしくないものをやらなければなりませんから
周到な準備計画が立案されるとともに、そのために必要な予算も通りやすくなります。
だから、あの市の学校は、その特別予算のおかげで、良い設備を手に入れられたのです。
これ、研究が終われば、きっと予算はつかなくなり
装備の更新は難しいものになります。
現時点では、極めて先進的な設備で授業をしていますが、下手したら数年後、十年後も同じ設備で授業をしている危険性があります。
結局、金ですね。
研究発表のためとはいえ、一地方自治体がちょっと頑張って、あそこまでのICT整備ができたのですから
国家レベルが本気出せば、いけると思うんですけどね。
残念ながら、こんなことは今回の選挙の争点にすらなってません。
教育に関する事と言えば、幼児教育の無償化など、有権者の財布にすぐに効果が出るものばかりで
長期的な視点での話は、まるでない。
なんだかなぁ。
よく、学校の授業はあてにならない、我が子を良いところに進学させたかったら、塾や予備校に行かせるべきだ、と言う親がいるのですけれども
こうゆう点では、公立学校は絶対に塾に勝てませんからね。
ある意味、あたっています。
最後に、その研究を行なった市の市長の挨拶を紹介して終わりたいと思います。
市長曰く
「今日我々がやった授業は、とても先進的なものであるという自信がある。10年後には、どの学校でも今日みたいな授業が普通に行なわれるようになっていることを望む」
それを聞いて
いや、2030年になってもチョークで授業してたら、もうこの国だめだろ。
と思ってしまいました。