道徳が教科化します。
それに対して、多くの反対意見がありますよね。
ちなみに、私は賛成派です。
今日の記事は、反対派への反論です。
反対派のみなさんは「価値観の押しつけになる」とか「道徳心は教えるものでは無く子どもが学び取っていくものだ」とかおっしゃいますけど
そもそも学校って、押しつけるところでしょ?と私は思います。
教科指導であれば、将来馬鹿にされない程度の教養を身につけるために、様々な事を子どもに押しつけます。
九九や漢字の読み書き等です。
人間性も一緒です。
「いじめや差別はいけません」
「困っている子がいたら、助けてあげられると素敵ですね」
「みんなで協力できると立派ですね」
というような価値観を押しつけるのが、学校教育というものでしょ?
軍国主義がどうのこうのと言っている人もいますけれど
例えば理科の授業中に、理科教師が「地球は動いていなくて、地球のまわりを多くの星々が回っている」と生徒に教えたら
「理科教師の教える内容が間違っている!」となるだけで
「理科は教科にするべきではない!」となりませんよね。
道徳が教科であるかどうかと、教育内容が軍国主義化するかどうかには、関係が無いと思います。
というわけで、道徳の教科化は、受け入れるべきだと思いますよ。
反対運動をしている教師がいれば、そんなのとっととやめて、新しい教科書を読むべきです。
それに対して、多くの反対意見がありますよね。
ちなみに、私は賛成派です。
今日の記事は、反対派への反論です。
反対派のみなさんは「価値観の押しつけになる」とか「道徳心は教えるものでは無く子どもが学び取っていくものだ」とかおっしゃいますけど
そもそも学校って、押しつけるところでしょ?と私は思います。
教科指導であれば、将来馬鹿にされない程度の教養を身につけるために、様々な事を子どもに押しつけます。
九九や漢字の読み書き等です。
人間性も一緒です。
「いじめや差別はいけません」
「困っている子がいたら、助けてあげられると素敵ですね」
「みんなで協力できると立派ですね」
というような価値観を押しつけるのが、学校教育というものでしょ?
軍国主義がどうのこうのと言っている人もいますけれど
例えば理科の授業中に、理科教師が「地球は動いていなくて、地球のまわりを多くの星々が回っている」と生徒に教えたら
「理科教師の教える内容が間違っている!」となるだけで
「理科は教科にするべきではない!」となりませんよね。
道徳が教科であるかどうかと、教育内容が軍国主義化するかどうかには、関係が無いと思います。
というわけで、道徳の教科化は、受け入れるべきだと思いますよ。
反対運動をしている教師がいれば、そんなのとっととやめて、新しい教科書を読むべきです。
内容については、あまり高度にするべきではないと考えています。
つまり、道徳というよりは、「常識」とか「マナー」に近いものにするべきだと言うことです。
そういう意味では、私の意見は、文科省の言う「考える道徳」には反対なのかも知れませんね。
行事近くの調整弁がなくなるのも、現場としては辛いですよね。
副読本ってなくなるのだと思ってましたが、違うのですか?
普段の生活から道徳を学ぶために、「常識」を授業で教えるべきだと思うのです。
まー昔はそんなもの地域や家庭がやってくれたのですけどね。
理由3つ
①具体的内容がよくわからない
(政治的価値観や世俗的価値観に左右されやすい)
・答えがない
②授業時間の柔軟性が失われる
・自習時間による調整が難しくなる
③無駄な予算が増える
・毎年、教育委員会が作成する道徳教育の副読本が全く活用されない
・教科書配給会社が潤うだけ
本音
バカな子供に道徳を教えても理解して貰えず、賢い子供に道徳を教えても聞く耳もたず、立派な大人(国会&地方自治体の議員)ですら、嘘を言う始末だと、末端の教員が道徳を教えることは、正直に悲しいです。
私自身の意見として、子供ならこそ普段の生活から道徳を学ぶことが大事だと感じます。
(欠点 コミュニティに左右されやすい)